夫婦で異世界放浪記

片桐 零

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プロローグ

プロローグ2

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ナフタの大音量の叫びを聞かされ、膝をついてしまった俺だったが、時間にしてほんの数秒、まだ耳鳴りのような残響がするが、ゆっくりと目を開ける。
部屋は、いつのまにか元の暗さに戻っていた…

一瞬、疲れから夢でも見ていたのかと思ったが、そうではなさそうだと思わされる。
モニター画面には、神を名乗った少年の姿が映し出されていたからだ。

『んっ…ちゃんと見ていたそこの君。』

画面の中の少年が、自分に語りかけているような気がした。
が、流石にそれはないだろ…
自意識過剰で済ませようとしたが、少年がもう一度話しかけて来る。

『君に話しているんだよ、右手で頬をかいてる人間』

気恥ずかしさから、無意識に右手が頬に伸びていたのを言い当てられて驚いた。
一瞬室内にカメラを仕込まれたかと考えて辺りを見回すが、先ほどまでのことを思い出し、その考えを捨てる。
そして確認のために自分を指差した。

『そう、君だよ。人間は度し難いね。君含めて751,284人しかちゃんと話を聞かないなんてね。』

少年は首を横に振りながら、呆れたようにため息を吐いてから話を続ける。

『でも君は運がいいよ。最初から僕の話に耳を傾けていたからね。』

画面越しに自分を指差す少年の言葉を、男は黙って聞いていた。

『ちゃんと聞いていたから、えーっと…ヒヤマにはご褒美を上げないとね。』

名前を呼ばれて驚いた。と同時に違和感も感じていた。
70万人近い数が聞いていたと言っていたからだ。
それだけの数が聞いていたなら、今現在もその多くがこの画面を見ているはずなのに、他の人間も見ている前で、俺だけに語りかける意味は?

何か別の意図があるのか?

『君へのご褒美は何がいいかなーー?』

少年は指をあごの下にあてて目を閉じる。
少々あざとくも見えるしぐさで考え込むが、すぐに目を開けて口を開いた。

『そうだね、後ろの部屋で寝ている君のつがい、その人を治療して一緒に生きられるようにしてあげるよ。』

「…は?」

俺の妻は、戸籍上は死んでいる…
10年前、未だに治療法の見つかっていない難病にかかった彼女は、自らの意思で冷凍睡眠コールドスリープを選んだ。
目の覚める保証も、蘇生方法の確立もまだされていない技術を使うことを選んだのは、「少しでも未来を見られる可能性があるなら、私はそれに賭けたい。」と言った、彼女の願いからだった。

そして、その事は信頼できる医師以外、兄弟や親戚にすら伝えていない…
きちんとした葬式を行い、対外的には彼女は死亡したことになっているのに、それを言い当てられて驚かされる。

『少しだけ、君の頭を覗かせてもらったよ。僕の言葉を聴かないなんて、他の人間と一緒に消しちゃおうかとも思ったんだけど。
最初から聞いていた君の大切な人間みたいだからね、消さないでおいてあげるよ?』

クスクスと笑いながら話す少年に、背筋が寒くなる思いを感じた。
彼にとって、人の命はとてつもなく軽いらしく、人間にとっての虫以下の認識なんじゃ無いかと思ったからだ。
…が、それ以上に先の言葉が気になってしまう。

「…本当なのか?」

『あ、疑ってるね?心外だなー』

あまりそうは見えない様子で、笑顔の少年が不満を口にする。

「治せるなら頼みたい…そのためなら…」

『待った待った。そんなに焦んないでよ。』

俺の言葉をさえぎるように、少年が口を開く。

『もう少し待ってね、全員に時間差で同じ話するのは苦手なんだー」

少年はそう言うと、少しだけ目を閉じて黙り込んでしまう。
俺は少年の言葉を待つことした。
それが、願いを叶えるために必要なことだと思えたから。

『よし、みんなお待たせー。まずは説明させてもらうね。質問は後で個別に聞くから待ってねー。
これはもともと人間全員に聞かせるはずだったんだけど、全然聞く気が無いみたいだから、君たちだけにしか言わないよ?
だから、最後までちゃんと聞いてね?』

