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悪意の先に 3
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ジョバンニは、一瞬、アシュリーの顔が曇ったのを見逃してはいない。
すぐに消えたが、悲しげな表情だったように思う。
夜会で、子供扱いされていると、気落ちしていたアシュリーを思い出した。
観光地であるサハシーで風船は高値であるため、大人しか買えない。
だが、アドラントで欲しがるのは、風船を初めて見たという子供くらいだ。
たいしてめずらしいものではないし、街では安価で手に入る。
それを、アシュリーが知っているはずはないが、なにか感じるところはあったのかもしれない。
(それとも、我儘を言ったと気にされておられるのだろうか)
リビーに肘鉄をされるまで、ジョバンニは無意識に眉をひそめている。
アシュリーに話した「火が付き易い」との性質のこともあるが、実は、話さずにいる、もう1つの理由があった。
水素は、特殊な魔術道具で水から生成されている。
空気よりも軽い、その水素で、かなり薄く伸ばした梨型のゴムを膨らませたものが、風船と呼ばれていた。
その水素を生成する段階で、魔術道具から魔力が漏れ出るのだ。
そして、風船からも微量ずつ水素とともに魔力が漏れている。
風船が長持ちせず、しぼんでしまうのは、そのせいだった。
風船が長持ちしないのはともかく、魔力が漏れていることに問題がある。
元々、魔術道具は、あらかじめ魔力が供給され、蓄積されていた。
当然だが、魔力が尽きると道具は動かなくなるし、水素も生成できなくなる。
魔術師の持つ魔力とは、質が異なるものなのだ。
しかし、空気中に漂う魔力は、発散元が魔術師だろうが風船だろうが大差ない。
たとえば、川を流れる水とコップにそそがれた水は質が異なるが、どちらの水で地面を濡らしても、その差は、ほとんどわからない、というのと似ている。
結果、ジョバンニの魔力感知が、うまく機能しない。
ある程度の大きさの魔力があれば、魔術師の存在を認識することはできる。
だとしても、魔術師は魔力抑制で、己の魔力を隠せるのだ。
万が一の際の対処が遅れる可能性を、ジョバンニは懸念していた。
アドラントにも、いくらかは魔術師がいる。
たいていは、ロズウェルドに行き、戻ってくる者は少ない。
戻ってきた者の大半は、アドラント王族の護衛をしていた。
ほかに仕事がないからだ。
(ローエルハイドの足元で、おかしな真似をする者はいないはずだが)
そのジョバンニの予想が裏切られる。
まるで、懸念を見透かしたようなタイミングで、風船が膨らみを増したのだ。
咄嗟に、アシュリーを抱き込み、全身で庇う。
バンッ!!
大きな破裂音がした。
アシュリーには、事前に物理防御の魔術をかけている。
もちろん怪我をすることはないとわかっていた。
だが、怪我をさせるためだけに風船を爆発させるとは考えにくい。
騒ぎに乗じて、アシュリーを攫う気だ。
それを防ごうと、ジョバンニはアシュリーを抱き締めていた。
アシュリーが腕の中にいさえすれば守れる。
顔を上げ、より精度の高い魔力感知を走らせた。
魔術師がいるのであれば、即座に離脱するつもりだ。
が、感知の結果に、ハッとなる。
周囲に視線を走らせた。
アシュリーもジョバンニの腕の中で、きょろきょろしている。
それから、彼を見上げてきた。
言いたいことは、わかっている。
「ジョバンニ……」
迂闊だった。
爆発の際、ジョバンニはアシュリーを守ることしか考えられずにいたのだ。
アシュリーの目に、濃い不安が漂っている。
「リビー……リビーが、いないわ……ジョバンニ……」
「はい」
攫われたのは、アシュリーではなく、リビーだった。
ジョバンニがアシュリーを庇った、その一瞬に、リビーは連れ去られている。
連れ去ったのは、魔術師ではない。
街には行きかう大勢の人がいた。
そのうちの誰かだ。
いくら魔力感知がうまく機能していなくても、リビーを攫えるほど近くに魔術師が接近していれば、わかったはずだ。
そして、リビーも黙って転移させられはしなかっただろう。
魔力を持たない、けれど、人を攫うことに手慣れた者の仕業に違いない。
「ま、迷子? あの音にびっくりして、どこかに逃げたのかも……」
言いながら、アシュリー自身、己の言葉を信じていないのだろう。
唇が小さく震えている。
きっと、リビーに「良くないこと」が起きていると察しているのだ。
彼の胸に縋りついている彼女の両手に、力が入っていた。
「ジョバンニ……リビーを探さなくちゃ……」
アドラントに、ハインリヒが来ていないのは確認している。
昨夜も、ジョバンニは夜更けに子爵家を覗いてきたのだから、間違いない。
仮に魔術で移動したとしても、アドラント付近で点門が開けば、気づいていた。
とはいえ、ハインリヒの祖父は商人だ。
