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グラーノの姿が見えない。
その事実に気が付いて、全員が慄然とした。
凍てついた触手で直接胃を引き絞られたように、ルクレツィアを失うかもしれないという押し込めていた不安と恐怖が身体の奥から迫りあがる。
喉の詰まるような息苦しさに呼吸も止まるようだったが、エンディミオンたちは一斉に辺りに視線を走らせた。
「グラーノ殿!!」
大声で名前を呼べば、ひょっこり顔を出すのではないか。
折り重なる騎士たちの隙間で転んでうずくまっているとか、落とし物を拾うために礼拝堂の飾りだけの椅子の下にもぐっているとか。
楽観的な想像など返事がない時点ですぐに意味がなくなった。
まさか自分で姿を隠したわけではないだろう。
グラーノは、ルクレツィアを救うための最後の希望だ。
エンディミオンたちには、もうそれしか方法が残されていない。
グラーノ自身もそれを知っているはず。
声もかけずにこの場を立ち去るような浅慮な人柄でも絶対にない。
考えられるのは。────連れて行かれた。
誰に?────もちろん昨日かそれ以前から聖堂に潜んでいる何者かに。
騎士たちとの戦闘が終わり安堵が広がったそのわずかな油断で。
「────クソっ」
エンディミオンが彼らしくない悪態を吐いた。
これまで生きていてはじめて使った言葉かもしれない。
「殿下、落ち着いてください。
ラガロは多少手荒でも騎士たちを一気に聖堂から避難させろ。
フェリックス!探知を使え!」
取り乱しているエンディミオンに代わり、震える心臓を押さえつけてシルヴィオが指示を飛ばす。
倒れている騎士たちに紛れている可能性もまだ捨てず、それでもグラーノを見つけるためにいちばん確実な方法を彼らは持っている。
「あっ、そだねっ、そうだ!」
フェリックスも動揺で頭が回っていなかった。
聖堂に入ってからも探知は続けていたが、突然現れた騎士たちの存在で飽和状態になり、止めていたのがそのままになっていた。
彼らがどこに隠れていたのかも含めて、礼拝堂の入り口以外にもここから抜けられる通路があるはずで、グラーノの気配といっしょにそれを探れば……。
「ええー……何コレ?なんでこんなに見えないの?」
ヴィジネー邸から聖堂を探っていたよりも、さらに水の気配が濃過ぎて何も探れない。
聖堂に入る前に全体の探知を行ったときは、まるで何事もないようにわかりやすい絵図が頭の中に広がったのに。
あらかじめ用意されていた表向きの設計図を見せられた。
今思えばそんな印象だ。
ラガロにさえ勘付かせない、周到な相手だった。
騎士たちのことにしろ、昨日の大鷲の魔物の出現の仕方にしろ、兵士たちと同じように鳥にされたのだろうと、大きな魔物を隠すような特大の幻術を使っているのだろうと、強く印象づけてそうと思い込ませた裏側で、綿密な魔法の網を張っている。
まんまと騙されてのせられたのだ。
敵のほうが何枚も上手であることだけを思い知る。
「ウソ……ほんとに居なくなっちゃったの?」
呆然と呟いたセーラの隣りで、憂いの顔を浮かべながらベアトリーチェが首を傾げた。
「けれど、どうしてグラーノ様を……」
「私が誰かにサジッタリオの星の下へ呼ばれたように、直系の血にヴィジネーの星を探させるため……?」
サジッタリオの時の謎の采配を思い出しながらクラリーチェは考えついたことを口にしたが、ジョバンニがすぐに首を振った。
「現ヴィジネー侯爵とその子息殿がすでに手元にいるはずでは?グラーノ殿である必要がないですね」
行方不明になった侯爵と嫡男は、星を探させるためにまとめて誘き寄せられたのだという推測もできていたが、グラーノまで連れて行かれたのだとしたら何か違う目的があるのか。
それともこちらを撹乱するため、たまたまグラーノが連れ去られたのか。
考えても答えは出ない。
ただグラーノが彼らの下には居ない、という事実しかそこにはない。
「……何かっ、なにか手がかりはないか!?」
ようやく言葉を思い出したように、けれど叫ぶような声しかエンディミオンは出せなかった。
