若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

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悪意の先に 1

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 ハインリヒは、相変わらず、イライラしている。
 せっかくアシュリーが王都に来ていたのに、邪魔をされたからだ。
 あの「代理」が出て来なければ、説得できていたと信じている。
 ハインリヒといた頃、アシュリーは1度も口ごたえしたことがない。
 説得というほどのものでもなく、軽く話をするだけですむ、と思っていた。
 
「そう苛々するな、ヘンリー」
「ですが、お祖父様。アシュリーはアドラントに連れ戻されてしまったのですよ。こちらからは手出しができなくなりました」
 
 だから、早く「通行証」を寄越せと、内心では考えている。
 祖父に頼んだのだが、未だ色良い返事がもらえていなかった。
 理由を説明されても、ハインリヒは納得していない。
 
(貴族の出入りが難しいのは、俺だって知ってんだ。だから、商人の格好をすると言ってるんじゃねぇか)
 
 不本意ではあるが、商人のナリをして、荷馬車に乗り込む。
 もちろん、髪や目の色も魔術師に変えさせるつもりだった。
 いわゆる「お忍び」というやつだ。
 商人の一行に紛れていれば、簡単に入り込める。
 思うのだが、祖父は首を縦にしない。
 
「アシュリーのことは、こちらでも手を打っている。お前は大人しくしておけ。むやみに動けば、命を落とすことになるからな」
 
 祖父の言うことが、今ひとつピンとこなかった。
 公爵は「代理」にアシュリーを任せきりにしていたのだ。
 予想通り、アシュリー自身に、こだわりがあるとは思えずにいる。
 ならば、こちらがなにかしたところで「命を取られる」ことになりはすまい。
 
 人の命を奪うのなら、相応の理由が必要となる。
 ハインリヒが、あの「世話役」を始末したかったのは邪魔だったからだ。
 あの男がいたがために、アシュリーとの間に距離ができていると感じた。
 人が聞けばどう思うかはともかく、ハインリヒにとっては「相応の理由」に成り得る。
 
 そうした執着もないのに、人の命を奪うだろうか。
 先にアシュリーを子爵家に連れ戻し、彼女から婚約解消の意思を伝えさせれば終わる話だという気がする。
 命懸けだ、などと言うのは、大袈裟に過ぎるのだ。
 そもそも、ハインリヒは、ローエルハイドが自分に本気で手をかけるとは思っていない。
 
「それより、ティンザーの娘はどうだった?」
「まぁ、噂通りでしたね。ただ、私が思うに、体がほっそりしていれば、求婚者に事欠くことはなかったでしょう」
「それで? 公爵は、ティンザーの娘の体型を気にしている様子だったか?」
「いいえ、全然。平気な顔をして、ホール中央で3曲ほど踊っていましたから」
 
 ハインリヒの言葉を聞くなり、祖父が顔をしかめる。
 祖父には、ティンザーの娘のことのほうが重大事らしかった。
 ハインリヒは貴族であり、商売気は、まったくない。
 それでも、祖父の反応が気になる。
 
「お祖父様は、ティンザーとラウズワースとの婚姻を、お望みですか?」
 
 公爵家の中で、ティンザーの格は下から数えたほうが早い。
 逆に、ラウズワースは、上から3番目あたりだ。
 アシュリー以外、関心がなかったため、気にもしていなかったが、不意に、その不自然さに気づく。
 
(いくら次男の相手だっていっても、格下過ぎだろ)
 
 ラウズワースなら、もっと格上の相手がいくらでも選べた。
 しかも、ティンザーの娘は、貴族の間では嘲笑されるのが当然とされる女だ。
 正妻に据えれば、公の場には必ず伴うことになる。
 周囲からの反応は考える必要すらない。
 
「しかし、意外ですよ。ラウズワースは当主こそ男ですが、仕切っているのは正妻となった女ですよね? 分家も含め、女同士での結束が強いと聞きます。全員が、非の打ち所のない完璧な容姿の持ち主ということでも有名ですし」
 
