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アトラスの遺品
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ザワザワと物見でもするように大勢の兵士たちが群がっている。
「こんな瀕死の怪我人のいる場所で、しかも治療にあたっている人間に対して言う言葉ではないわ。皆勇敢に戦って負傷した者達なのよ」
「で…ですが、お…俺いや私は本当のことを言ったまでで…」
「本当の事?この際だから言っておくわ。カーネリアンが女神の加護を受けているのは本当よ。勿論、私も与えられている。二人合わせて一人前なの。カーネリアンと私は運命共同体なのよ。分かった?理解したならこれ以上問題を起こさないで、貴方達の処罰は後で言い渡すから」
ライザスは苦々しそうに顔を歪めて、人だかりの向こうに見えるカーネリアンを睨んで、
「ふん、いい気になっていられるのも今の内だ。その女がいなければ何も出来ない癖に──」
毒を吐いていた。しかし、他の者は概ねカーネリアンに好意的だった。公にされていない真実を語る事が出来なくて辛い思いをしているのはカーネリアンだとエミュールは知っている。
彼は何時だって誰かを憎んだことはない。その心が清らかさが既に女神の加護を与えられている証なのだ。聖人君子の様なカーネリアンに憧れる者も嫉妬する者も多い。でもカーネリアンは誰に対してもいつも公平なのだ。そんな彼を愛しているからこそ、手放せない。しかし、自分たちの進むべき未来は棘の道だという事もエミュールには分かっていた。
騒ぎを鎮めたエミュールはカーネリアンと共に重症者の治療室を順に訪れた。二人が全ての怪我人の治療を終えた時には日は既に傾き始めていた。
「エミュール、話がある」
そう言って、エミュールに声をかけて来たのは、ランバートだった。
「なんでしょう。殿下」
「ああ、カーネリアンも一緒に来てくれ」
ランバートに案内されながら、二人は後を付いて行った。そこは亡くなった兵士達の部屋で、アトラスもここに安置されていた。
「何故、アトラス殿下がこの部隊に潜伏していたのですか?一体、何時、どうやって」
「それはアトラスの逃亡を手助けした者達から聞いている。最初の野営の時に末端の兵と入れ替わり、後は機会を見計らって、君を攫うつもりだったらしい」
「何故そんなことを、私には何の未練もないでしょう」
「そうかな、私から見ればいつもアトラスは君を見つめてたよ。目が君の方を追っていた。きっと令嬢等を引き攣れていたのは君に嫉妬して欲しいという願望からだったのかもしれないな。何処までも愚かで不器用な弟だった」
ランバートはアトラスの死に顔を見ながら、抑揚のない声で呟いた。
「私にはそんな風には見えなかったです。いつも楽しそうに令嬢等と話している殿下の顔からは、私は邪魔者だと言われているような気さえしましたから……」
「確かにそう見えるだろうな。アトラスが身に付けていた物だ」
ランバートに促されて、エミュールはアトラスの遺品を一つ一つ手に取る様に見た。そして一つの物に目が留まった。
「これは、こんな物をまだ持っていてくれたんですね。もうずっと前に捨てられたかと思っていました」
エミュールが手に取ってみた物は、昔学園でアトラスの誕生日に贈ったハンカチだった。
『よくもこんな下手くそな刺繍が出来るな。不出来な物を王子である僕に渡すとはいい度胸をしている。こんな物恥ずかしくて持ち歩けないだろう。捨ててしまえ!』
唾棄するように言われて、エミュールの手から奪い取って、地べたに捨てたのを従者が拾って持って帰ったのは見ていた。隣にいる令嬢や令息からクスクスと嗤われた。その中にはナターシャもいた。彼女は愉悦に満ちた目で口角を上げて嗤っていたのを覚えている。
そんな苦い思い出も今となっては何処か懐かしい。生きてさえいればこんな事もありましたねえと言えたのかもしれないが、それはもうできない。
「婚約者を代えたいと言ったのは貴方なのに、今更こんな物を身に付けていたからと言ってももう遅いですよ。貴方は生き返らない。これじゃあ、文句も言えないでしょう」
エミュールはハンカチを握りしめながら子供が泣く様に、アトラスの遺体に縋っていた。エミュールを慰める様に背を撫でているのは婚約者であるランバートだった。
カーネリアンは、差し伸べようとした手を所在なさ気にグッと一緒に握りしめた。
エミュールの婚約者はランバート殿下だ。俺にはその資格がない。
女神の加護を共有していても、今は見守る事しか出来ない自分を恨めしく思い、カーネリアンは泣いているエミュールをただ見つめていた。
「こんな瀕死の怪我人のいる場所で、しかも治療にあたっている人間に対して言う言葉ではないわ。皆勇敢に戦って負傷した者達なのよ」
