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前編
光と闇と 4
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伸ばした手を中途半端に止めた金髪の男が、間の抜けた顔をしている。
相手にとっては、伯爵が急に現れたように見えたのだろう。
が、実際には、少し離れた場所にある馬車を出て、柵を越えて歩いて来た。
単に足音と気配を消し、距離がなくなってから、サッと近づいただけだ。
「聞こえなかったのか?」
男があんまり返事をしないので、伯爵は声をかけてみる。
もちろん本当に聞こえていなかったとは思っていない。
男爵家の息子ポール・カーズデンが、一瞬、怯んで手を引っ込めた。
それから、我に返ったらしく、怒りに顔を歪める。
「こ、この田舎貴族が! 観光なら、首都に行け!」
「本当に聞こえていなかったようだな」
それとも驚き過ぎて、記憶が飛んでいるのか。
いずれにせよ、自分の問いが無視されたのは確かだ。
「ムスタファ、ファルコ」
スッと薄暗がりの中に、2人の男が現れる。
1人は暗灰色の髪に黒い瞳の男。
伯爵より高い身長で、昔気質な黒い騎士服を身に着けている。
もう1人は金髪に黒い瞳、古風な従者といった身なりで、2人に比べると少し小柄だ。
「すみやかに、静かに、そこの3人を制圧しておけ」
「かしこまりました」
2人が音もなく動く。
指示を出している間も、伯爵は視線でポールを捕えていた。
配下が「使えなくなった」ことを、ポールは悟ったらしい。
たちまち顔色が悪くなり、唇が震えだす。
「な、なんの、け、権利があって、こんな……ぼ、僕は男しゃ……」
「自己紹介はいらん。ポール・カーズデン、ここは私の領地だ」
「ふ、ふざけるなっ! ここの領主が誰だか知らずに、適当なことを言っていると痛い目に合うぞ!」
「ほう。私以外の誰だという?」
「遺影の伯爵だ! 2百年間、誰1人、姿を見たことはない!」
正直に言えば、ポール・カーズデンに興味はなかった。
後ろから聞こえてくるかぼそい羊の鳴き声のほうが、よほど気になる。
「それを知って騙っているようだが、僕は騙され……っ」
ごんっ。
ロッドでポールの横面を殴った。
薄暗がりに白いものが散る。
折れた歯だということは、想像するまでもない。
「伯爵様」
いつの間にか、隣にカーリーが立っていた。
かぶっていたシルクハットを取り、ロッドと一緒に手渡す。
それから、振り向いて、すぐにしゃがみこんだ。
───ああ、彼女だ……私の愛しい羊。
薄暗がりの中だろうが、伯爵には彼女の姿が鮮明に見えた。
両腕に子羊をかかえ、伯爵を見上げている。
後ろでひとつに束ねられた栗色の髪と薄茶色の瞳。
鼻の周りにひろがって散った、そばかすのひとつひとつまでもが愛らしい。
襟付きの薄茶色をした綿シャツの袖を、彼女は肘までまくりあげて着ていた。
体に沿った動き易そうな焦茶の長ズボンとお揃いのベスト。
膝までの黒いブーツと相まって、いかにも勇ましい出で立ちだ。
1人で「ならず者」に立ち向かおうとする姿も好ましく感じる。
「怪我はありませんか?」
瞬間、時間が動き出したように、彼女が目をぱちぱちっとさせた。
そして、彼女自身ではなく子羊を「点検」する。
しばし子羊をまさぐったあと、彼女は、こくりとうなずいた。
「はい、怪我はないみたいです、は、伯爵様」
はきはきとした返事とは異なり、呼びかける口調は、はにかんでいる。
その様子に、知らず、くすっと笑いがこぼれた。
彼女の頬が、ほんのりと赤く色づく。
「その子を、こちらに」
子羊といっても、ずっと抱きかかえていては腕にも膝にも負担がかかるはずだ。
彼女は地面にへたりこんでいるし、早く立ったほうがいい。
すでに服が汚れているとしても。
「さあ、あなたも」
受け取った子羊を片腕に抱き、反対の手を彼女に差し出した。
頬をほんのりさせたまま、彼女が手を乗せる。
その小さな手を握り、注意深く引き上げた。
「あ、ありがとうございます」
手を離したくない気持ちもあったが、子羊が鳴いている。
