理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ

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第1章 暗い闇と蒼い薔薇

愛しの孫娘 3

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 なんだ、これ、と思う。
 グレイは血まみれで床に倒れているし、サリーも傷だらけ。
 
 しかも、メイド服はボロボロ、申し訳程度にしか布地が残っていない。
 部屋は霜だらけで、真っ白だし。
 なぜこんなことになっているのか。
 
「レティシア様ッ?!」
 
 サリーが驚いたような顔で、レティシアを見ていた。
 こちらに来ようとしたのだろう、起き上がろうとした足が、かくんとくずおれる。
 逆にレティシアから駆け寄って、しゃがみこんだ。
 
「サリー! なんでこんな……っ……?」
「お逃げください……レティシア様……ここは危ないのです……っ……」
「逃げるって……無理だよ!」
 
 こんなサリーとグレイを見てしまっては。
 
 自分1人でスタコラなんて、できるはずがない。
 危ないと言われても、それより2人の状態のほうが怖かった。
 現代日本では、映画やテレビドラマならともかく、日常生活で、こんなに血を流している人を見ることはなかったからだ。
 しかも、近しい人が大怪我を負っている。
 
(ヤだ……ヤだ……グレイが死んじゃう……サリーも危ない……ヤだ……)
 
 レティシアは知っていた。
 
 人は死ぬのだ。
 さっきまで話していた人が、話さなくなる。
 突然にぬくもりを失い、なんの反応もしなくなる。
 
 そんなことがあるのだと、レティシアは知っていた。
 だから、怖かった。
 グレイとサリーを失ってしまうのではないか、との恐怖にとらわれる。
 
「お前は、誰だ」
 
 しわがれた声に、ハッとなる。
 見れば、ローブ姿で腰の曲がった老人が立っていた。
 皺だらけの顔といい、見るからに「悪い魔法使い」だ。
 
 カァッと頭に血が昇る。
 恐怖が怒りに取って代わった。
 立ち上がり、老人と向き合う。
 
「あなたが2人をこんな目に合わせたんだね」
「黒い髪に黒い目……あのガキの子か? いや、子は男だと聞いた気がする」
 
 老人は、レティシアの問いを平然と無視した。
 が、レティシア自身、本気で返事がほしかったわけではない。
 わかっている事実の、単なる確認に過ぎなかった。
 それでも、返事をしない老人の態度に苛立つ。
 
「そうか……孫だな……そうか……わしは、それほど長くここに閉じ込められておったのか」
「なに1人でブツブツ言ってんの?! 魔術師なら、治癒くらいできるんでしょ?! 早く2人を治してよッ!!」
 
 この老人が2人に怪我をさせたのだと、わかっている。
 だからこそ、治すべきだと思ったのだ。
 彼女は現代日本の現実世界で、実際の殺人鬼に遭遇したことはなかったので。
 
「ジョシュア・ローエルハイド……儂をここに閉じ込めたガキの孫娘……」
 
 老人の言葉が耳にとまる。
 そこでレティシアは、ようやく気づいた。
 
 こいつはヤバい奴だ。
 
 祖父が閉じ込めたということは、なんらか意味がある。
 この老人の歳はわからないが、閉じ込められたのは最近ではない。
 おそらく祖父がまだ王宮に属していた頃だろう。
 当時、祖父が担っていたのは「特殊な任務」だ。
 王宮魔術師の手に負えなかった相手なのではなかろうか。
 
 が、ヤバい奴だと気づいても、逃げるという発想には繋がらない。
 命の危険になどさらされたことがなかったからだ。
 
 グレイとサリーが危ないのはわかる。
 なのに、自身の危険には実感が伴っていなかった。
 夢の中だと思っていた頃は、飛び起きることを前提に「殺されるかも」などと考えられもしたが、今は「リアル」に感じられずにいる。
 
「あのガキの孫ということは……魔力持ちか?」
 
 皺だか目だかわからないながらも、見られているのは、わかった。
 非常に、気持ち悪い。
 
 小説などで出てくる表現の「ねめつける」とは、こんなふうかと思う。
 にらむというのとは雰囲気が違い、じっとり感が半端ない。
 嫌な目つきだった。
 目があるのかどうかは不明だけれども。
 