「で…ですが、お…俺いや私は本当のことを言ったまでで…」
「本当の事?この際だから言っておくわ。カーネリアンが女神の加護を受けているのは本当よ。勿論、私も与えられている。二人合わせて一人前なの。カーネリアンと私は運命共同体なのよ。分かった?理解したならこれ以上問題を起こさないで、貴方達の処罰は後で言い渡すから」
ライザスは苦々しそうに顔を歪めて、人だかりの向こうに見えるカーネリアンを睨んで、
「ふん、いい気になっていられるのも今の内だ。その女がいなければ何も出来ない癖に──」
毒を吐いていた。しかし、他の者は概ねカーネリアンに好意的だった。公にされていない真実を語る事が出来なくて辛い思いをしているのはカーネリアンだとエミュールは知っている。
彼は何時だって誰かを憎んだことはない。その心が清らかさが既に女神の加護を与えられている証なのだ。聖人君子の様なカーネリアンに憧れる者も嫉妬する者も多い。でもカーネリアンは誰に対してもいつも公平なのだ。そんな彼を愛しているからこそ、手放せない。しかし、自分たちの進むべき未来は棘の道だという事もエミュールには分かっていた。
騒ぎを鎮めたエミュールはカーネリアンと共に重症者の治療室を順に訪れた。二人が全ての怪我人の治療を終えた時には日は既に傾き始めていた。
「エミュール、話がある」
そう言って、エミュールに声をかけて来たのは、ランバートだった。
「なんでしょう。殿下」
「ああ、カーネリアンも一緒に来てくれ」
ランバートに案内されながら、二人は後を付いて行った。そこは亡くなった兵士達の部屋で、アトラスもここに安置されていた。
「何故、アトラス殿下がこの部隊に潜伏していたのですか?一体、何時、どうやって」
「それはアトラスの逃亡を手助けした者達から聞いている。最初の野営の時に末端の兵と入れ替わり、後は機会を見計らって、君を攫うつもりだったらしい」
「何故そんなことを、私には何の未練もないでしょう」
「そうかな、私から見ればいつもアトラスは君を見つめてたよ。目が君の方を追っていた。きっと令嬢等を引き攣れていたのは君に嫉妬して欲しいという願望からだったのかもしれないな。何処までも愚かで不器用な弟だった」
ランバートはアトラスの死に顔を見ながら、抑揚のない声で呟いた。
「私にはそんな風には見えなかったです。いつも楽しそうに令嬢等と話している殿下の顔からは、私は邪魔者だと言われているような気さえしましたから……」
「確かにそう見えるだろうな。アトラスが身に付けていた物だ」
ランバートに促されて、エミュールはアトラスの遺品を一つ一つ手に取る様に見た。そして一つの物に目が留まった。
「これは、こんな物をまだ持っていてくれたんですね。もうずっと前に捨てられたかと思っていました」
エミュールが手に取ってみた物は、昔学園でアトラスの誕生日に贈ったハンカチだった。
『よくもこんな下手くそな刺繍が出来るな。不出来な物を王子である僕に渡すとはいい度胸をしている。こんな物恥ずかしくて持ち歩けないだろう。捨ててしまえ!』
唾棄するように言われて、エミュールの手から奪い取って、地べたに捨てたのを従者が拾って持って帰ったのは見ていた。隣にいる令嬢や令息からクスクスと嗤われた。その中にはナターシャもいた。彼女は愉悦に満ちた目で口角を上げて嗤っていたのを覚えている。
そんな苦い思い出も今となっては何処か懐かしい。生きてさえいればこんな事もありましたねえと言えたのかもしれないが、それはもうできない。
「婚約者を代えたいと言ったのは貴方なのに、今更こんな物を身に付けていたからと言ってももう遅いですよ。貴方は生き返らない。これじゃあ、文句も言えないでしょう」
エミュールはハンカチを握りしめながら子供が泣く様に、アトラスの遺体に縋っていた。エミュールを慰める様に背を撫でているのは婚約者であるランバートだった。
カーネリアンは、差し伸べようとした手を所在なさ気にグッと一緒に握りしめた。
エミュールの婚約者はランバート殿下だ。俺にはその資格がない。
女神の加護を共有していても、今は見守る事しか出来ない自分を恨めしく思い、カーネリアンは泣いているエミュールをただ見つめていた。
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私、一途なランバート派なんですが、やっぱり本命はカーネリアンで、彼は当て馬なんですかね(笑)。
おゆう様
ご感想ありがとうございます(◕ᴗ◕✿)
アトラスの最期はまさかエミュールを庇ってとはな😰。女神の加護はカーネリアンが居ないと駄目って事?🤔。ランバート、色んな意味でツライな・・・。
おゆう様
ご感想ありがとうございました(θ‿θ)