41 / 52
ローフェル編
記憶喪失の男
私が寝ているのは病院のベッドの様で、白い天井をぼんやり見つめていた。
「声が聞こえますか?目はどうでしょう。この指が何本か分かりますか?」
医師らしき人が訊ねている言葉は段々聞き取れるようになったが、自分が発している言葉は異国の言葉の様だった。
どうやら私はこの国の人間ではないらしい。
言語が違うようだ。だが、不思議な事に暫くするとこの国の言葉が喋れるようになった。
そこで、私を助けてくれた人間に話を聞いてきてくれたらしい。私は隣国とこの国の境界である深い森の木に引っ掛かっていたらしく、もし、そのまま地べたに倒れていたら野犬か狼に食われていただろうと言うほどの大怪我で、周りには集落もなく、このままにはしておけないとこの国に連れてきてくれた。
運が良かったのだ。温暖なこの国と違って北に位置する隣国は冬に入りかけていた。たまたま行商人の一隊に拾われたから良かったもののでなければ、死んでいただろう。
記憶が無くとも命があることに私は感謝した。それに聞けばこの国は医療に長けている国だと言われ、それなら遠からず記憶も自然と戻るとこの時は安楽に考えていたのだが、甘かった。
肝心の自分の名前が思い出せない。他の事は徐々に思い出せているのに、住んでいた所も家族のことも何も思い出せなかった。
ただ、心のどこかで早く帰らなければならない。だが、それはどこで、誰の元へかが分からない。
体は次第に回復していくが、記憶が無い私は毎日が不安に押しつぶされそうになる。まるで暗闇を手探りで歩いているような感覚に襲われる。
このまま記憶が戻らなければどうすればいいのだろう。
家族に生きている事さえも知らせられない。
私がこの国の言葉を理解し、話せることと商売に詳しいことや当時助けられた場所が商団が行き来する林道だったことから、平民の裕福な跡取りか若旦那ではないかと思われていた。
教育を受けている者の所作をしていたからだ。礼儀やマナーを知っている事からそう思われた。しかも助けられた時の服装がそう示していた。
隣国に平民の行方不明者の捜索願が出ていないか問い合わせてくれたようだが、該当者はいなかった。
結局、私は身元不明のまま、この国に留まる事になった。
この国は私の様なトラブルに巻き込まれた可能性のある身元不明者は、神殿の救護施設に預けられ、そこで神殿で奉仕活動をしながら、身元が判明するまで過ごすことになっている。
しかも判明しても本人だと分かる公の証明書が必要なのだ。
それは昔、嘘の証明書を偽造して人身売買をしていた貴族がいたことから法が改正され、厳しく罰せられる様になった。
「あんたみたいな男は、ここにいた方が安全だよ」
「それはなんでだ?」
「女受けしそうな顔をしているから、どっかの貴族の愛人にされるか。そういう商売をしている店に売り飛ばされそうだ。それに記憶がないと悪い人間に付け込まれるからな」
「どうして私をここに連れてきたんだろう」
「それは法で決まっているからだ。身元不明者は一旦、神殿預かりにして国の審査を通らなければ救護施設で暮らすようにな」
「ずいぶん親切な法だな」
「まあ、昔、物騒な事件が起こったからな。それで、国のお偉方が法を変えたのさ。おかげで俺たちも安心して暮らしていけるってもんよ」
「それはいいな、わが国にも欲しいな…」
我が国、それはどこだ。なんでこんな言い方が出来るんだ?貴族の様な…。私は平民なんだよな?
