いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

目まぐるしさに身を任せ 3

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 壁の手前に到着した時には、辺りは夜の黒につつまれていた。
 だが、ザイードの視界は、逆に良くなっている。
 ガリダもルーポも、夜目のきく種族なのだ。
 明るい中で周りが暗く見えるより、ずっと鮮明に見える。
 
「ザイード、もし壁が越えられなかったら、私が1人で行きますね」
「しかし……」
「せっかく、ここまで来たんです。無駄足になるのはけたいんですよ。準備にも時間がかかることですし」
 
 しかたなく、ザイードはうなずいた。
 1人で行かせたくはないが、キャスの言うことも、もっともだと思ったのだ。
 だいたい、止めてもキャスは行くのだろうし。
 
 壁は、もう目前にある。
 中は見えないものの、薄曇りの空に広がる灰色の雲のようなものが揺らいでいた。
 
 できた当初から魔物たちは「壁」と呼んでいたが、石や土でできた本物の「壁」とは違うのだ。
 人の国と外とを「隔てるもの」という意味で使っている。
 
「では、まいろう」
 
 ザイードは、自然にキャスの手を取った。
 肩越しにダイスを振り返る。
 
「我らの姿が消えたら、帰っておれ。いずれナニャから連絡がゆく」
「連絡は早目にするんだぞ。いくらオレでも、ファニみたいにパッと現れることはできねぇんだからな」
「心得ておる」
 
 ファニたちの移動は、ほかの4種族より遥かに優れていると言えた。
 だが、それはファニが実体化を解くことにより成せる技なのだ。
 自ら移動はできても、別の種族を一緒に移動させることはできない。
 
「気休めにしかならねぇけど……気ィつけろよな」
 
 軽くうなずき、歩き出す。
 灰色の「壁」が、鼻先に迫った。
 目を閉じることなく、そのまま進む。
 ぐっと、体に圧力が加わった。
 
 次の瞬間。
 
「おお……余も抜けられたか……」
 
 ふう…と、キャスが隣で大きく息を吐き出している。
 落ち着いたそぶりではいたが、緊張していたのだろう。
 なにしろ、ここは「敵地」なのだから。
 
「ダイス、ザイードも私も無事。帰ってノノマたちに伝えて」
 
 壁があっても声は聞こえると、老体からの話で、知ってはいた。
 そのせいで、老体は、自らの子が殺されたと知ることになったのだ。
 だが、声は聞こえても、ダイスの気配は感じられない。
 すでに帰ったのか、まだそこにいるのか、わからなかった。
 
「……行きますか」
 
 キャスに顔を向けると、少し緊張した表情を浮かべている。
 ザイードは、ゆったりと微笑んだ。
 自分でも不思議なのだが、警戒はしているのに、緊張はしていない。
 キャスと手を繋いでいるからだろうか、と思った。
 
「ジュポナは、元々は、リュドサイオが統治する予定の国だったんです。だから、アトゥリノの王都……中心地からは離れてるんですよね」
 
 ザイードは、懐にしまってある地図を頭に浮かべる。
 アトゥリノという国は、帝国と隣接しており、北側に主な支配地があった。
 4つの支配地はいずれも北側に面していたが、最も北東にある、最も小さな国に「ジュポナ」の名が記されていたと、記憶している。
 
「だから、ここはもうジュポナなんですよ」
 
 こくりと、うなずいてみせる。
 ザイードは、人語をかいせない。
 なので、キャスと、人の言葉で話すことはできないのだ。
 
 対して、キャスの魔力は感知されないらしいので、こうやって話すことができている。
 魔力で話しかけているという意識はないのかもしれないが、それはともかく。
 
「これから、アイシャという女の人を探しますね。私の……同胞です」
 
 キャスの話から、ザイードは、人は総じて数の多い生き物だとの印象があった。
 小さな国とはいえ、大勢の中から、どうやって探すのか。
 訊きたかったが、話せないので、首をかしげてみせる。
 
「探しかたですか?」
 
 うなずくザイードに、キャスが曖昧に小さく笑った。
 手立ては考えているのだろうが、確固とした自信はない、ということだ。
 
「人の国には、身分というものがあります。命令できる立場の者と、命令される側といった感じですね。同じ命令できる立場にも、上下の関係があるんです。それが王族や貴族と呼ばれてるんですけど、身分によって住む家の大きさも違います」
 
