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若輩と雛は 2
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アシュリーは、久しぶりに公爵と2人になっている。
ジョバンニとは、すでに「おやすみ」をしていた。
そのあと扉が叩かれたので、ジョバンニかと思ったら公爵だったのだ。
「ジェレミー様は、ひょいっと、お部屋に現れると思っていました」
最初の印象からか、なんとなく扉を叩く、という印象がない。
アシュリーの率直な言葉に、公爵が小さく笑う。
「さすがに婚約者のいる女性の部屋に、いきなり現れるような真似はできないよ。ジョバンニに叱られるからね」
「そういうものですか?」
公爵は、アシュリーとジョバンニを結び付けてくれた人だ。
もとより、自分が公爵の婚約者だと「誤解」していた時も、どこかピンとこないものを感じていた。
アシュリー自身の気持ちの問題もあったかもしれないが、公爵がアシュリーを恋愛の対象とはしていなかったからのように思う。
だから、アシュリーとしては、公爵が、部屋に、ひょいと現れても、いっこうにかまわないのだけれど。
アシュリーはベッドに腰かけていて、その前にあるイスに公爵が座っている。
イスは、魔術で、その場所まで引き寄せられたものだ。
日頃は部屋の端に置いてある。
「その指輪は、ジョバンニのお手製だね」
「ジョバンニは失敗作だって言っていましたけれど、私は気に入っています」
なにかを思い出したように、公爵が小さく笑った。
ジョバンニとは、2つしか違わないのに、ずいぶんと大人に感じる。
けして、ジョバンニが子供っぽいということではなく、公爵が大人なのだろう。
アシュリーにはわからないような経験をたくさんしてきたのかもしれない。
「4年前、あの森に行ったのは、きみを助けるためでね。実はジョバンニのことは助ける気はなかったのだよ」
「そうだったのですか……」
「だが、きみがジョバンニを庇ったのは一目瞭然だった。それに、ジョバンニも、きみを助けようとしていた。おまけに、彼は、とても優秀だったからね」
ジョバンニから聞かされていた「引き離すのが難しい」と、公爵が感じたのは、その辺りが原因だったようだ。
ジョバンニも助けてもらえて良かった、と思う。
でなければ、ジョバンニを忘れっ放しで、今も夢を追いかけていたに違いない。
「治癒の魔術というのは、かなり難易度の高いものなのだよ」
「でも、ジョバンニは、昔から、ちょっとした怪我なら治してくれていました」
「そこさ。彼の優秀なところはね。王宮魔術師でもないのに、独力で治癒の魔術を習得できる者は、そうはいない。しかも、私が魔力を与えたとたん、瀕死のきみを見事に助けたのだからなあ」
そうだったのか、と驚いてしまった。
ジョバンニからは、公爵に助けられた、としか聞いていなかったのだ。
傷を癒やしたのが自分だと、彼は言わなかった。
ほんの少し、アシュリーの胸が痛む。
(ジョバンニが言わなかったのは、私が死にかけたのが自分のせいって思っているからね……私が勝手に飛び出しただけなのに……)
感情というのは、差し引きができるようなものではない。
傷を負わせた責任は自分にあるが、癒したのだから差し引きゼロ、とはならないのだ。
ジョバンニがずっと、そのことを悔やみ続けるのは嫌だと思う。
「いいのだよ、アシュリー。今は、それで。ただ、きみたちは、お互いに知っておく必要がある。きみが傷つけばジョバンニが悲しみ、ジョバンニが傷つけば、きみが悲しむってことをね。とくに彼は、自分の命をないがしろにするきらいがある。ジョバンニ自身の命を粗末にしないように、きみが教えてあげてほしい」
アシュリーは、こくんとうなずいた。
同じことが、自分にも言える。
あの時に見た、ジョバンニの悲痛な顔を覚えていた。
自分になにかあれば、彼は、またあんな顔をするのだ。
「しかしねえ、それほどの魔術の使い手だというのに、生成の魔術にだけは才能がなかったらしい」
