伯爵様のひつじ。

たつみ

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前編

散歩と牛歩と 4

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 これほどまでにゼビロスが近かったとは思いもしなかった。
 海を見たこともなかったため「海の向こう」と言われれば、もっとずっと遠くにある気がしていたのだ。
 
「こんなに近いんじゃ……狙われるのも当然ですね」
 
 こちら側からゼビロスが見えるのだから、向こうだって同じ。
 すぐそこに「実り」があると知れば、何回でもやって来る。
 1度、羊を貪った野犬や獣が繰り返し襲って来るように。
 
「帝国は……半島を生贄にしたんですか?」
 
 昔、父親に聞いたことがあった。
 ほかの牧場の話だ。
 1頭の羊かヤギを囮にして、野犬や獣を狩るのだという。
 
 囮は木に括りつけられ、動けない。
 逃げることもできず、身を守るすべもない。
 たいていは狩りの間に殺されてしまうのだそうだ。
 
 帝国にとって、半島は囮ですらなかった。
 
 ゼビロスに「餌」として与えていたに過ぎない。
 半島以外のリセリア領土を守るため、半島は見捨てられたのだ。
 
「統一前、リセリアでは小さな国同士が争い、民が犠牲になっていました。それを正したくて、私とスラノは、民であった者たちを戦士に変え、統一国家の樹立を目指したのです。ですが、国が安定すれば、戦士である必要はなくなります。彼らにも守るべき者、守りたい者がいて、命も惜しくなったでしょうし」

 犠牲を強いられる立場を変えるために戦ってきたのだから、立場が変われば戦う「理由」はなくなる。
 理屈はわかるが、だからといって半島が生贄にされたことに納得はできない。
 
「でも、伯爵様は助けてくれたじゃないですか」
「私は領地を持ってはいませんでした。それに半島を平穏にしなければ、真の国家統一とはならないという、私自身の理想を実現させたかったのです。けして、善意や正義感からではありません」
「それでも! 伯爵様が来てくれなかったら、半島は襲われ続けてたと思います。私だって、今ここにいなかったかもしれません。理想だとしても……その伯爵様の理想に、半島は救われたんです……」
 
 自分の祖先が、どれだけ伯爵様に感謝したか、容易に想像できる。
 逆に、領地を去った者たちに腹が立った。
 年月は、人の心を押し流す。
 かろうじて伯爵への感謝を繋いで来た家系に生まれて良かったと思った。
 
「ファニーは、リセリアが好きですか?」
「リセリアがっていうより、半島が……伯爵領が好きです」
「ここは……私にとっても特別な地になりました」
「そうなんですか?」
 
 ファニーは隣に立つ伯爵を見上げる。
 ダークブルーの髪が風に流れ、口元には笑みが浮かんでいた。
 金色の瞳は、遠くを見つめている。
 
「ここには、私の羊がいますから」
 
 なぜか胸がふわっとなった。
 伯爵が羊に愛情深いのは知っている。
 なのに、なにかひどく特別な言葉を投げかけられた感じがしたのだ。
 
 スッと、伯爵はゼビロスを指さす。
 伯爵から視線を外し、指し示されたほうへと向けた。
 視界に入り切らないほど大きな大陸だ。
 
「私は多くのゼビロス人と戦いました。リセリア人が5人がかりで1人を倒せるかどうかというほど彼らは屈強で、地の利がなければ追いはらうのは難しかったでしょう。しかし、彼らもまた飢えていたのです」
「飢えていた?」
「リセリアでは当たり前に行われていた農耕や牧畜の技術や知識が、ゼビロスにはなかったのです。彼らは、魚や獣を捕え、自然に育った野草を食べていました」
 
 牧童をしているファニーには、想像もつかない生活だ。
 だが、伯爵の「飢え」がどういうものかは予測がついた。
 
「不漁が続いたり、獣の数が減ったりしたら、食べ物がなくなりますね……」
 
 自然なものだけを頼りにしていれば、環境や天候の些細な変化が大きな打撃になりうる。
 野犬や獣が牧場の羊を襲うのは「そこに生きる糧がある」と知ったからだ。
 だが、その数が増えるのは、主に繁殖期だった。
 