少年は、そう言って何か書いてあるであろう紙を取り出し、ゆっくりと読み上げ始める。

『これから説明を始めます。まず君達の住んでいる星は、人種が許容上限を超えて増え過ぎたため、星の持つ修復力が限界を迎えました。
なので、星の力が回復して正常に戻る数まで減らします。
この星の能力を考えると、半分くらいにすればだけでも緩やかに回復するんだけど、僕の話を聞く気がないみたいだから100分の1くらいにすることにしたよ。
まぁ、今話を聞いている君達には、別に関係ないから気にしないでね。』

少年は笑顔で続けるが、そんなに軽い話ではない。
今の人口が100億くらいらしいから、99億の人間を殺すと言っているんだ…
大量虐殺ってレベルじゃないよな…
都市インフラも、なにもかも、完全な自給自足でもしてない限り、生活基盤が崩壊するんじゃないか?

『さて、君達には生き残る機会が与えられています。
それは、他の星に移住する事です。
まず…もう!ちゃんと話を聞いてって言ったよね?勝手に喋るなら知らないからね。』

俺とは違い、複数人で話を聞いていた人がざわついたんだろう、少年は不機嫌そうな顔になり、言葉を続けようとしたが、喋り続けた奴が居たんだろう。
少年は右手を紙から離すと、こちらに向けて掌をかざした。
1秒にも満たない時間で手を下ろすと、笑顔に戻って話を続けたが、今までの少年の声が途中で変わる。

『68,542人に減ったけど、もう一度だけ言うね、ちゃんと話を聞け。次は警告なしで消すからな?』

腹に響く様な低い声を出した少年の目は、光彩を失い空洞のようになっていた。
すっと消えた表情と相まって、かなり異様な雰囲気になってしまったが、次の瞬間、少年は笑顔に戻る。
人懐っこそうな笑顔を浮かべる彼は、何万人もの人間を瞬き程度の時間で殺したとは思えなかった…

『よし、続けるね?最初は移動できる星についてだよ。地球に似た環境の星を100個用意したよ。各星に10,000人、合計1,000,000人までは受け入れられるから、今聞いてる人は大丈夫だよ。
君たちが縁を結んだことがある人間で連れて行きたい人間がいたら、各星の定員までなら一緒に移動させてあげるから後で言ってねー。
次に君たちの年齢だけど、新しい星での生活を円滑にするため、全員15歳に統一しまーす。これは僕の優しさだよ。』

少年がウインクをしようとしたらしいが、下手なのか両目を閉じてしまっていた。

『ん…最後に移動日だね、今すぐって言いたいところだけど、君たちの感覚で今から1ヵ月後を予定しているよ。持っていきたいものがあれば準備してね。ただ、量は手で抱えられるくらいだよ。』

少年が息を吐き、説明は終わったんだと感じた。

『あ、そうだ』

少年が思い出したように言葉を続ける。

『行きたくないなら止めないし、無理に連れて行くことはしないよ。それも選択だからね。
あと、移動を希望する人間は、僕を失望させないように言動には注意してね?…はい、これで説明は終わりでーす。』

少年がにっこり微笑む。
満足げに見えたのは気のせいではないだろう。

『そうそう、移動させた後のことを言い忘れていたね。』

少年がそう言うと、先ほどと同じように部屋中に画面がいくつも現れる。

『『『この星にいる人間は、1ヵ月後に適当に消すからね。数的には1億を切るくらいにするよ。』』』

何の悪意も感じさせない笑顔で、少年は短く言い放ち、そして消えた。
その内容に、世界中が衝撃を受けたのは言うまでもないが、その前に話していた移動云々の話をネット上に上げた人間がいたため、誰が移動する権利を持っているのか探す人や、どうにかしてその権利を奪い取ろうと画策する人まで出て来てしまうことになる。
そのため、世界の混乱度合いはとんでもないことになっていった。
情報をネットに上げた人間達は、先の政治家達と同じ様に消されてしまったらしいが、俺には関係ないため割愛させてもらう。