 理解したかどうかを窺うように、キャスがザイードに視線を向けてくる。
 軽くうなずいておいた。
 魔物の国にはない概念だが、なんとなく想像はつく。
 
 魔物は数が少ないため「おさ」だけで取りまとめることができていた。
 けれど、人は大勢いるので、取りまとめる者も複数必要なのだ。
 その取りまとめ役が細分化されている、ということだと判断している。
 ザイードは、繋いでいないほうの手で、三角を描いてみせた。
 
「そう、それです。アイシャは、その三角で言えば、下のほうになります。でも、貴族なので建物は大きいはずだし、その建物の前にある紋章を見れば、アイシャの家がわかると思います」
 
 ザイードは足を止め、名残惜しい気もしたが、繋いでいた手を離す。
 どうしたのかという顔をするキャスに、懐から、紙と木炭を取り出して渡した。
 
「……ああ、紋章ですか?」
 
 こくりとうなずく。
 その「アイシャ」という者の紋章を知っておけば、探す時に役に立つはずだ。
 
「え……でも……目は?」
 
 自分の目を指さしてから、天を指さしてみせた。
 それから、陽射しが降り注ぐ様子を手で示しつつ、首を横に振る。
 
「昼間のほうが見えないんですね……そうか、元々、暗視がきくタイプ……いえ、今のは私の独り言です……」
 
 キャスは少し恥ずかしげだったが、ザイードからすると、意味がわからない。
 キャスの独り言には慣れていたからだ。
 
(今まで、独り言を口にしておると気づかずにおったのか)
 
 ザイードは、紋章を書いているキャスを見つめる。
 
 それほど、一緒にいるのが、自然なことになってきているのではないか、と感じられた。
 ただでさえ、キャスは、誰とは言わず距離を置こうとする。
 信用できる相手でなければ、気が緩んだりはしないはずだ。
 
「こういう感じの紋章です。絵が下手なので……かなり微妙ですけど……」
 
 問題ない、というように、うんうんと、うなずいておく。
 確かに、細かな部分までは再現できていないようだったが、似た雰囲気のものを探せばすむことだ。
 
 ザイードは、顔を少し上げ、遠くまで視線を伸ばす。
 イホラほどではないが、ガリダも目がいい。
 魔獣を狩る時なども、ずっと遠くまで見渡して、追い込んだりするのだ。
 
(あの方角に背の高い屋根が多い。貴族は集落を作って暮らすのかもしれぬ)
 
 キャスに、その方角を指さして見せる。
 ザイードの意図を察したのか、今度はキャスがうなずいた。
 一緒に歩き出したが、少しだけキャスは前に出ている。
 そのため、手を繋ぐきっかけを失ってしまった。
 
 ほんのりと胸に寂しさが広がる。
 
 なぜかはわからない。
 ただ、キャスを守りたいという気持ちが強くなっているのは確かだ。
 魔獣から助け、声もなく姿を見て以来、ザイードは、ずっと気にかけている。
 キャスの心を支え、守りたいと思ってきた。
 
「この辺りに貴族屋敷が並んでいますね……門衛が……入り口を守っている者がいるので、気をつけてください」
 
 ザイードは意識して気配を消した。
 魔獣を狩っている際には気づかれないことも必要なので、身についている。
 すると、急に、キャスが、パッと振り向いた。
 ザイードを見て、ホッとした顔をする。
 
(気配が消えたゆえ、おらぬようになったかと思うたのだな)
 
 ザイードは手を伸ばし、キャスの手を握った。
 その手を見つめ、キャスが苦笑いを浮かべる。
 
「私のほうが、見つからないように気をつけないといけないですね」
 
 キャスは気配を消すことができないらしい。
 気に病む必要はないと、首を横に振った。
 それからは、しばらく黙って歩く。
 
 貴族の家は、魔物の造る家より、遥かに大きかった。
 それぞれの家の前には門があり、見張りが立っている。
 家々は連なり合っているため、身を潜められる細い道がいくつもあった。
 見つからないよう、物陰に隠れて移動する。
 
 紋章を先に見つけたのはザイードだ。
 キャスの肩を、軽く、ちょんちょんとつつく。
 その指で、家を示した。
 キャスが確認してから、うなずく。
 
「裏に回りますね」
 
 小声で言って歩き出したキャスに、ついて歩いた。
 人の家が、どういう造りになっているのか、わからないからだ。
 
 大きな塀を、ぐるりと回って「裏」に行くと、そこにも門があった。
 魔物の家と同じく「裏口」があるらしい。
 こちらは、見張りがいなかった。
 
「すぐに見つかると思いますが、こっちの監視は当主に繋がるはずなので……」
 
 言いながら、キャスが門にふれる。
 途端、家の中でざわめきが広がるのを、ザイードは、感じた。
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