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 二人が集落に入ると、すぐに村人が駆けつけてきた。
「ルイズ。ルイズじゃないかえ? 都で元国王の侍女をしてたって聞いたけど……。元国王が、あんたからの手紙を持って村に逃げてきたから、村人一同、あんたのことを心配していたんだよ。元国王派と見なされて、トログリム国王に捕まっていないかってさ……」
 もっとも、ルイズが意識を失っているのに気づくと、村人はあわてて医者を呼び、村の中心にある大きな屋敷へと案内してくれた。村人は、空いているベッドにルイズを寝かせると、有子に質問してきた。
「ここは村長の屋敷だ。あんたがルイズをここまで連れてきてくれたんだね?」
「はい。ルイズには、ずいぶんお世話になりました。ルイズの助けがなかったら、あたしは途中で殺されていたでしょう。申し遅れましたが、有子と申します」
「ユウコか。じゃあ、ルイズからの伝書鳩の手紙に書いてあった大天使だね」
 大天使という言葉を聞いて、村人は有子の周囲に殺到してくる。
「あの……皆さんの言われる大天使って、何なんですか? あたしは、何もわからないまま、この国に召喚されただけの、ただの女の子なのですが……」
 有子は、訳がわからないといった風に、うろたえた。その様子を見た村人は、ザワザワとざわめき始める。やがて、頭がはげあがり、長い白ひげをたくわえた老人が、有子の前に進み出て説明し始めた。
「これは、このベオグラード王国に伝わる伝説じゃ。心して聞くが良い。昔、我らの祖先の部族長、パテルが、遠い国から長い旅の末に、この地、ユースリア王国にたどり着いた際に最初に目にしたものは、土着のアトリー国王が人民に圧政をしいて苦しめている様子じゃった。人民は過酷な年貢と賦役に苦しんでいたので、心を痛めたパテルは、人民を糾合して反乱に立ち上がらせ、都を占領して、土着のユースリア王国に代わってベオグラード王国を建国したのじゃ。だが、土着のアトリー国王は、都を追われた後も、強大な軍隊で頑強に抵抗し続けた。パテルは都を占領したとはいえ、まだ四割の領土は敵の支配化にあったし、そこは山岳地帯で、パテルの軍は補給物資の輸送に苦しむ始末じゃった。そこで、パテルは辺境の少数民族に助けを求めたのじゃ。『おまえたちもアトリー国王に虐げられてきたのだから、我らに味方してくれ』と言ってな」
 そこで老人は、本棚から古い地図を取り出すと、広げてベオグラード王国の西部国境のほうを指し示した。
「見ての通り、パテルは東方から旅をして来て、東部国境で反乱を起こし、中央部にある都を占領した。そして、西部である山岳地帯に兵を進めた。今から言う少数民族とは、アトリー国王軍の背後に当たる西部国境に住んでいた人々じゃ。彼らはかつて、西隣にあるカイゼル帝国の尖兵として、土着の国王と戦い、敗れたことがある。それゆえ、敵の敵は味方ということで、アトリー国王に反旗をひるがえすと思ったのじゃろう」
 そこで老人は、水差しから湯呑みに水を注ぎ、ゆっくり飲み干した。
「だが、少数民族は日和見じゃった。ベオグラード王国が山岳地帯の攻略に苦労していることを見てとると、彼らはアトリー国王軍に味方しよったのじゃ。あろうことか、アトリー国王がカイゼル帝国と同盟を結ぶのを仲介し、西部にはカイゼル帝国軍が入ってくるようになった。アトリー国王が勝てば、少数民族の長たちに爵位を与えるという条件でな。このまま戦争が長引けば、ベオグラード王国は戦争を続ける力もなくなる。そこでパテルは、刺客を送り込んで、少数民族の魔術師を殺すことに決めたのじゃ」
「魔術師? どうして、躍起になって魔術師なんか狙う必要があるんですか?」
 有子は、わからないと言った風に、首をかしげた。
「少数民族の魔法は、個々の兵士を不死者にする禁忌の魔法だからじゃ。兵士は、斬られても矢が刺さっても死なぬ不死の体になる代わりに、自我をなくし、肉体も一ヵ月で朽ちてしまう。ユウコの知っている言葉で言うなら、ゾンビにするのじゃ。まあ、そんな禁忌の魔法は研究されてはいたが、完成させたのはパテルが攻め込む直前のことだし、ゾンビにされるのは、もっぱらアトリー国王軍の兵士で、強国であるカイゼル帝国の兵士ではないがな。そんな軍団に攻められたら、ベオグラード王国は壊滅じゃ。パテルは腕利きの暗殺者を何人も送り込み、魔術師を数え切れないほど殺した。同時に工作員も送り込み、アトリー国王の計画を暴露して反乱を起こさせ、反乱軍と協力して、何とかカイゼル帝国軍も追い出して全土を掌握したのじゃ。少数民族はアトリー国王とともにカイゼル帝国に亡命した。そのときに我らの祖先は、パテル国王からこの地を与えられ、移住したのじゃ」
「それで、敵の魔術師たちはどうなったんですか?」