『さて、お待たせヒヤマ、何か質問はあるかな?』

部屋中に映し出されていた映像が消え、ほんの数秒。
少年は、モニター画面に再び現れ、問いかけてきた。

「質問といわれても…」

俺は困惑していた、画面に映る少年は神を名乗り、多くの人を殺して見せた。
そして、これからもっと多くを殺すと宣言している。
そんな相手に、何を聞いても良いのか、何を聞いたらダメなのか分からなかったからだ。

『なんでもいいよ?ないの?』

少年は首をかしげて問いかける。その仕草だけ見れば、大人しそうな美少年にしか見えなかったが、先程までのことを考えれば、軽がるしく口を開くのは悪手に思える。
それでも何も聞かないのも憚られたため、少しだけ考えをめぐらせてから口を開いた。

「なんでも…なら、俺と妻が行くのはどんなところなん…ですか?」

緊張からか、見た目だけなら自分の孫でもおかしくない少年に、丁寧に問いかける。

『あぁ…星の環境は、ほとんど地球と変わらないかな、大気組成も君達人種が住むのに問題ないよ。』

「そう…ですか…えっと…そうだ、文化レベルはどうですか?」

『ん~?ちょっとまってね…』

そう言うと、少年は何かを探すためだろう、画面に映らない場所に行ってしまい、ガサガサと何かを探る様な音だけが聞こえて来る。
程なく目的のものを見つけた少年は、手に本の様なものを持って戻ってきた。

『あった~、う~ん…文化レベルはそんなに高くないみたいだね。今の地球からだと900年から1000年くらい前の感じかな。』

「そんなに前ですか…」

現代日本で暮らしている人間が、文明の利器がない場所に行って、まともに暮らせるのか不安になる。
昔読んでいたラノベとかだと、簡単に馴染んだりしていたが、そんな簡単な筈がない…

『大丈夫大丈夫、その代わり魔法技術が発達してるから。』

「魔法か…本当にファンタジー小説みたいな展開だ…ですね…」

少年は、俺の言葉にうなづきながら肯定する。

『そうそう、君も好きでしょ?』

「いや、嫌いではないが…魔法なんて使ったことない…ですよ?」

『あはは、大丈夫大丈夫、その辺は何とでもなるよ。』

ラノベの主人公のような展開に、内心少しだけワクワクしていたが、それを表に出すことはしなかった。
少年との会話に慣れてき始めていたこともあり、あわよくば強力な能力を付与してもらえるんじゃないかと思い始めていたからだ。

『あ~、でも、そんなに期待しないでね?』

内心を見透かされたような気がして、びくりと反応してしまう。

「な、なんのこと…ですか?」

『君の知ってる神様もどきと違って、僕は本物だよ?あまり悪いことは考えないほうがいいと思うけどな~。』

少年はにこやかに言い、考えを読めることを示唆した。
そのことで背中に冷たいものが流れるのを感じたが、少年は意に介した様子もなく言葉を続ける。

『ま、人間なんて多かれ少なかれそんなもんだから気にしないけどね。君が行く星の情報は12時間後くらいに届くから、それを見て準備してよ。
それと、君の奥さん、ユウコだっけ?起こしておくから、説明しておくといいよ。』

