伯爵様のひつじ。

たつみ

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前編

光明と無慈悲 2

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 ワイズン公爵夫人とディエゴは、伯爵邸に泊まった翌日には男爵領に向かった。
 あれから半月。
 結局、人の手配は伯爵がしてくれている。
 手の空いている臣下が大勢いるので問題はない、ということだった。
 
 男性が5人、女性が2人の人員増。
 男性には力仕事を主として、夜の警備も任せている。
 女性だから気を遣ったというのも、少しはあるが、男性陣は体格の良い人ばかりで、いかにも力仕事が得意そうに見えたのだ。
 
 女性には、細々とした片付けや放牧地の手入れをしてもらっている。
 全員が、ファニーと似たような軽装で、きびきびと働いていた。
 そして、ファニーに、とても愛想がいい。
 
 最初は戸惑ったが、みんな、ナタリーと知り合いらしく、叱られている姿を見ていたりするうちに、馴染んでいった。
 ナタリーは未だに丁寧な話し口調だが、新しい人たちは堅苦しいのが苦手らしく砕けた調子で話す。
 おかげで、ファニーも気楽に話せたのだ。
 
「私の羊は、忙しそうですね」
「あ! 伯爵様!」
 
 伯爵が、くすくすと笑っている。
 ファニーも、あははっと明るく笑った。
 手から羊が離れて、立ち上がる。
 足元は、ふわふわの毛だらけだ。
 
 部下の様子を見ておく必要があるからか、伯爵は2日に1度くらいの頻度で、牧場に顔を出す。
 伯爵に借りている7人は仕事にも慣れ、心配する要素はない。
 だが、それをファニーは言えずにいる。
 
 伯爵に会えるのが嬉しかったからだ。
 
 伯爵は今日も身軽な格好だ。
 牧童とまではいかないが、民の服と変わらないゆったり目のシャツとズボンを身に着けている。
 シャツは薄い水色で、ズボンはベージュ。
 
 なんということはない服装なのに、どきどきしてしまう。
 牧場の柵に両腕を乗せ、ファニーを見ている金色の瞳が優しく細められた。
 
「私が押さえておきましょうか?」
「大丈夫です。正しい形で押さえてあげれば、この子たちは暴れないんですよ」
 
 腰を折り曲げ、足で羊を支えなければならないので、体力は消耗する。
 とはいえ、毛刈りは見た目ほど簡単ではなく、熟練度が必要なのだ。
 ファニーも、毎年、父に教わりながら、少しずつ手伝わせてもらい、今に至っている。
 
「ちょうど刈り終わったようですし、少し休憩しませんか? もうお昼です」
「そうですね。まだ先は長いので」
 
 毛刈りのため分けている数頭の羊がいる小さな囲いの中に、細身になった羊を入れて、柵を閉じる。
 散らばっていた毛を敷いていた布ごと丸めて、囲いの近くに寄せておいた。
 
「ファニー」
 
 呼ばれて振り向くと、少し離れた場所に伯爵が座っている。
 いつの間に用意したのか、シートが敷かれ、バスケットが並んでいた。
 
 タタッと駆け寄って、ちょっとびっくりする。
 1人で仕事をしていた頃は、昼抜きなんて当たり前。
 今は、ナタリーに作ってもらっているが、簡単なものだ。
 
「豪華ですね」
「そうですか? ファニーにたくさん食べていただきたくて、少々、張り切り過ぎたようです」
「え……? えーと、あの、伯爵様が作ったんじゃ、ないですよね?」
「あなたが美味しそうに食べているのを見て、ナタリーと競ってみたくなりました」
「じゃあ、これ、全部、伯爵様が作ったんですか?!」
 
 思わず、ファニーはシートの上に手をつき、バスケットを覗き込む。
 中には、手に持てるサイズの丸型のパイが、いくつも並んでいた。
 パイは、果物の乗ったもの、肉や野菜の入ったものと、様々だ。
 