しんみりした空気をはらうように、公爵が明るい声で言う。
アシュリーは自分の左手を見て、にっこりした。
ものすごく器用でなんでもできそうなのに、彼には不器用なところがある。
アシュリーが、ジョバンニを、ちょっぴり可愛らしいと思う部分だ。
「攻撃魔術を3つも同時に発動できるのは、王宮の上級魔術師でも少ないのだよ? 生成の魔術のほうが、よほど簡単なはずなのだけれどね」
「苦手、ということですか?」
「優先順位かもしれないな。きみが欲張りで、あれもこれも欲しいってねだれば、上達するのじゃないかな?」
意味がわからず、きょとんとする。
質素倹約を旨としているわけではないが、さほど欲しいものはない。
ジョバンニがいれば、アシュリーは、たいていのことには満足できるからだ。
高価な宝石や綺麗なドレスには、ほとんど興味がなかった。
「つまりね、彼の魔術の腕は、きみのためのものなのさ。いざという時、きみの命を救えるよう、なにかあった時に、きみを守れるように。そこが基準になっているから、生成の魔術の腕が上がらないわけだ。きみには欲がないから」
「それなら、たくさん、おねだりしたほうがいいって気もしますけれど……」
アシュリーは、また指輪に視線を落とす。
右手で、そっとさわってみた。
硬質感がなく、暖かみがある。
「私には難しいかもしれません」
ジョバンニがくれるものであれば、なんでも嬉しい。
それに、この暖かみが、ジョバンニらしいと感じるのだ。
「そうだね。まぁ、それほど必要な魔術ではないさ。彼の場合、必要に駆られれば、自然と腕がついてくるだろう。ほら、きみに告白をした時のようにね」
ふわっと、アシュリーの頬が熱くなる。
嬉しいけれど、気恥ずかしい。
守ってくれなくてもいいとアシュリーが言った時の、ジョバンニの顔が浮かぶ。
見たこともないくらい、必死、という表情だった。
「ジョバンニでも、あんな顔をするんだなぁって思いました」
「大人になろうが、平気でいられないことはあるのだよ」
ほんの少し、公爵の表情が揺らいだ気がする。
微笑んでいるのに、寂しそうに見えた。
「いくつになっても、愛というものには、振り回されずにいられない」
スッと、また雰囲気が変わる。
もう寂しそうには見えなくなっていた。
時折、アシュリーは、公爵の感情が見えた気になるのだが、いつも一瞬だ。
すぐにかき消えてしまう。
「アシュリー」
公爵が、アシュリーの手を握ってきた。
「きみから、ジョバンニを奪うようなことはしないと約束する」
なんとなく気づく。
これから「なにか」あるのだ。
それも、大きな出来事になるに違いない。
「わかっています。ジェレミー様は、私を大事にしてくださっていますから」
なにがあるのかは、わからないし、想像もつかなかった。
それでも、公爵は、できない約束はしないと、信じている。
こうして話してくれているのは、アシュリーを尊重してくれているからだ。
隠して動くことなど、公爵にとっては簡単なはずだから。
「でも、ジェレミー様も、ご自分を大事になさってくださいね。命を助けていただいたからではなくて、ジョバンニも私も、ジェレミー様のことが大好きなので」
アシュリーは、誰かと誰かを天秤にかけ、どちらかを選ばなければならないことがあると知っている。
ハインリヒの時に、思い知った。
だとしても、ジョバンニを救うために公爵が命を落とすようなことがあれば、2人で悲しみ続けるだろう。
「そうだな。きみたちの婚姻をみとどける責任もあるし、それなりに長生きするように努力をしよう」
公爵はアシュリーの手を離して、立ち上がった。
イスが勝手に、元の場所に戻る。
「ジョバンニに見つかってしまったようだ。叱られる前に退散するよ」
言うなり、今度は、ひょいっと姿を消した。
入れ違いに、ジョバンニが姿を現す。
「……逃げられましたか」
「ジェレミー様は、ふいっと姿を消してしまわれるかただもの」
ジョバンニが少し悔しそうな顔をしているのを見て、くすくすと笑った。
こういう日々を守るために、きっと、公爵は「戦う」のだろう。