「わ、分かった…すまない…」

『あはは、謝らなくてもいいよ。君は素直だね~。それと、そんなにかしこまる必要もないよ?』

少年は気にした様子もなく、楽しそうに微笑んでいる。

『他にも面白そうな人間が居たけど、君のことも気に入ったよ、ほんの少しだけ贔屓しちゃいたいくらいにはね。じゃ、またね~。』

笑いながら元気に手を振り、少年は画面上から消えた。
少年が消えると同時に、俺は椅子の背もたれに体を預けて息を吐いた。

「なんだったんだ…これは夢…」
ビー!ビー!ビー!…

が、すぐにモニターに警告メッセージが点滅し、スピーカーからも緊急事態を知らせる警告音がけたたましく鳴り響き、椅子から飛び上がってしまう。

「なんだ!?何?まじかよ!!」

画面表示を見て、俺は部屋を飛び出した。
リビングを越え、隣の部屋に転がるように飛び込み、そこに置かれていたカプセル状の物体に駆け寄って、緊急と書かれた赤いボタンを急いで押した。

バシュー!とカプセルの排気口から白い冷気が放出され、部屋の空気が一気に冷やされる。
放出はすぐにとまり、強化ガラスで作られた蓋がゆっくりと持ち上げられていく。

カプセルの中は薄い水色の不凍液に満たされ、そこに俺の妻である優子が横たわっていた。

「はぁ…はぁ…だ…だいじょう…ぶか?」

息も絶え絶えに声をかける。
日ごろの運動不足が原因である。

優子は声に反応しゆっくりと目を開けると、体を起こそうとカプセルの中でもがく様に体を攀じるが、うまく動けずにいるようだ。
コールドスリープから目覚めたばかりなのだから無理もない。
青白い顔だけを不凍液から出した状態で、優子は何かを言おうと口を開いた。

「ぼ…ぼ…」

カチカチと歯のなる音を立てながら、何かをしゃべろうとする。
俺はカプセルの中に手を入れ、冷たい不凍液から彼女を抱き上げる。
ザバーっと不凍液がこぼれ、フローリングに水溜りを作るが、そんな事を気にする余裕はなく、近くのソファに優子の身体を寝かせ直した。

「少し…待っててくれ…今風呂を沸かしてくる…」

布張りのソファは、水分を吸ってグシャグシャになってしまう。
彼女が少しでも暖かいと感じられる様、近くに置いていた毛布で身体を包むと、ほんの少しだけだが顔に血の気が戻ったように思えた。
震えが少しだけ治ったことを確認し、部屋を出て風呂場へと急いだ。

簡単に浴槽内をシャワーで流し、湯温を少し下げるように調整して湯張りボタンを押す。
勢いよくお湯が出始めたのを確認し、脱衣所に置いてあったバスタオルを、適当に掴んで部屋に戻った。

「ぼ…ちゃ?」

「まだ起きるな。すぐに風呂が沸くから、まずは体を温めろ。」

震えながらも起きようとする優子を、持ってきたバスタオルで拭きながら抱きしめる。
その体はあり得ないほどに冷たかった。その冷たさが少しでも和らげばと、抱く腕に力をこめる。

しばらくすると、風呂の沸いたことを知らせる音が聞こえてきたため、毛布ごと彼女をなんとか抱き上げ、少しふらつきながらも風呂場に向かった。
かなり温めに沸かした風呂に、彼女の足先からゆっくりとつけていくと、血行が戻ったことでしびれているのかもぞもぞと動く。
時間をかけて肩まで風呂につからせると、その頃には顔に赤みが戻り始めてきていた。

「ふぃ~…」

優子は風呂の中で息を吐くと、短く問いかけてきた。

「今…は?」

「あぁ、今は2049年、眠ってから10年後だよ。」

「そう…寝すぎた…ね…」

「そ…だ…うぐ…」

久しぶりに言葉を交わした彼女は、昔と何も変わっていなかった。そのことがただただ嬉しくて、目を細めて微笑む優子を抱きしめ、俺は我慢できずに嗚咽を漏らして泣いてしまった。
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