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 それから有子の修行が始まった。まずは敵を倒せる白い光を、いつでも自分で念じて出せるようにしなければならない。
「まずは、あのかかしを敵と思って攻撃してみなさい」
 老人は畑に刺してあったかかしを、有子の目の前に移し変えた。有子は、かかしを敵の魔術師だと思ってみることにした。この村に入る直前に雷で攻撃してきた魔術師だ。だが、なかなかうまく敵意をかかしにぶつけられない。
「う~む……かかしでは無理か。かといって、本物の村人を使うわけにはいかんしのぅ……」
 老人が悩んでいると、ふいに後ろから、「なら、朕がやろう」と声がした。振り向くと、白髪混じりのヒゲと髪の毛をした初老の男が立っている。服はボロボロだったが、凛とした威厳を感じさせる風格があった。
「陛下、白昼堂々と外にお出になられては困ります。どこにトログリム国王のスパイが潜んでいるのやら、わかりませんから。それに、いくら大天使の卵とは言え、こんな下賎な身分の小娘の相手など、なさらなくても……」
「良い、良い。実を言えば、朕もこの娘の実力を、はっきり把握しておきたいのじゃ。身を守るうえでも、そうした情報は必要だしのぅ。そんなわけでじゃ。さあ、ユウコ、朕を憎め。そなたがベオグラード王国に召喚されて、強制的に戦わされているのは、朕が原因じゃ。朕を消し炭にするつもりで攻撃してこい」
 最初は会話の内容が飲み込めなくて、オドオドしていた有子だったが、意味がわかってくると驚いた。
「ちょっと待ってください。あなたって、もしかして、ボルフガング元国王……ですか?」
「いかにも。朕がボルフガングじゃ。トログリムの手から逃れるために、こうして村にかくまってもらっておる。トログリムは不出来な子じゃったが、今回のことは朕にも責任があるのじゃ。今は不出来でも、くやしさをバネにして必死で文武に取り組めば伸びると思って、王族がトログリムをどれだけ嘲笑おうが、決して助けなかった。その結果、ねたみそねみばかりが強くなり、あの通りになってしまったがのぅ……。本来なら、朕が責任をとって死んでわびるべきじゃが、他にも各地に逃げのびて潜伏している王族が何人もいる以上、彼らを見捨てるわけにもいかぬ。何より、トログリムの元に魔術師を置いておくのは、人民にとって危険きわまりないのじゃ……」
 寂しそうに語るボルフガング元国王の表情は、家出した息子の身を案じる父親のそれだった。それを見るにつけ、有子はボルフガング元国王への憎しみが徐々に薄れていった。
「ふむ……。朕の見る限り、ユウコは優しい子じゃな。敵の魔術師のことは強すぎるゆえに恐れているが、朕のような弱そうな老人には情けをかけるのじゃから。だが、戦争では、非情にならねば勝てぬことも多々ある。そもそも、初代国王のパテルからの血筋のためか、朕には魔法への耐性があるのじゃ。並みの魔術師の放つ魔法など、打ち消してしまえるほどのな。だから、ユウコよ。安心して朕に魔法を撃ってこい」
 有子は不思議と、たかぶっていた気持ちが落ち着いてくるのを感じた。
「そうじゃ。ユウコの魔法は、火事場のクソ力みたいなものじゃ。ふだんは他人を傷つけまいとして、自分で能力を閉じ込めているのじゃ。自分の身が危険にさらされたときにのみ、相手を攻撃するのだからな。言うなれば、防衛本能じゃ」
 有子はボルフガング元国王を正面から見つめ、意識を集中させ、魔法を撃とうとする。
「良いぞ。もっと闘争心をむきだしにして撃ってこい」
 その直後、有子が前に突き出した両手から、白い光線がボルフガング元国王めがけて放たれた。有子は撃っている途中から、気分が高揚してくるのを感じた。良い緊張感だ。その光線を、ボルフガング元国王は右手を前に出すだけで、すっかりかき消して不敵に笑う。
「うむ。闘争心むきだしの、良い攻撃じゃ。相手が魔法に耐性のない者なら、消し飛んでおるだろうが、朕にとっては充分に防ぎうる範囲内じゃ。さあ、どんどん撃ってこい」
 有子は続けて何発も白い光線を放つ。ボルフガング元国王はそれらを、右手だけでことごとく打ち消した。そのうち、有子は集中力がきれてきたのか、顔中に噴き出した玉のような汗をぬぐうと、ガクリとひざをついた。