 ファニーにとっては大事な羊だが、襲う側にも生かしたい命がある。
 それでも、食べ物がないから、子がいるからと、見過ごしにすることはせず、排除してきた。
 
 ファニーは、牧童なのだ。
 
 どんな理由があっても、牧童である以上、羊や牛を守るのが彼女の役目だった。
 ファニーは牧童としての自負があり、家業に誇りも持っている。
 ファニーの一族は、1度たりとも「囮」を使ったことがない。
 
「また、ゼビロスは襲って来ますか?」
 
 現在のゼビロスは、リセリアと同じく統一国家となった。
 リセリアに遅れること百年余り、セビロスはゼビロス帝国となったのだ。
 
 スッと伯爵が腕をおろし、ファニーのほうに顔を向ける。
 気づいて、ファニーも伯爵を見上げた。
 繋がった視線に、胸がさわぐ。
 伯爵の金色の瞳に、心まで吸い込まれてしまいそうだ。
 
「最早、戦争は必要ありません。ゼビロスの技術や知識は、リセリアのそれを上回っています。あえて襲撃などしませんよ」
「えっと……ゼビロス帝国のほうがリセリア帝国より豊か、なんですか?」
「その通りです。襲う意味もなければ、脅威でもない、ゼビロスはリセリア帝国をそのように評価しているでしょう」
 
 伯爵が優しく微笑む。
 ゼビロスのあまりの近さに衝撃を受けたが、伯爵との会話で落ち着いた。
 伯爵の笑みに、気分が良くなっていることに気づく。
 
「リセリア人たちは、未だにゼビロス人を野蛮だと思い込んでいます。しかし、隣接した3つの国家で奴隷制がないのはゼビロス帝国だけ。果たして、どちらが野蛮なのでしょうね」
 
 リセリア帝国では、帝国内で生まれたとしてもゼビロス人は生涯奴隷だ。
 商人が連れていた奴隷の待遇は、酷いものだった。
 見ていれば、まともに「人」扱いされていないのだと、すぐに分かる。
 
(伯爵様は民が犠牲にならない国を理想にしてたんだよね、たぶん……だったら、奴隷制なんて認めるわけない)
 
 ここで、ファニーにゼビロスについて語ったのも、そのためだろう。
 半島を襲撃し、民を殺したゼビロス人を許せとは言わないまでも、理解を求めている。
 今はかなり複雑な心境だが、いずれ許せる日さえくるかもしれない。
 
 人は置かれた環境や状況によっても取れる手立てが変わって来る。
 追い詰められれば、なおさら直線距離を進もうとする。
 ゼビロス人たちが足掻いた先に、半島があっただけなのだ。
 
「ところで、ファニー」
 
 唐突に、伯爵が、くるっと体をファニーのほうに向ける。
 自然、向き合う格好になった。
 
「あなたの家の隣に、家を建ててもいいでしょうか?」
 
 牧場も含めて、ファニーの家も伯爵領の中にある。
 領主である伯爵が承諾を得る必要はない。
 さりとて、急に隣に家ができ始めたら驚いたはずだ。
 伯爵の気遣いに、ファニーは笑顔でうなずく。
 
「もちろん、いいですよ。誰の家か、訊いても?」
「私の家です」
「…………??? え……???????!」
 
 あまりに驚き過ぎて、口がパクパク。
 言葉も出せないファニーに、伯爵が狼狽うろたえたように言葉を付け足す。
 
「私の羊と親しくなりたいのですが、その機会はあまりに乏しく。かと言って屋敷に連れ帰るのもいかがなものかと。であれば、私が牧場で暮らせば良いと考えました。ご迷惑でしょうか?」
 
 ファニーもびっくりしていたので、伯爵の狼狽ぶりには気づいていない。
 説明を聞いて、ただ納得した。
 
「ちっとも迷惑じゃないですよ!」
 
 戦争は終わり、ゼビロス人も襲ってはこない。
 伯爵は、もう戦わなくてもいいのだ。
 大事な羊と平和な日々を過ごしたいのだろう。
 そう、大事な羊と。
 
「その家で過ごす間は、思う存分、羊を可愛がってあげてください!」
「もちろん、そうします」
 
 伯爵の笑顔に、ファニーも笑顔になる。
 不純な動機だとの考えが頭をよぎったが、伯爵と過ごせる時間が増えたことを喜ばずにはいられなかった。
 そして、心の中で想う。
 
(私も羊だったら良かったなぁ)
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