理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ

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最終章 黒い羽と青のそら

籠の鳥 2

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 レティシアは、立っていられないくらいの恐怖を、感じている。
 レティシア自身に怪我はない。
 無傷だ。
 
 けれど、ユージーンは、痛めつけられている。
 自分には、なんの力もないのだ。
 ユージーンを助けることもできず、ただ、その背中に庇われている。
 
 なにかクィンシーに、声をかけたかった。
 やめてほしいと、頼みたかった。
 が、クィンシーが聞く耳を持たないのは、わかっている。
 そして、自分が、何かを言うことで、ユージーンの行動を、無意味なものにしてしまうとも、わかっていた。
 
(私が、なにかするたびに……周りに迷惑がかかる……みんな、私のために動いてくれてるのに……)
 
 とても、とても無力だ。
 
 祖父もユージーンも、レティシアを「綺麗事」の中に、置いてくれようとする。
 人が死ぬところも、殺されるところも、見せないようにと。
 
 確かに、綺麗事に身を置いておきたい気持ちはある。
 クィンシーのことにしても「嘆くのもわかる」と、言いたかった。
 
 レティシアだって、前の世界で、両親を亡くしている。
 それも「赤の他人」に、命を奪われたのだ。
 相手を、ひたすらに憎んでいた。
 自分の両親ではなく、そいつが死ねばよかったのだ、と思った。
 
 だから、クィンシーから憎まれるのは、当然なのだ。
 たった1人の家族を、奪われたのだから。
 
(でも……わかる、なんて言えないよ……サイラスを犠牲にしてでも、私はサリーを助けたかった……それに……)
 
 自分を庇い、痛みに耐えているユージーンが、目の前にいる。
 クィンシーの気持ちを理解するどころか怒りさえ感じていると、自覚していた。
 どうしたって、クィンシーの側には立てない。
 ユージーンや、城にいる人たちが救われることを、望んでいる。
 
「……ぐ……っ……」
 
 ユージーンの、くぐもった呻き声に、びくっとした。
 レティシアに見せないようにするためか、ユージーンは、手を前にしている。
 それでも、音は聞こえていた。
 耳を塞ぎ、しゃがみこんでしまいたくなる。
 
(もう……嫌だ……もう、こんなの……嫌だよ……)
 
 自分が、魔術のひとつも使えたら、ユージーンを助けられたかもしれない。
 けれど、祖父の言葉に甘え、自分を甘やかし、怖いことから逃げていた。
 
 魔術を覚えてしまったら、いつか自分も人を殺すかもしれない。
 
 その可能性に、どこかで引っ掛かっていたのだ。
 平和な世界で、生きてきた。
 人を殺すことなど、考えたこともない。
 どれだけ憎むことがあっても、自らの手で殺そうとは思わなかった。
 だから、怖かったのだ。
 
「そろそろ、あいつに頼みたくなってきたぁ?」
「ふざけるな。この程度で、俺の意思を変えることなど、できるものか」
「ふぅん。だったら、次は、どこにしようかなぁ」
 
 めきっ、という嫌な音が聞こえる。
 ユージーンの呻き声も、大きくなっていた。
 右腕が、曲がらない方向に曲がっている。
 
「やめ……っ……」
「骨を折るくらいしかできぬとは、能のない奴だ」
 
 レティシアの制止の声を、ユージーンが、言葉をかぶせて打ち消した。
 なにがなんでも、レティシアに口を出させまいとしている。
 きっと、クィンシーの意識をユージーン自身に、向けさせるために違いない。
 自ら標的とされるために、ユージーンは、クィンシーを煽っているのだ。
 
(時間稼ぎ……? でも……お祖父さまは……)
 
 この部屋の外にいる。
 壁を吹き飛ばすのは、簡単だろう。
 が、それをすれば、城の主要なホールが崩れ落ちる。
 祖父は、レティシアが望んでいないことはしないのだ。
 そう信じていた。
 