 なぜ、あえて貴族的でない容姿のティンザーの娘を選んだのか。
 よくよく考えると、おかしなことだらけだ。
 そして、そこに祖父の「気がかり」があるに違いない。
 
「商人は自由だとのたまう者もいるが、越えられん壁もある」
「越えられない壁ですか」
 
 うまく飲み込めていないハインリヒに、祖父が憂鬱そうな視線を向ける。
 わかって当然だとでも言いたげな表情が癪に障った。
 とはいえ、祖父の機嫌を損ねれば、アシュリーを手に入れられなくなる。
 ハインリヒは、黙って祖父の言葉を待った。
 
「お前は、なぜアドラントに行けない?」
「それは、法が……」
 
 言葉を途中で止める。
 祖父の意識が、どちらに向いているのかを理解したからだ。
 
「そういうことだ。より手広く商売をしたくても、法が邪魔をする。アドラントに入り込みたいのは、お前だけではないのだぞ、ヘンリー」
「では、お祖父様は、法を変えようと考えておられるのですか?」
 
 祖父の言いたいことは理解している。
 だとしても、ハインリヒは長期戦をするつもりはないのだ。
 おそらく猶予は、あと2年しかない。
 
 ハインリヒが考えていたのと同じく、アシュリーが16歳になるまで待っているだけだろう。
 2年もあれば、アシュリーを「その気」にさせることも可能だ。
 なにしろアドラントという要塞じみた場所に隔離されているも同然なのだから。
 
(法が変わるなんざ、いつになるかわからねぇんだよ! こっちは、そんな悠長に構えちゃいられねぇってのに!)
 
 俄然、イライラしてくる。
 ハインリヒと祖父とでは、目的が違うのだ。
 自分にツテがあれば、すぐにでもアドラントに乗り込みたいと考えている。
 祖父のおかげで悠々自適な生活ができていることなど、頭にはない。
 
「ヘンリー」
 
 祖父の落ち着いた声に、しかたなくハインリヒは顔をそちらに向ける。
 そして、驚いていた。
 鋭い眼光が、ハインリヒを捉えている。
 内心の苛立ちを察知されたらしい。
 
「アシュリーのことを心配する必要はない」
「……本当に連れ戻せるのですね?」
「お前が動かなければな」
「手を打たれたとのことでしたが、時間がかかるのでは意味がなくなります」
 
 祖父の眼差しにあった剣呑さが、わずかに緩んだ。
 代わりに、物憂げな気配が漂う。
 
「もう少しまつりごとにも関心を持て、ヘンリー。貴族であれば、上を目指すことも必要なのだぞ。なぜ貴族どもが側室を持つかということも考えよ」
「私は側室を持つ気はありません」
「であれば、アシュリーとの間に多くの子を成せ」
「子を?」
「そうだ。子爵家でとどまるのではなく、子を外に放て」
 
 ハインリヒは、心の中で溜め息をついた。
 これが祖父の望む「見返り」に違いない。
 
「お祖父様は、娘を望まれますか」
「男は、さほど必要ではないな」
 
 子爵家に入り込んだ時と同じだ。
 ハインリヒの娘を貴族の娘に嫁がせ、その娘が男子を成せば、高位の貴族に食い込む足がかりとなる。
 だから、娘なのだ。
 
 直接的に、次男などを養子として食い込ませようとすると、反発が大きい。
 セシエヴィル子爵家が最初の1歩に選ばれたのは、その反発がないと見込まれたからだろう。
 アシュリーの父は、家督というより、家督に付随する「財」にしか関心を持っていなかったので、都合が良かった。
 
 さりとて、貴族には貴族なりの「自尊心」があると、ハインリヒは知っている。
 ハインリヒ自身も持っているものだ。
 高位の貴族になれば、単純な「金」では動かない。
 むしろ、血統を優先する者のほうが多いと言える。
 
 たとえ自身の血統に後継者がいなくとも、外の者に家督を継がせたりはしない。
 少なくとも、兄弟の血筋に譲ることを選ぶ。
 つまり、男では、養子になったところで、たいていは分家止まりだ。
 娘であれば、産まれた子が爵位を継ぐ芽も出てくる。
 
「アシュリーを取り戻してくれるなら、お祖父様の壮大な計画に、いくらでも助力いたしますよ」
 
 目の前のことしか考えないハインリヒは、祖父の「長い目」に呆れながら、そう言った。
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