わずかな疑問が浮かんでは消えする中、もう一年が過ぎていた。怪我の後遺症などはないようだが、依然と記憶だけが甦らない。
その頃から赤いものを見ると頭が痛みだした。
靄の中から声が聞こえる。
早く思い出して帰ってきて私の元へ、待っているからいつまでも。
優しく響く美しい声で赤い髪の女と少女が手招きする。
私がそこへ行こうとするがいけない。掴もうとする手が空を描きながらもがいている。彼女らに近づけてその手を握ろうとした瞬間に現実に引き戻されるのだ。
あれは誰なのだろう。私を待っているのは……。
記憶が戻らないまま神殿での生活にも慣れ、いつの間にか私はこの施設の古株になっていた。そして施設の簡単な経営の雑務や、慰問に訪れる貴族の対応が任さる頃には、もう7年の歳月が流れていた。
「もうこのまま、ここにいたらどうだろう」
そんな事を院長にいわれ始めた頃に、隣国の王弟殿下が視察で救護施設を訪れたのだ。
「声が聞こえますか?目はどうでしょう。この指が何本か分かりますか?」
医師らしき人が訊ねている言葉は段々聞き取れるようになったが、自分が発している言葉は異国の言葉の様だった。
どうやら私はこの国の人間ではないらしい。
言語が違うようだ。だが、不思議な事に暫くするとこの国の言葉が喋れるようになった。
そこで、私を助けてくれた人間に話を聞いてきてくれたらしい。私は隣国とこの国の境界である深い森の木に引っ掛かっていたらしく、もし、そのまま地べたに倒れていたら野犬か狼に食われていただろうと言うほどの大怪我で、周りには集落もなく、このままにはしておけないとこの国に連れてきてくれた。
運が良かったのだ。温暖なこの国と違って北に位置する隣国は冬に入りかけていた。たまたま行商人の一隊に拾われたから良かったもののでなければ、死んでいただろう。
記憶が無くとも命があることに私は感謝した。それに聞けばこの国は医療に長けている国だと言われ、それなら遠からず記憶も自然と戻るとこの時は安楽に考えていたのだが、甘かった。
肝心の自分の名前が思い出せない。他の事は徐々に思い出せているのに、住んでいた所も家族のことも何も思い出せなかった。
ただ、心のどこかで早く帰らなければならない。だが、それはどこで、誰の元へかが分からない。
体は次第に回復していくが、記憶が無い私は毎日が不安に押しつぶされそうになる。まるで暗闇を手探りで歩いているような感覚に襲われる。
このまま記憶が戻らなければどうすればいいのだろう。
家族に生きている事さえも知らせられない。
私がこの国の言葉を理解し、話せることと商売に詳しいことや当時助けられた場所が商団が行き来する林道だったことから、平民の裕福な跡取りか若旦那ではないかと思われていた。
教育を受けている者の所作をしていたからだ。礼儀やマナーを知っている事からそう思われた。しかも助けられた時の服装がそう示していた。
隣国に平民の行方不明者の捜索願が出ていないか問い合わせてくれたようだが、該当者はいなかった。
結局、私は身元不明のまま、この国に留まる事になった。
この国は私の様なトラブルに巻き込まれた可能性のある身元不明者は、神殿の救護施設に預けられ、そこで神殿で奉仕活動をしながら、身元が判明するまで過ごすことになっている。
しかも判明しても本人だと分かる公の証明書が必要なのだ。
それは昔、嘘の証明書を偽造して人身売買をしていた貴族がいたことから法が改正され、厳しく罰せられる様になった。
「あんたみたいな男は、ここにいた方が安全だよ」
「それはなんでだ?」
「女受けしそうな顔をしているから、どっかの貴族の愛人にされるか。そういう商売をしている店に売り飛ばされそうだ。それに記憶がないと悪い人間に付け込まれるからな」
「どうして私をここに連れてきたんだろう」
「それは法で決まっているからだ。身元不明者は一旦、神殿預かりにして国の審査を通らなければ救護施設で暮らすようにな」
「ずいぶん親切な法だな」
「まあ、昔、物騒な事件が起こったからな。それで、国のお偉方が法を変えたのさ。おかげで俺たちも安心して暮らしていけるってもんよ」
「それはいいな、わが国にも欲しいな…」
我が国、それはどこだ。なんでこんな言い方が出来るんだ?貴族の様な…。私は平民なんだよな?
わずかな疑問が浮かんでは消えする中、もう一年が過ぎていた。怪我の後遺症などはないようだが、依然と記憶だけが甦らない。
その頃から赤いものを見ると頭が痛みだした。
靄の中から声が聞こえる。
早く思い出して帰ってきて私の元へ、待っているからいつまでも。
優しく響く美しい声で赤い髪の女と少女が手招きする。
私がそこへ行こうとするがいけない。掴もうとする手が空を描きながらもがいている。彼女らに近づけてその手を握ろうとした瞬間に現実に引き戻されるのだ。
あれは誰なのだろう。私を待っているのは……。
記憶が戻らないまま神殿での生活にも慣れ、いつの間にか私はこの施設の古株になっていた。そして施設の簡単な経営の雑務や、慰問に訪れる貴族の対応が任さる頃には、もう7年の歳月が流れていた。