アドラントには、その祖父の子飼いの商人が、多数、商売をしている。
攫った者を特定するのは困難だが、目的はリビーではない。
やはり、アシュリーなのだ。
リビーが囮なのは、わかりきっている。
ここでリビーを探し歩くのは危険だった。
「ジョバンニ……早く探さないと、リビー、怖がっているわ……」
青い瞳が、ゆらゆらと揺れている。
ジョバンニは、ひとまず公爵に連絡を取るべく、即言葉を使った。
公爵にアシュリーをあずけられれば、リビーを探しに行けるからだ。
だが、反応がない。
(魔力疎外……? いや、それほど大きな魔力は感じられない)
即言葉は伝達系の魔術でも、高位に属していた。
魔力疎外により断ち切るとするなら、かなり大きな魔力が必要となる。
今、ジョバンニの魔力感知にかかっている程度では遮れはしないはずだ。
そして、相手側から拒絶があれば、それが伝わってくる。
だが、いっさいの反応がない。
あえて無視しているというより、伝わっていない感じがした。
「ねえ、ジョバンニ……お願い……」
街に出ることは、公爵から許しを得ている。
その時に言われたのは「きみの裁量で」だった。
「わかりました」
ジョバンニは、アシュリーをサッと抱き上げる。
人目があったが、かまわず点門を開いた。
アシュリーを連れて、リビーの捜索はできない。
あまりにも危険に過ぎる。
門を抜け、屋敷内のアシュリーの部屋に戻った。
床におろされたアシュリーは、またジョバンニを見上げている。
不安でたまらない、といった様子だ。
ジョバンニは、彼女の両手をとる。
「リビーには、私の魔術がかかっています。自分の魔力を追うことはできるので、すぐに見つけて戻りますよ」
風船を買う前、アシュリーとリビーには、物理防御の魔術をかけていた。
人の魔力に対して「個」を判別することはできないが、自分のものは違う。
その魔力痕を追うのは、それほど難しくはないのだ。
ただし、魔術には制限時間があった。
時間が経つほどに薄くなり、やがて消える。
ずっと掛けっ放しにしておけるのは、公爵だけだ。
つまり、急がなければ追跡が困難になる。
「姫様、ここにいてくださいね。私が戻るまでは部屋にいてください」
「ちゃんと帰ってきてくれる? リビーと一緒に……」
「必ず帰ってまいります」
アシュリーがうなずくのを見て、再び街へと点門を開いた。
彼女の傍を離れることに、一抹の不安を感じながら、ジョバンニは門を抜ける。
すぐに消えたが、悲しげな表情だったように思う。
夜会で、子供扱いされていると、気落ちしていたアシュリーを思い出した。
観光地であるサハシーで風船は高値であるため、大人しか買えない。
だが、アドラントで欲しがるのは、風船を初めて見たという子供くらいだ。
たいしてめずらしいものではないし、街では安価で手に入る。
それを、アシュリーが知っているはずはないが、なにか感じるところはあったのかもしれない。
(それとも、我儘を言ったと気にされておられるのだろうか)
リビーに肘鉄をされるまで、ジョバンニは無意識に眉をひそめている。
アシュリーに話した「火が付き易い」との性質のこともあるが、実は、話さずにいる、もう1つの理由があった。
水素は、特殊な魔術道具で水から生成されている。
空気よりも軽い、その水素で、かなり薄く伸ばした梨型のゴムを膨らませたものが、風船と呼ばれていた。
その水素を生成する段階で、魔術道具から魔力が漏れ出るのだ。
そして、風船からも微量ずつ水素とともに魔力が漏れている。
風船が長持ちせず、しぼんでしまうのは、そのせいだった。
風船が長持ちしないのはともかく、魔力が漏れていることに問題がある。
元々、魔術道具は、あらかじめ魔力が供給され、蓄積されていた。
当然だが、魔力が尽きると道具は動かなくなるし、水素も生成できなくなる。
魔術師の持つ魔力とは、質が異なるものなのだ。
しかし、空気中に漂う魔力は、発散元が魔術師だろうが風船だろうが大差ない。
たとえば、川を流れる水とコップにそそがれた水は質が異なるが、どちらの水で地面を濡らしても、その差は、ほとんどわからない、というのと似ている。
結果、ジョバンニの魔力感知が、うまく機能しない。
ある程度の大きさの魔力があれば、魔術師の存在を認識することはできる。
だとしても、魔術師は魔力抑制で、己の魔力を隠せるのだ。
万が一の際の対処が遅れる可能性を、ジョバンニは懸念していた。
アドラントにも、いくらかは魔術師がいる。
たいていは、ロズウェルドに行き、戻ってくる者は少ない。
戻ってきた者の大半は、アドラント王族の護衛をしていた。
ほかに仕事がないからだ。
(ローエルハイドの足元で、おかしな真似をする者はいないはずだが)
そのジョバンニの予想が裏切られる。
まるで、懸念を見透かしたようなタイミングで、風船が膨らみを増したのだ。
咄嗟に、アシュリーを抱き込み、全身で庇う。
バンッ!!
