いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
67 / 300
第1章 彼女の言葉はわからない

悩みつつ進みつつ 3

しおりを挟む
 フィッツは、テントの横に座っている。
 カサンドラが眠っている姿を、視聴覚情報から得ていた。
 テントには皇宮に仕掛けたものと同じ装置をつけている。
 なので、外にいてもカサンドラの姿は見えるのだ。
 
 『あのさぁ、フィッツ』
 
 彼女は、よくそう呼びかけてくる。
 けれど、それは最近になってからのことだった。
 皇宮にいたのは2年半。
 その間、カサンドラは、ほとんどフィッツを呼んでいない。
 
 話しかけてくることはなかったし、なにかを聞かれることもなかった。
 命令されたこともない。
 フィッツが話しかけると、返事はしてくれる。
 ただ、その大半は、うなずくか首を横に振るか。
 
(姫様は別人になったと言っていた。女王陛下が亡くなられたのが原因だろうか)
 
 少し前まで、考えたこともなかった。
 別人だろうが、カサンドラはカサンドラだ。
 ヴェスキルの血の継承者であることは変わらない。
 フィッツにとって重要なのは、それだけだった。
 
 なのに、近頃、自分でも自分の感覚がうまく掴めなくなる。
 カサンドラがなにを思い、どう考えているのかが気になるのだ。
 きっかけは、おそらく「死ぬな」と言われたことだろう。
 その言葉により、フィッツの中に矛盾が生まれた。
 
 ティニカの価値観とは違う。
 けれど、同じものでもある。
 
 死ねば、ティニカの使命をまっとうできなくなると気づいた。
 それでも、カサンドラの命を守るためなら、死もいとわない。
 矛盾した想いだ。
 
(姫様は……私がいないと困る、と言う……)
 
 それも考えたことがなかった。
 自分が死ねば、カサンドラを守れなくなる、と知ったものの、それで彼女が困るとは思わなかったからだ。
 
 ヴェスキルの血を持つという以上に、カサンドラには力がある。
 
 ラーザの技術で賄っているフィッツとは、まったく異なる能力だった。
 カサンドラの力に比べれば、自分の力など足元にも及ばない。
 帝国でもどこでも、彼女を止められる者はいないのだ。
 
 知っているからこそ、フィッツはすがりついた。
 置いて行かないでくれと頼んだ。
 
 だから、いくら考えても、カサンドラが困る理由がわからずにいる。
 
 困ることなんて、なにひとつないと思えてならない。
 せめて足手まといにならないようにしようと必死にならずにはおられないほど、カサンドラは1人でやっていけるのだ。
 カサンドラを守るとしながらも、その実、彼女が守られてくれているに過ぎないのだとわかっている。
 
 『フィッツだけなんだしさ。ちゃんと守ってよ』
 
 そう言って、カサンドラは笑った。
 思い出すと、なんだか胸の奥が、ぽっぽっと暖かくなる。
 不思議な感覚だ。
 カサンドラの「役に立てている」のが嬉しいはずなのに、そういうものとは違う気がする。
 
(女王陛下は、困ってはいなかったようだが)
 
 フィッツが2人の元を訪れた時、女王のそばに「ティニカ」はいなかったのだ。
 身ごもった女王がラーザを離れる際、命を落としたらしい。
 詳しい話は知らないし、当時のフィッツにはどうでもよかった。
 フィッツが守るべきはカサンドラであって、女王ではなかったからだ。
 
 ティニカで作られる「フィッツのような者」は、1人のあるじにしか仕えない。
 そうでなければ、主を守り切れないと教わっている。
 どちらかを選ぶ必要ができた時、迷いが生じるのをけるためだという。
 ティニカは、淡々と「ヴェスキルの血」の継承を守り続ける存在なのだ。
 
 女王も、ティニカの存在理由を承知していた。
 だから、フィッツが、常にカサンドラを優先しても、叱責されたことはない。
 ラーザの民なら、誰でもが知っている。
 その命が「誰のためのもの」であるのかを。
 
 薄い金色の髪と瞳。
 
 一見、どこにでもいそうに見えるが、ラーザの民が見れば一目瞭然。
 ティニカだとわかる。
 アイシャが戦車試合に志願したのも、フィッツが「ティニカ」だと気づいたからだろう。
 ルディカーンに呼び出された訓練場に、アイシャもいたのだ。
 
(姫様に、お子ができても、私は姫様をお守りする。すでにティニカは、次の者を作っているはずだ。しかし、姫様は皇太子とは婚姻しないと決めている)
 
