伯爵様のひつじ。

たつみ

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前編

率直と婉曲と 3

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 伯爵は、悩んでいる。
 眉根を寄せ、肘掛けイスに深く背をあずけ、肘置きに頬杖をついて悩んでいる。
 
 いつ「ディナー」に、ファニーを誘おうか。
 
 このところ、雨の日が増えていた。
 ファニーは、牧場に出られずにいる。
 羊も、いくつかの羊舎にこもりっ放しだ。
 餌や水やりという仕事はあるにしても、手伝いに行かせている「葉」がいるので、さほど時間はかからないだろう。
 
 こういう時にこそ、ファニーを屋敷に「お招き」したい。
 
 そうは思うのだが、なかなか誘えずにいる。
 上手い誘い文句が思いつかないのだ。
 ファニーは慎ましい暮らしを好む。
 贅沢なディナーよりピクニックに喜ぶ女性なのだ。
 
───彼女を恐縮させるのでは、意味がない。
 
 屋敷に泊まった日も、彼女は恐縮していた。
 またしても、朝食も取らずに、さっさと帰ってしまったほどだ。
 せめて見送ろうとしたのに「見送りなんて恐れ多い」と、キッパリ断られている。
 ファニーは笑顔だったが、伯爵は落胆のあまり涙目になりかけた。
 
 無様な姿を見せまいという意思の力で持ちこたえたものの、伯爵は迷走している。
 少しずつ距離を縮めると言ったが、少しも縮まる様子がない。
 原因も曖昧だった。
 
 ファニーは率直で正直なのに、掴みどころのない女性でもある。
 少し近づけたと思いきや、次の日には壁ができているといったふうなのだ。
 
───恐れ多い、か。それが、ファニーと私との壁になっているのだろうか。
 
 自分とファニーは婚約関係にあり、合意が取れていると、互いに承知していた。
 なのに、彼女は恐縮したり、たびたび「恐れ多い」と口にしたりする。
 伯爵は、内心、もっと甘えたり頼ったりしてほしいと思っていた。
 伯爵に迷惑をかけまいとする行動は微笑ましいものではあるが、距離を置かれているようで寂しくもある。
 
 ───私たちの歩みは、羊どころか牛より遅い。
 
 距離を縮めたいのに、近づく方法がわからない。
 伯爵の重ねた年月の中には、親密になった女性の姿はないのだ。
 自ら口説いたこともなかった。
 
「伯爵様、5日前のことは、ディエゴが収拾をつけたとのことにございます」
 
 とりあえず、ディナーの件は、いったん保留とする。
 頬杖をついたまま、右斜め前に立つカーリーに視線だけを向けた。
 
「5日前? ああ、リーストンのことか」
 
 オリヴィア・リーストンがファニーの元を訪れ、ヴァルガー侯爵令嬢とディエゴをなんとかしろと言ってきたらしい。
 すぐに駆け付けようとして、伯爵は考え直している。
 ファニーの気持ちを尊重すべきだと思ったからだ。
 
「私に迷惑をかけないよう、彼女は自らで対処しようとしていた。実際、彼女は上手く、リーストンを追いはらっている」
「仰る通りにございます。意識していたかはともかく、あの女、伯爵様が出て来られるのを期待して、ファニー様を困らせていたのかもしれません」
 
 カーリーは、オリヴィア・リーストンの「値」を下げた。
 リーストンの娘という言いかたから「あの女」に変わっている。
 伯爵は会ったことがないが、オリヴィアの父クライブ・リーストンに対しては、わずかながら高値をつけていたのだろう。
 
「人は血統だけで語れるものではない。枝葉えだはにも独自の個性はあるが、お前の認識外にあるのは落ち葉だけだ。その落ち葉とて葉を介して繋がっている。しかし、カーリー。人の繋がりは血ではなく、感情が優先されることも多い」
「ヴァルガーが娘より妻との思い出を選んだように、でございましょうか?」
「そうだ。同様にクライブ・リーストンが、伯爵領を忠実に守り続けていたとしても、娘も同じように育つとは限らん」
 
 伯爵は、フッと笑う。
 なかなかに面白いやり口だと思ったのだ。
 
「昔は騎士になるのに資格など必要なかった」
 
 家族を殺された者、家族を守りたい者、それしか金を稼ぐ手立てのない者、功績を上げて名を残したいと考える者。
 各々の理由によって騎士になったのだ。
 
 能力のない者は死んでいく。
 
 それが戦場に立つ「騎士」だった。
 もちろん戦力強化のために訓練はしたが、「騎士学校」なんていうご立派なものではない。
 
「騎士学校は首都にしかないしな」
「領地を離れ、10年も暮らせば首都に染まりましょう」
「幼い間に首都に呼び寄せ、自分たちに都合の良い教育をする。そして、大半の騎士が、領地ではなく、国すなわち皇家に忠誠を誓うようになる。臆病なスラノの考えそうなことだ。しかし、着想は面白い」
「そうでしょうか? 視野が狭過ぎるのでは?」
「そこがスラノの限界なのさ」
 
 臆病だから視野が狭くなる。
 視野が狭くなるから、もっと臆病になる。
 悪循環がスラノを最期まで苦しめたに違いない。
 
 『自分だって、いつか誰かに裏切られるかもしれない。信じられる相手なんてできっこありません』
 
 ファニーの言葉を思い出した。
 誰のことも信じられず、1人で怯えながらスラノは死んだ。
 
「憐れだな」
 
 自分を裏切った同郷の友人であったはずの男を、伯爵はそう評する。
 裏切り者のスラノ・モディリヤは、もういない。
 そして、伯爵は「裏切られた者」でいる必要がなくなった。
 
「私は独りではない」
「仰る通りにございます、伯爵様」
 
 ファニーがいる。
 加えて、人ではなくとも、カーリーを始め、枝葉がいる。
 
───スラノ、私は、今、女性の口説き方で悩んでいるのだぞ。国や戦場とは関りのない悩みをかかえている。
 
 カーリーにもたらされた情報により、スラノの死が惨めなものだったのは知っていた。
 だが、優越感や満足感はない。
 ただ「憐れだ」と感じる。
 
「とはいえ、皇宮辺りに、スラノの魂が臆病風を吹かせ回っているのだろう?」
「さようにございます」
「ならば、ここいらでカタをつけてやるのも悪くはない。まぁ、向こうから仕掛けてくれば、だがな」
「いつでも、なんなりと」
「正直、私にとって、今はそれどころではない」
「ファニー様のことにございますね」
 
 カーリーに、重々しくうなずいてみせた。
 皇宮のことなど、これから先の人生において邪魔なだけだ。
 ファニーと穏やかな生活をおくるほうが、よほど重要だった。
 
 そのためにも、まずファニーを、どう誘うか。
 
 親しくなり、距離を縮め、求婚をし、応じてもらえたら婚姻をして。
 
 その道のりは、果てしなく遠い。
 半島の南端から見えるゼビロスの大陸に辿り着くよりも困難な気がした。
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