アシュリーは、自分自身の言葉を思い出していた。
『ジョバンニと私で、ジェレミー様を守ってさしあげるのよ』
ジョバンニとは、すでに「おやすみ」をしていた。
そのあと扉が叩かれたので、ジョバンニかと思ったら公爵だったのだ。
「ジェレミー様は、ひょいっと、お部屋に現れると思っていました」
最初の印象からか、なんとなく扉を叩く、という印象がない。
アシュリーの率直な言葉に、公爵が小さく笑う。
「さすがに婚約者のいる女性の部屋に、いきなり現れるような真似はできないよ。ジョバンニに叱られるからね」
「そういうものですか?」
公爵は、アシュリーとジョバンニを結び付けてくれた人だ。
もとより、自分が公爵の婚約者だと「誤解」していた時も、どこかピンとこないものを感じていた。
アシュリー自身の気持ちの問題もあったかもしれないが、公爵がアシュリーを恋愛の対象とはしていなかったからのように思う。
だから、アシュリーとしては、公爵が、部屋に、ひょいと現れても、いっこうにかまわないのだけれど。
アシュリーはベッドに腰かけていて、その前にあるイスに公爵が座っている。
イスは、魔術で、その場所まで引き寄せられたものだ。
日頃は部屋の端に置いてある。
「その指輪は、ジョバンニのお手製だね」
「ジョバンニは失敗作だって言っていましたけれど、私は気に入っています」
なにかを思い出したように、公爵が小さく笑った。
ジョバンニとは、2つしか違わないのに、ずいぶんと大人に感じる。
けして、ジョバンニが子供っぽいということではなく、公爵が大人なのだろう。
アシュリーにはわからないような経験をたくさんしてきたのかもしれない。
「4年前、あの森に行ったのは、きみを助けるためでね。実はジョバンニのことは助ける気はなかったのだよ」
「そうだったのですか……」
「だが、きみがジョバンニを庇ったのは一目瞭然だった。それに、ジョバンニも、きみを助けようとしていた。おまけに、彼は、とても優秀だったからね」
ジョバンニから聞かされていた「引き離すのが難しい」と、公爵が感じたのは、その辺りが原因だったようだ。
ジョバンニも助けてもらえて良かった、と思う。
でなければ、ジョバンニを忘れっ放しで、今も夢を追いかけていたに違いない。
「治癒の魔術というのは、かなり難易度の高いものなのだよ」
「でも、ジョバンニは、昔から、ちょっとした怪我なら治してくれていました」
「そこさ。彼の優秀なところはね。王宮魔術師でもないのに、独力で治癒の魔術を習得できる者は、そうはいない。しかも、私が魔力を与えたとたん、瀕死のきみを見事に助けたのだからなあ」
そうだったのか、と驚いてしまった。
ジョバンニからは、公爵に助けられた、としか聞いていなかったのだ。
傷を癒やしたのが自分だと、彼は言わなかった。
ほんの少し、アシュリーの胸が痛む。
(ジョバンニが言わなかったのは、私が死にかけたのが自分のせいって思っているからね……私が勝手に飛び出しただけなのに……)
感情というのは、差し引きができるようなものではない。
傷を負わせた責任は自分にあるが、癒したのだから差し引きゼロ、とはならないのだ。
ジョバンニがずっと、そのことを悔やみ続けるのは嫌だと思う。
「いいのだよ、アシュリー。今は、それで。ただ、きみたちは、お互いに知っておく必要がある。きみが傷つけばジョバンニが悲しみ、ジョバンニが傷つけば、きみが悲しむってことをね。とくに彼は、自分の命をないがしろにするきらいがある。ジョバンニ自身の命を粗末にしないように、きみが教えてあげてほしい」
アシュリーは、こくんとうなずいた。
同じことが、自分にも言える。
あの時に見た、ジョバンニの悲痛な顔を覚えていた。
自分になにかあれば、彼は、またあんな顔をするのだ。
「しかしねえ、それほどの魔術の使い手だというのに、生成の魔術にだけは才能がなかったらしい」
しんみりした空気をはらうように、公爵が明るい声で言う。
アシュリーは自分の左手を見て、にっこりした。
ものすごく器用でなんでもできそうなのに、彼には不器用なところがある。