「もうこのまま、ここにいたらどうだろう」
そんな事を院長にいわれ始めた頃に、隣国の王弟殿下が視察で救護施設を訪れたのだ。
あなたにおすすめの小説
最後に一つだけ。あなたの未来を壊す方法を教えてあげる
椿谷あずる
恋愛
婚約者カインの口から、一方的に別れを告げられたルーミア。
その隣では、彼が庇う女、アメリが怯える素振りを見せながら、こっそりと勝者の微笑みを浮かべていた。
──ああ、なるほど。私は、最初から負ける役だったのね。
全てを悟ったルーミアは、静かに微笑み、淡々と婚約破棄を受け入れる。
だが、その背中を向ける間際、彼女はふと立ち止まり、振り返った。
「……ねえ、最後に一つだけ。教えてあげるわ」
その一言が、すべての運命を覆すとも知らずに。
裏切られた彼女は、微笑みながらすべてを奪い返す──これは、華麗なる逆転劇の始まり。
悪女と呼ばれた令嬢は、親友の幸せのために婚約者を捨てた
由香
恋愛
婚約者である王太子を、親友のために手放した令嬢リュシエンヌ。
彼女はすべての非難を一身に受け、「悪女」と呼ばれる道を選ぶ。
真実を語らぬまま、親友である騎士カイルとも距離を置き、
ただ一人、守るべきものを守り抜いた。
それは、愛する人の未来のための選択。
誤解と孤独の果てで、彼女が手にした本当の結末とは――。
悪女と呼ばれた令嬢が、自ら選び取る静かな幸福の物語。
嘘つきな貴方を捨てさせていただきます
梨丸
恋愛
断頭台に上がった公爵令嬢フレイアが最期に聞いた言葉は最愛の婚約者の残忍な言葉だった。
「さっさと死んでくれ」
フレイアを断頭台へと導いたのは最愛の婚約者だった。
愛していると言ってくれたのは嘘だったのね。
嘘つきな貴方なんて、要らない。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
11/27HOTランキング5位ありがとうございます。
※短編と長編の狭間のような長さになりそうなので、短編にするかもしれません。
1/2累計ポイント100万突破、ありがとうございます。
完結小説ランキング恋愛部門8位ありがとうございます。
【完結】私の婚約者の、自称健康な幼なじみ。
❄️冬は つとめて
恋愛
「ルミナス、すまない。カノンが…… 」
「大丈夫ですの? カノン様は。」
「本当にすまない。ルミナス。」
ルミナスの婚約者のオスカー伯爵令息は、何時ものようにすまなそうな顔をして彼女に謝った。
「お兄様、ゴホッゴホッ! ルミナス様、ゴホッ! さあ、遊園地に行きましょ、ゴボッ!! 」
カノンは血を吐いた。
最愛の人に裏切られ死んだ私ですが、人生をやり直します〜今度は【真実の愛】を探し、元婚約者の後悔を笑って見届ける〜
腐ったバナナ
恋愛
愛する婚約者アラン王子に裏切られ、非業の死を遂げた公爵令嬢エステル。
「二度と誰も愛さない」と誓った瞬間、【死に戻り】を果たし、愛の感情を失った冷徹な復讐者として覚醒する。
エステルの標的は、自分を裏切った元婚約者と仲間たち。彼女は未来の知識を武器に、王国の影の支配者ノア宰相と接触。「私の知性を利用し、絶対的な庇護を」と、大胆な契約結婚を持ちかける。
殿下、幼馴染の令嬢を大事にしたい貴方の恋愛ごっこにはもう愛想が尽きました。
和泉鷹央
恋愛
雪国の祖国を冬の猛威から守るために、聖女カトリーナは病床にふせっていた。
女神様の結界を張り、国を温暖な気候にするためには何か犠牲がいる。
聖女の健康が、その犠牲となっていた。
そんな生活をして十年近く。
カトリーナの許嫁にして幼馴染の王太子ルディは婚約破棄をしたいと言い出した。
その理由はカトリーナを救うためだという。
だが本当はもう一人の幼馴染、フレンヌを王妃に迎えるために、彼らが仕組んだ計略だった――。
他の投稿サイトでも投稿しています。
【完結】祈りの果て、君を想う
とっくり
恋愛
華やかな美貌を持つ妹・ミレイア。
静かに咲く野花のような癒しを湛える姉・リリエル。
騎士の青年・ラズは、二人の姉妹の間で揺れる心に気づかぬまま、運命の選択を迫られていく。
そして、修道院に身を置いたリリエルの前に現れたのは、
ひょうひょうとした元軍人の旅人──実は王族の血を引く男・ユリアン。
愛するとは、選ばれることか。選ぶことか。
沈黙と祈りの果てに、誰の想いが届くのか。
運命ではなく、想いで人を愛するとき。
その愛は、誰のもとに届くのか──
※短編から長編に変更いたしました。
【完結】「妹が欲しがるのだから与えるべきだ」と貴方は言うけれど……
小笠原 ゆか
恋愛
私の婚約者、アシュフォード侯爵家のエヴァンジェリンは、後妻の産んだ義妹ダルシニアを虐げている――そんな噂があった。次期王子妃として、ひいては次期王妃となるに相応しい振る舞いをするよう毎日叱責するが、エヴァンジェリンは聞き入れない。最後の手段として『婚約解消』を仄めかしても動じることなく彼女は私の下を去っていった。
この作品は『小説家になろう』でも公開中です。