 『たった1人のために、大勢を犠牲にする。それが、ジョシュア・ローエルハイドなのでしょう?』
 
 クィンシーの言葉を、完全には否定できない。
 祖父に、そういう面がないとは言えないからだ。
 祖父は、いつだって「愛する者のため」にこそ残酷になる。
 レティシアにも、わかっていた。
 
 祖父は、心に秤を持たない。
 
 けれど、だからこそ、あの戦争の時のようにはならないのだ。
 大勢を犠牲にすることを、レティシアは望んでいないから。
 それを、祖父もわかってくれているはずだから。
 
(でも……でも、このままじゃ……ユージーンが……)
 
 きっとユージーンは、どこまでも耐える。
 命が尽きるまで、やり通そうとするに決まっていた。
 面倒くさくて、諦めが悪くて、しつこい。
 ユージーンは、とても厄介な人なのだ。
 
「サイラスが、お前を愛していた、と言っていたが、俺には妄言としか思えぬな」
 
 ユージーンが、なにを考えているのかわからない。
 これ以上、クィンシーを煽っても、酷いことをされるだけだ、と思う。
 痛めつけられるユージーンを、見ていられなかった。
 
 目に、涙がまってくる。
 ユージーンの必死さに、胸が苦しくなった。
 なにもしてあげられないことが、つらくてたまらない。
 
「にぃさんは、ボクを愛してくれていた」
「俺は、誰よりもサイラスを知っている。たとえ弟であろうが、お前のような者を、愛することはありえん」
 
 クィンシーの瞳に、剣呑さが漂う。
 ユージーンが、どんな顔をしているのかは、わからなかった。
 両手の指、そして、両腕の骨を折られても、平静さを保っている。
 呻いたのは、折られた直後だけだ。
 絶対に、痛いに違いないのに。
 
「お前に、なにがわかるんだよう! にぃさんは……にぃさんは、ボクを……」
「サイラスの最期を、お前は知らんだろ?」
 
 クィンシーが、ぴたりと言葉を止める。
 唇を震わせているのが、見えた。
 ユージーンの言葉に、動揺しているのだ。
 
「サイラスが、最期に口にしたのは、サイラス自身のことでも、お前でもなく」
 
 ユージーンは、折られた両腕を体の横に、垂らしている。
 けれど、まっすぐに立っていた。
 
「俺の名だ」
 
 クィンシーの目が、大きく見開かれる。
 すぐに、その青色の瞳が、暗く濁りを帯びた。
 
「嘘だ……っ……そんなこと……っ……」
「嘘ではない。サイラスは、最期に、俺を呼んだのだ」
 
 口調は、きっぱりとしていて、嘘ではないことを示している。
 クィンシーにも、わかっているはずだった。
 
 ぶわっと、一気に、クィンシーの周りの空気が変わる。
 事実を受け止められなかったのだろう。
 
「お前のことが、ボクは、ずっと嫌いだったぁ……死ねばいいと、思っていたんだよぉ……ボクから、にぃさんを取り上げて……独り占めしてさぁ……」
 
 クィンシーのほうから、なにかが向かってきた。
 はっきりと見えたわけではない。
 突風とでも言えるものが、叩きつけられたのだ。
 
「……かっ……っは……っ……」
 
 レティシアは、驚きにまばたきすらも忘れる。
 吹き飛んでいたのは、なぜかクィンシーのほうだった。
 壁に叩きつけられたあと、床に、その体が落ちる。
 赤い唇よりも、さらに赤い血が、口からあふれていた。
 
「ゆ、ユージーン……っ……?」
 
 ユージーンも、肩で息をしている。
 なにがどうなっているのか、わからない。
 ユージーンは、大きな魔術は使えないはずだ。
 下級魔術師程度の魔力しか持っていないとも聞いていた。
 
「ここから出ねば……っ……」
 
 言葉に、ハッとする。
 理屈は、この際、後だ。
 逃げることが最優先と、駆け出そうとした。
 が、しかし。
 
「こんなことも、できたんだねぇ」
 
 ゆらり…と、クィンシーが、立ち上がる。
 瞳には、もう狂気しかない。
 見上げた先にあるユージーンの横顔が、初めて苦痛に歪んでいた。
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