伯爵は彼女の手を離し、子羊の背を軽く撫でた。
「伯爵様、こちらを」
シルクハットをカーリーから受け取り、さらにロッドと子羊を交換する。
カーリーとの意思疎通に言葉は不要。
これなら落ち着いて、手を取れる。
ロッドを左手に、再び彼女に右手を差し出した。
「では、まいりましょうか。向こうに馬車を置いてあります」
「あ、でも、私の家は近くですし、送ってもらうほどでは……」
「いえ、先ほどのことについてお聞きしたいので、一緒に来ていただけませんか?」
「そ、そうです、よね……わかりました。一緒に行きます」
伯爵は、心の中で首をかしげる。
繋がれた手に、緊張が伝わってきたからだ。
自分の言った何かが影響しているのだろうが、思い当たる節がない。
「どうかしましたか? 夜分に男と出かけるのは怖いかもしれませんが、屋敷には使用人も大勢いますから、安心してください」
「お屋敷に行くのは、ちっとも怖くないです」
「それなら良いのですが」
屋敷に行くのが怖くないのなら、緊張の原因は何か。
気にはなったが追及はせず、馬車を置いた場所の近くにある牛舎方向に歩いて行く。
柵の戸は開かれていた。
カーリーは、いつもきちんと仕事をする。
今は馬車の横にいるが、腕に子羊をかかえてはいない。
すでに母羊の元に戻してやったのだろう。
「少し驚かせてしまうかもしれません」
「外より中のほうが、もっと豪華なんですか?」
「そうですね。少なくとも馬車よりは」
きょとんとしている彼女を見て、自然と口元に笑みが浮かぶ。
シルクハットとロッドをカーリーにあずけ、胸元から黒鉄の鍵を取り出した。
元は王族や高位貴族にのみ与えられていたものだ。
昨今では、低位の貴族のみならず、商人でさえ貴族の口利きがあれば手に入れられるらしい。
とはいえ、伯爵の「鍵」は、そういう「下級品」とは違う。
もっと言えば、王族のそれよりも特殊な代物だった。
「移動には、必ずしも馬車が必要とは限りません」
馬車にはドアがついている。
そのドアには鍵穴があった。
そこに鍵を入れて回す。
カチャっという小さな音がした。
「ここが、私の屋敷です」
ドアを開くと、その向こうに屋敷内の客室が広がっている。
やはり驚いたのか、言葉をなくした彼女の手に、ぎゅっと力が入っていた。
相手にとっては、伯爵が急に現れたように見えたのだろう。
が、実際には、少し離れた場所にある馬車を出て、柵を越えて歩いて来た。
単に足音と気配を消し、距離がなくなってから、サッと近づいただけだ。
「聞こえなかったのか?」
男があんまり返事をしないので、伯爵は声をかけてみる。
もちろん本当に聞こえていなかったとは思っていない。
男爵家の息子ポール・カーズデンが、一瞬、怯んで手を引っ込めた。
それから、我に返ったらしく、怒りに顔を歪める。
「こ、この田舎貴族が! 観光なら、首都に行け!」
「本当に聞こえていなかったようだな」
それとも驚き過ぎて、記憶が飛んでいるのか。
いずれにせよ、自分の問いが無視されたのは確かだ。
「ムスタファ、ファルコ」
スッと薄暗がりの中に、2人の男が現れる。
1人は暗灰色の髪に黒い瞳の男。
伯爵より高い身長で、昔気質な黒い騎士服を身に着けている。
もう1人は金髪に黒い瞳、古風な従者といった身なりで、2人に比べると少し小柄だ。
「すみやかに、静かに、そこの3人を制圧しておけ」
「かしこまりました」
2人が音もなく動く。
指示を出している間も、伯爵は視線でポールを捕えていた。
配下が「使えなくなった」ことを、ポールは悟ったらしい。
たちまち顔色が悪くなり、唇が震えだす。
「な、なんの、け、権利があって、こんな……ぼ、僕は男しゃ……」
「自己紹介はいらん。ポール・カーズデン、ここは私の領地だ」
「ふ、ふざけるなっ! ここの領主が誰だか知らずに、適当なことを言っていると痛い目に合うぞ!」
「ほう。私以外の誰だという?」
「遺影の伯爵だ! 2百年間、誰1人、姿を見たことはない!」
正直に言えば、ポール・カーズデンに興味はなかった。
後ろから聞こえてくるかぼそい羊の鳴き声のほうが、よほど気になる。
「それを知って騙っているようだが、僕は騙され……っ」