 隣のバスケットには、正方形をした蓋付きのガラスの器が入っている。
 鮮やかな緑や黄色の液体は、おそらくスープだろう。
 湯気が出ていないことから、あえて冷やしたものだと察した。
 
「簡単なものばかりですが」
「いえいえいえ! 私は、パイなんて焼けませんから!」
「戦場では、なんでも焼いて食べていたものです。もしくは、鍋に放り込んで、シチューにしたり。それをパイにしてみただけですよ」
「窯の使い方を知ってたんですか?」
「屋敷の厨房にあるものを、何度か使ったことがありました」
「伯爵様が直々に?」
 
 伯爵に手で促され、ファニーはシートの上に座る。
 横から手渡された、ほどよく濡れた布で手を拭いた。
 伯爵を真似たのだが、手を拭いたあとの布を見て、ぎょっとする。
 返すのが申し訳ないくらいに、汚れていたのだ。
 
「これは手拭き用ですから、汚れて当然でしょう? さっきまで、ファニーは一生懸命に、毛刈りをしていたではありませんか」
「使い慣れてないので、申し訳ない気がしますね」
「すぐに慣れますよ。こういう食事にも」
 
 伯爵が、バスケットの中からパイを取り出す。
 笑顔で差し出され、気恥ずかしくなりながらも受け取った。
 
 成長した羊、しかも、もこもこの毛の羊は重いのだ。
 ファニーにとって毛刈りは重労働なので、お腹が空く。
 1年前は父が亡くなったあと初めての毛刈りだったため、必死。
 食事を意識することさえなく、ひたすら毛を刈っていた。
 
「すごく美味しいです、伯爵様」
 
 伯爵の手作りだからだろうか、より美味しく感じられる。
 それに、ひどく嬉しい。
 牧童に過ぎない自分に、伯爵自ら、手をかけてくれているのだ。
 思うと、喜ばずにはいられなかった。
 
 にこにこして、パイを口に頬張る。
 お追従ではなく、本当に美味しい。
 
「飲み物もどうぞ」
「これは、果実酒ですか?」
「ええ。ですが、アルコールは飛ばしていますので、安心して飲んでください。ファニーは、この後も仕事がありますからね」
「お気遣い、ありがとうございます」
 
 冷えた果実酒を口にしつつ、小さく笑った。
 思い出し笑いだ。
 伯爵の視線に気づき、考えていたことを話す。
 
「実は、近いうちに養子を迎えるつもりだったんです。でも、今は、その必要もなくなったなって」
「養子……ファニーは子が欲しいと……?」
「というより、後継者がほしかったんですよね。私1人では、子を成せないので」
 
 牧場は、伯爵からあずかった大切な場所だ。
 代々、受け継いできたものの、父の代で、子はファニーだけとなっている。
 とはいえ、ファニーは名目上「伯爵の婚約者」なので、ほかの男性と婚姻したり、子を成したりすることはできない。
 
「でも、伯爵様がいれば、養子は必要ないですよね」
 
 元々、この牧場は、伯爵が所有している。
 後継者がいないのであれば、伯爵が指名するはずだ。
 ファニーが気を揉むことはない。
 
(私が管理できてる間は任せてもらえるだろうし、伯爵様が後継者を連れて来たら、牧童の仕事を教えるのが、私の仕事になるんだよね、たぶん)
 
 その時になってみなければわからないが、おそらく「そんな感じ」になるのだと、ファニーは想像していた。
 なので、後継者のことで思い悩んでいた自分を思い出し、笑ってしまったのだ。
 
 伯爵が目覚めたのだから、心配する必要はなかったな、と。
 
 ふと、隣が静かになっているのに気づいて、笑いをおさめる。
 伯爵が、じっと黙り込んでいた。
 が、ファニーから視線を外し、空を見上げて、言う。
 
「ファニー、私は、きっと子羊も慈しむことができるでしょう」
「もちろんですとも! だって、伯爵様は羊が大好きですもんね!」
 
 羊に愛情深い伯爵がいれば、この牧場は安泰だ。
 うんうんとうなずきながら、ファニーは新しいパイに手を伸ばす。
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