理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ

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婚姻後

時々は意地悪

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 彼は、自分の前に座るレティシアの様子を見つめていた。
 まだ「妻」という立場に慣れていないのだ。
 彼女は、孫であったレティシアとは違う。
 そもそも、16歳でもない。
 
(あちらの世界で、彼女は27歳だった。恋人もいたようだし、男女の事柄を知るからこそ、緊張している)
 
 彼女曰く「恋人はいたが、恋しいということもなかった」そうだ。
 とはいえ、恋人がいたという事実に、彼は嫉妬する。
 彼にも前妻がいて、亡くなった妻を愛してもいた。
 だから、彼女が「恋人」を愛していたとしても、なにも言えない。
 
(わかっているのに、どうも理性が働いていないな)
 
 今のレティシアは、彼の孫ではなく、妻だ。
 血縁の問題は解決がされ、愛することが許されている。
 周囲がどう思おうが、レティシアは、彼にとって、たった1人の愛する女性。
 かつて、彼女は、彼の女性遍歴を気にしていた。
 その気持ちが、今になって、わかる。
 
「昔、私も読んだことのある物語なのだが、きみも気に入ってくれるのではないかな」
 
 手にしていた本を、レティシアに渡した。
 彼女が、その本を開く。
 彼は、黙って、その様子を見ていた。
 頁がめくられるごとに、レティシアの体のこわばりが解けていくのを感じる。
 
(少しずつ、私に慣れてもらわなければね)
 
 突然の変化に、彼女は馴染めないだろう。
 彼の腕に、レティシアが飛び込んできてから1年余り。
 彼は、ずっとレティシアの祖父だったのだ。
 祖父と孫というのと、夫と妻では、距離感がまったく違う。
 家族という点では同じであっても、心の持ちようは別物だった。
 
 彼にしても、孫に対する愛しさではない、愛おしさを、彼女にはいだいている。
 レティシアに「愛」を向けられた際には戸惑った。
 自分に、そうした気持ちがあると認められなかったからだ。
 そのせいで、うまく対処できず、彼女を傷つけた。
 
 あの時の、レティシアの顔を思い出すと、今でも胸が痛む。
 彼は、2度とレティシアを傷つけたくないと、思っていた。
 だからこそ、急いで距離を縮める気もない。
 
 彼は、とても気が長いのだ。
 
 肝心なのは、少しずつでも、彼女が、彼を意識すること。
 体のことではなく、感情の上での意識の変化を必要としている。
 もちろん、愛する女性にふれたいとの気持ちがなくはない。
 だが、レティシアを折り曲げるような変化は、望んでいなかった。
 
(なにしろ、レティは、まだ私の名さえ呼べずにいるのだからねえ)
 
 少し笑ってしまいそうになる。
 その段階も越えられずにいるレティシアが愛おしかった。
 彼女は、とても初心うぶなのだ。
 そして、一心に、彼を想ってくれている。
 
 ほんの些細な言葉に、すぐ赤くなる顔。
 ちょっとしたことで、喜び、嬉しそうにする姿。
 彼がなんでもないと思える仕草をした時に、見せる笑顔。
 
 自分の想いが一方的なものではないと信じるに十分なほど、レティシアは感情に素直だった。
 直接的な言葉を口にしなくても、表情に出ている。
 レティシアに愛されていることは、彼にとっての至福なのだ。
 
(私より読書に夢中になっているのを、さて、いいことと捉えるべきか、それとも寂しいと思うべきか)
 
 レティシアは、熱心に読書中。
 元々、彼女は本好きだった。
 レティシアの好きそうな物語を選んだのだが、あまりにも熱心なので、少しだけ本に妬いてしまう。
 登場人物の騎士に夢中になっているのではないか、だなんて。
 
 レティシアの気を惹きたくて、黒い艶やかな髪にふれたくなった。
 けれど、ふれると、彼女は、また緊張するに違いない。
 そう思って、ひとまずやめておく。
 
 きれいな長い黒髪も、彼と似た黒い瞳も、生まれた頃から変わらない。
 もとより彼の血を受け継いでいたからだ。
 なのに、今は「ちゃんと」別人に見える。
 最初に気づかなかったのが、不思議に思えるほどだった。
 
 外見は同じでも、瞳の輝きが違う。
 性格だって、まるきり違っていた。
 そうした、魂の乗り移りのようなことがあると知らなかったとはいえ、彼女は、最初から、彼女でしか有り得なかったのだ。
 
 彼女は、彼にないものばかりで、構成されている。
 
 自分のことより人を気にして優先し、危ないとわかっていても躊躇ためらわない。
 まっすぐに相手と対峙する強さを持っていた。
 それが、どんな相手であっても。
 
 彼は、レティシア以外に関心がない。
 どんな誰をも犠牲にできる。
 そんな自分を、彼は忌避してもいた。
 なぜ、そうなるのか、彼自身もわからないのだ。
 
 たった1人の愛する人のためにしか存在理由を見いだせない。
 それが、彼だった。
 
 前妻には、そんな自分を悟らせまいと努力している。
 恐れられたくなかったからだ。
 自分の愚かで冷酷な本質を知れば、きっと去ってしまうに違いない。
 そう考え、前妻が亡くなるまで、隠し通した。
 
 孫として接していたレティシアにも、自分のそういう面は隠していたつもりだ。
 問題が生じて、知られることになりはしたが、彼は隠そうと思っていた。
 が、おそらく、問題が生じなくても、レティシアは気づいていただろう。
 
 彼にも、親しくしている者がいる。
 なのに、その者たちでさえ彼を引きめられはしない。
 レティシアの身に危険がおよぶとなれば、平気で犠牲にする。
 そんな彼の深い闇を知ってなお、彼女は受け入れてくれ、寄り添ってくれた。
 
 彼を引き留められるのは、レティシアだけだった。
 彼女が望まないから、しない。
 周囲に犠牲を出さないようにと配慮する理由は、それだけだ。
 レティシア以外の誰かを救うのも、同じ。
 
 それほどに、彼女の存在は特別なものになっている。
 
 彼は、レティシアのぬくもりを心地良く感じていた。
 彼を背もたれに、すっかり体をあずけている。
 安心しきっているのが、わかった。
 穏やかな笑みが、口元に浮かぶ。
 
(緊張がほどけるのはいいことだが、あまり安心しきられるのも困るのだよ)
 
 レティシアには、男性として意識をしてもらいたい。
 いきなりでなくともかまわないが、いつまでも「祖父」ではいられないのだ。
 少なくとも、彼にはもうレティシアが「孫」には見えていないのだから。
 
 レティシアの腰に両腕を、するりと回す。
 まだ彼女は気づいていない。
 
(それほど、その騎士が気にいったのかな。少し気にいらないね)
 
 本の中の騎士は、レティシアを夢中にさせているらしかった。
 頁をめくるのが速くなっている。
 こんなことは、本当に滑稽だと思うのだけれど。
 
(きみに意地悪をする私を、許しておくれ)
 
 ゆるく抱きよせ、こめかみに軽く口づけた。
 祖父と孫であった頃から、額や頬に口づけていたし、めずらしいことでもない。
 が、その時とは違う意味をこめている。
 
 ばさ。
 
 レティシアの手から、本が滑り落ちた。
 これまでと同じようでいて違う口づけに、動揺したらしい。
 本は膝の上にあるが、手元は本を読んでいた状態のままになっている。
 みるみる耳が赤く染まっていた。
 
 彼は、その耳元に口を寄せる。
 そっと囁いた。
 
「いけないね。私は、きみの読書の邪魔をしてしまったようだ」
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