「うむ。ここからが本題じゃ。カイゼル帝国に逃れた魔術師たちは数人いると聞き及んでおるが、数人だけではゾンビの大軍を作ることはできぬ。そこで魔術師たちは、禁忌の魔法を密かに仲間内だけで伝えてきた。いずれ子孫を増やし、子孫に禁忌の魔法を大々的に使わせることで、不死者の軍団を作り出し、ベオグラード王国に復讐するためにな。そして、ごく最近、密かに都の宮城に魔術師たちを招聘した者がいる。トログリム王子じゃ。あやつは、王族たちにバカにされ続けた復讐のために、禁忌の魔法を使いおったのじゃ」
 有子は聞いていてゾッとした。
「そんな……ひどすぎます。ゾンビにされるのは下級兵士ばかりじゃないですか。しかも、その理由が、自分がバカにされてきた腹いせのためだなんて……。ただの劣等感から来るひがみ根性の表れじゃないですか」
「ひがみ根性でも、それを権力として大々的に行使できるのが王族じゃ。我々にはそれをやめさせる術は無い。だが、古文書には書かれている。『王族が暴虐の限りを尽くすとき、神は異世界から大天使をつかわされて国を救う』とな。ユウコが本当に大天使かどうかまでは、我々には知りようがない。だが、ルイズが命懸けで連れてきた者が、大天使でないと知れれば、村人は意気消沈する。実際、ボルフガング元国王をこのままかくまい続けてトログリム国王と対決するべきか、それとも引き渡して恭順の意を示すべきかで、村人の間で意見がわかれている。我々とて、トログリム国王にゾンビにされたくはないし、かといってボルフガング元国王をかくまっていると知れれば討伐の口実を与えるだけじゃ。改めてユウコにお願いするが、我々をまとめるためにも、大天使として立ち上がってくれ。大天使ユウコという象徴がいるだけで、村人はボルフガング元国王のために団結できる」
 老人は深々と頭を下げる。数人の村人も、老人にならって頭を下げる。有子は返答に窮して、「……いや……あたしは……」と、しどろもどろに答えるだけだった。そのとき、ふいに「何を迷っているんですか!」とルイズが叫んだ。ルイズは顔色こそ悪かったが、意識も戻り、両手を後ろについて上半身を起こすぐらいはできた。
「あなたを守るために、パウは敵の魔術師に雷で殺されたんですよ。私だって、この村まで命懸けであなたをお連れしました。勝手に召喚してしまった責任もありますが、何よりも天下国家のためなのです。あなたには、私たちの旗頭になれるだけの魔力も能力もあると、私が判断したからなのです。不安なのはわかりますが、ここは私たちを信じてください。それとも、旗頭になるのを拒否して、おとなしくトログリム国王に殺されますか? 召喚された時点で、あなたには選択の余地は無いんですよ?」
 そのまま、有子を見据えてくる。ルイズの眼力に抗しきれなくなった有子は、「……わかった。あたし、大天使として立ち上がる」とつぶやいた。とたんに、村人たちは、ワッと歓声をあげる。老人は「よくぞ申された。我々が無理矢理に押し付けたせいでもあるが、これからは村人全員で盛り立てていきますからのぅ」と満足そうに答える。
 その日は、ささやかながら有子の歓迎会が開かれた。村人は酒肴を持ち寄り、白い地酒を有子に勧めた。有子はこっそり酒を飲んだ経験はあったが、この地酒は風味も良く、何杯でも飲めた。良い気持ちで酔うと、有子は村人といろいろな話をした。
「あたしが十四歳で恋した男の子なんて、最悪のやつだったんですよ~。付き合っていると、そのうち体目的だとわかったから、ふってやりました~」
「ああ、わかるわ。ウチも今でこそ、結婚して亭主がいるけど、若い頃はけっこう遊んでたからね。ろくでもない男にひっかかったこともあるよ」
 飲んでいると、村人はただ、有子が未知の世界から召喚されたから、どう扱って良いかわからず、不安に思っていただけだとわかってきた。有子がこの世界に召喚されて不安だったのと同じだ。その日は酒を浴びるほど飲み、酔いつぶれて眠った。おかげで、翌朝、二日酔いで頭痛と吐き気に悩まされたが。
 それから二日間、村人は付近の森林を捜索して、パウの行方を探し、焼けこげた遺骸を見つけて戻った。村医者の治療のために、起きられるぐらいに回復したルイズは、パウの遺骸を抱きしめて泣き崩れた。
「……パウ……私たちを守るために、尊い命を散らしたのね。パウの死は、決して無駄にはしない。私たちは必ずボルフガング元国王を復位させてみせる……。だから、安らかにお眠り……パウ……」
 ルイズはひとしきり泣くと、パウの遺骸を村の墓地に埋葬した。
「さあ、グズグズしている時間はありませんよ。この村は、今からボルフガング元国王を擁立する本拠地になるのです。戦える者は皆、武器をとり、防御を固めましょう。同時に、ユウコにも大天使として、奇蹟を見せてもらわねばなりません。ここの村人は、私の見てきたことを伝えれば、信じてくれますが、よその村はそうもいきません。いつでも奇蹟を見せられるように、練習してもらわなければ」
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