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最終章 黒い羽と青のそら
ウサちゃんの正体 2
しおりを挟む「泣いたぞ?」
ユージーンは、驚いて、レティシアのほうを見た。
レティシアが、ジト目でユージーンを睨んでいる。
「泣いたんじゃないよ。ユージーンが、泣かせたんだよ」
「俺が? いや、しかし……」
「ぺんって、したじゃん」
「……それほど、力は入れておらん……」
「びっくりさせたんだって」
呆れ口調に、目の前が暗くなった。
最初で最後の機会で、失敗をしてしまった、と感じている。
後がない崖っぷちに立っていたのに、足を踏み外したのだ。
ユージーンは、こうした夜会には、よく出席していた。
が、赤ん坊に興味などなく、親に挨拶をしたのちは、ほかの貴族と適当な会話をして帰っている。
赤ん坊の顔さえ、ほとんど見たことはなかった。
「それでは、どうかルーナをあやしてやってくださいませんか? この子にとっても、祝福となります」
トラヴィスが赤ん坊を抱いたまま、近づいてくる。
全力で、断りたかった。
「トラヴィスさんも、こう言ってるんだしさ。そもそも泣かせたのは、ユージーンなんだからね」
レティシアに言われると、断りたくても断れない。
しかたなく、両手でトラヴィスから赤ん坊を受け取る。
「軽い……それに、ふにゃふにゃだ」
「赤ちゃんだもん」
「だが、泣きやまんぞ?」
ルーナという名の赤ん坊は、ユージーンの腕の中で、泣き続けていた。
顔を真っ赤にして、手をぎゅっと握り締めている。
「そうだねぇ……首がすわってるから、高い高いって、してあげたらいいかも」
「高い高い、とは、なんだ?」
「こうやってさ」
レティシアが、こんな感じとばかりに、動きを示してきた。
赤ん坊の両脇を抱き、目の高さくらいまで掲げるといったふうだ。
「あんまり激しく揺すらないようにして、上下に、高い高いってするんだよ」
「そ、そのようなことをして、大丈夫なのか?」
「大丈夫」
じとっと見られ、ユージーンは、恐々ながらも、赤ん坊の両脇を抱える。
それから、ゆっくり上下に動かしてみた。
2回ほどで、赤ん坊がピタリと泣き止む。
「お。泣き止んだぞ」
次に、きゃきゃっと笑った。
なんとなく嬉しくなる。
「そうか、お前は、これが好きなのだな」
軽くて、ふにゃふにゃしていて頼りなげな存在。
親に手を離されれば、生きてはいけないだろう。
それがわかるから、親は子を守ろうとするのかもしれない。
ユージーンは、高い高いをやめ、赤ん坊を腕に抱く。
見えているのかはともかく、じーっと見つめられた。
「しかしな、髪をつかんではいかん。あれは、痛いのだぞ?」
言葉が通じているはずもないが、あまりに、じーっと見つめてくるので、伝わる気がしたのだ。
ユージーンが赤ん坊をあやしている間、トラヴィスとレティシアが、2人で何か話していることには、気づいていない。
やがて、赤ん坊が目を伏せる。
口を大きく開いたのは、欠伸をしたのだろう。
すぐに、すやりと眠ってしまった。
ようやく、ユージーンは、ハッとなる。
「レティシア。寝たようだ」
「ホントだ。ちゃんとあやせたね」
レティシアがユージーンに向かって、にっこりした。
意図したものではないが、赤ん坊を泣かせた失敗は、取り戻せたらしい。
「それでは、私は、ルーナを寝かせてまいります」
トラヴィスに赤ん坊を渡す。
少し残念なような、安堵したような、複雑な心境だ。
さりとて、自分にも子供ができたら、あやせることはわかった。
そのことには、満足している。
「大叔母様のこと、よろしくお願いいたします。レティシア姫様」
「わかりました。またご連絡しますね」
2人の話を聞いていなかったユージーンには、なんのことかわからない。
トラヴィスは、2人に頭を下げ、室内に戻っていく。
レティシアがイスに座るのを見て、ユージーンも腰をおろした。
「なにか頼み事をされたのか?」
「サリーに会いたいって話でさ」
「ならば、屋敷に来ればよかろうに」
「サリー、家を出てから、1回も里帰りしてないみたいでね。会うって言ってくれるどうか、心配してるみたいだったよ。奥様を、がっかりさせたくないんだって」
「だから、お前に話を通しにきたわけか」
レティシアが、うなずく。
サリーの姉の事情も、ユージーンは知っていた。
だが、レティシアの喜びそうな話ではない。
さっきトラヴィスの言葉を、あえて切ったのは、聞かせないほうがいいと、判断したからだ。
サリーの姉は、ラドホープ侯爵の愛妾として囲われている。
しかも、かなり強引な手段で、強制的に愛妾にさせられていた。
考えれば、トラヴィスの懸念も、理解できる。
サリーは、いい顔をしないかもしれない。
トラヴィスの妻は、サリーの姉の子だが、父親は、姉を強引に奪ったラドホープ侯爵なのだ。
「ユージーン? どうかした?」
「ああ、いや……お前は、赤子を抱かずとも良かったのか?」
「そりゃあ、抱っこしたかったけど……また今度にするよ」
残念そうな口調に、ユージーンは少し笑う。
レティシアが「抱っこ」を好むのを思い出したからだ。
「ああいうものを抱くのを好むからな、お前は」
「ああいうもの?」
「やわらかくて、ふにゃふにゃしたものだ。ウサギとかな」
「ウサギ?」
きょとんとしているレティシアは、とても愛らしかった。
大公の森でのことが、記憶に蘇ってくる。
「頬ずりするのを、好んでもいたな」
「へ……?」
「憚ることなく、口づけもする」
「な、なに……?」
イスに肘を置き、ユージーンは頬杖をついた。
レティシアを、じっと見つめる。
ジークのことはともかく、いつまでも黙っているのは不公正な気がした。
今後、仮に良い印象を持たれたとしても、騙していたことを知れば、反応が変わるかもしれない。
今のうちに、憂いは断っておくほうがいいのだ。
印象が良くなってから、ドーンと突き落とされるのは、心に痛い。
愛称のことで、ユージーンは、それを学んでいる。
「俺は、いらいらせいぞうき、とやらで、うざくて、偉そうで、子作りのために、女を侍らせている最低野郎、だったか」
「え……? え……?」
おろおろしているレティシアは、なんと可愛らしいことか。
このあと、引っ叩かれる恐れはあるが、それでもかまわなかった。
レティシアの愛らしい姿を、ひとつでも多く見ておきたい。
「聞くのを忘れていたが、ぼんぼんと天然というのは、どういう意味か?」
「な、な、なん、なん……」
レティシアが、口をぱくぱくさせている。
それを見つつ、ユージーンは平然と言った。
「あの時のウサギは、俺だ」
ぱくん。
レティシアの口が閉じる。
大きな瞳が、こぼれ落ちそうなくらい、見開かれていた。
「薬で、変化していた」
ユージーンは、レティシアとウサギしか知らない話を、先にしている。
あの場には、2人、もとい、1人と1匹しかいなかった。
だから、レティシアの言葉を知っていることが、ユージーンが、あの時のウサギだったという、なによりの証なのだ。
「体がウサギであったのでな。こちらから話すことはできなかったが、お前が何を話していたかは、覚えている」
レティシアは、黙っている。
唐突に、切り出したせいかもしれない。
うまく話を、のみ込めていないのだろう、と思う。
念押しのため、ユージーンは、再度、同じ言葉を口にした。
「大公の森で、お前が出会ったウサギ、あれは俺だ」
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