「かれこれ三十発は撃ったからのぅ。初日としたら、これが限度じゃな。疲れたじゃろう。昼餉には、精のつく物を食べさせてもらうと良い。朕は、もう少し村人の生活を見て回るとしよう。ユウコのことでもなければ、村人は朕を自由に散歩させてもくれぬからのぅ。全く、国王とは窮屈な身分じゃ」
 そのまま、老人の「陛下、お願いですから、もう少し暗殺を警戒してくだされ……」と言いすがる言葉とともに、ボルフガング元国王は「カカカ」と笑いながら歩き去っていく。有子は昼食を食べるために、小さな農家の居間にあるテーブルに座った。テーブルには、農家の夫婦とその子供たちが座り、爺さん婆さんが昼食を運んできた。昼食は黒パン、豆のスープ、紅茶である。黒パンは、有子の食べ慣れている白パンと違い、いまいち口に合わなかった。有子は思わず顔をしかめる。
「ハハハ……。白パンを食べ慣れている方からすれば、黒パンは不味く感じるものだが、実は黒パンのほうが栄養は豊富なんですぞ。大天使様も、早いうちに黒パンの味に慣れておいたほうが良いです。この先、大天使様が通られる村は、黒パンを主食にしている村が多いですからな」
 爺さんが美味そうに黒パンを食べながら言う。子供たちも黒パンを美味そうに食べているので、有子としても、好き嫌いをしていられる場合ではない。豆のスープで口直しをしながら、やっとこさで黒パンをたいらげる。昼食が終わると、子供たちは、有子の住んでいた世界のことを聞きたがった。
「ねえ、大天使様の住んでいた国って、どれぐらい魔法が発達してたの?」
「いや、あたしたちが使ってたのは、魔法というより科学なんだけどさ……。自然界の物理法則を研究して、その法則に従って物を走らせたり飛ばしたりするやつなの」
「なら、この世界の魔法と似たようなものじゃん。魔法は、物質の中や空気中の魔素を操って、魔術師の思う通りに操るものだからさ」
「魔素? 魔法って、無から有を生むものじゃなかったの?」
「大天使様なのに、知らなかったの? 魔法は、様々な性質を持つ魔素に、人間の意思を伝えて、結合させたりして発動させるものなんだよ。魔素の結合のさせ方は無数にあるんだ。それによって、魔法の用途や威力が決まるんだよ」
 改めて聞かされてみると、うなずけることがあった。有子を都に召喚した魔法陣や、六面から迫る壁の中に巨木を召喚した魔法陣も、面という物質を介したものである。雷を落とした魔法も、空気中を介したものだし、夢魔の攻撃も、遠距離の空間を人間の意志で介したものと言えなくもない。つまり、物理法則と同様に魔素の操り方を覚えれば、有子の使える魔法の幅が広がるということだ。
(やれやれ……高校の数学や物理の勉強も苦痛だったけど、異世界の魔素の勉強も楽じゃないってことか)
 それから数日たって、ルイズの体調が回復すると、有子はルイズから魔素の講義を受けさせられるはめになり、高校の授業と同様な苦痛の日々が始まった。特に実習は辛い。ルイズは、あらゆる魔素を組み合わせることで、有子の攻撃の選択肢を広げようとしたが、そもそも頭で理論をわかっていない有子には、高度すぎて付いていけなかった。
「魔素の実習については、荒療治が必要みたいですね。これから、あなたを村はずれの原野に置き去りにしてきますから、自力で村まで帰ってきてください。原野にはオオカミやイノシシが出ます。二つの攻撃魔法を使いわけられなければ、食い殺されますよ」
「な……何で、そんなことを言うのよ? 今のあたしじゃ、村に着く前に食べられちゃうよ。ルイズは、あたしの味方じゃなかったの?」
 有子の問いかけに対し、ルイズは冷たく答える。
「酷な話だとは思っていますが、あなたが短期間で強くなるのは、こうした荒療治しかないんです。私たちがこの村まで到達する途中で、魔術師を何人も倒していますから、それをたどられると、隠れ場所にこの村を選んだのが敵にバレてしまいますから。敵の魔術師が攻めてきた際に、あなたが役立たずでは困るんですよ」
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