若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

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若輩と雛は 4

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 アシュリーは忙しい毎日をおくっている。
 初めてアドラントに来てから半年が経とうとしていた。
 もうすぐ年が明ける。
 子爵家以外で初めて迎える、新しい年になるのだ。
 
 ジョバンニも、あれから忙しくしていた。
 執事として指示出しや確認はしていたが、屋敷を空けることも多い。
 来るべき日のために備えている。
 それでも、夜にはアシュリーの部屋を必ず訪ねてくれていた。
 
 たいていは、他愛もないことを話す。
 時々は「ねだって」生成の魔術を見せてもらったりしていた。
 アシュリーの私室の書き物机には、おかしな置物が増えている。
 生成の魔術を、未だジョバンニは苦手としていた。
 
 実のところ、アシュリーは、彼の恥ずかしそうな困ったような表情を見るのが好きなのだ。
 とはいえ、それは内緒にしている。
 自分もジョバンニに「内緒」ができたと、ちょっぴり大人になった気がした。
 
「年明け前に掃除をするのが普通なの?」
 
 窓拭きをしながら、リビーに訊いた。
 高い場所を拭いていたリビーが、アシュリーのほうに顔を向ける。
 片手を動かしつつ、器用に肩をすくめていた。
 
「いいえ、ローエルハイドの伝統というだけだと思います」
「そうなのね。子爵家では、こういうことをしていた覚えがなかったから」
 
 ローエルハイドで働くようになり、子爵家がいかに「杜撰ずさん」だったかに、気づかされている。
 ローエルハイドの伝統という以外の、普通にやっていて当然のこともできていなかったのだ。
 子爵家の勤め人たちは「手を抜いて」ばかりいたらしい。
 
(ジェレミー様の仰っておられた通り、体験するって大事なことね。侯爵家では、ああいうふうにならないように頑張らないと)
 
 アシュリーは、将来のことを考えて「備え」始めている。
 ただ守ってもらうだけの存在から脱しようとしていた。
 侯爵家についても、そうだ。
 しっかり切り盛りしなければ、ジョバンニに恥をかかせる。
 そう思って、今できる、ひとつひとつの仕事に精を出していた。
 
「リビー、ちょっといいかね?」
 
 ジョバンニだ、と思って、パッと振り向く。
 今朝も出かけていたので、夜まで会えないはずだった。
 そのため、反射的に体が動いている。
 
「姫様……っ……」
 
 リビーの声が聞こえた。
 あ…と、思う。
 窓に立てかけていた梯子が倒れていた。
 その梯子に立っていたアシュリーの体も、後ろに倒れる。
 
 とん。
 
 ばったーんっと音がしたのは、梯子が床に倒れたからだ。
 とはいえ、アシュリーは、なんともない。
 ジョバンニに抱きかかえられている。
 かあっと顔が熱くなった。
 
 少し大人になったと感じていただけに、恥ずかしくて、いたたまれない。
 もっと慎重にならなければならないのだろうけれど、ジョバンニに対してだけは「うっかり」が多いのだ。
 
「大丈夫ですか?」
「へ、平気。あの、ジョバンニ……もうおろして……」
 
 恥ずかしくて小声で言うアシュリーを、ジョバンニは不思議そうに見ている。
 こういうところが、おそらくサマンサに「野暮」と言われる原因だろう。
 部屋では、隣に座る時も距離を取っているというのに、抱き上げることには、なんら躊躇がない。
 
「いえ、このままで」
「え?」
 
 アシュリーから視線を外して、ジョバンニがリビーを見上げて言った。
 
「少しの間、姫様をお借りしていいかな?」
「ジョバンニ、年明け前の大掃除で、みんな、忙しいのよ?」
「姫様、どうぞ行ってらしてください。ここは大丈夫ですから」
「でも、リビー」
「1日中、ジョバンニにまとわりつかれると、仕事になりませんよ?」
 
 今日も、リビーは切れ味が鋭い。
 ジョバンニが苦笑いを浮かべている。
 けれど、アシュリーにはわかっていた。
 そういうふうに言うことで、リビーは、アシュリーが負担に感じないようにしてくれているのだ。
 
