いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
195 / 300
第2章 彼女の話は通じない

有限の幻想 3

しおりを挟む
 これは、まずい。
 緊急事態だ。
 
(こいつの体が壊れちまう。もうちっとだけ使いてぇんだよ、この体)
 
 体が壊れれば「ゼノクル」は死ぬ。
 が、クヴァットは死なない。
 ただし、だ。
 体を捨てる際、一瞬だけ実体化しなければならなかった。
 
 聖魔の体は、あってないようなものだ。
 それでも「ない」わけでもない。
 実体化せず、空気のように纏わりついて、囁くことはできる。
 たいていの聖魔は、そうやって精神干渉していた。
 
 だが「個」としての体はあるため、時々は実体化する必要がある。
 聖魔が、今でも生じる種だからだ。
 長期間、実体化せずにいると、消滅する。
 そして、別の「個体」が生じる。
 
 これは、聖魔にとっては「鎖」のようなものだった。
 個を維持するためには、どうしても体がいるのだろう。
 切り離すことはできない。
 そのため人の体に出入りする時には、自らの「個」としての体を現わさなければならなかった。
 
 その一瞬が命取り。
 
 周りを多くの魔物に取り囲まれている。
 魔人を人の武器で殺すことはできないが、魔物の魔力攻撃は強烈だ。
 たとえ魔人の王でさえも、消し飛ばすことができる。
 
(いや……ちょっと待てよ。あの魔物……ザイードっつったか。あいつには、もう魔力は残ってねえ。ほかの奴らの魔力は攻撃する性質のもんじゃねぇんだな)
 
 最初の時は膝を撃たれたカサンドラを、魔物は癒していた。
 今回は、ザイードという魔物を治療している。
 対して、ゼノクルに攻撃してくる気配はない。
 攻撃手段を持っているのなら、クヴァットごとゼノクルは殺されていたはずだ。
 
 クヴァットは、なんとしても「この体」で、人の国に帰りたかった。
 せっかく、ここまで築き上げてきたものを手放すのは惜しい。
 
 聖魔にとって20年なんて、たいした時間でもないが、人にとっては違う。
 やり直しになるのはともかく、時間をかければ、使えない「駒」ばかりになる。
 それこそ「くたばって」しまうからだ。
 
 緊急事態であっても、クヴァットの考えていることは、ひとつ。
 3百年を通して、最も楽しい「娯楽」を続ける。
 それだけだった。
 
 クヴァットの「娯楽欲」は、まだ満たされていない。
 
 魔人は「娯楽」に、手は抜かないのだ。
 どんな緊急事態も窮地も、魔人にとっては楽しみのひとつ。
 その摂理のせいで、うっかり魔物に消し飛ばされたものも多い。
 どの種も似たようなものだが「摂理」には逆らえないのだ。
 
 人は、感情をことわりとする。
 だから「自死」なんてことをするのだ。
 魔物は「自死」などしない。
 
 魔物は、自然を理とする。
 だから「共生」なんてものを重視する。
 人は「同胞」でも平気で殺すのに。
 
 聖魔は「欲」を理とする。
 だから「知りたがる」し、「欲しがる」のだ。
 感情なんてものに振り回されたりはせず、ほかのなにとも共生したりしない。
 人と魔物には似たところもあるが、聖魔は根本が違う。
 
「俺の可愛いシャノンは、今頃、一生懸命、走ってるだろうよ」
 
 口から血を垂れ流しながら、ククっと笑う。
 こういうことだって、滅多にないことだ。
 楽しまなければ魔人に非ず、というところ。
 
「どこに行かせたの?」
「教えたって、助けちゃくれねぇんだろ? 知るか」
 
 わざと、そっぽを向き、血の混じった唾を、ペッと吐く。
 同時に、体を、わずかに傾けた。
 脇腹につけておいた小さな装置が働き、ちくっと針を刺す。
 
 正直、中にクヴァットがいなければ、ゼノクルはとっくに死んでいた。
 死ぬだけの血を吐いている。
 
 が、体につけておいた装置のおかげで、かなり血を戻すことができていた。
 出征前、セウテルに用意させた物のうちのひとつだ。
 そのせいで「命懸け」だと、いよいよ勘違いされてつき纏われたのだが、それはともかく。
 
「あんたから聞かなくても探せるから、いいけどね」
 
 カサンドラの声は、ひどく冷たかった。
 当然ではあるが、なにもかもを振り切っているという感じがする。
 温情なんて、ひと欠片も残っていなさそうだ。
 
(シャノンの通信装置か。あれを追ってんだな)
 
 シャノンの首には、ロキティスの仕込んだ追跡兼通信装置が埋め込まれている。
 ジュポナから持ち帰った物の中に、通信装置があったのは、わかっていた。
 つまり、追跡用の装置などもあった、ということだ。
 
 ラーザの技術は、帝国より水準が高い。
 きっとシャノンの居場所は「点」でつきとめられてしまうに違いない。
 
「時間稼ぎは十分した」
「時間稼ぎだと?」
 
 ザイードという魔物が、クヴァットの顔を真上から覗き込んでくる。
 ニッと、笑ってやった。
 
 血を流し込む装置は、同時に体力を回復させる薬も与えてくれるのだ。
 だいぶ動けるようになっていると感じたが、まだクヴァットは動かない。
 
「なんで俺が、お前に無駄な取引を持ち掛けたり、長話してたと思う? 俺は獣くせぇのが嫌いなんだぜ? 殺せるってなりゃ、とっとと殺すさ」
「時間稼ぎをするために、余を殺さずにおったと言うか?」
「まぁ、そんなとこだ。死んでくれても良かったんだけどよ。お前は硬えからな。簡単にくだばるとは思っちゃいなかった」
 
