若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

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若輩と雛は 1

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 彼は、その男の前に、ひょいと姿を現す。
 後ろには、ジョバンニが控えていた。
 彼が魔力を供給しているため、意図的に、ジョバンニには追尾可能にすることができるのだ。
 
 男の名は、カウフマン。
 
 商人なので、姓はない。
 すでに60歳に近いはずだが、そのようには見えなかった。
 もちろん、35歳を越えると、外見には変化が乏しくなるのは知っている。
 だとしても、カウフマンは、異様に若く見えるのだ。
 
 おそらく、薬を使って、外見に手を入れているのだろう。
 髪や目の色を変えるにも、魔術を使う方法と、薬を使う方法とがある。
 魔術ならば、彼の目を欺くことはできない。
 が、薬の場合は、いかに彼をしても、見破れないのだ。
 
 薄い金色の髪に、透明感のある薄い青色の瞳をしている。
 これも、本当の色かどうかは定かではない。
 ゆったりとした真っ赤なローブに近い服を身につけている。
 丈は短く、膝下からは、黒いズボンを履いているのが見えていた。
 
 靴は履いておらず、室内履きだ。
 やわらかそうな茶色い革が足を覆っている。
 全体的に、貴族にしては緩過ぎ、民にすれば豪華に過ぎるといった服装だった。
 いかにも、商人といったナリだと言える。
 
 室内は、不要なほどに豪奢だ。
 どちらを見ても、キラキラと輝く品が置いてある。
 壁には、ずらりと絵画が掛けられていた。
 並んだ棚にも、なにかしら「高価そうな物」が飾ってある。
 
 中央には、長ソファが2脚、向かい合わせで置かれていた。
 その片方に、カウフマンは座っている。
 突然に彼が現れても、驚いた様子はない。
 足を組み、手にした紅茶のカップに口をつけていた。
 
「私を待っていてくれたようだね、カウフマン」
「長らく、お待ちしておりましたよ、公爵様」
「座っても、かまわないかな?」
「そのために空けておいた席にございます」
 
 貴族であれば、間違いなく最初のひと言で冷や汗を流し、縮み上がっている。
 落ち着いた態度には虚勢じみたものはなく、カウフマンの言葉が真実であると告げていた。
 
 カウフマンは待っていたのだ、彼を。
 
 ふぅん、と思う。
 ソファに腰をおろし、彼も「自分で」紅茶を出した。
 湯気の立つそれを、ひと口。
 それから、本題に入る。
 
「きみを、この場で始末できたら、とても気分がいいだろうね」
「そうなさりたいのであれば、ご遠慮なく」
 
 怯えもせず、むしろ、カウフマンは親しみありげな笑みを浮かべた。
 彼の黒い瞳と、正面から視線を交えている。
 その薄い青色の目には、彼とは、まるで異なる類の「人でなし」が宿っていた。
 彼は貴族を好ましく思っていないが、カウフマンには歴然と嫌悪を感じる。
 
「それで?」
「なにも。商売人には、商売人のやりかたがあるというだけの話です」
「力押しの私では、分が悪そうだ」
「まさか。公爵様なら、この屋敷ごと私を消し去ることなど容易いでしょう」
「馬鹿を言っちゃいけないよ。きみを屋敷ごと消し去るなんて考えてはいないさ」
 
 彼は、薄く微笑んだ。
 感情の読み取れないカウフマンの目を見つめて、言う。
 
「だって、ねえ。それでは、ひどくつまらないじゃないか」
 
 パッと、彼の手の中から、紅茶のカップが消えた。
 用件はすでに、すんでいる。
 帰ろうかと思ったのだが、ふと、気になった。
 
「ところで、私に、きみの魔術師を紹介してはくれないのかね? さっきから屋敷の中をうろうろしていて、紹介されたがっているのではないかと思うよ?」
 
 ここに来た時から、屋敷内にあった魔術師の気配には気づいている。
 だが、彼にとって魔術師の存在など、脅威でもなんでもない。
 指摘はせず、放っておくこともできた。
 ただ、なんとなく気になったのだ。
 
