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第1章 暗い闇と蒼い薔薇
やっぱり理想はお祖父さま 2
しおりを挟む(困ったものだ。レティが、しょんぼりしてしまったじゃあないか)
噂についてサイラスから聞かされ、それが魔力顕現のきっかけとなった。
魔力暴走の引き金でもある。
が、レティシアは自らが命を落としかけたことを思い出して、肩を落としているのではない。
自責の念に、とらわれているのだ。
彼や息子夫婦、それに屋敷の者たちにも迷惑をかけたと思い、しょんぼりしている。
彼に言わせれば、そんな必要はまったくないのだけれど。
『それがわかってるから、かけたくないんだよー……』
迷惑をかけてもいいのではないか、ということを彼が言った時も、レティシアはそう答えている。
彼女は、そういう性格なのだ。
自分のことより人のことを気にする。
そこに、計算がないのもわかっていた。
自分をよく見せようだとか、利益だとかは考えていない。
自然に、人に親身になってしまう。
本当に「そういう性格」なだけなのだ。
「ですが、私を後添えにして頂ければ、不名誉な噂を拭い去ることができます」
「きみは、それでいいのかい?」
「大公様をお慕いしていればこそ、申し上げております」
イヴリン・ラウズワースは、己に自信を持っているのだろう。
公爵の爵位を持つ貴族令嬢の中では、現在、最も目を惹く存在なのは事実だし、彼女自身もそれを知っている。
どうでも良い情報だろうが、彼の耳には選別なく入ってくるのだ。
イヴリンを妻にと申し出ている貴族の子息が、ごまんといるだとか。
彼女が彼らを適度な節度を持った遊び相手としつつも、誰とも特別な関係になっていないだとか。
心底、どうでもいい。
「大公様の名誉が傷つけられていることに、私は耐えられないのです」
真摯に訴えかけてくるイヴリンにも、まったく心を動かされなかった。
彼が気にかけているのは、隣で肩を落としているレティシアだけだ。
可愛くて愛しい孫娘を、いつまでもしょんぼりさせてはおけない。
彼は、そっとレティシアの肩を抱き寄せる。
レティシアが、彼を見ていることには気づいていたが、あえて視線はイヴリンに向けておいた。
「不名誉な噂ときみは言うがね。私には、そうは思えないのだよ。レティを私の後添えにするということの、どこが不名誉なのだろうね?」
「そ、それは……」
近親婚だから、とは、さすがに口にはできなかったらしい。
イヴリンが言葉を濁している。
「仮に、私がレティを後添えにしたとして、誰か困る者はいるのかい?」
イヴリンの、はっきりと見えている喉が上下していた。
なんとか言葉を紡ごうとしているのだろう。
「公爵様や公爵夫人は、お困りになられるのではないでしょうか?」
「それは、なぜかな?」
「お立場というものがございますから」
「なるほど」
レティシアの肩を抱いていないほうの手で、彼女の手を握る。
その姿にだろう、イヴリンが顔をしかめた。
だが、こんな光景は、この屋敷では、めずらしくもない。
レティシア自身、気にとめていないし、屋敷の者たちも同じ。
それで、2人が「特別な関係」だと思う者だって、いやしないのだ。
周囲の穿った見方に、グレイやサリーは、むしろ反発している。
「そういうことなら、ザックもフラニーも困りはしないね」
「え……」
「ぅえっ?!」
イヴリンの声より、レティシアの声に笑ってしまいそうになった。
本当に我が孫娘は愛くるしい、と感じる。
「ザックは私の息子なのだよ。早々に王宮を辞した私の真似をしたがっていてね。そのたびに国王様から引き留められているのさ。フラニーも早く社交界を引退して庭仕事をしたいのじゃないかな」
彼は、いつも通りの穏やかな声で話していた。
イヴリンのことには興味がなく、どう思われるかなど気にしていないからだ。
彼にとっては、怒るほどのことでもない。
30も年下の女性を適当にあしらえないなど幼稚に過ぎる。
それでは、孫娘の前で格好がつかないではないか。
彼は、イヴリンに微笑みかけた。
「きみの心配はありがたいのだが、実際、誰も困らないのだよ」
「で……ですが……」
まだ何か付け加えるつもりらしい。
およそ見当はつくのだけれど、聞く姿勢は必要だ。
彼は、イヴリンの言葉を待つ。
すでに返答は頭の中にあった。
「このまま放置していれば、いずれ国民の耳にも入りましょう。外を出歩くだけでも、好奇の目に晒されることになるのではないでしょうか?」
