伯爵様のひつじ。

たつみ

文字の大きさ
25 / 80
前編

節度と程度 1

しおりを挟む
 伯爵に「遅くなったので」と言われ、今夜はこの屋敷に泊まることになった。
 屋敷に泊まるなんて恐れ多いと思ったのだが、「お礼」でもあると言われると、断りきれなくなったのだ。
 
 夫人とディエゴも泊まるらしく、カーリーに案内されて出ていき、今はいない。
 伯爵とファニー、ナタリーは、前にも来た客室にいる。
 テーブルには、ナタリーが用意した、お茶とケーキが置かれていた。
 
「そんな大層なことはしてないのに、ありがとうございます」
「いや、夫人も相手が“女性”だったから話し易かったのだと思いますよ」
 
 やけに伯爵が「女性」というところを強調したような気がするが、なるほど確かに公爵夫人にとって「女性」であるのは間違いない。
 たとえ伯爵にとっては、ただの牧童に過ぎなくても。
 
「どうぞ召し上がってください。お礼というにはささやかですが」
「そんなことないです。ケーキなんて普段は食べられないので」
 
 甘いものは、とかく金がかかる贅沢品なのだ。
 ポールに殺されずとも、羊や牛は病気で死ぬこともある。
 減った数だけ買い戻せるだけの資金を蓄えておかなければならない。
 
 ケーキを口にし、顔をほころばせつつ、向かいに座る伯爵をチラチラと見た。
 いろいろと訊きたいことはあるのだが、訊いていいのか迷っている。
 公爵夫人のことも気になるし、ディエゴについても訊きたかった。
 
「あなたに隠し事はしません。それでも言えないことは、話せないと言いますので、なんでも訊いてください」
 
 伯爵は、人の心を読むのが上手い。
 戦場にいると、そういうことにも長けていなければならないのだろうかと、ふと思った。
 ファニーも伯爵の心を知りたいが、心を読むなんて真似はできないので、素直に言葉で訊いてみる。
 
「公爵夫人は婚姻解消できますか? 貴族は体面を気にすると聞きました。借金を返済しても、ワイズン公爵側が同意しないこともあるんじゃないかと思うんですけど」
「あの時は、あえて黙っていましたが、実際のところ、ワイズン公爵の同意など必要ないのですよ。彼には“落ち度”がありますから」
 
 ワイズン公爵に「落ち度」があるならば、借金の返済を持ち出さなくても、夫人側から申し立てることはできる。
 婚姻解消が成立して困るのは、契約不履行の上、借金が残るワイズン公爵だけだ。
 
「夫人は、そのことを公にする気がなく、両者同意の元という前提を作りたかったようです」
「私の印象では……公爵夫人は体面を気にされるかたには思えないです」
「同感ですね」
「じゃあ、ワイズン公爵を庇ってるってことですか?」
「そうとは限りません。騒ぎになれば公爵家は面目を失い、意地を張って同意をしないことも有り得ます」
 
 話を長引かせるよりは、公爵家の体面を保って、すみやかに婚姻解消を成立させる。
 公爵夫人は、それを優先しているのかもしれない。
 
「あの……私が訊いていいのかわかりませんけど、落ち度って……」
「ありていに言えば、不貞です。彼が、デヴィーナ・ゴドヴィという公爵令嬢と親しい関係にあると、貴族の間ではもっぱらの噂。知らない者はいないほどですよ」
「でも……貴族は愛人を持つことが許されてるんじゃ……」
「許されているのではなく、古い風習の名残です。私が幼かった頃は、力のある男が複数の妻を持つことは普通でした。一族の力を強め、維持するために。もっとも、ある程度の規模になると、親子や兄弟間でのいさかいが起きていましたがね」
 
 ファニーは、ちょっと悩む。
 愛人を持つことが、ただの風習に過ぎないとしても、帝国法で明確に禁じられているのは、貴族が側室を持つことだけだ。
 おそらく伯爵が言ったような事態を避けるためだろう。
 
 とはいえ、逆に、帝国法には、愛人を持ってはいけない、とも書かれていない。
 
 個人的な感情を差し引くと「落ち度」とするには弱い気がする。
 とかく男性の不貞は許され、女性の不貞は厳しくとがめられがちだった。
 これは平民にも言えることで、当主や家長が男性であることが多いからだ。
 とくに貴族は、血の繋がらない子を認知してしまいかねないのを恐れている。
 
 当主が女性の場合は、立場が逆転するが、さほど多くはない。
 当主ではない公爵夫人が、ワイズン公爵の不貞を「落ち度」とできるだろうか。
 
「ファニーの心配はわかります。貴族の男が愛人をはべらせているのは、めずらしい話でもありませんし。ですが、ファニー、今回の場合、実際に不貞があったかは関係ないのですよ」
 
 首をかしげたファニーに、伯爵が小さく笑う。
 いつもの優しい雰囲気とは異なり、どこか「意地悪」気があった。
 だが、不快には感じない。
 
「夫人は、彼と夜をともにしたことがない、と言ったでしょう? 夫人側も承知の上でなら話は別ですが、夫人は夫婦関係を拒絶してはいませんでした。にもかかわらず、彼は夫人と夫婦関係を築こうとしていません」
「それは、借金のため……あ……」
「そうです。金のために夫人を騙して婚姻したも同然。婚姻とは、ただ式を挙げれば良いというものではありません。3年という猶予があり、なおかつ他に女がいるという噂まであるのですから、落ち度とされても言い訳はできないでしょう」
 