「出入り口は騎士たちで埋め尽くされていましたし、ラガロもいましたからそこから連れ出すのは不可能でしょう。……であれば、こちら側か」
グラーノが消えたほんの瞬きの間のことを思い出しながら、アンジェロは目を凝らした。
礼拝堂の出入り口は目に見えるものはひとつしかないが、神官たちが使う通用口のようなものがあるはずだ。
礼拝堂の壁は、柵から泉のほうはすべてステンドグラスだが、柵から半分のこちら側は絢爛な装飾の壁画になっている。
ただし、年に一度水に浸されるため、床上100センチくらいは白地にアラベスク模様のような精緻な彫りが施されているだけだ。
どこかに、違和感はないか。
「────あそこだ」
もうふくらはぎの半分まで水位があがってきているが、一カ所だけ水の流れがおかしなところがあるのを見つけた。
ほんのわずかな違いだが、そこだけ流れがゆるやかになっていて、そのあたりを避けていると言えなくもない。
アンジェロに指された一画に、水飛沫をあげながらエンディミオンは駆け寄る。
エンディミオンもアンジェロも見てはいないが、地下通路には洞窟から水が溢れてこないように魔法がかけらていた二重扉があった。
シルヴィオたちもエンディミオンに続き、舐めるように壁を観察して────見つけた。
うっすらと真っ直ぐな縦線が入っている。そこから辿ると、大人でも屈めば一人は通れそうな長方形が見えた。
「なるほど。どこかに開けるための仕掛けがあるはずですな」
ジョバンニが開ける方法を探している間、シルヴィオが推測する。
「ここはヴィジネー家の本拠地とも言える聖堂だ。グラーノ殿はここに扉があることを知っていただろう。水が溢れ出したところでわずかに開いていれば気になって様子を見に近づき、そこを連れて行かれたか」
「明らかに狙ってるじゃん……」
グラーノにしか通用しない手口だ。
フェリックスがわかりやすく顔色を失くしていると、
「おい、片付いたぞ」
ラガロが騎士たちを全員礼拝堂の外に放り投げ終わってやって来た。
シルヴィオの言葉どおり、だいぶ手荒だが仕方がない。溺れ死ぬよりはマシだろう。
「ラガロ、ご苦労さま。
それでジョバンニ、どうだい?見つかった?」
一人で力仕事を担わされたラガロを労いつつ、エンディミオンは焦りが勝ってジョバンニを急かしてしまう。
「ちょっとお待ちください。……えーと、なるほど、なるほど。ここもヴィジネー家の魔力が必要そうですねえ」
めずらしく時間がかかっていたジョバンニは、結果として開けられない旨を残念そうに伝えた。
ヴィジネー家の主寝室も、隠し通路の入り口も、地下にあった二重扉も、すべてグラーノがいたから開けられたのだ。
さすがにヴィジネー家お抱えの聖堂では、ヴィジネー家以外の神官を採用する考えがないようで、最後の鍵はいつだってヴィジネー家の血筋であるという魔力の証明だった。
「そんな……」
気が急いているのに思うように進めない。
絶望的な気分になっているエンディミオンだったが、ジョバンニは別の可能性を示唆した。
「ここは神官が通常の用途で出入りするためのものだと思いますよ。観光客が悪さをしないよう簡単には開きませんが、繋がっている場所はそれほど複雑な場所でもないのでは」
「どこに繋がっている?」
「あ!わかった!王都のマテオさんのところで似たような出入り口使わせてもらったよ!こんなに小さくないけど、わたしの場合は聖堂で使わせてもらってるお部屋からいつでも礼拝堂に来てくださいって」
「セーラ様のお部屋は大聖堂でも特別貴賓室ですわ」
「あそこは王都の貴族が多く利用するから造りは少々違うが、要は神官が勤めのために出入りするなら、関係者以外立ち入り禁止の裏側ということか」
シルヴィオは、思わず御堂の真上のステンドグラスを見上げた。
もちろんそこから建物は見えないが、先ほど大音量で降り注いできた鐘の音を思い出す。
鐘の音が聞こえてすぐに騎士たちが現れたのだから、まだ聖堂の奥にある鐘塔やそこに付随する建物に鐘を鳴らした人物が残っているはず。
「中庭から抜けられると思う」
今は阻害されているように探知はできないが、はじめに見えた聖堂の全体図は覚えている。
