若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

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背中だけが 3

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 ジョバンニが、ジョバンニだった。
 
 そのことで胸がいっぱいになっている。
 なぜ忘れていたのかを、アシュリーは自覚していない。
 
 あの日、彼女が最後に見たのは、ジョバンニの悲痛な表情だった。
 自分の血ではあったのだが、真っ赤に染まった彼の姿に、誤解をしている。
 彼が死んでしまったと思ったのだ。
 それが、あまりに悲しくて、彼女は記憶からすべてを消し去っている。
 
 早くジョバンニに帰ってきてほしかった。
 思い出したことを話したかったからだ。
 ジョバンニが生きていたとわかり、本当に嬉しかった。
 
 とはいえ、心配して集まってくれた勤め人のみんなを放置することはできない。
 アシュリーは食堂で夕食を取っている。
 街に出て以降、なにも口にしていなかったのだ。
 ジョバンニのことは気掛かりだが、食べながら待つことにした。
 
「ホント、姫様に、なにもなくて良かったですよ」
 
 マークの言葉に、周囲がうなずく。
 アシュリーが食事中も、みんな、テーブルの近くから離れようとせずにいた。
 うっすら、なにかに気づいているのかもしれない。
 リビーは、お互いにさらわれたことについて話してはいないようだったけれども。
 
「買い出しに出てたら、街で風船が爆発したって話を聞いたんで、そりゃあもう、びっくりしましてね」
 
 そう言ったのは、ワットだ。
 だから、何事かあったと気づいたのだろうと、アシュリーは納得する。
 確か、ジョバンニは「ふうせん」が爆発するのは、稀だと話していた。
 たまたまアシュリーが街に出ていた日に「事故」が起こるなんて不自然だ。
 なにかあったと思っても、おかしくはない。
 
「まったく、旦那様も、こんな時にあの女と旅行だなん……」
「マークッ!!」
 
 ミレーヌが大きな声を出す。
 アシュリーは、びっくりしただけだったが、周りは気まずげだ。
 公爵の話を持ち出したマークは、ひどく決まりが悪そうな顔で口を閉じている。
 アシュリーは、きょとんとして首をかしげた。
 
「お2人は、サハシーにでも行かれているの?」
 
 公爵は、高位の貴族だ。
 高位の貴族と言えば、旅行はサハシー。
 そんな思い込みが、アシュリーの中にはある。
 
「あ~……サハシーではないみたいですね」
「そうなのね。ロズウェルドに住んでいるのに、私は観光地を知らないから」
 
 てっきり、そうだと思った。
 と、アシュリーは軽い気持ちで言ったのだけれども。
 
(どうしたのかしら……みんな、顔を見合わせているけれど……)
 
 なにか変なことを言ってしまったのだろうか。
 下位の貴族とはいえ、自分は子爵家の令嬢だ。
 観光くらいしたことがあって当然とも言える。
 そのため、いぶかしがられているのかもしれない。
 アシュリーは、慌てて言い訳を口にした。
 
「お父さまたちが旅行好きで、いつもお屋敷を空けていたの。だから、私が留守を守っていて、それで、あまり外には出ていなかっただけよ。でもね、アドラントに来られたから、普通の旅行をするより、ずっと良かったわ」
「姫様…………」
 
 言い訳が言い訳にならなかったようだ。
 みんな、しんみりしてしまっている。
 だが、そんな中、マークが声を上げた。
 
「アドラントは観光地じゃないすけど、見るとこはたくさんあるんです! 今度、あちこち見て回りましょうよ!」
「そうですね! その時は、僕も馬車を出しますから!」
「食事をご用意して、ピクニックもいたしましょうね!」
 
 急に、みんなが張り切り出す。
 マークもワットもミレーヌも、料理長までもが「それなら自分が腕をふるう」と意気込んでいた。
 
 ここは、あたたかい。
 
 みんなが、こうやってグイグイ来てくれるので、距離を取らずにすむ。
 それに「ピクニック」との響きには、心惹かれるものがあった。
 昔は、ジョバンニと、あの森で、よくピクニックをしていたからだ。
 楽しい光景を想像することで、嫌な記憶が書き換えられていく。
 にっこりして、うなずいた。
 
「お待たせいたしました」
 
 声に、かたんっとイスから立ち上がる。
 一応は、人目を気にして、抱き着くのはやめておいた。
 食堂にジョバンニが入ってくる。
 
 ジョバンニだ、と思った。
 
 髪と目の色は違うけれど、確かに「ジョバンニ」だ。
 思い出してしまえば、見間違えるはずがない。
 持っている雰囲気で、わかる。
 
「みんな、悪いが、私は姫様に少し話しておかなければならないことがあってね」
 
 ジョバンニの言葉に、みんながアシュリーに声をかけながら、それぞれの役割に戻って行った。
 アシュリーもジョバンニと一緒に自室に戻る。
 周りを、きょろきょろしたが、リビーはついて来ていなかった。
 
 リビーには、かつての自分とジョバンニのことを話しておきたい。
 ジョバンニが嫌がらなければ、だけれども。
 
「ジョバンニ、あのね」
「姫様……」
 
 ジョバンニと2人になったら話そうと思っていたことを口に出しかけたのだが、言葉を止める。
 彼の表情が変わっていることに気づいたからだ。
 
「ハインリヒを殺しました」
「え……? え……? あの……えっと……あの……」
「姫様の従兄弟、ハインリヒ・セシエヴィルを、私は殺してきたのです」
 
 あまりの衝撃に、頭が思考を停止させる。
 ジョバンニの赤褐色に変わった瞳を、じっと見つめた。
 働かない頭が、ひとつだけ結果を伝えてくる。
 
 ハインリヒは死んだ。
 
 ジョバンニが殺したらしいが「殺す」ということ自体、アシュリーにとっては、とても非現実的だった。
 彼女の日常からは、遠く離れた場所にある。
 手をくだされる側になったことはあった。
 
 あの夏の日、アシュリーは殺されかけた。
 ジョバンニもだ。
 
 けれど、逆は、なぜか想像すらしたことがない。
 思い出した今でさえ、あの魔術師に復讐したいとは考えてもいなかったのだ。
 
「じょ……ジョバンニ……大好きよ……」
 
 意味がわからない。
 ただ、そう言いたかった。
 
 ジョバンニが、とても悲しい目をしていたからかもしれない。
 人殺しを是とはしていなかったが、それでも彼を抱きしめたくなる。
 怖いとは、少しも思わなかった。
 
「姫様のためではありませんよ? 危険な人物だと判断したので、排除したに過ぎないのです」
 
 理由なんて関係ない、と思う。
 よくわからないけれど、ジョバンニが傷ついている気がするのだ。
 1人ぼっちで立っているように見える。
 
 あの頃、いつも2人は、2人ぼっちだった。
 
 彼は彼女を1人にはしなかったし、彼女も同じ。
 今も、その気持ちは残っている。
 彼を1人にはしたくない。
 自分たちは「いつだって2人」なのだから。
 
「ジョバンニ……大好き……」
 
 アシュリーは、両手を差し出す。
 けれど、ジョバンニは抱きしめ返してはくれない。
 むしろ、1歩、後ろに退がった。
 
「私の汚れた手でふれるべきではないかと。私は、姫様に、そう仰っていただけるような者ではございませんので。どうか……」
 
 スッと、ジョバンニが体を翻し、部屋から出て行く。
 また背中だ。
 
 ジョバンニは、そうやって背中を見せ、自分の元からいなくなる。
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