 ゼノクルとして皇宮に連絡を入れてから、4時間が経とうとしている。
 きっちりではないが、そろそろ頃合いではあった。
 これで、はっきりするはずだ。
 
 セウテルが「使える」駒なのかどうか。
 
 思った時、耳に、ぷつっという音の振動があった。
 通信回線が開いたのだ。
 
「兄上! 準備、整ってございます! 兄上! ご無事ですかっ?」
「お前ってやつは……」
 
 うるさいし、気持ち悪いんだよ。
 
 言いたくなったが、やめておく。
 セウテルにとって、この体は、兄ゼノクルなのだ。
 ゼノクルらしく振る舞わなければならない。
 娯楽のためにも。
 
「俺の位置はわかってるだろ? すぐに、やれ」
「兄上は……退避……退避なさって……」
「いいから、やれっ!! 王女様はご無事だ! 陛下に……っ……」
 
 がんっと頭を蹴られた。
 とても痛い。
 耳につけてあった通信装置が、吹っ飛ばされている。
 
「ザイード、それ、壊して」
 
 地面に落ちた通信装置を、ザイードという魔物が摘まみ上げた。
 くしゅっと、指先で押し潰している。
 ゼノクルは、それを見ながら、笑った。
 
「あ~らら、お前、そんなことしていいのかよ? 後悔するぜ?」
「また、それ? そういうのを、ワンパターンって言うんだよ」
「へえ、そうかい。なら、俺は、そのワンパターンが好きなんだろうな」
 
 カサンドラも含め、ゼノクルを中心に輪を描いて立っている。
 逃がさないように取り囲んでいるのだろう。
 とはいえ、そんなことをしても無駄なのだ。
 自分を見下ろしているものたちを見上げ、再び、空を指さす。
 
「シャノンはなぁ、こことは逆、北東に向かってるだろ?」
「そのようだね」
「けど、そいつぁ、シャノンだけじゃねぇんだ。俺も北東に向かってる」
「なに言ってんのか、意味がわからないんだけど?」
「お前らは、シャノンの装置を追ってるんだよな?」
 
 ゼノクルの位置は、セウテルが常に把握できるようにしていた。
 だが、シャノンのように「装置」を埋め込んでいたのではない。
 体に取りつけていただけだ。
 それをシャノンに渡し、走らせている。
 
「セウテルに言ってた、あんたの位置って……」
「そ。シャノンと同じ位置になってるはずだ」
「なんで、そんな……」
 
 そこで、ようやくカサンドラが、ゼノクルの指す空を見上げた。
 まだ見えては来ないだろう。
 着弾までは5分かかる。
 
「人間てのは本当にすげえよな。自分らを守るためには、なんだってやりやがる。防衛ってのは、つまり攻撃するってことだろ? 守るだけじゃ、守れねぇからな」
「ここに……爆弾でも落とすつもり……?」
「爆弾ねえ。そんな名前じゃなかったが、たぶん、そんな感じ? 地対空ミサイルってんだよ。覚えときな、小娘」
 
 カサンドラの喉が、小さく上下していた。
 その「地対空ミサイル」がなにかを知っているらしい。
 帝国でも、わずかな者しか知らない名だというのに。
 
「あんただって死ぬんだよ?」
「セウテルは俺を死なせねぇために、ここに撃ち込んで来る。必ずな」
 
 ゼノクルの位置は、北東。
 シャノンの走っている方角だ。
 北西のこんなところにいるとは思ってもいない。
 だからこそ、ここを狙う。
 
(3百キロ程度じゃな。ここくらいしか狙えねぇっての)
 
 飛空距離は、およそ3百キロ。
 帝国の技術では、それ以上の長距離を飛ばすことはできない。
 
 そもそも、このミサイルは、外敵とされる聖魔対策のひとつで、万が一、聖魔が壁を越えた時用にと作られた。
 伝染病を駆逐するのと同じ理屈。
 聖魔に侵食された者たちを、場合によっては領域ごと一斉に排除することを目的としている。
 
 が、周辺諸国への抑止力として使う名目もあった。
 要は、魔物の国を狙うためのものではなく、長距離飛行は必要なかったのだ。
 
「光が……飛んで来てる……」
 
 つぶやいたカサンドラに、ゼノクルは嗤いながら言う。
 
「後悔するっつっただろうが、小娘!」
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi(がっち)
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

死に戻り王妃はふたりの婚約者に愛される。

豆狸
恋愛
形だけの王妃だった私が死に戻ったのは魔術学院の一学年だったころ。 なんのために戻ったの? あの未来はどうやったら変わっていくの? どうして王太子殿下の婚約者だった私が、大公殿下の婚約者に変わったの? なろう様でも公開中です。 ・1/21タイトル変更しました。旧『死に戻り王妃とふたりの婚約者』

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

悪夢から逃れたら前世の夫がおかしい

はなまる
恋愛
ミモザは結婚している。だが夫のライオスには愛人がいてミモザは見向きもされない。それなのに義理母は跡取りを待ち望んでいる。だが息子のライオスはミモザと初夜の一度っきり相手をして後は一切接触して来ない。  義理母はどうにかして跡取りをと考えとんでもないことを思いつく。  それは自分の夫クリスト。ミモザに取ったら義理父を受け入れさせることだった。  こんなの悪夢としか思えない。そんな状況で階段から落ちそうになって前世を思い出す。その時助けてくれた男が前世の夫セルカークだったなんて…  セルカークもとんでもない夫だった。ミモザはとうとうこんな悪夢に立ち向かうことにする。  短編スタートでしたが、思ったより文字数が増えそうです。もうしばらくお付き合い痛手蹴るとすごくうれしいです。最後目でよろしくお願いします。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

処理中です...