手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

文字の大きさ
上 下
10 / 59
時也編

9

しおりを挟む
 一也と会えなくなってひと月。
 それでもと何回かメッセージを送ってみたものの既読がついても返信は無く、予定を伺うメッセージには〈会えそうな時にはこっちから連絡するから〉と返って来る。
 そうなるとこちらからメッセージしてはいけないのかと思い身動きが取れなくなってしまった。

 一也と会えないとなると僕の週末はやる事が無い。
 掃除洗濯は人間的な生活のためにやりはするものの、食事を作るのは億劫で。それでもそれくらいしかやる事がなく仕方なく作り置きのできるものを作ったりすることもある。
 料理のスキルは上がったけれどそんな時は結局カレーとかシチューとか、お米を炊けば一食にできるようなものばかりで変わり映えはない。変わり映えがするとしたら豚汁を作る時くらいだろうか。
 カレーや豚汁はうどんを入れても食べられるからついつい多めに作ってしまうし、シチューがある時は朝食が少しだけ充実したものとなる。
 煮物や副菜を常備菜として作るくらいのスキルは身についているけれど、作ったところで自分が食べるだけだと思うとやる気も出ない。

 残ったおかずを詰めて弁当にしていた時もあったけれど営業に出る事が多くなり外で食べる機会も増え余計に料理をする気力が削がれた。
 無気力ではないのだけれど、社会生活に支障がないことはやりたくない。
 掃除洗濯をやっている間はまだ社会と繋がる気があると言うか、社会と繋がるために生活をする気があると言うことだろう。
 掃除洗濯は身だしなみに影響が出るけれど、食事のせいで痩せても太っても身だしなみとは関係ない。
 社会生活を送る上で洗濯をしていない服を着ていたり、掃除をしないため身なりが薄汚れて行くことは営業として駄目なことだけど食事の影響で体型が変わってもその事で責められることはない。

 最近、営業に同行している先輩は大学から先輩後輩の仲であるため午前中に営業に出かけると必ず食事を一緒にと誘われる。普段、僕が昼食を蔑ろにしているのを遠回しに心配してくれているのだろう。
 先輩の奥さんも大学の先輩で、面識はなかったものの高校の先輩でもあるため夫婦揃って何かと気にかけてくれるのは嬉しくもあり、恥ずかしくもある。

 先輩に同行して営業や取引先に挨拶に行く毎日。先輩は新しく立ち上げる部署のために忙しくしているため少しでも役に立てればと相手方に少しでも好印象を持たれるようにと気を張るせいか、週末は簡単なものですら作る気力が無くなってしまう。

 一也に会えたら、一也に話を聞いてもらえたら、そう思うけれど僕のスマホは週末になると沈黙してしまう。
 間違えてブロックしてしまったのかも、着拒をしてしまったのかもと確認するけれどそんなはずもなく、ただただ一也から連絡が来ない現実に直面するだけだった。

 食事をまともに取っていないため少しずつ痩せている自覚はちゃんとある。ちゃんとあるから朝はロールパンとコーヒー、ヨーグルトと決め夜はうどんと決めてそれだけは必ず食べることを自分に義務付けた。うどんなら麺つゆでかけつゆを作ればそれだけで食べられるし帰宅して10分もあれば完成だ。帰ったら食事をし、お風呂に入りさっさと眠ってしまえば何も考えなくて済む。

 だけど実際問題、ベッドに入っても眠れず思い出すのは一也のことで…。毎週泊まりに来ていた頃はカバー類を洗っても一也の残り香があるような気がして安心して眠る事ができた。そんな残り香もカバー類を洗う度に薄れ、今ではほとんど感じる事ができない。
 それなのに感じなくても思い出すのは一也のことで、どうしてこうなってしまったのか考えるけれど僕にはどうするすべもなく結局は一也からの連絡を待つしかないという答えしか出ないのだ。

 そんな時に受けた先輩からの打診。
〈自分の代わりに新しく立ち上げる部署の手伝いをして欲しい〉
 そんな風に言われたのはGWの中日に出社した時のことだった。

 GWといってもほぼカレンダー通りの休みであるため特別どこかに行くこともなく家でゆっくり過ごした。途中、実家に顔を出したりもしたけれど本当に顔を出しただけですぐに帰ってきてしまった。痩せただとか、顔色が良くないとか、心配してくれているのはわかるけれど居心地が悪い。
 結局は母の心配が居た堪れなくて「食事を一緒に」と言われたけれど予定があるからと嘘をついて帰ってきてしまった。

 一也の会社はGWは長いはずだけど相変わらず連絡は無い。
 例年ならば僕が仕事の日でも僕の部屋で僕の帰りを待って過ごしていたのに〈新人の指導〉はGWを返上してまでやることなのだろうか?
 正直、この頃には嫌な予感がなかったわけじゃない。それでも一也を信じていたし、信じたかった。
 流石にGW中ずっと忙しいわけでは無いだろうと思い〈GWはどうする?〉とGW直前に送ったメッセージにも結局返信は無かった。

 そんな時に受けた異動の打診だったけれど、正直なところ僕まで忙しくなってしまったらますます会えなくなるという思いが強かったため色良い返事をする事ができなかった。
 それに、この案件は先輩がずっと手掛けてきたものだ。異動となると子会社に行くこととなるけれど、移動先では役職がつくことになり言ってしまえば栄転だ。先輩が頑張ってきたことを横から攫うようなことはしたくない。

