綾音と風音

王太白

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 一方、こちらは獄中のアレクサンドラだが、連日の高圧電流による拷問で心身ともに消耗し尽くし、今ではすっかり無気力になっていた。パイロンが毎日のように癒しに来ていたが、それさえも効果がなくなるほど、拷問は苛烈だったのだ。
(もう殺すなら、とっとと殺して、楽にしてくれよ……)
 疲れきって絶望していた矢先に、牢屋を見張っていた親衛隊が、ふいに出払ってしまい、見張りがいなくなったのだ。
(どうなってんだ? 街で何か起こったのか?)
 しばらくして、牢屋の出入口のカギが開く金属音がして、出入口の扉も開く。アレクサンドラが驚きのあまり、目を見開いていると、パイロンの声が聞こえた。
「……今、ワッサムの街には……アライドの軍勢が攻め込んできています……。しかし、あいにく、わらわは魔力を使い果たしてしまい……この房のカギを開けるのが精一杯でした……。後は、アレクサンドラが、自らの力で……アライドの軍勢を助け……勝利に導いてください……。では、わらわは少し眠ります……」
 そこでパイロンの声は途絶えた。アライドの軍勢と聞いて、アレクサンドラは一気に勇気がわいてきた。
(とにかく、アタイが脱獄するには、この機会を逃しちゃいけない。牢屋から逃げ出しさえすれば、何とでもなるはずだ……)
 アレクサンドラは残った気力と体力をふりしぼり、何とか立ち上がると、フラフラと牢屋から脱出した。だが、泥酔して眠っている間に牢屋に入れられたので、どう進めば外に出られるのか、さっぱりわからない。それほど、牢屋の建物の中は、迷路のように入り組んでいるのだ。もちろん、脱獄を防ぐためではあるが。とりあえず、護身用の武器だけは調達せねばならないので、廊下に落ちていた小石を一つずつ拾い集めていく。小石さえあれば、アレクサンドラは相手を攻撃できるからだ。そのうち、廊下をバタバタと走っていく親衛隊の戦士職に出くわしたので、アレクサンドラは小石を何発も撃ち出す。
「ぐわああああっ……! 貴様、どうやって脱獄した?」
 親衛隊は完全に不意を突かれて、小石をまともにくらってしまい、体力を大きく削られた。もっとも、向こうは剣を抜いたので、武器が小石しかないアレクサンドラは不利だ。それでも精一杯の虚勢をはって、不敵に笑い、敵を呑んでしまうしかない。
「教えてやろうか? アタイはパイロンに守られているんだよ。もうすぐパイロンは、ワッサムの街を救うために復活する。腹心の横暴も、もはやこれまでさ」
「確かに、そうかもしれねえな。だがな、既に魔王様が降臨なさる準備は整った。今まで、下級プレイヤーの立入禁止区画で、何が行われていたか、貴様は知らないだろう。つまり、魔王様降臨のための準備や儀式だ。これから三日以内に魔王様は、ワッサムの街の全てのNPCと下級プレイヤーの命を供物にして降臨なされる。どうだ? 供物になれると聞いて嬉しいか?」
 そこで親衛隊はゲラゲラ笑った。アレクサンドラはギリリと奥歯をかみしめる。
「なぜだ? なぜ、そんなことができる? アタイたち下級プレイヤーが、元ヒキコモリだからか? 親衛隊ってのは、アタイを仲間はずれにしていじめていた、他人の痛みがわからない、想像力の欠如したやつらと同じなのか?」
「そうじゃない。むしろ我々は、他人の痛みに敏感なほうだよ。最初は、貴様らヒキコモリを、ゲームの世界に迎えて仲良くやろうと思っていた。自由な新天地を作ろうとしたのだ。ところが、貴様らは愚かでしかなかった。毎日、十数時間も寝るのは当たり前。そのうえ、自分の世界に入ってしまっていて、他人の話を聞き入れようともしない。おまけにインターネットやスマホやゲーム中毒のバカが山ほどいる。我々がいくら、『起きて活動し、生産的な趣味を作れ』だの『本を読んで見識を深めろ』だのと説いても、全く無駄だった」
