理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ

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第2章 黒い風と金のいと

最後の決断 2

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 わかっている。
 大公の言葉に、反論する気はない。
 サイラスが、ユージーンを巻き添えに死ぬつもりだったことくらい、ユージーンにもわかっていたのだ。
 ただ、それでもサイラスを抱きしめたかった。
 1度も、サイラスのぬくもりを感じたことがなかったから。
 
「大公……少しだけ……時間を……」
 
 ユージーンは、うつむいて、床を見つめている。
 大公のくだした決断は、くつがえらないのだ。
 サイラスが星を落とそうとした日から、なにも変わっていない。
 
「もう少しだけならね」
 
 そう。
 大公は、時間を引き延ばしてくれただけだった。
 サイラスが生き延びていることは、わかっていたに違いない。
 見逃したのは、ユージーンのためではないとも、わかっている。
 おそらく「良い結果」が得られたら、レティシアに話すつもりでいたのだろう。
 
 サイラスは生きているよ、と。
 
 そうなれば、レティシアの心の負担は、ぐっと軽くなる。
 思えば、サイラスがどこかでひっそり生きていくだけなら、放っておいても、大公にとっては、いっこうにかまわなかったのだ。
 とはいえ、大公自身は、そんな可能性を微塵も信じていなかったように思う。
 ただ「より良い結果」が得られるのなら、それに越したことはない。
 その程度の気持ちだった、との察しはつく。
 
 副産物として、ユージーンにも時間と期待が与えられた。
 が、より良い結果が得られなかったことは、明白になっている。
 だから「もう少しだけ」なのだ。
 
「……殿下は……私が……」
 
 サイラスは、まともに言葉が出せないらしい。
 声はかすれ、切れ切れにしか聞こえてこなかった。
 
「生きていると、思っていた」
 
 ユージーンは真面目で、わからないことを、わからないままにしておけない。
 できないことを、できないままにもしておけない。
 そういう性格で、生きてきている。
 だから、己を中心に物事を考えながらも、そこには必ず理屈を必要とした。
 ユージーンの勘は、経験則による。
 単純な勘に、頼ることはないのだ。
 
 大公は、サイラスを粉々にしている。
 その際、光の粒を、じっと見つめていた。
 そして、ジークだ。
 早く帰りたがっていたのは、知っている。
 さりとて、大公の元に戻りもせず、帰ってしまったようだった。
 なにか気に食わないことでもあるかのように。
 
「俺は、お前に、生きていてほしかったのだ、サイラス」
 
 どこでかはわからなくても、生きてさえいればいい、と思っていた。
 この世界のどこにもいない、となるよりは、ずっといい。
 いつか、探しに行ける日だって、訪れたかもしれないのだ。
 生きてさえいれば、会える可能性は残される。
 
 ひっそりと暮らすサイラスに、時々、会いに行って、相談事をしたり、悩みを打ち明けたり。
 そんな日もあったかもしれない。
 ユージーンは、ささやかな期待をしていた。
 
 大公が、サイラスを見逃すなんて、ほとんど奇跡に近いことだ。
 2度は、ない。
 サイラスは、生き延びられる最後の機会を失った。
 
「……ただ……生きていてほしかった……」
 
 サイラスは、魔力や魔術にこだわっている。
 取り戻しに来るのではないか、との危惧はあった。
 来てほしくはなかったが、ユージーンは、誰よりもサイラスを知っている。
 サイラスが「ただの人」である己を受け入れられないと、予感はしていた。
 そのため、ザカリーと部屋を入れ替えていたのだ。
 サイラスに、ザカリーを殺させるわけにはいかない。
 
 あの日と同じ。
 
 ユージーンは、王としての判断をしている。
 サイラスよりも、国の存続を選んだ。
 サイラスに生きていて欲しいと願いながら、追い詰めている。
 助けてやることもできない。
 してやれることは、なにもなかった。
 
 ユージーンは、サイラスを見つめる。
 サイラスは、ぼろぼろだった。
 体は腐りかけている。
 長くはたないだろう。
 あの理知的で、穏やかな姿は、どこにもない。
 まるで理性を持たない獣のようだ。
 
「……もう、よい……もうよいのだ……サイラス……」
 
 ユージーンの目から、涙がこぼれ落ちる。
 記憶にある限り、初めて、ユージーンは泣いた。
 
「お前は……よく尽くして、くれた……よく……」
 
 ぽろぽろと、涙が、頬を伝わり落ちていく。
 拭おうとも思わなかった。
 
「……頑張ったのだ……お前は……できる限りのことを……したのだぞ……」
 
 言葉が通じているのかも、わからない。
 サイラスの顔には、どんな表情も浮かんでいなかったからだ。
 憎しみさえも、その瞳からは消えていた。
 すべての感情が、サイラスという人間から欠け落ちている。
 
「……でん、か…………名が……」
 
 自らの名も思い出せないらしかった。
 それなのに、ユージーンを「殿下」と呼ぶ。
 
 ユージーンは、サイラスに近づき、その両手を握った。
 今度は、振りはらわれない。
 代わりに、サイラスがユージーンを見つめていた。
 感情は見えないのに、不思議そうにしているのが、わかる。
 
「お前の名は、サイラスという」
「さい……らす……」
 
 ユージーンは、サイラスに微笑みかけた。
 頬を涙で濡らしながらも、にっこりしてみせる。
 
「そうだ、サイラス……お前は……お前はな……俺の命の恩人であり、育ての親なのだ」
 
 ずっと一緒にいた。
 なにをするのも一緒だった。
 そばにいてくれたのは、サイラスだけだった。
 国を滅ぼそうとする危険な人物であったとしても。
 
「サイラス……お前は、偉大な魔術師であった……」
 
 そっと、手を放す。
 そして、サイラスから離れた。
 サイラスを見つめたまま、大公に言う。
 
「頼む……大公……」
 
 
 少し離れた場所に立っていた大公が、近づいてきた。
 大公の決断は覆らない。
 いつも正しい判断をする。
 
 人は守りたいものしか守れないのだ。
 
 ユージーンも正しい判断をする。
 国の平和と安寧のために存在する、王として。
 
「きみは、外に出ていたほうがいいのじゃないかね?」
「不敬であろう。口を慎め」
 
 これは、ほかの誰でもなく、自分の取るべき責なのだ。
 サイラスを説得できず、止めることもできず、より良い関係を築くこともできなかった。
 すべては己の責任だと、ユージーンは受け止めている。
 
 だから、大事な者を失うのだと。
 
 その責任は、誰にも肩代わりはできないし、させもしない。
 たとえ大公であれ、許すつもりはなかった。
 
「ジーク」
「あいよ」
 
 大公の隣に、ジークが現れる。
 2人にとっては、いつもの通りなのだろう。
 なんの感慨もなさそうだ。
 それでもかまわない。
 腹は立たなかった。
 
 ユージーンは、ただ見つめる。
 サイラスの最期を見とどける責任があった。
 
 ただ、それでも。
 
 どうしても涙を止めることは、できなかった。
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