 では、次のヴェスキルの継承はどうなるのか。
 今後、誰かと婚姻して子をもうけるのか。
 それとも、女王のように婚姻せずに、子をもうけるのか。
 
 思考が、そこで止まる。
 じわりと、なにか「嫌」な感じがした。
 強制的に、フィッツは考えるのをやめる。
 なぜか、その先は、考えてはいけないと感じたのだ。
 
 考えたくない、という気持ちを、フィッツは知らない。
 
 守るべき主のため、なにが最善かを考え続ける。
 思考の中断は、許されないのだ。
 一瞬の空白が、危険の入り込む余地を与える。
 そう教わり、忠実に実行してきた。
 
 今までは。
 
 ふっと、中断させていた思考が動き出す。
 カサンドラが眠っているのは確認済みだ。
 
「どうした?」
 
 アイシャが戻ってきたのを察した。
 付近の警護をしているはずなのに、戻ったということには理由がある。
 戻らなければならなかった、という理由が。
 
 スっと、音もなくアイシャが姿を現した。
 アイシャはラーザの守護騎士として育てられている。
 ジュポナでは、一般的な騎士を演じていただろうが、今は、その必要はない。
 エガルベの騎士だと証できる程度には、身のこなしにも長けていた。
 
「姫様は、お休み中だ。静かに話せ」
 
 アイシャが、フィッツの前にひざまく。
 ラーザの民はヴェスキルの元にあり、ティニカは、その民の象徴でもある。
 だから、少しの猜疑心もいだかず、出された命令に従うのだ。
 
「は。先ほど、ザフイより伝令がまいりました。皇太子の軍の半数はビーンツに向かっておりますが、皇太子自身はリュドサイオ本国に向かったそうです」
「そうか」
 
 予想はしていた。
 皇太子は、カサンドラ曰く「井戸の中の蛙」らしいが、物事を俯瞰して見る能力には優れている。
 騎士とは違い、足元だけを見て前に進んだりはしない。
 
「いかがいたしますか?」
 
 アイシャの声には、わずかな緊張が含まれていた。
 フィッツも思考を巡らせている。
 
 侵攻前のラーザの人口は、およそ5万。
 散り散りになる過程で減ったとしても、それほど多くはないはずだ。
 赤ん坊や乳幼児、それに付随する「戦えない者」を差し引いても3万人か、それ以上に動かせる者たちはいる。
 
 ラーザの民は、帝国の上級騎士より強い。
 フィッツのように単独で戦うのではなく、十人程度の分隊で連携して戦う。
 ラーザの民が3万もいれば、帝国20万の軍とやりあっても勝算はあった。
 カサンドラの名で呼びかけることで、すぐにも集結するはずだ。
 
 フィッツには、招集用の手立てもある。
 
 それに、アイシャもいるので、フィッツ自ら招集しなくても連絡は取れるのだ。
 ザフイから伝令が来たのと同じルートを、アイシャに辿らせればいい。
 そこから、各地に散らばったラーザの民に情報が伝わる。
 
 相手が皇太子ともなれば、確実な手を使うことを考える必要があった。
 リュドサイオはアトゥリノとは違い、大勢の騎士を輩出している国だ。
 現状、少人数で動いていても、リュドサイオ本国に皇太子が入れば、いくらでも軍を調達できる。
 
 それを考えれば、ラーザの民を動員するのが最善だと言えた。
 たとえ全滅したとしても、カサンドラ1人を逃がすことくらいはできる。
 そして、ラーザの民は、誰ひとり、死を恐れはしない。
 カサンドラの命を繋げるのであれば、自らの死を「犠牲」とは捉えないからだ。
 
「リュドサイオ本国は早々に抜け、ネセリックに行く」
「しかし、追いつかれる可能性が……」
「リュドサイオにいるラーザの民に、それとなく噂を流させろ。西方面に向かったと思わせればいい」
「かしこまりました」
 
 アイシャは、不思議に思ったかもしれない。
 だが、疑念を持つことはないだろう。
 フィッツは「ティニカ」なのだから。
 
(ラーザの民に招集をかけるのが最善……だが、犠牲は免れない)
 
 すやりと眠っているカサンドラの姿に、フィッツは「最善」を放棄した。
 彼女の意思を優先したのだ。
 人を殺すなという言葉の意図は、敵味方で区別されるものではない、と思う。
 
 犠牲が出る方法を、彼女は好まない。
 
 自分の判断が「最善」ではないと、フィッツには、わかっていた。
 けれど、この判断が「正しい」と知っている。
 
「夜が明けたら、すぐに出立する。それまで警護を続けていろ」
 
 言葉の終わりと同時に、アイシャの気配が消えた。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます

楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。 伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。 そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。 「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」 神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。 「お話はもうよろしいかしら?」 王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。 ※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi(がっち)
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

赤貧令嬢の借金返済契約

夏菜しの
恋愛
 大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。  いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。  クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。  王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。  彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。  それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。  赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。

処理中です...