アシュリーが、ジョバンニを、ちょっぴり可愛らしいと思う部分だ。
「攻撃魔術を3つも同時に発動できるのは、王宮の上級魔術師でも少ないのだよ? 生成の魔術のほうが、よほど簡単なはずなのだけれどね」
「苦手、ということですか?」
「優先順位かもしれないな。きみが欲張りで、あれもこれも欲しいってねだれば、上達するのじゃないかな?」
意味がわからず、きょとんとする。
質素倹約を旨としているわけではないが、さほど欲しいものはない。
ジョバンニがいれば、アシュリーは、たいていのことには満足できるからだ。
高価な宝石や綺麗なドレスには、ほとんど興味がなかった。
「つまりね、彼の魔術の腕は、きみのためのものなのさ。いざという時、きみの命を救えるよう、なにかあった時に、きみを守れるように。そこが基準になっているから、生成の魔術の腕が上がらないわけだ。きみには欲がないから」
「それなら、たくさん、おねだりしたほうがいいって気もしますけれど……」
アシュリーは、また指輪に視線を落とす。
右手で、そっとさわってみた。
硬質感がなく、暖かみがある。
「私には難しいかもしれません」
ジョバンニがくれるものであれば、なんでも嬉しい。
それに、この暖かみが、ジョバンニらしいと感じるのだ。
「そうだね。まぁ、それほど必要な魔術ではないさ。彼の場合、必要に駆られれば、自然と腕がついてくるだろう。ほら、きみに告白をした時のようにね」
ふわっと、アシュリーの頬が熱くなる。
嬉しいけれど、気恥ずかしい。
守ってくれなくてもいいとアシュリーが言った時の、ジョバンニの顔が浮かぶ。
見たこともないくらい、必死、という表情だった。
「ジョバンニでも、あんな顔をするんだなぁって思いました」
「大人になろうが、平気でいられないことはあるのだよ」
ほんの少し、公爵の表情が揺らいだ気がする。
微笑んでいるのに、寂しそうに見えた。
「いくつになっても、愛というものには、振り回されずにいられない」
スッと、また雰囲気が変わる。
もう寂しそうには見えなくなっていた。
時折、アシュリーは、公爵の感情が見えた気になるのだが、いつも一瞬だ。
すぐにかき消えてしまう。
「アシュリー」
公爵が、アシュリーの手を握ってきた。
「きみから、ジョバンニを奪うようなことはしないと約束する」
なんとなく気づく。
これから「なにか」あるのだ。
それも、大きな出来事になるに違いない。
「わかっています。ジェレミー様は、私を大事にしてくださっていますから」
なにがあるのかは、わからないし、想像もつかなかった。
それでも、公爵は、できない約束はしないと、信じている。
こうして話してくれているのは、アシュリーを尊重してくれているからだ。
隠して動くことなど、公爵にとっては簡単なはずだから。
「でも、ジェレミー様も、ご自分を大事になさってくださいね。命を助けていただいたからではなくて、ジョバンニも私も、ジェレミー様のことが大好きなので」
アシュリーは、誰かと誰かを天秤にかけ、どちらかを選ばなければならないことがあると知っている。
ハインリヒの時に、思い知った。
だとしても、ジョバンニを救うために公爵が命を落とすようなことがあれば、2人で悲しみ続けるだろう。
「そうだな。きみたちの婚姻をみとどける責任もあるし、それなりに長生きするように努力をしよう」
公爵はアシュリーの手を離して、立ち上がった。
イスが勝手に、元の場所に戻る。
「ジョバンニに見つかってしまったようだ。叱られる前に退散するよ」
言うなり、今度は、ひょいっと姿を消した。
入れ違いに、ジョバンニが姿を現す。
「……逃げられましたか」
「ジェレミー様は、ふいっと姿を消してしまわれるかただもの」
ジョバンニが少し悔しそうな顔をしているのを見て、くすくすと笑った。
こういう日々を守るために、きっと、公爵は「戦う」のだろう。
アシュリーは、自分自身の言葉を思い出していた。
『ジョバンニと私で、ジェレミー様を守ってさしあげるのよ』
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