上 下
115 / 164
後編

死線と視線 3

しおりを挟む
 なにが起きたのか、わからない。
 目の前に、見たことのない男性が立っていた。
 
 銀色の長い髪と、同じ色の瞳。
 
 手に、片刃の武器を持っている。
 その武器から、血が滴り落ちていた。
 膝が抜けそうになるのを、サマンサは必死で耐えている。
 
「痛い……痛ってえ!!」
 
 声に、飛び上がるほど驚いた。
 見れば、右腕のない少年が、地面の上を転げ回っている。
 ブルーグレイの髪だからだろうか、どこかリスに似ていた。
 転げ回っているため、瞳の色はわからないけれど。
 
 どんっ、どんっ。
 
「うあっ!! っに、すんだよッ!! この野郎ッ!」
「ジェレミー、こいつ、どうする~?」
 
 いつの間にか、もう1人。
 ダークシルバーの髪と瞳の青年だ。
 青年は、銀髪の男性とは違う両端が尖った武器で、地面に少年を縫い付けていた。
 武器の刺さった両方の肩から、血が、だらだらと地面に流れ落ちている。
 
「ああ、サム、サミー! きみを失うかと……っ……」
 
 青年の言葉を無視するように、彼が、サマンサを抱き締めてきた。
 ぎゅうっと強く抱きしめられ、サマンサは戸惑う。
 まるで現実感がないのに、この感覚を知っているような気がしたのだ。
 彼は、動揺している。
 それも、ひどく。
 
 『……サム……ミー……』
 
 遠くから、声が聞こえた。
 これは、彼の声だったのか、と思う。
 懐かしいような、せつなくなる声だ。
 
「ったく~、オレら、シカトされてるぞ、兄上」
「しかたなかろう。この女子おなごが無茶をしおったのだからな」
「予定の位置から、ズレちゃったもんな。あれには、オレも、ビビった! 兄上の足が速くて良かった!」
「……ノア、お前の足が遅いだけだ」
「そお? オレも頑張ったと思わなくない?」
 
 のんびりした2人の会話も、耳を流れていた。
 心臓が、まだバクバクしている。
 抱き締めている彼の心臓の鼓動も速くなっているのを感じた。
 指先が、ぴくっと反応する。
 彼のぬくもりに、サマンサは応えるように手を、その背に回しかけた。
 
「サム! 大丈夫かっ?」
 
 レジーの声に、ハッとなる。
 慌てて、彼の体を押しのけた。
 周囲を見回す。
 そう、安心している場合ではないのだ。
 
「リスは……っ……?」
 
 彼が、少し離れた場所を指さした。
 サマンサのほうに向かって、リスが走って来る。
 瞬間、安堵に膝が崩れた。
 小さな体が、サマンサに飛びついて来る。
 
「サム~……っ……!」
「ああ、リス……良かったわ……あなたが無事で……」
 
 リスを強く抱き締めた。
 腕にある確かな感触に、心底、ホッとする。
 魔術師に追われているリスを見て、体が勝手に動いたのだ。
 なにもできないとわかっていたはずなのに、駆け出さずにはいられなかった。
 
「首を落とせばよかろう」
「殺しちゃっていいの?」
「かまわん。これは、人の姿をしておるが、人ではない」
 
 サマンサは、リスの体を抱き上げる。
 2人の会話が、殺伐とし過ぎていたからだ。
 幼い子供に聞かせる話ではない。
 
「サム……平気か?」
「ええ、大丈夫よ」
 
 レジーがリスをあずかろうとしてだろう、手を伸ばしてきたが、首を横に振る。
 重いのは重いが、その重さに安心していた。
 だから、サマンサ自身が抱き上げていたかったのだ。
 
「きみたちは、家に入っていたほうがいいのじゃないか?」
 
 彼の口調は、さっきとは比較にならないほど、冷たくなっている。
 あれはなんだったのか、と思ってしまう。
 自分のことを心配してくれたのかと、サマンサは感じていたのだけれども。
 
「そうだな。ここにいても、意味はなさそうだ」
「そうね、レジー……」
 
 歩きかけて、振り返った。
 まだ地面に縫いめられている少年に、視線を向ける。
 
 人の姿はしているが、人ではない。
 
 それを最も実感しているのは、サマンサだった。
 目前まで迫っていた、鳥の姿が忘れられずにいる。
 片刃武器の2人がいなければ、殺されていたのは間違いない。
 
「そこの彼はアテにならないから、あなたがたに、お願いするわ」
 
 これは、自分の決断と覚悟だ。
 
 サマンサは、レジーに目で頼む。
 レジーが、がっしとリスの両耳を押さえた。
 リスは頭がいいので察してしまうかもしれない。
 だが、実際に聞かせたくはなかったのだ。
 