フェリックスが言うが早いが、エンディミオンは駆け出していた。
その事実に気が付いて、全員が慄然とした。
凍てついた触手で直接胃を引き絞られたように、ルクレツィアを失うかもしれないという押し込めていた不安と恐怖が身体の奥から迫りあがる。
喉の詰まるような息苦しさに呼吸も止まるようだったが、エンディミオンたちは一斉に辺りに視線を走らせた。
「グラーノ殿!!」
大声で名前を呼べば、ひょっこり顔を出すのではないか。
折り重なる騎士たちの隙間で転んでうずくまっているとか、落とし物を拾うために礼拝堂の飾りだけの椅子の下にもぐっているとか。
楽観的な想像など返事がない時点ですぐに意味がなくなった。
まさか自分で姿を隠したわけではないだろう。
グラーノは、ルクレツィアを救うための最後の希望だ。
エンディミオンたちには、もうそれしか方法が残されていない。
グラーノ自身もそれを知っているはず。
声もかけずにこの場を立ち去るような浅慮な人柄でも絶対にない。
考えられるのは。────連れて行かれた。
誰に?────もちろん昨日かそれ以前から聖堂に潜んでいる何者かに。
騎士たちとの戦闘が終わり安堵が広がったそのわずかな油断で。
「────クソっ」
エンディミオンが彼らしくない悪態を吐いた。
これまで生きていてはじめて使った言葉かもしれない。
「殿下、落ち着いてください。
ラガロは多少手荒でも騎士たちを一気に聖堂から避難させろ。
フェリックス!探知を使え!」
取り乱しているエンディミオンに代わり、震える心臓を押さえつけてシルヴィオが指示を飛ばす。
倒れている騎士たちに紛れている可能性もまだ捨てず、それでもグラーノを見つけるためにいちばん確実な方法を彼らは持っている。
「あっ、そだねっ、そうだ!」
フェリックスも動揺で頭が回っていなかった。
聖堂に入ってからも探知は続けていたが、突然現れた騎士たちの存在で飽和状態になり、止めていたのがそのままになっていた。
彼らがどこに隠れていたのかも含めて、礼拝堂の入り口以外にもここから抜けられる通路があるはずで、グラーノの気配といっしょにそれを探れば……。
「ええー……何コレ?なんでこんなに見えないの?」
ヴィジネー邸から聖堂を探っていたよりも、さらに水の気配が濃過ぎて何も探れない。
聖堂に入る前に全体の探知を行ったときは、まるで何事もないようにわかりやすい絵図が頭の中に広がったのに。
あらかじめ用意されていた表向きの設計図を見せられた。
今思えばそんな印象だ。
ラガロにさえ勘付かせない、周到な相手だった。
騎士たちのことにしろ、昨日の大鷲の魔物の出現の仕方にしろ、兵士たちと同じように鳥にされたのだろうと、大きな魔物を隠すような特大の幻術を使っているのだろうと、強く印象づけてそうと思い込ませた裏側で、綿密な魔法の網を張っている。
まんまと騙されてのせられたのだ。
敵のほうが何枚も上手であることだけを思い知る。
「ウソ……ほんとに居なくなっちゃったの?」
呆然と呟いたセーラの隣りで、憂いの顔を浮かべながらベアトリーチェが首を傾げた。
「けれど、どうしてグラーノ様を……」
「私が誰かにサジッタリオの星の下へ呼ばれたように、直系の血にヴィジネーの星を探させるため……?」
サジッタリオの時の謎の采配を思い出しながらクラリーチェは考えついたことを口にしたが、ジョバンニがすぐに首を振った。
「現ヴィジネー侯爵とその子息殿がすでに手元にいるはずでは?グラーノ殿である必要がないですね」
行方不明になった侯爵と嫡男は、星を探させるためにまとめて誘き寄せられたのだという推測もできていたが、グラーノまで連れて行かれたのだとしたら何か違う目的があるのか。
それともこちらを撹乱するため、たまたまグラーノが連れ去られたのか。
考えても答えは出ない。
ただグラーノが彼らの下には居ない、という事実しかそこにはない。
「……何かっ、なにか手がかりはないか!?」
ようやく言葉を思い出したように、けれど叫ぶような声しかエンディミオンは出せなかった。
