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 ルイズは有子と一緒に原野に着くと、そのまま、急ぎ足で去っていく。有子が追いかけようとすると、容赦なくナイフが飛んできた。有子に当たらないようにしてあるが、有子を威嚇するのには充分である。いつの間にか、ルイズの姿は見えなくなり、有子一人が原野に残された。風は冷たく、道は入り組んだ獣道ばかりで、帰り道もわからない。有子は心細くて泣きそうだった。
「一つだけ、戦いのヒントをあげます。魔素には、わずかながら色がついています。それは空気中にも水中にもあります。魔術師や大天使だけに見えるものです」
 ルイズの残した言葉は、これだけだ。
 そのうち、周囲からは、「グルルル……」などとオオカミのうなる声が聞こえてくる。有子は心臓が縮こまりそうだった。いつの間にか、「フシュウウウ……」などとイノシシのうなる声も聞こえてくる。有子が恐る恐る周囲を見回すと、十数頭のオオカミと十数頭のイノシシが、有子を取り囲んでいる。特にオオカミは口からよだれを垂らしており、その様子がいっそう有子を恐怖させた。
 やがて、腹を減らしているのか、一頭のやせたオオカミが飛びかかってくる。
「きゃああああっ……!」
 有子は右手を前に出し、白い光線を発したが、オオカミには全く効かない。それどころか、右手にかみつかれてしまい、激痛が走る。白い光が膜のように右手を覆っていたおかげで、右手の肉を食いちぎられずにすんだが、それでも血は出るし、痛いことに変わりはない。オオカミは、突然の白い光に驚いたのか、有子の右手を口から離してしまう。
(オオカミには、あたしの魔法は効かないんだ。そういえば、初めて魔法の光を出した際にも、騎馬の兵士は倒したけど、乗っていた馬は無傷だったしな……)
 悩んでいる間にも、二頭目のオオカミが飛びかかってくる。
(でも、オオカミの牙の攻撃を防ぐことはできた。つまり、防御には使えるはず)
 有子は右手を前に突き出し、掌で壁を作るイメージをする。二頭目のオオカミは、空中で壁に阻まれ、もんどりうって倒れる。さすがにオオカミの側も、一対一では勝てないと思ったのか、群が一斉に襲いかかってくる。
(一頭たりとも近づかせちゃダメだ。でも、魔法による壁は、一方向だけしか作れないし)
 有子が迷っているうちに、三頭目が左から襲いかかるが、左手を前に出して壁を作って撃退する。四頭目は背後から襲いかかるが、有子は振り向いてにらみつけることで壁を作り、何とか撃退する。オオカミとの戦いを通じて、有子は体内の何かが活性化し始め、体が奥底から熱くなってくるのを感じた。それにつれて、不思議と気分も高揚してくる。
 左右から同時に二頭が襲いかかってきたので、ためしに壁の大きさを半分にして、左右二方向に作ってみる。左から襲いかかってきたオオカミは、うまい具合に進路を壁で防げたが、右から襲いかかってきたオオカミは、進路を壁でふさぐのに失敗し、右手にかみつかれる。もっとも、二度目にかみつかれた際には、有子も慣れたもので、左手に白い光を集中させるイメージを作ると、左手でこぶしを握り、かみついているオオカミを思いっきり殴りつけた。オオカミはよほど痛かったのか、「キャウン!」と鳴いて逃げていく。
 オオカミがあっさり右手を離して逃げたので、殴りつけた有子のほうがひょうし抜けしたぐらいだ。相かわらず痛くて血も出たが、有子は少し戦い方がわかってきた。腕に白い光をまとっている限り、腕を食いちぎられることはないのだ。有子は力の限り、腕を振り回し、襲ってくるオオカミを片っ端から殴りつける。そのうち、オオカミは有子の気迫に呑まれてしまい、遠巻きに有子を包囲するだけになってしまった。
 だが、オオカミの次に有子に狙いを定めたイノシシは、そんなわけにいかなかった。イノシシの突進力は、オオカミの比ではない。有子が両腕で防ごうとしても、体ごと跳ね飛ばされてしまうのだ。後ろに跳ね飛ばされて、背中を木にたたきつけられた痛さは、半端なものではない。さすがに、有子も「ガハッ」と叫んでしまい、心が折れそうだった。
 先ほどのオオカミが少数で飛びかかって失敗したのを見ていたためか、イノシシは有子の周囲をぐるりと取り囲むと、「フゴッ」と鳴きながら一斉に襲いかかってきた。あまりの迫力に、有子はおしっこを漏らしそうになり、思わずへたりこむ。そこで、誰も予想もしないことをやってしまった。何と、ひざを抱えてうずくまり、全身を白い光で覆ってしまったのだ。もちろん、無意識に防御の態勢をとってしまっただけだ。
 だが、猛進してくるイノシシは、うずくまった有子に合わせて攻撃の方向を下にずらすことなど、急にはできない。そのまま突進してきて、有子の頭上で牙どうしをぶつけてしまったのだ。牙と牙がぶつかり、打ちどころの悪かったイノシシが、他のイノシシの牙で肉をえぐられて血を流す。そんな中、有子だけは牙の下で身を丸めていたので、白い光にも守られて奇跡的に無傷だった。もちろん、偶然の結果に過ぎないが、有子に自信を持たせるには充分だった。
