伯爵様のひつじ。

たつみ

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後編

羊飼いに牧童に 3

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 戦争もせず、奴隷も解放できるといい。
 
 ファニーの考えは、もとより伯爵が考えていたことと一致していた。
 眠りにつく以前とは異なる目的となったが、ゼビロスと西方を支配下におけるようにしておいたのは、伯爵の有利に働いている。
 適切な指示を出せなかった中、カーリーも枝葉えだはも精一杯のことをしてくれたのだ。
 
───これからは、あのものたちにも穏やかで楽しい暮らしをさせてやりたい。
 
 伯爵を引きずりこむほどの闇。
 その原因のひとつは、枝葉との共感にある。
 彼らが、どれほど悲しかったかを、伯爵は理解していた。
 自分やファニーだけではなく、枝葉にも、もうそうした思いはさせたくない。
 
 そのためならば、非情になるべき時は情けを捨てるつもりでいる。
 
 伯爵は、ファニーと繋いでいないほうの手を前に伸ばした。
 ゼビロスとは違う方向を指さす。
 
「……西方……?」
「リセリアは、ゼビロスとの交易がありません。その上、長年の贅沢に慣れ、国内での生産物は嗜好品に傾いています。食料品の多くは、西方からの輸入に頼っているのですよ」
「ぇえっと……もしかして、伯爵様は西方にも……ツテが?」
 
 ゼビロスに行く前のことを思い出したらしい。
 ゼビロスは時間をかけて攻略していたが、西方はたったの28年だ。
 まだ完全な支配下におけているとは言えなかった。
 とはいえ、ゼビロスと同等の「ツテ」はある。
 
「西方は小さな島の集まりで、それぞれに生産品が異なります。中でも、最も大きな北端にある島では、作物の栽培が盛んです。リセリアへの輸出の大半を担っているのも、その島なのです」
「つまり、その島が生産品を出荷しなかったり、値段を上げたりすると、リセリアは国内だけで食料品が賄えなくなるってことですね」
 
 伯爵は西方を見つめ、うなずく。
 リセリアは安穏とし過ぎていたのだ。
 じわじわと首を絞められていることにも気づかないほど、周囲が見えていない。
 
「昔は、自分で食べるために作物を育てており、それが力ある者に奪われ、いくら育てても自分の口に入るのはわずか。それでも、生きていくために作物を育て続けた。そういう生活を、リセリアは忘れてしまったのでしょう」
 
 伯爵は西方の方角から視線を外し、ファニーのほうへと顔を向けた。
 伯爵を見上げる薄茶色の瞳に、にっこりする。
 
「その北端の島の主が、ディエゴです」
「え……ぇええっ?!」
「さらには、西方諸国の総帥でもあります」
「ぅええええっ?!」
 
 よって、ディエゴの誘導により、西方の動きを調整できるのだ。
 西方は商売人の国と言っても差し支えない。
 リセリアとゼビロス、2大帝国を相手に「商い」で渡り合っている。
 なので、交易に関して簡単には承諾しないだろうが、不可能ではない。
 
 その辺りは、ファウストとディエゴ、それにディエゴの補佐をしているカッツが上手くやるだろう。
 もちろん伯爵も丸投げにする気はない。
 
 人の心には機微があり、複雑だ。
 計算通りには進まないこともある。
 だからこそ、自分という「人間」が必要なのだ。
 
 枝葉は伯爵のために、伯爵も枝葉のために。
 
 なによりファニーとの暮らしを大事に守っていきたい。
 枝葉も、きっとそれを望んでいる。
 なので、最善は難しくても、より良い国を今度こそ創りたかった。
 
「私は驚いてばっかりですよ、伯爵様」
「すみません。私にとって彼らは臣下ですから、そのほかの身分は、さして気にしていないのです」
「みなさん、伯爵様のことが大好きみたいなので、安心ですね」
「ええ、本当に。リセリアから奴隷がいなくなるのも、そう遠くないでしょう」
 
 すでに手は回してある。
 ジュードという「葉」を始め、ファウストはゼビロスで生じたものたちを奴隷としてリセリアに配しているのだ。
 リセリアとゼビロスに「交易」がないため西方経由となるが、そこはカッツが手配を受け持っている。
 
 そのことで、ファウストとカッツは、かなり落ち込んでいたという。
 奴隷は、いつ殺されてもおかしくない。
 送り込んだ「葉」たちが役割を果たすため、奴隷という存在を完全に模倣していたので、たまたま殺されずにすんでいただけだ。
 
 しかし、ファウストたちにとっては、伯爵の「国の情勢を見守ること」との指示を果たす手段に過ぎなかった。
 伯爵の是非が問われていない「奴隷制」の知識を得るためだ。
 ならば、責められるべきはファウストたちではなく、曖昧な指示しか残せていなかった自分だろう。
 
───それも、もう終わる。
 
 ディエゴに男爵領を任せた時から、リセリア全土に配された「葉」が、一斉に動き出した。
 情報漏れのないよう細心の注意をはらいつつ、奴隷たちに亡命を呼びかけ始めたのだ。
 半島まで逃げるのは簡単かつ安全。
 なにしろ、こちらには「マスターキー」がある。
 
 そして、リセリアにある「境界鍵ドメインキー」から、こちらに繋がる「鍵穴」は、すべて塞いだ。
 今後はリセリアを圧迫するため「境界鍵」自体を使えなくする予定だ。
 貴族や商人は、大きな移動手段を失うことになる。
 今までのように、気軽に移動できなくなり、さぞや混乱するに違いない。
 
 新しい移動手段を作るには、時間も費用も人手も必要。
 
 どのくらいの期間になるかはともかく、リセリアの国力低下は否めない。
 新しくできた国に手出しをしている暇などないほどに。
 
「我が国に亡命してきたゼビロス人たちが、どれくらい領民となるかはわかりません。祖国に帰ることを望む者もいるでしょうからね」
「それは当然です。でも、残ってくれる人も多いんじゃないかと思いますよ」
 
 ファニーは、何気なく言っている。
 だが、それが「本質」だとは気づいていない。
 気づかないのは、それがファニーにとって「普通」のことだからだ。
 
───私は、あなたの率直で明るく、前向きな姿に心惹かれずにはいられない。
 
 つらいこと、嫌なこと、困ったこともあったはずなのに、ファニーには活気があった。
 伯爵を悩ませる女性でもあるが、それを「なんということもない」と思わせてもくれる。
 
「だって、半島はそこそこ広いですし、何もないですよね。前はあった染色や羊毛の加工とか、教えてくれる人さえいれば、仕事は山ほどあると思うんです。ただ逃げて来るだけじゃ、どうやって生きていけばいいのかわからなくても、仕事があれば、そこに住もうって気になるんじゃないですか?」
「あなたの言う通りです。彼らが自立した生活をおくれるようになるまで、支援は惜しみません。まぁ、それでも……」
 
 伯爵は目を細め、ファニーを見つめた。
 人は清く正しく生きられる者ばかりではない。
 きっと彼女も、それを知っている。
 
「法と秩序は必要でしょうが」
 
 伯爵は、リセリアともゼビロスとも西方とも違う「法」を作ろうと思っていた。
 そんな伯爵の気持ちを察したように、ファニーが、にっこりして言う。
 
「伯爵様は法の番人じゃなくて、導く人になるつもりなんですね」
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