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第1章 彼女の言葉はわからない
悩みつつ進みつつ 4
しおりを挟む「いらないところで、鼻が利く奴だなぁ」
夜明けとともに、移動を開始。
道中、フィッツから状況を聞いている。
皇太子が連れていた軍は、反対方向のビーンツという国に向かったらしい。
が、皇太子一行は、着実に追いかけて来ているとのこと。
「皇太子が、なにか姫様に仕掛けをしていたのですか?」
「いや、そういうことじゃなくて、まぁ、うん、勘が良いと思ったんだよ」
フィッツと並んで歩いている。
その後ろから、アイシャがついて来ていた。
少し振り向いて、アイシャに聞いてみる。
「ザフイの宿屋の人たちは大丈夫そう? 疑われてない?」
「はい。上手くやり過ごしておりますので、ご心配には及びません」
アイシャには、直接、話すことを許していた。
いちいちフィッツを挟んで話すのが面倒になったからだ。
身の回りの世話をしてくれるようになり、アイシャとも少し打ち解けている。
まだ仰々しいところはあるが、すぐに平伏するようなことはなくなった。
しかし、それがなぜかフィッツは気にいらないらしい。
まるで嫉妬でもしているかのように、アイシャに、どんどん冷淡になっている。
(どっちが役に立ってるとか、そういうことじゃないんだけどなぁ。フィッツは、こだわってそうだね。自分のほうが役に立ってるのに!みたいな……)
役に立つか立たないかだけで、人を判断したりはしない。
もちろん役に立たないより、役に立つほうがいいに決まっている。
だが「役に立たないなら死ね」と言えるような価値観は持っていないのだ。
だいたいアイシャの「常識」は、フィッツのためになっているのだし。
(でも、対抗心が出てきたっていうのは、いい兆候かもしれない)
ちょっぴり不機嫌そうなフィッツに、妙に安心する。
感情に起伏があるのは、悪いことではないと思えるのだ。
彼女自身、あまり感情に起伏はない。
他人との温度差に、少なからず悩んだこともある。
自分の命に執着心が強くないのも、そのせいかもしれないと感じていた。
かと言って、人の感情に自分を合わせることもできない。
喜怒哀楽には、個人差があるからだ。
誰かにとって嬉しいことが、自分にとっては不快だったり、また、その逆になることも、めずらしくはなかった。
とはいえ、フィッツの「感情の起伏のなさ」と、彼女のそれは異なっている。
それを、もう知ってしまった。
彼女の場合は「性格」との言葉に集約できるが、フィッツの場合は、性格云々の話ではないのだ。
フィッツは、共感や協調といった感覚が、非常に乏しい。
たとえば「本日快晴」との共通認識があったとしても「晴れの日は気分が爽やか」となると、話が通じなくなるといったふう。
(でも、ま、少しずつだよ。フィッツにも、自由に生きてみてほしい)
フィッツにあるのは「すべきこと」だけで「したいこと」がないのだ。
本来的な意味での「したいこと」はなにかと訊いても、きっと今は答えられないのではなかろうか。
理解するのも困難だと想像できる。
(私もフィッツに言えるほど、したいことがあるわけじゃないけどさ。やりたくないことはあるもんなぁ)
皇太子と婚姻するとか、帝国で生きて行くとか。
それらは、彼女の「やりたくないこと」だ。
逆に言えば、皇太子と婚姻などせず帝国を出て暮らすのが、目下、やりたいことと言える。
その気になれば、なんでもできるのに、能力を全部「姫様を守り、世話をする」ことにつぎこんでいるなんて、もったいない気がした。
落ち着いた暮らしができるようになったら、フィッツ独自の「やりたいこと」探しをするのもいいかもしれない。
「姫様、お疲れなら、少し休息を取りますか?」
長く黙っていたからか、疲れていると思われたようだ。
皇宮で生活、しかも、ボロ小屋に押し込められての毎日だったため、長距離移動には慣れていない。
逃亡中も、足場の悪い場所は、ほとんどフィッツがかかえてくれていたし。
「休憩してる暇ないし、大丈夫。あいつから、少しでも離れられると思えば平気」
すでにリュドサイオ本国に入っているとはいえ、皇太子は「鼻が利く」のだ。
こちらは徒歩だが、向こうは乗り物を使うことができる。
人だって駆り出せるのだから、不利もいいところだ。
と、思った時、ふと思い出す。
ちらっと、横眼でフィッツの横顔を見つめる。
戦車試合でも、同じ心境になった。
ほかの国が陣営で戦うのに引き換え、フィッツは1人。
圧倒的に不利な状況だったのだ。
だが、心配はしなかった。