「簡単に殺すのは惜しい。あのガキを嘆き苦しませるほどに、お前を切り刻んでやらねばな。死体にすがれもしない姿にしてやろうぞ」
 
 レティシアは平和な日本で育ってきている。
 こんな台詞は、日常会話では使わないし、使う用もない。
 どこまでも現実感がなかった。
 
「あぶな……ッ……?!」
 
 パンッと、手が何かを弾く。
 レティシア自身、驚いていた。
 何が危なかったのかもわからないまま、手を出していたのだ。
 
 床に黒いものが落ちている。
 見た目は、時代劇の忍者が使う「苦無クナイ」に似ていた。
 が、ひと回りは小さくて細い。
 どちらかと言えば、1本もりの先に近い形をしている。
 
「魔術の発動は感じられぬが、あのガキの孫ならば、ありえる話よな」
 
 レティシアは魔術の「ま」の字も知らなかった。
 魔力が顕現していると聞いてはいる。
 だが、魔術は習得していなかった。
 
 使えなくても困らなかったし、覚えることで、いよいよ「彼ら」に粘着されるのではないかと思えたからだ。
 ただでさえ「抑止力」などと言われている。
 今の生活に大満足なレティシアとしては「彼ら」を、引き寄せそうな魔術などあえて覚える気はなかった。
 
(やっぱり、こいつ、変! ヤバい! 魔術師のくせに、私が魔術を使ってるかどうかもわかんないなんて、おかしいよ!)
 
 レティシアには、祖父により、個の絶対防御がかけられている。
 が、レティシアは知らない。
 
「それなら……これは、どうだ!」
 
 頭上から、何かが落ちてくる。
 と、思った瞬間、勝手に体が動いていた。
 目視の力も向上しているが、それよりなにより反射神経だ。
 
 レティシアは運動が苦手ではない。
 ものすごく優れているとは言えないまでも、中の上くらい。
 
 年齢的な反射神経の平均時間は約0.25秒。
 今のレティシアが、老人のわずかな動きを視認し、反射で動くまでに約0.07秒。
 落ちてくるものを両手で弾く。
 もちろん両手も3倍速で動いていた。
 
「ちっ……あの魔術騎士がいらぬことをしておらねば……」
 
 グレイが何かしたらしく、老人は思うように力が発揮できていないらしい。
 だとすると、反撃のチャンスがあるのではないかと思った。
 レティシアは、サッとしゃがみこみ床に落ちた「苦無」のようなものを拾う。
 両手に持って、構えた。
 
 人を傷つけるのは恐ろしいし、したくもない。
 それでも、やらなければならない時だってある。
 
 守っているだけでは、守れないから。
 
 王子様とは違い、この老人は見逃がしてはくれないだろう。
 2人にしたことも、言っていることも、常人ではありえなかった。
 
「儂はお前のような小娘なんぞより、そこの女のほうが好みなのだがな。あのガキの孫娘だ、遊んでやるわい」
 
 老人が、チラリと嫌な視線をサリーに向ける。
 ぶわっと、また怒りが湧きあがった。
 
「このっ!ド変態じじいっ!!」
 
 手にした「苦無」のようなものを、思いきり投げつける。
 が、老人の前で、それは止まってから、消えた。
 
「儂が作ったもので、儂を傷つけられると思うたか?」
 
 老人がわらう。
 同時に、しゅるんとレティシアの首に、首吊り台にあるような輪っかがかけられていた。
 
「それはな、嗟縄さじゅうというてな。動けば動くほど絞まっていく縄だ」
 
 ということは、動かなければ絞まらないということだろうか。
 考えた直後、老人がサリーに、すうっと近づいた。
 長い爪の伸びた手を、サリーへと伸ばしている。
 
「やめてよっ! このド変態じじいッ! サリーにさわらないでッ!!」
 
 思わず、足を踏み出した。
 とたん、スッと縄が絞まる。
 さっきまで首筋にはふれていなかった縄の感触が、首にあった。
 レティシアの目の前で、老人がサリーの胸元に傷をつける。
 赤い血が、つうっと流れ落ちていった。
 
「サリーッ!!」
 
 その光景を見ると、どうしても体が動いてしまう。
 また少し縄がきつく、絞まっていた。
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