 いつも通りではない、ということを無視してはいけない。
 
 それは、曾祖父の言葉らしい。
 数少ない、父から教わった事柄のひとつなので、よく覚えている。
 
「ジェシー、公爵様がお呼びだ」
「あいよ」
 
 ひょいっと、1人の少年が姿を現した。
 彼は、しばし言葉を忘れる。
 
 ブルーグレイの髪と瞳。
 
 わずかに、目を細めた。
 ジェシーと呼ばれた少年は、カウフマンの肩に肘をつき、彼を見ている。
 
「こんばんは、こーしゃくサマ」
「きみは、なかなか優秀そうだ」
「かもね」
 
 少年も、彼を少しも怖がっていない。
 魔術師であるにもかかわらず、だ。
 たいていの魔術師は、彼の力の大きさに否応なく、畏怖を覚える。
 そして、自らを彼の下に置くのだが、少年には、その感覚がないようだった。
 
 彼は、スッと立ち上がる。
 とても大きな収穫があった。
 曾祖父の言葉は正しかったのだ。
 
「もうお帰りになられるのですか?」
「この趣味の悪い部屋に長居をすると考えるだけで、ゾッとしないね」
 
 軽口を叩き、大袈裟に肩をすくめてみせる。
 本音を言えば「ゾッとしている」のだが、それを面には出さずにいる。
 だが、彼の中に、冴え冴えとした冷酷さが湧き始めていた。
 きっぱりとした、むしろ爽やかささえ宿ったような感覚がある。
 
「きみが、どういうことに恐怖や苦痛を感じるか。じっくり考えておくとしよう」
「私ごときを気にかけてくださり、恐縮にございます」
「謙遜することはないさ、カウフマン」
 
 彼は、それ以上の対話は不要と判断し、転移した。
 アドラントの屋敷の私室で、イスに座る。
 すぐに、ジョバンニが姿を現し、足元にひざまずいた。
 
「あれほど気味の悪い男は、なかなかいない」
「我が君の前でも平然としていましたね。あのジェシーという少年も」
「ああ、ジェシーね。ジェシーか」
 
 彼は、小さく笑う。
 ジョバンニは不思議に思っているに違いない。
 彼が、今夜、2人を始末しなかった理由を思いつけずにいる。
 まだまつりごとにはうといからだ。
 
「私を恐れないことが、気味の悪さの要因ではないのだよ。奴には、私を恐れないなりの理由がある。それこそ、気味が悪いのさ」
「我が君の、お力を防ぐ力などないと思われますが……あるのですね?」
「ある」
 
 はっきりとした答えに、ジョバンニが驚いている。
 魔術師としてだけ考えれば、彼らを始末するのが容易いのは事実だ。
 
「これだから、領民を持つなんてのは面倒でいけない。奴はアドラントをかなり侵食している。いや、奴だけのこととするのは、いささか奴の祖に申し訳ないな。70年だよ、きみ。その間に、ああ、本当に気味が悪い」
 
 カウフマンと、その血筋の者が、いったいアドラントに、どれほどいるのか。
 その血脈を、カウフマンの血族は着々と伸ばし、根を張ってきた。
 多くのアドラント領民との間に、自ら子を成してきたのだ。
 アドラントを餌場にするという目的のためだけに。
 
 ジェシーも、その1人だった。
 
 彼には、魔力に関係なく、血脈が見える。
 カウフマンとジェシーは、間違いなく血脈の糸で繋がれていた。
 ジェシーが姿を現したことで、それがえたのだ。
 
「アドラントはロズウェルド本国から、かなりの製品を買い入れている。元々は、本国に対する税代わりに、金を落としてやっていただけだがね。70年も経つと、それはもう依存なのだよ」
 
 ジョバンニも気づいたのだろう、ハッとした表情を浮かべる。
 今夜、カウフマンが少しでも怯えていれば、この予測は成り立たなかった。
 
「奴を殺せば、たちまちアドラントの領民は、飢えに苦しむことになる」
 
 言いながらも、彼は口元を緩める。
 アドラントから、カウフマンの血脈を根こそぎ引き抜いてしまえばいい。
 綺麗に「清掃」をすませたアドラントを、彼は、アシュリーとジョバンニの婚姻祝いにするつもりでいた。
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