「フィッツがいるもんね。いざとなれば、抱っこして走ってもいいよ」
「そうします」
本当は、いざとならなくても、そのほうが速いのはわかっている。
とはいえ、昼日中に、女をかかえて歩く姿は目立つのだ。
人目を避けて、放牧地を選んでいたが、どこで人に見られるかはわからない。
なだらかな丘陵は、1日ほどで越えられると、フィッツが言っていた。
その先に、ネセリックというリュドサイオの属国があるそうだ。
南北に細長い領土で、半分がリュドサイオ、もう半分が帝国に隣接している。
直接、ネセリックに抜けられれば良かったのだが、隠し通路の出口が森であったため、迂回する格好になった。
「あの……少し、よろしいでしょうか?」
フィッツに冷たくされているせいで、アイシャはカサンドラが話しかけない限り口を閉ざしている。
おずおずといった口調から、いかに委縮しているかが、わかった。
アイシャの気を楽にしようと思ったのだが、その前に、フィッツが口を開く。
「重要なことであれば話せ」
うーんと、心の中で悩んでしまう。
もう少しアイシャを「まとも」に扱ってほしいのだ。
とはいえ、アイシャを庇えば、フィッツが悪いと言うのと同じになる。
理不尽な言動を取っているフィッツが悪いと言えば、悪いのだけれども。
注意すべきか否か、非常に悩ましい。
フィッツの面目を潰したくはないし、しょんぼりさせたくもないし。
けれど、委縮しているアイシャも気の毒だし。
(やっぱり3人って難しいよなぁ。あっちを立てれば、こっちが立たず、だよ)
「ネセリックのラーザの民も、お力になりたいと考えております。本日の宿として適切な場所があるのですが……」
「どこだ」
「鉱山の管理施設にございます」
「少し遠いな」
「夜までには着けるでしょうし、なにより管理施設の管理人がラーザの民なのです」
う…と、呻きそうになるのを我慢した。
これは、自分の我儘なのだ。
寝泊りは、安全な場所でするのがいい。
野宿となれば、フィッツもアイシャも、一晩中、気を張っている必要がある。
(ザフイの宿屋の時みたいになるんだろうなぁ……ラーザの民か……)
ラーザの民は、とにかくヴェスキル王族に対して妄信的。
けれど、彼女自身は、自分が偉い人物だとは少しも思っていないので、温度差に閉口させられる。
涙を流し、平伏されても、居心地が悪いとしか感じない。
さりとて。
「安全第一。少し遠くても、そこに泊めてもらおうよ」
「わかりました」
「そちらの鉱山は……」
「道は知っている。先に姫様の到着を伝えに行け」
「は! かしこまりました!」
アイシャは偉いな、と思う。
言葉を途中で、ぶった切られて、そっけないにもほどがあるといった口調で命令されても、文句も言わずに駆け出すのだから。
「フィッツさぁ、アイシャに厳し過ぎない?」
「厳しい、とは……」
「口調が冷たいっていうか。私と話してる時と違い過ぎるんだよ」
「それはしかたありませんね。姫様と同じように接することはできません」
立場が違うと言ってしまえば、それまでだ。
わかっているのだが、彼女が言いたいのは、そういうことではない。
しかし、カサンドラにさえ「気遣い」のできないフィッツに、アイシャを気遣えというのは、無理がある。
「アイシャはラーザの民で、しかも守護騎士の家門だから、フィッツは信用してるわけだよね。食料の調達や宿の準備、ほかのラーザの民と連絡とったりするのも、アイシャに任せられると思ってるからでしょ?」
「私でもできることです。アイシャがいなくても問題ありませんよ」
また、フィッツはちょっぴり「不機嫌」を醸し出していた。
カサンドラがアイシャを褒めているのが、気に入らなさそうだ。
「でもさぁ、フィッツ。本当に問題ないの?」
「ありませんね」
体を前に折り曲げ、フィッツの顔を下から覗き込む。
それから、小さく笑った。
「そうなんだ。アイシャがいなきゃ、フィッツは、こうやって私に張り付いてられないと思うんだけど、それは問題にはならないのかぁ」
「それは……」
「ボロ小屋にいた時は、私を見てられたから問題なかったかもしれないね。なら、今はどう? 目視でないと見えない時もあるのにさ。平気なのか、フィッツは」
「…………姫様が見えないのは……困ります」
「だよね。だったら、もうちょっとだけアイシャに丁寧に接してあげなよ」
こくり。
納得したかはともかく、フィッツはうなずく。
それを見て、アイシャに対する態度が「もうちょっとだけ」良くなることを期待することにした。
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