ごんっ。
ロッドでポールの横面を殴った。
薄暗がりに白いものが散る。
折れた歯だということは、想像するまでもない。
「伯爵様」
いつの間にか、隣にカーリーが立っていた。
かぶっていたシルクハットを取り、ロッドと一緒に手渡す。
それから、振り向いて、すぐにしゃがみこんだ。
───ああ、彼女だ……私の愛しい羊。
薄暗がりの中だろうが、伯爵には彼女の姿が鮮明に見えた。
両腕に子羊をかかえ、伯爵を見上げている。
後ろでひとつに束ねられた栗色の髪と薄茶色の瞳。
鼻の周りにひろがって散った、そばかすのひとつひとつまでもが愛らしい。
襟付きの薄茶色をした綿シャツの袖を、彼女は肘までまくりあげて着ていた。
体に沿った動き易そうな焦茶の長ズボンとお揃いのベスト。
膝までの黒いブーツと相まって、いかにも勇ましい出で立ちだ。
1人で「ならず者」に立ち向かおうとする姿も好ましく感じる。
「怪我はありませんか?」
瞬間、時間が動き出したように、彼女が目をぱちぱちっとさせた。
そして、彼女自身ではなく子羊を「点検」する。
しばし子羊をまさぐったあと、彼女は、こくりとうなずいた。
「はい、怪我はないみたいです、は、伯爵様」
はきはきとした返事とは異なり、呼びかける口調は、はにかんでいる。
その様子に、知らず、くすっと笑いがこぼれた。
彼女の頬が、ほんのりと赤く色づく。
「その子を、こちらに」
子羊といっても、ずっと抱きかかえていては腕にも膝にも負担がかかるはずだ。
彼女は地面にへたりこんでいるし、早く立ったほうがいい。
すでに服が汚れているとしても。
「さあ、あなたも」
受け取った子羊を片腕に抱き、反対の手を彼女に差し出した。
頬をほんのりさせたまま、彼女が手を乗せる。
その小さな手を握り、注意深く引き上げた。
「あ、ありがとうございます」
手を離したくない気持ちもあったが、子羊が鳴いている。
伯爵は彼女の手を離し、子羊の背を軽く撫でた。
「伯爵様、こちらを」
シルクハットをカーリーから受け取り、さらにロッドと子羊を交換する。
カーリーとの意思疎通に言葉は不要。
これなら落ち着いて、手を取れる。
ロッドを左手に、再び彼女に右手を差し出した。
「では、まいりましょうか。向こうに馬車を置いてあります」
「あ、でも、私の家は近くですし、送ってもらうほどでは……」
「いえ、先ほどのことについてお聞きしたいので、一緒に来ていただけませんか?」
「そ、そうです、よね……わかりました。一緒に行きます」
伯爵は、心の中で首をかしげる。
繋がれた手に、緊張が伝わってきたからだ。
自分の言った何かが影響しているのだろうが、思い当たる節がない。
「どうかしましたか? 夜分に男と出かけるのは怖いかもしれませんが、屋敷には使用人も大勢いますから、安心してください」
「お屋敷に行くのは、ちっとも怖くないです」
「それなら良いのですが」
屋敷に行くのが怖くないのなら、緊張の原因は何か。
気にはなったが追及はせず、馬車を置いた場所の近くにある牛舎方向に歩いて行く。
柵の戸は開かれていた。
カーリーは、いつもきちんと仕事をする。
今は馬車の横にいるが、腕に子羊をかかえてはいない。
すでに母羊の元に戻してやったのだろう。
「少し驚かせてしまうかもしれません」
「外より中のほうが、もっと豪華なんですか?」
「そうですね。少なくとも馬車よりは」
きょとんとしている彼女を見て、自然と口元に笑みが浮かぶ。
シルクハットとロッドをカーリーにあずけ、胸元から黒鉄の鍵を取り出した。
元は王族や高位貴族にのみ与えられていたものだ。
昨今では、低位の貴族のみならず、商人でさえ貴族の口利きがあれば手に入れられるらしい。
とはいえ、伯爵の「鍵」は、そういう「下級品」とは違う。
もっと言えば、王族のそれよりも特殊な代物だった。
「移動には、必ずしも馬車が必要とは限りません」
馬車にはドアがついている。
そのドアには鍵穴があった。
そこに鍵を入れて回す。
カチャっという小さな音がした。
「ここが、私の屋敷です」
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