大きな破裂音がした。
アシュリーには、事前に物理防御の魔術をかけている。
もちろん怪我をすることはないとわかっていた。
だが、怪我をさせるためだけに風船を爆発させるとは考えにくい。
騒ぎに乗じて、アシュリーを攫う気だ。
それを防ごうと、ジョバンニはアシュリーを抱き締めていた。
アシュリーが腕の中にいさえすれば守れる。
顔を上げ、より精度の高い魔力感知を走らせた。
魔術師がいるのであれば、即座に離脱するつもりだ。
が、感知の結果に、ハッとなる。
周囲に視線を走らせた。
アシュリーもジョバンニの腕の中で、きょろきょろしている。
それから、彼を見上げてきた。
言いたいことは、わかっている。
「ジョバンニ……」
迂闊だった。
爆発の際、ジョバンニはアシュリーを守ることしか考えられずにいたのだ。
アシュリーの目に、濃い不安が漂っている。
「リビー……リビーが、いないわ……ジョバンニ……」
「はい」
攫われたのは、アシュリーではなく、リビーだった。
ジョバンニがアシュリーを庇った、その一瞬に、リビーは連れ去られている。
連れ去ったのは、魔術師ではない。
街には行きかう大勢の人がいた。
そのうちの誰かだ。
いくら魔力感知がうまく機能していなくても、リビーを攫えるほど近くに魔術師が接近していれば、わかったはずだ。
そして、リビーも黙って転移させられはしなかっただろう。
魔力を持たない、けれど、人を攫うことに手慣れた者の仕業に違いない。
「ま、迷子? あの音にびっくりして、どこかに逃げたのかも……」
言いながら、アシュリー自身、己の言葉を信じていないのだろう。
唇が小さく震えている。
きっと、リビーに「良くないこと」が起きていると察しているのだ。
彼の胸に縋りついている彼女の両手に、力が入っていた。
「ジョバンニ……リビーを探さなくちゃ……」
アドラントに、ハインリヒが来ていないのは確認している。
昨夜も、ジョバンニは夜更けに子爵家を覗いてきたのだから、間違いない。
仮に魔術で移動したとしても、アドラント付近で点門が開けば、気づいていた。
とはいえ、ハインリヒの祖父は商人だ。
アドラントには、その祖父の子飼いの商人が、多数、商売をしている。
攫った者を特定するのは困難だが、目的はリビーではない。
やはり、アシュリーなのだ。
リビーが囮なのは、わかりきっている。
ここでリビーを探し歩くのは危険だった。
「ジョバンニ……早く探さないと、リビー、怖がっているわ……」
青い瞳が、ゆらゆらと揺れている。
ジョバンニは、ひとまず公爵に連絡を取るべく、即言葉を使った。
公爵にアシュリーをあずけられれば、リビーを探しに行けるからだ。
だが、反応がない。
(魔力疎外……? いや、それほど大きな魔力は感じられない)
即言葉は伝達系の魔術でも、高位に属していた。
魔力疎外により断ち切るとするなら、かなり大きな魔力が必要となる。
今、ジョバンニの魔力感知にかかっている程度では遮れはしないはずだ。
そして、相手側から拒絶があれば、それが伝わってくる。
だが、いっさいの反応がない。
あえて無視しているというより、伝わっていない感じがした。
「ねえ、ジョバンニ……お願い……」
街に出ることは、公爵から許しを得ている。
その時に言われたのは「きみの裁量で」だった。
「わかりました」
ジョバンニは、アシュリーをサッと抱き上げる。
人目があったが、かまわず点門を開いた。
アシュリーを連れて、リビーの捜索はできない。
あまりにも危険に過ぎる。
門を抜け、屋敷内のアシュリーの部屋に戻った。
床におろされたアシュリーは、またジョバンニを見上げている。
不安でたまらない、といった様子だ。
ジョバンニは、彼女の両手をとる。
「リビーには、私の魔術がかかっています。自分の魔力を追うことはできるので、すぐに見つけて戻りますよ」
風船を買う前、アシュリーとリビーには、物理防御の魔術をかけていた。
人の魔力に対して「個」を判別することはできないが、自分のものは違う。
その魔力痕を追うのは、それほど難しくはないのだ。
ただし、魔術には制限時間があった。
時間が経つほどに薄くなり、やがて消える。
ずっと掛けっ放しにしておけるのは、公爵だけだ。
つまり、急がなければ追跡が困難になる。
「姫様、ここにいてくださいね。私が戻るまでは部屋にいてください」
「ちゃんと帰ってきてくれる? リビーと一緒に……」
「必ず帰ってまいります」
アシュリーがうなずくのを見て、再び街へと点門を開いた。
彼女の傍を離れることに、一抹の不安を感じながら、ジョバンニは門を抜ける。
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