(いける。非力なあたしでも、何とか通用するんだ……)
 有子はゆっくりと立ち上がる。一方、イノシシのほうは、先ほどの猛進で負傷したイノシシたちが後ろに下がり、第二陣が有子を取り囲んで猛進の準備を整える。再び、「フゴッ」と鳴きながら、一斉に襲いかかってくる。次は低い位置にいる有子を確実にしとめようと、低めに牙をかまえて突進してくる。今度は、有子はイノシシから目をそらさずに、周囲のイノシシをにらみかえす。そうするうちに、空気中に微妙な大気の流れがあることに気づいた。イノシシたちは、この大気の流れを巧みに避けながら猛進してくるのだ。
(イノシシが避けて通るということは、この大気を操れれば……)
 気づいてはみても、大気を動かすことができるのは、風ぐらいだ。有子は、すっかり着古して色あせてきた修道服の頭巾を脱ぐと、バタバタと振ることで風を起こそうとする。振り続けるうちに、大気の流れが変わり、気のせいか、色も微妙に変わってきた気もする。そこで、有子はルイズの講義で、大気中の魔素には微妙に色がついていると習ったのを思い出した。ここだけは、ルイズは何度も繰り返し言ったので、有子の記憶にも残っていたのだ。有子は魔素を見ようと、目をカッと見開いた。
 魔素は薄い黄色で、イノシシの周囲に黄色い魔素が立ち込めると、イノシシは必ずそれを避けて通るのだ。
(魔素が近くにあるのはわかったけど、これらをあたしの近くに引き寄せなければ、イノシシの突進は防げないな……。ええい、弱気になるな。考えろ、考えろ、あたし)
 ためしに、反対側にいるイノシシの周囲の魔素も見ようとして振り返り、頭巾をバタバタと振ってみると、反対側の魔素は青だ。そして、反対側でもイノシシは必ず青い魔素を避けて通っていく。二色の魔素が周囲にあることだけはわかったが、問題は二つをどうやって操るかだ。ルイズは、二つの攻撃魔法を使い分けろ、と言った。それには二色の魔素を操って組み合わせるしかない。
 有子が迷っている間にも、イノシシはどんどん猛進してくる。とりあえず、イノシシは前後左右で四頭が一斉に猛進してくるので、有子は左右に壁を作って防ぎ、前方に白い光をまとった右腕を突き出してイノシシをくいとめ、左腕で頭巾を振って、二色の魔素を空気ごと混ぜようとしたが、うまくいかない。
「ええい! 混ざれ! あたしの生死がかかってんのよぉ!」
 有子は必死だった。今まで、バスケの全国大会出場がかかった大会でも、高校入試でも、ここまで必死になったことは無かった。緊張のあまり、体中の毛が総毛立ち、脳みそがすり切れる思いだった。既に、左右の壁にはイノシシがぶつかって、ミシミシときしみ、前方の右腕にもイノシシが牙をたてている。有子は一時的に意識が無くなるのを感じた。
 それから先は、無我夢中だった。無意識に近い状態で空気をかき混ぜて、二色の魔素を混ぜ合わせ、緑になった魔素の風を周囲に吹き荒れさせたのだ。そのまま、左腕を頭上にかかげると、有子を中心に緑の台風のような風が吹き荒れ、風を受けたイノシシが「プギィッ!」と鳴きながら逃げ去っていく。有子は、さらに周囲の魔素を混ぜ合わせながら、猛進してくるイノシシの群に向かって、緑の嵐をぶつける。有子も正気を失っているらしく、「フオオオオ……」とほえた。
 いつのまにか、周辺にいたオオカミもイノシシも、一匹残らず逃げ去り、有子が緑の嵐を吹き荒れさせているだけになった。その有子自身も、危機を脱したと脳が判断したのか、あるいは精根尽き果てたとみえて、フラリと倒れると、気を失ってしまった。
「やれやれ……荒療治が効きすぎたみたいですね。でも、これで魔素の操り方を、身をもって体験することができたでしょう。さあ、村へ帰ってベッドで眠りましょう。こんな所で寝ていると、風邪をひきますよ」
 村へ帰ったと見せかけて、物陰で見ていたのであろうルイズが、ひょっこり現れたかと思うと、有子を背負って村へ帰った。結局、有子は翌日の夕方まで、ひたすら眠り続けた。
目覚めると、ルイズが白パンを始めとする美味そうな食事を作ってくれた。まずい黒パンに飽き飽きしていた有子は、久しぶりの白パンに舌鼓を打った。
「とりあえず、私の出した課題を無事に乗り越えたご褒美です。本当に、よくがんばりましたね。ただ、トログリム国王の陣営は、既に反対派を討伐するために大々的に動き始めたみたいです。この村にも、二、三日のうちに国王軍が攻めてくるでしょう。ここからが正念場ですよ。覚悟しておいてください」
 ルイズが厳しい表情で言うので、有子も自然と気が引き締まる思いだった。
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