「やってちょうだい」
 
 2人は、表情を変えずにサマンサを見ている。
 銀髪の男性は無表情、青年は明るい笑顔。
 
「任せておけ」
 
 銀髪の男性が、短く答えた。
 彼は、2人の近くに立ち、少年を見下ろしている。
 よくわからないが、彼の魔術の及ばない力を、少年は持っているらしい。
 
「マジで殺す気かよー」
「マジだ」
「マジだよ」
 
 身なりからすると他国民のようだが、彼らは、なぜか、ロズウェルドの民言葉を理解し、使っていた。
 銀髪の男性が、片刃武器を、ひゅんっと振る。
 まとわりついていた血が、辺りに飛び散った。
 
 それだけではない。
 少年の首に、ツ…と横線が入る。
 ついで、その首が胴と離れた。
 思い出したかのように、血が、どくどくと溢れ出す。
 
 リスを強く抱きしめ、その光景を見せないようにしていた。
 それでも、サマンサには見ておく「義務」がある。
 殺せと頼んだのは、自分だからだ。
 結果を受け入れなければならない。
 
 その責任も。
 
 少年は、やはり人ではなかったのだろう。
 溢れた血は地面を濡らしていたが、体が光の粒に変わっていた。
 きらきらと光りながら、大気中に広がっていく。
 そして、風に流されていた。
 
「死体なくなっちゃったな」
「……片づける手間が省けたと思うておけ」
 
 銀髪の男性が、彼の肩を軽く叩く。
 彼は、その光の流れを、しばらく見つめていた。
 やがて、光がすべて消える。
 そうなってから、彼は、ふっと息をついた。
 
「ラス、ノア、手間をかけたね」
「なに、さほど手間ではなかった」
「そーそー、たまには実践もしとかねぇと腕が鈍るし」
 
 2人は、彼の知り合いらしい。
 あの冷酷な人でなしと、友人のごとく親しくしている人がいるとは思わなかった。
 だが、3人は、とても気易く話している。
 
(彼、あの2人を、あらかじめ呼び寄せていたの?)
 
 あの少年には、魔術が通用しないようだった。
 しかも、動物の姿に変化へんげをしていたのだ。
 なにか特殊な能力を持っていたに違いない。
 正直、目の前に迫るまで、サマンサは、鳥を目視で認識できていない。
 それほど速かった。
 
(あの時……彼が止まれと言ったのは……)
 
 ラスと呼ばれていた銀髪の男性が対処し易いようにしたのではなかろうか。
 サマンサが動いていると、相手も動く。
 当然、立ち止まれば狙いが定まり、そこに向かってくるはずだ。
 ラスは、その一瞬を突いた。
 
「さすが腕がいい」
「……最初の一撃で仕留められぬようでは、腕がいいとは言えぬ」
「あの速度についてける奴なんていねぇよ。間に合っただけで上等じゃんね」
「ノアの言う通りだよ。きみでなければ…………手に負えなかったさ」
 
 2人の言葉にも、ラスの憮然とした表情は変わらない。
 よほどの完璧主義者なのだろうか、と思う。
 なににしろ、助けてもらったのだ。
 サマンサは、リスを抱いたまま、頭を下げる。
 
「ありがとうございました。お力を貸していただけたことに感謝いたします」
 
 レジーやケニー、シャートレーの騎士たちにも、感謝している。
 あとで、きちんと挨拶をしようと思っていた。
 傷ついている人も、少なからずいるのだ。
 
「礼ならジェレミーに申せ」
「ジェレミーに頼まれたら、断れねぇもん」
「私は、役立たずな魔術師なのでね」
 
 ずきずきと、頭痛がしてくる。
 彼と視線を交えると、どうにも落ち着かない気分になってしまう。
 
「本当に、助かったよ」
 
 スッと、彼がサマンサから視線を外す。
 その後ろに柱が2本現れた。
 3人は、あっという間に、その門を抜ける。
 すぐに閉じてしまったので、門の先がどうなっているのかは見えなかった。
 
「あとは、こっちでやる。サムはリスと家にいてくれ」
「ありがとう、レジー」
 
 周りには、主に敵方の騎士たちが転がっている。
 死体もあれば、まだ動いている者もいた。
 レジーの言う「こっちでやる」の意味を、サマンサは悟っている。
 リスに見せるべきものではない。
 
 サマンサは息をつき、リスを抱いたまま家のほうに向かう。
 歩きながら、少年のことを思った。
 まだあどけなさの残る顔立ちが、頭に残っている。
 人ではなさそうではあるが、人の姿をしていた少年に対して下した決断を後悔はしていない。
 それでも、割り切れているわけでもなかった。
 
「公爵様に礼を言わねぇとだな」
「え……?」
 
 レジーが周囲に視線を走らせる。
 つられて見てみると、騎士たちの傷は、すっかり癒えていた。
しおりを挟む

処理中です...