「それは先輩が行くべきなんじゃないですか?栄転ですよね」
 と遠回しに断ってみたけれど、先輩からは「何のために連れ歩いてたと思ってるんだ?」と一蹴されてしまった。
「だいたい通勤が遠くなるの嫌なんだよ。許されるなら産休?育休?取りたいくらいなのに異動したら帰りが遅くなるだろ?
 俺は仕事も大事だけど嫁と子はもっと大事だ!」
 一蹴されただけでなく訳のわからない宣言までされてしまった。
「元気ですか?」
「当たり前」
 気安い先輩相手だからこそできる短い会話。部署が違うためあまり会う機会はないけれど、奥さんはそろそろ産休に入る予定だ。
「相手方からの評判も良いし、お前以外に任せたい奴もいない」
「でも手柄取るみたいじゃないですか」
 少し茶化して言ってみる。そして返された言葉。
「だからお前以外に任せたくないんだよ」
 真剣な顔で言われてしまい茶化した自分を後悔する。
「ここまでやってきたんだから信頼できる奴にしか任せられない。
 連れて歩いてみて無理そうなら言わないつもりだったけど、お前なら任せられると思ったんだ。
 今すぐじゃなくていいからちゃんと考えて欲しい」
 そこまで言われて適当に断ることはできなくなってしまった。

 まだまだ入社して間もないなんて思っていたけれどそれなりに時間は過ぎているのだ。
 大きな会社ではまだまだ新人扱いから抜け出せないかもしれないけれど、うちの会社ではしっかり戦力として扱われる。と言うのもうちの会社のような職種や規模だともっと大きいところに転職したり独立する人も多く、実際うちの会社もある程度仕事を覚えると独立していく先輩が多いため新入社員が入るのと先輩が独立するのとトントンくらいだ。
 社長自身もそれを推奨し、こちらの仕事が多くて手が回らない時は独立した先輩に声をかけたりしている。
 そんな中で先輩の進めてきた案件はうちの会社にしては珍しい案件だった。
 子会社とは言っても独立を予定していた先輩が任されている会社でうちの会社の下請けが主な業務ではあるものの、それを親会社であるうちの会社と同じ規模まで引き上げようと言うのが今回の案件だ。
 部署というと語弊があるかもしれないけれど、独立した新設部署という感覚なのかもしれない。
 独立した先輩が多くなったためそちらに仕事を回すためにも元請を増やそうという社長の判断だ。
 そう思うと〈独立〉がしやすい環境なのかもしれない。

 僕自身は独立しようと言うほどの気概はないけれど、先輩が独立するなら手伝いたいと思う気持ちがあった。
 それならば今回はちょうどいい機会なのかもしれないけれど、想定していたよりもだいぶ早いため素直に返事ができないのも事実だ。

 一也に相談したいと思ったけれどGWにも会えないほど忙しいのならば僕の相談なんて聞いている余裕はないだろう。
 そうなってしまうと僕には相談相手すらいないことになってしまう。
 大学の頃に一緒に過ごしていた友人とは連絡が取れないわけではないけれど、一也との関係をどう説明したらいいのかわからないためあえて連絡を取らないようにしているせいでこんな時だけ連絡するのは憚られる。

 在学中はグループのリーダー格だった友人が何かと気にかけてくれていたためスムーズに学生生活を送れていた。バイトに誘ってくれたり飲み会に誘ってくれたのもこの彼だし、僕の変化に気づいて何かと気遣ってくれていた。ただグループ同士交流があったため当然一也とも知り合いで、それだからこそ相談しにくい。
 勘のいい彼のことだから学生時代の僕のパートナーのことも薄々は気付いていただろうし、今現在のパートナーである一也のことも話しているうちに〈誰〉かを気付かれてしまうかもしれない。
 別れるような事があった時に第三者に遠慮させるような事態になるのを避けたいため結局は1人でグダグダと悩み続けるしかないのだ。
 仕事の話をしていても当然お互いの近況の話になることもあるのだから予防線は張っておいたほうがいい。
 高校以前の友人がいないわけでもないけれど、彼と付き合い始めてからと言うもの校外の友達と会うのを嫌がった彼のせいでそんな相談ができる友達は思いつかない。

 僕は取るべき手を間違えてしまったのだろうか?
 そう思わないでもないけれど、それは結果論であって今更どうすることもできない。
 彼の手を取らなければ、一也の手を取らなければ僕にはもっと選択肢があったのだろうか?

 GWの後半は悩んでいるうちに終わってしまい通常通りの毎日が帰ってくる。

 朝はロールパンとコーヒー、食後にヨーグルトを食べる。
 昼は営業に出れば外食するし、そうでない時はコンビニのおにぎりが1つあれば十分だ。ただ、先輩に見つかるとうるさいためカップラとインスタントの味噌汁は常備してある。カップラはカムフラージュのためで食べることはないのだけれど…。
 そして夜は冷凍うどんを食べる毎日。パスタだと飽きてしまうけれど、うどんなら毎日でも平気なのは何故だろうか?

 そして、決断できないままに毎日が過ぎていき裏切りを知ってしまったあの日が来てしまったのだ。
 



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

危険な森で目指せ快適異世界生活!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:9,501pt お気に入り:4,133

【完結】真実の愛はおいしいですか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,552pt お気に入り:207

無敵チートで悠々自適な異世界暮らし始めました

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:397pt お気に入り:2,518

(仮)暗殺者とリチャード

BL / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:19

処理中です...