 親衛隊は、そこで嘆息した。
「我々は悩んだ。これでは、まさに、ある社会学者が説いたような、『最近の若者は、若者どうしの間でさえ、意思疎通ができない』という状態ではないか。このままだと、この自由な新天地は、意思疎通できないヒキコモリどもが身勝手にいがみ合い、互いに徒党を組んで内乱が起きる恐れがある。もはや、首筋に爆弾を埋め込んで言うことを聞かせるしかないしまつだ。だから、この自由な新天地を汚したヒキコモリどもは、魔王様の供物になり、魔王様の胎内で魂ごと浄化されて、まっとうな人間として再生してもらわねばならない。そうなれば、今度こそ自由な新天地にふさわしい人間にしてやれる」
「ふざけんじゃねえぞ。確かにアタイは、ろくでもないクズだよ。でも、アタイらに爆弾を埋め込んで、強権的に支配してきた腹心や親衛隊だって、アタイらと意思疎通できないクズじゃねえのかよ? 口惜しかったら、爆弾になんか頼らずに、自分の言葉や態度で、アタイらを納得させてみろよ。それができないやつらに、まっとうな人間に生まれ変わらされるなんて、考えただけでヘドが出るぜ」
 アレクサンドラは、親衛隊に向かって、ペッと唾を吐いた。
「ふん、獣はしょせん、どこまでいっても獣性を捨てきれぬか。まあいい。供物が一人減ってしまうが、貴様はここで斬り捨てる」
 親衛隊のまとう空気が変わった。おそらく本気になったのだろう。アレクサンドラは、何か武器になるものはないかと、周囲を見回す。親衛隊の背後に、ゴミを入れる麻袋があり、中には割れた皿の破片や、折れた釘などが入っているのが目についたが、そこまでどうやって駆け抜けたらいいものか、わからない。皿の破片や折れた釘も、小石のような大きさだから、そこまで走り抜けられたら、皿の破片を撃ち出すこともできるのだが。
(こりゃ、親衛隊をアタイの位置まで誘い込むしかないな。その後、アタイが麻袋の位置まで走り抜ける。でも、向こうもアタイを警戒しているだろうから、簡単には通してくれないだろうし、どうしたものか……)
 しばらく、にらみ合いが続いた。親衛隊のほうも、アレクサンドラの意図を察しているのか、なかなか斬り込んでこない。
「どうした? さっさと倒さないと、こっちはまだまだ仲間がいるんだ。そのうち、仲間が集まってきて、貴様は多勢に無勢で追いつめられるだけだぞ」
 親衛隊はニタリと笑った。アレクサンドラはだんだん焦り始めていた。だが、ふいに爆発音とともに、牢屋がグラグラと揺れた。立っていられなくなるほどの大きな揺れである。
「何だ? 地震か? それとも空爆か?」
 親衛隊が動揺した一瞬の隙を突いて、アレクサンドラは親衛隊の背後へと駆け抜けた。親衛隊があわてて斬りつけるが、紙一重でかわし、見事に麻袋を手にする。その中から、ありったけの皿の破片や折れた釘を取り出すと、ひたすら撃ち出し続けた。
「ぎゃあああっ……! 貴様、これを狙っていたのか……!」
 親衛隊は無数の弾を受けながら、大きく体力を削られていく。そのうち、アレクサンドラの魔力がなくなり、麻袋の中のゴミもなくなったときには、親衛隊は床に横たわり、「Dead」の表示が出ていた。
「やれやれ、どうにか勝てたか……。何だか、どっと疲れたわ……。それにしても、さっきの地震は、いったい何だったんだろうか?」
 アレクサンドラは、しばらく壁に体をもたせかけて休むと、親衛隊の持っていた剣を奪い、自分で持って歩き始めた。
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