「それは、困るだろうね」
「そ、そうでございましょう? ですから……」
「いや、すまない。言葉が足らなかったようだ」
イヴリンの勘違いを正すために、言葉を遮る。
聞く姿勢は必要だが、勘違いのままに話を進められたくはない。
「困るのは、この国の民なのだよ」
「それは、どういう……」
聞き返すイヴリンへと、彼は首を傾けてみせた。
当然のことになぜ気づかないのか、というように。
「外を出歩くこともままならない、肩身の狭い思いをしてまで、なぜ私たちは、この国に留まらなければならないのだろうね」
ハッとしたように息をのんだあと、イヴリンは顔を青ざめさせる。
己の言葉が、どれほど不用意だったかに気づいたのだ。
この国の平和はジョシュア・ローエルハイドによって保たれている。
それは、この国の常識だった。
彼が国を去ることを望む者など、誰1人いない。
逆に、誰も望んでいないのだ。
彼が王宮を辞することになった時も大変な騒ぎになった。
アイザックが宰相として王宮に属していなければ、国王に対する信頼は失墜し、あちこちで暴動が起きていたかもしれない。
不安や焦燥に駆られ、国を捨てる者も少なくなかったはずだ。
「噂を流した者も気の毒なことになるかもしれない。なにしろ困った話さ」
なんでもなさそうに言う彼とは対照的に、イヴリンは、いよいよ顔色を悪くしている。
この行動が、彼の亡命の引き金になったりしたら大事だ。
イヴリン本人だけではなく、ラウズワース公爵家だけでもなく、国全体の問題に発展しかねない。
少なくとも、ラウズワースの家が取り潰されるのは免れ得ないだろう。
「あ、あの……お祖父さま……」
声に、彼はレティシアのほうに顔を向けた。
心配そうに見上げている瞳に、ほかの誰でもなく、自分が映っているのが、とても喜ばしい。
心配事など軽くはらいのけ、安心させてやれるのが自分の特権なのだ。
「心配することはないよ、レティ。国を変えるとしても、屋敷ごと移せばいいだけなのだからね」
「そっか。お祖父さまなら、できそうだね」
「できるとも」
レティシアは、幸いにもというべきか、まだ街を知らずにいる。
つきあいのある者もいないため、国に対する執着がない。
愛着を持っているのは、この屋敷と「ウチのみんな」だけだ。
そして、レティシアの魂は小さな子供ではなかった。
良いことも悪いことも、彼女自身で判断できる。
正直な彼女は、ホッとした様子を隠さなかった。
瞳から不安も消えている。
「その時は、みんなが離れたくないと思う人たちも、一緒に連れて行くとしようか。離れ離れにさせるのは心苦しいだろう?」
「でも、その人たちが嫌がらないかな? 慣れた土地を離れるのって勇気がいるものでしょ?」
「そうだね。だが、たぶん嫌がらないのではないかな」
平和が約束されていない国より、平和が約束された国のほうがいい。
慣れ親しんだ土地を捨てても、明日の命の心配をしない生活を選ぶだろう。
ジョシュア・ローエルハイドが去ったとなれば、諸外国も欲を出してくる。
分かり切った事実だし、王宮も国民もそれを感じているからこそ、彼にこだわるのだ。
「もちろん嫌がる者を、無理に連れていこうとは考えていないよ?」
「それが、いいね。来てくれる人だけ……」
「お待ちください!」
悲鳴のような声があがった。
イヴリンが体の前で両手を握りしめている。
その手が震えていた。
よもや、あっさり国を捨てると言われるとは思っていなかったのだろう。
しかも、その方向に話が進んでいる。
恐怖に打ちのめされていても、しかたがなかった。
「さ、先ほどの……私の言葉は聞かなかったことに……なさってくださいませ」
「おや? そうなのかい?」
「わ、私が、大公様をお慕いしているのは本当ですが……み、身の程をわきまえておりませんでした」
「そんなことはないさ。きみの気遣いは、ありがたいと思っているのだよ」
彼は、にこやかに応える。
これは洒落に過ぎないのだ。
この先どうなるかはともかく、今はこの国から去る気はなかった。
「お心遣い、ありがとうございます、大公様。それでは、私はこれで……」
頭を下げ、イヴリンが暇を告げる。
顔をあげたイヴリンに、にっこりしてから、彼は言った。
「帰り際に聞くのも失礼なのだがね。きみは、なんという名だったかな?」
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