「わかったわ。少しだけ出てくるけれど、私のところは残しておいてね」
「かしこまりました。あとで、一緒に仕上げてしまいましょう」
「それでは、少しだけ出かけてくるよ」
「はいはい。いってらっしゃいませ、ご当主様」
 
 リビーは、侯爵家で働くことが決まっている。
 勤め人の何人かは、ついてくることになりそうだった。
 人員の配置は全面的にジョバンニが任されていて、選任の際には大いに揉めたらしいけれど、それはともかく。
 
 ジョバンニが、点門てんもんを開き、門を抜ける。
 初めて来る場所だった。
 気づくと、アシュリーの体にフカフカした毛皮の外套がかけられている。
 そういえば、ローエルハイドの屋敷とは違い、外気の冷たさを感じた。
 
「ここって、もしかして……」
「はい。私の……私たちの屋敷にございます」
 
 ジョバンニは答えつつ、そうっとアシュリーを地面に降ろす。
 思っていたよりも大きい。
 ローエルハイドの屋敷を見た時とは違う驚きがあった。
 ここが「自分たちの屋敷」ということに驚いている。
 
「ですが……申し訳ありません。まだ、邸内は、お見せできる状態ではありませんので、庭のほうをご案内いたします」
「そんなに、中は大変なことになっているの?」
「大変なことになっておりました……」
 
 ジョバンニが屋敷に手を入れ始めてから、あまり時間が経っていない。
 ほかにもすることが山積みなので、なかなか進まないのだろう。
 それでも、庭だけは整理したようだ。
 アシュリーはジョバンニの手を握る。
 
「それなら、庭を見せて」
 
 ジョバンニが少し気恥ずかしそうにしながら、手を握り返してきた。
 しっかりと繋いで歩き出す。
 
「寒くはありませんか? ここはまだ魔術道具が揃っていないので、温度の調節ができていないのです」
「平気よ。こんなに、ふかふかの外套を着ているもの」
 
 それに、ジョバンニの手も暖かい。
 しばらく歩いたのち、アシュリーは、パッと目を輝かせた。
 そして、隣に立つジョバンニを見上げる。
 
「スナップドラゴンの赤い花!」
「ちょうど、今朝、咲いたばかりです。お嬢様にお見せしたくて」
 
 4年前の約束を、ジョバンニは覚えていてくれたのだ。
 嬉しくなって、抱き着く。
 
「やっと一緒に見られた! ジョバンニ、大好き! 愛しているわ」
「私も、お嬢……」
「ダメ! ジョバンニも私を名で呼んで、ちゃんと言って!」
「…………あ……アシュ……アシュリー……様を……愛しています」
 
 アシュリーは、パッと顔を上げる。
 ジョバンニは、首まで赤くなっていた。
 どうせなら「様」も取ってほしいが、これ以上は無理そうだ。
 自分が少しずつしか大人になれないように、ジョバンニにも難しいことはあるのだろう。
 
 思いつつも、もうちょっとだけと、欲張りになる。
 アシュリーは顔を少し上げて、目を伏せた。
 ジョバンニからの口づけを待っている。
 
 ちゅ。
 
 ぱちりと目を開いた。
 ジョバンニが、ものすごく困った顔をしている。
 
「どうして額なの?」
 
 自分たちは婚約していて、もう大人と呼ばれる歳でもあるのだ。
 口づけを交わしてもいいはずなのに、とアシュリーは思う。
 ジョバンニが、アシュリーを穏やかな瞳に映していた。
 愛おしいとの気持ちがいっぱい詰まったような視線に、胸が高鳴る。
 
 愛が増えていくにつれて、欲張りになってしまうらしいけれど。
 きっと自分たちには、自分たちの歩む速度があるのだ、と思えた。
 彼も、それを感じているに違いない。
 額への口づけに納得しているアシュリーに、ジョバンニがにっこりして言う。
 
「私は、まだまだ若輩の身にございまして、今しばらくお待ちいただければと」
 
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