若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

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悪意の先に 4

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 アシュリーは、門のあった場所を、ひたすら見つめていた。
 早く、そこから2人が姿を現すことだけを願っている。
 不安で、心配で、とにかく、気が気でない。
 とても座って待ってなどいられなかった。
 
「大丈夫、大丈夫よね。ジョバンニが探しに行ってくれたのだもの、大丈夫よ」
 
 自分で、自分に言い聞かせる。
 同時に「ふうせん」を欲しがったことを悔やんでいた。
 ジョバンニは、あまり良い顔をしていなかったのだ。
 もしかすると、こういう事態も起こり得ると予測していたからではないか。
 そんな気がする。
 
 ものめずらしさに、はしゃぎ過ぎたせいで、悪い結果を招いた。
 ハインリヒの声が聞こえる気がする。
 
 『お前が迷子になったせいで、屋敷中がどんだけ大騒ぎになったか』
 『お前は、俺に言うことを聞いてりゃいいんだよ、アシュリー』
 
 嫌になって、両手を耳で覆った。
 それでも、ハインリヒの言葉は正しかったのかもしれない、と思い始めてくる。
 この4年、アシュリーの周りで「騒ぎ」は起きていない。
 屋敷の敷地内から出ず、勤め人とも距離を置き、退屈ではあれど平穏だった。
 
 街に誘ってくれたのはリビーだが、同意したのはアシュリーだ。
 アシュリーが頑として「行かない」と言っていれば、無理に連れ出されることはなかっただろう。
 リビーの提案に、好奇心で胸を弾ませた自分を、アシュリーは自覚している。
 
「もし、リビーになにかあったら……」
 
 ほかの勤め人たちとも、気軽に話をするようになってはいた。
 とはいえ、リビーは、アシュリーにとって初めてできた友人に近しい。
 ジョバンニに直にきけないことも、リビーになら聞けた。
 
 なにより、アシュリーは、リビーのはっきりと物を言うところが好きなのだ。
 たとえ、アシュリーと意見が異なっていても、リビーは、きっぱりと言い切る。
 そこに、安心感をいだいていた。
 勤め人が主の言葉に無条件でうなずいているのではない、と思えるからだ。
 
「……誰がリビーを連れて行ったの……? どうして……」
 
 理屈はないが、彼女は、リビーが「さらわれた」と思っている。
 そのため、不安で怖くてたまらない。
 肩を落とし、視線を室内にさまよわせた。
 書き物机のところで、その動きが止まる。
 
 たたっと駆け寄った。
 そこに置いていた「猫」を掴み、両手で握る。
 初めて公爵に会った時、もらったものだ。
 弾力のあるやわらかさに、少しだけ心が落ち着く。
 
 それを握ったまま、部屋の中を、うろうろした。
 視線は、門のあったほうに向けている。
 どのくらい時間が経ったのか、わからなかった。
 実際には、たいして待っていないのだが、とても長く感じられる。
 
「やはりね」
 
 びくっとして、足を止めた。
 いつの間にか、室内に人がいたのだ。
 その姿に、全身が震える。
 なぜか「良くない者」だと感じていた。
 
 ローブ姿の魔術師。
 
 ローエルハイドに来てから、アシュリーは魔術師への恐怖を忘れている。
 ジョバンニも公爵も、ローブなど着ていない。
 2人は、いつも穏やかで、アシュリーを守ってくれていた。
 だから、魔術師に対する恐怖も、すっかり薄れていたのだ。
 
「あの男には、あなたを隠す癖がある」
 
 魔術師が、小さく笑いながら言う。
 アシュリーには、なにを言われているのか、わからない。
 わからないが、悪意だけは感じ取っていた。
 右手に猫を握り、反対の手をサッと伸ばす。
 
 ガチャンッ!
 
 書き物机の上にあった花瓶が、床に落ちて割れていた。
 屋敷には勤め人たちがいる。
 誰かが物音に気づいてくれるかもしれないと思ったのだ。
 だが、魔術師はニヤニヤしている。
 
「可愛らしい抵抗だ」
 
 廊下から足音は聞こえて来ない。
 魔術師は、彼らにも「なにか」したのだろうか。
 思うと、恐ろしくなってくる。
 
「み、みんなに、なにしたの?」
「彼らには、なにもしていない」
 
 言葉に、少しだけホッとした。
 自分のせいで、みんなが傷つけられるなんて嫌だったのだ。
 ふと、その気持ちに、頭のどこかで、なにかがよぎる。
 それを、アシュリーがつかまえる前に、魔術師が言った。
 
「念のため、塞間そくまを使っておいただけだ。室内の物音も声も、外からは聞こえなくする魔術でね。便利だろう? あなたが叫んでも暴れても、誰も気づかない」
「こ、ここには……」
 
 公爵がいる。
 そして、ジョバンニだって、もうすぐ帰ってくるはずだ。
 簡単に人を攫ったり殺したりすることはできない。
 アシュリーは、転移に「合意」する気はなかった。
 
(人を転移させるのは、物よりも難しいのよ。合意がなければ無理なのだから)
 
 ジョバンニから教わったことを、頭の中で反復する。
 そうすることで、落ち着こうとした。
 けれど、それも、魔術師は鼻で笑い飛ばす。
 
「ローエルハイドは、ここにはいない。でなけりゃ、とっくに現れているはずだ。あの男も、しばらくは帰って来ないよ、お嬢様」
 
 お嬢様。
 
 子爵家にいた頃には、そう呼ばれていた。
 耳慣れた呼ばれかたなのに、またなにかが頭をよぎる。
 じくじくと、こめかみが痛んでいた。
 ひどく不快で、嫌な気持ちになる。
 
 目は開いているのに、見える景色が、ぼんやりと霞んだ。
 薄い茶色をしたものが見える。
 重なって、茶色く濁った白が散らばっていた。
 そこに、落ちていく陽の光が混じる。
 
 『姫様、ここにいてくださいね』
 『お嬢様、ここにいてくださいね』
 
 ジョバンニの声が、重なって聞こえていた。
 魔術師に影響されているのだろうか。
 ジョバンニが「お嬢様」と呼ぶことなんてないのに。
 
「だが、長居は無用だ」
 
 魔術師の姿が消える。
 あ、と思う間もない。
 少し離れていたはずの魔術師が、アシュリーの真正面に立っていた。
 逃げる前に、煙のようなものを吹きかけられる。
 
「あまり魔術を使うと痕を追われる。あまり好みじゃないが、しかたない」
 
 ぼんやりと魔術師の声が聞こえた。
 意識が朦朧としてくる。
 あの煙のせいらしい。
 頭に響いていたジョバンニの声が遠ざかっていく。
 
(……リビーは……無事……? ジョバンニは……帰って、くる……?)
 
 意識が途切れる寸前、アシュリーが考えたのは、その2つ。
 
 2人が無事に門から現れる姿を願っていた。
 そして、安堵するのだ。
 子供扱いでもかまわない。
 ジョバンニに両手を伸ばして、抱っこをせがみたかった。
 
 けれど、その手が伸ばされることはない。
 アシュリーは、意識を手放し、床に倒れる。
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