「出入り口は騎士たちで埋め尽くされていましたし、ラガロもいましたからそこから連れ出すのは不可能でしょう。……であれば、こちら側か」
グラーノが消えたほんの瞬きの間のことを思い出しながら、アンジェロは目を凝らした。
礼拝堂の出入り口は目に見えるものはひとつしかないが、神官たちが使う通用口のようなものがあるはずだ。
礼拝堂の壁は、柵から泉のほうはすべてステンドグラスだが、柵から半分のこちら側は絢爛な装飾の壁画になっている。
ただし、年に一度水に浸されるため、床上100センチくらいは白地にアラベスク模様のような精緻な彫りが施されているだけだ。
どこかに、違和感はないか。
「────あそこだ」
もうふくらはぎの半分まで水位があがってきているが、一カ所だけ水の流れがおかしなところがあるのを見つけた。
ほんのわずかな違いだが、そこだけ流れがゆるやかになっていて、そのあたりを避けていると言えなくもない。
アンジェロに指された一画に、水飛沫をあげながらエンディミオンは駆け寄る。
エンディミオンもアンジェロも見てはいないが、地下通路には洞窟から水が溢れてこないように魔法がかけらていた二重扉があった。
シルヴィオたちもエンディミオンに続き、舐めるように壁を観察して────見つけた。
うっすらと真っ直ぐな縦線が入っている。そこから辿ると、大人でも屈めば一人は通れそうな長方形が見えた。
「なるほど。どこかに開けるための仕掛けがあるはずですな」
ジョバンニが開ける方法を探している間、シルヴィオが推測する。
「ここはヴィジネー家の本拠地とも言える聖堂だ。グラーノ殿はここに扉があることを知っていただろう。水が溢れ出したところでわずかに開いていれば気になって様子を見に近づき、そこを連れて行かれたか」
「明らかに狙ってるじゃん……」
グラーノにしか通用しない手口だ。
フェリックスがわかりやすく顔色を失くしていると、
「おい、片付いたぞ」
ラガロが騎士たちを全員礼拝堂の外に放り投げ終わってやって来た。
シルヴィオの言葉どおり、だいぶ手荒だが仕方がない。溺れ死ぬよりはマシだろう。
「ラガロ、ご苦労さま。
それでジョバンニ、どうだい?見つかった?」
一人で力仕事を担わされたラガロを労いつつ、エンディミオンは焦りが勝ってジョバンニを急かしてしまう。
「ちょっとお待ちください。……えーと、なるほど、なるほど。ここもヴィジネー家の魔力が必要そうですねえ」
めずらしく時間がかかっていたジョバンニは、結果として開けられない旨を残念そうに伝えた。
ヴィジネー家の主寝室も、隠し通路の入り口も、地下にあった二重扉も、すべてグラーノがいたから開けられたのだ。
さすがにヴィジネー家お抱えの聖堂では、ヴィジネー家以外の神官を採用する考えがないようで、最後の鍵はいつだってヴィジネー家の血筋であるという魔力の証明だった。
「そんな……」
気が急いているのに思うように進めない。
絶望的な気分になっているエンディミオンだったが、ジョバンニは別の可能性を示唆した。
「ここは神官が通常の用途で出入りするためのものだと思いますよ。観光客が悪さをしないよう簡単には開きませんが、繋がっている場所はそれほど複雑な場所でもないのでは」
「どこに繋がっている?」
「あ!わかった!王都のマテオさんのところで似たような出入り口使わせてもらったよ!こんなに小さくないけど、わたしの場合は聖堂で使わせてもらってるお部屋からいつでも礼拝堂に来てくださいって」
「セーラ様のお部屋は大聖堂でも特別貴賓室ですわ」
「あそこは王都の貴族が多く利用するから造りは少々違うが、要は神官が勤めのために出入りするなら、関係者以外立ち入り禁止の裏側ということか」
シルヴィオは、思わず御堂の真上のステンドグラスを見上げた。
もちろんそこから建物は見えないが、先ほど大音量で降り注いできた鐘の音を思い出す。
鐘の音が聞こえてすぐに騎士たちが現れたのだから、まだ聖堂の奥にある鐘塔やそこに付随する建物に鐘を鳴らした人物が残っているはず。
「中庭から抜けられると思う」
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