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若輩と雛は 3
しおりを挟む「ここに座って、ジョバンニ」
「……はい」
アシュリーは、ベッドの端に腰かけている。
その隣を、ぽんぽんと叩かれた。
少し距離を取って、隣に座る。
「ジェレミー様と、なにかするの?」
「おそらく」
公爵と話をして、アシュリーにも感じるところがあったらしい。
少し心配そうではある。
だが、不安になっている、といったふうではなかった。
子供だから物事がわかっていない、というのとも違う。
「ですが、すぐに、というわけではないですね」
公爵の予測は正しいのだ。
カウフマンを殺せばすむ、という話ではない。
だとすれば、アドラント領内を、まずどうにかする必要がある。
それには、ある程度の時間がかかるだろう。
ジョバンニも知っていた。
アドラントは、本国から食糧を大量に買い付けている。
現在、領民が口にしている食料品の約6割近くにまでなっていた。
もしカウフマンを殺し、商人を敵にすれば取引が滞る。
というより、そのようにカウフマンが手を回しているに違いない。
あの余裕は、そこからきている。
カウフマンには自らが殺されないという「絶対の理由」があった。
こちらは、アドラントの全領民を人質に取られているようなものなのだ。
商人のやり口に対し、アドラントは本国を頼れない。
法治外であることを、逆手に取られている。
カウフマンは、法を変えたがっているようだが、その布石でもあるのだろう。
本国を頼りたいのであれば法を変えるしかない、とローエルハイドに突き付けている。
「私ね。人を殺すというのが、どういうことか、未だに、よくわかっていないの。なぜそうなるのか、そうしなければならないのか」
「そのようなことを、お嬢様が、お考えになられる必要はありません」
実際に、手をくだすのは、公爵であり、自分だ。
できれば、アシュリーには知らずにいてほしい。
隠せる部分は隠しておきたかった。
国と国ではないにしても、これはローエルハイドと商人との戦争なのだ。
どのくらい人が死ぬかもわからない。
少なくない数が予想される。
知れば、アシュリーの心に負担をかけるのは明白だ。
彼女は、まだ14歳であり、それほどの責任を共有させるべき相手ではない。
「でも、考えておかなくちゃいけないと思う。ジョバンニも関わるのよ? 私だけ知らない顔をして、幸せをもらうわけにはいかないもの」
しっかりとした口調で、アシュリーが言う。
まっすぐな瞳で、ジョバンニを見ていた。
「ヘンリーのことを考えていたの」
言葉を止め、彼女は、わずかに唇を噛んだ。
決意じみた雰囲気が、アシュリーから感じられる。
「あの時、私は、まだ小さくて、ジョバンニの前に飛び出すことしかできなかったけど。今なら、どうするだろうって。私は、ジョバンニに死んでほしくないわ。でも、私が死んだら? ジョバンニは悲しむのじゃないかって……」
「当然です。お嬢様を失うなど……私は……」
彼女を守るために力を手に入れた。
命を救える自分でありたいと思ったからだ。
アシュリーに対する想いを自覚してからは、なおさらだった。
彼女を失ったら、自分がどうなるか、わからない。
「そうなると……私も戦わなくちゃって……思う。もちろん、私は魔術師ではないから、ちっとも戦力?にならないのは、わかっているわ。それでも、私の守りたいものは、とても単純だから」
アシュリーが、そっと手を伸ばし、ジョバンニの手に重ねる。
ジョバンニは体をアシュリーのほうへと向け、その手を握った。
自分よりも、ずっと小さな手だ。
だが、いつしか自分を支えてくれる手になっている。
「ジェレミー様は、ジョバンニが人を殺すことになるだろうって、仰っていたの。ご自分の指示で、ってね」
ジョバンニは、アシュリーの言いたいことが、わかってきた。
彼と彼女は、2人ぼっち。
とはいえ「2人」でもある。
「ジェレミー様に、すべてを押しつけるのはどうかって思わない? だって、私が幸せなのはジョバンニといられるからだもの」
「そうですね。旦那様は……私より過保護なのかもしれません」
「ジェレミー様は意味のないことはしない。そうでしょう?」
きっと公爵は否定するに違いない。
それでも、ジョバンニは思うのだ。
公爵の力は、守るための力だ、と。
事実、アシュリーを守ってくれている。
未熟さからジョバンニが見落としているところまで、目を光らせてくれていた。
おかげで、今、彼女と2人でいられる。
ジョバンニの主は、容赦がなく、冷酷だ。
同時に、自らの手の中にあるものだけは、必ず守ろうとする人だった。
「どちらかしか守れない時があるわよね? どちらかを選ばなくちゃいけないことだって……私は、ジョバンニと同じ。ジェレミー様の味方をしたいわ」
握った手を引き、ジョバンニはアシュリーを抱きしめる。
彼女の体は、小さく震えていた。
けれど、ローエルハイドを離れるとの選択肢を、彼女は選ばない。
ジョバンニも同じなので、わかる。
「私がいます。けして、お嬢様を1人にはしません」
ぎゅっと抱きしめ返してくるアシュリーの力が、以前より強くなっていた。
少しずつ、彼女は大人へと成長している。
体も、心も。
「お嬢様と私が、旦那様を1人にはしないようにしましょう」
「そうね。1人で戦うなんて、寂しいもの」
言ったあと、アシュリーが、パッと顔を上げた。
なにか思いついたように、首をかしげている。
「サマンサ様はどうかしら?」
「彼女がどうかしたのですか?」
「サマンサ様は、ジェレミー様の味方をしてくださる?」
ジョバンニは、しばし考えた。
サマンサが公爵の味方をする様子が思い浮かばない。
そして、それを公爵が望む姿も想像できなかった。
確かに、身近にいる女性ではあるけれども。
「どうでしょう……お2人は、あまり相性がいいとは言い難いので……」
「そうかしら? ジェレミー様は、サマンサ様を気に入っておられるのに」
「彼女が、旦那様を怒らせるほどの女性であれば見込みはあるかもしれませんが」
「なぜ、気に入っている女性を怒るの?」
「いえ、旦那様が笑っておられるうちは、少しも本気ではないからです」
アシュリーが顔をあげ、目を見開いている。
驚く気持ちもわかる気がした。
ジョバンニの主は、とても複雑な心の持ち主なのだ。
感情が大きく揺らぐことはなく、常に淡々としている。
笑うことはあっても、怒りを露わにしたことはない。
好ましくない貴族を軽くいなし、わずかな威圧で相手を思うままにする。
嘘はつかないが、本音も語らない。
公爵が怒ることがあるとすれば、それはただひとつ。
愛に関わることだけだ。
ジョバンニには、サマンサが、公爵の「たった1人」に成りえるとは思えない。
親しくなれる可能性はあるかもしれないが、そこまでという気がする。
「残念ね。お2人は、お似合いだと思ったのに」
「味方が多いほうがいいのは確かですけれどね」
サマンサは、ティンザーの娘だ。
味方になってくれるとありがたいが、いつまで留まるかも決まっていない。
万が一に備えるには、不確定要素は排除するべきだろう。
「少なくとも、私たちは味方をする。それでよろしいですか、お嬢様?」
「え、ええ……いいわ」
アシュリーが、なぜか頬を赤らめていた。
首をかしげるジョバンニに、彼女が恥ずかしそうに、言う。
「……気づいてる? 今、ジョバンニは、“私たち”って、言ったのよ?」
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