 伯爵が、夫婦関係について公爵夫人に訊いた時には焦ったが、そういうことだったのかと納得する。
 確実に公爵夫人の望みを叶えるために、必要な問いだったのだ。
 
「伯爵様は優しいですね」
 
 言うと、伯爵が、きょとんという顔をした。
 それから、ハッハッと明るい声を上げて笑い出す。
 ひどく楽しげな表情に、今度はファニーが、きょとんとなった。
 
「いや、失礼。私が夫人の手助けをする気になったのは、優しさからではないのです。あなたが怒っていたので、私もワイズン公爵が憎々しく感じられましてね」
 
 伯爵は、まだ小さく笑っている。
 くすくすと笑われて、ファニーの頬が熱くなった。
 
「そんなに分かり易いですか、私」
「あなたの感情は、とても豊かです。その感情に、素直で正直であることは、なにも恥ずかしいことではありません。むしろ、私には好ましく感じられます」
 
 悪印象はなかったらしいが、それでも恥ずかしい。
 伯爵に憧れていることまで見透かされていると思ったからだ。
 
(とりあえず、失礼な奴だとは思われなかったみたいだし……身の程知らずでも、心で想うくらいは、いいよね)
 
 自分に言い聞かせて、なんとか心を落ち着かせる。
 とはいえ、本人を前に、伯爵が自分の婚約者だと夢想するのだけはやめておくことにした。
 伯爵は優しいのでうとましいと思っていても、疎ましがったりはしないだろうから。
 
(迷惑かけないように、気をつけないと)
 
 最近は、ナタリーが髪を梳いてくれるので、いくらかマシになってきた。
 だが、そばかすは、今さら、どうにもならない。
 もう少し見栄えが良ければ自信を持てるかもしれないと思っていたが、公爵夫人を見て、その考えは消えている。
 
 伯爵の隣には、公爵夫人のような貴族が立つべきなのだ。
 
 貴族と平民では、持っている雰囲気が違う。
 どんなに着飾っても自分では釣り合わないと思い知った。
 肖像画を見て、ただ夢を見ていられた頃が懐かしいほどだ。
 ちょっぴり寂しく感じるのを振りはらうために、ファニーは話題を変える。
 
「そう言えば、ディエゴさんは気さくなかたでしたね」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

図書館の堕天司書 ―私達も図書館から禁帯出です―

ふわふわ
恋愛
有能司書レリアンは、蔵書管理ログ不整合の責任を押し付けられ、王太子の判断で解任されてしまう。 だがその不祥事の原因は、無能な同僚テラシーの入力ミスだった。 解任されたレリアンが向かったのは、誰も使っていない最下層。 そこに山積みになっていた禁帯出蔵書を、一冊ずつ、ただ静かに確認し始める。 ――それだけだった。 だが、図書館の安定率は上昇する。 揺れは消え、事故はなくなり、百年ぶりの大拡張すら収束する。 やがて図書館は彼女を“常駐司書”として自動登録。 王太子が気づいたときには、 図書館はすでに「彼女を基準に」最適化されていた。 これは、追放でも復讐でもない。 有能な現場が、静かに世界の基準になる物語。 《常駐司書:最適》 --- もしアルファポリス向けにもう少し分かりやすくするなら、やや説明を足したバージョンも作れます。 煽り強めにしますか? それとも今の静かな完成形で行きますか?

【完結】王宮内は安定したらしいので、第二王子と国内の視察に行ってきます!(呼ばれたみたいなので、異世界でも生きてみます。の続編です)

まりぃべる
恋愛
異世界に呼ばれた佐川マリア。マリア・サガワとしてこの世界で生きて行く事に決め、第二王子殿下のルークウェスト=ヴァン=ケルンベルトと一緒に、この国をより良くしていきます!って、実際は2人で旅行がしたかっただけ? 呼ばれたみたいなので、異世界でも生きてみます。の続編です。 長くなりましたので、前作の続きでは無く新しくしました。前作でしおりを挟んでくれた方ありがとうございました。 読んでなくても分かるようにしております。けれど、分かりにくかったらすみません。 前作も読んで下さると嬉しいです。 まだまだ未熟なので、稚拙ではありますが、読んでいただけると嬉しいです。 ☆前作で読者様よりご指摘が有りましたのでこちらにも記載しておきます。 主人公の年齢は設定としてありますが、読者様が主人公になれたらな(もしくは好きな年齢に当てはめて読めたら)という思いを込めて敢えて年齢を記載していません。

あなたの側にいられたら、それだけで

椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。 私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。 傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。 彼は一体誰? そして私は……? アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。 _____________________________ 私らしい作品になっているかと思います。 ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。 ※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります ※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

何もしない公爵夫人ですが、なぜか屋敷がうまく回っています

鷹 綾
恋愛
辺境公爵カーネル・クリスの妻となったフィレ・バーナード。 けれど彼女は、屋敷を仕切ることも、改革を行うことも、声高に意見を述べることもしなかった。 指示を出さない。 判断を奪わない。 必要以上に関わらない。 「何もしない夫人」として、ただ静かにそこにいるだけ。 それなのに―― いつの間にか屋敷は落ち着き、 使用人たちは迷わなくなり、 人は出入りし、戻り、また進んでいくようになる。 誰かに依存しない。 誰かを支配しない。 それでも確かに“安心できる場所”は、彼女の周りに残っていた。 必要とされなくてもいい。 役に立たなくてもいい。 それでも、ここにいていい。 これは、 「何もしない」ことで壊れなかった関係と、 「奪わない」ことで続いていった日常を描く、 静かでやさしい結婚生活の物語。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい〜long version

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。 *こちらは元の小説の途中に、エピソードを追加したものです。 文字数が倍になっています。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

処理中です...