手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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一也編

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 友人の忠告は少し考えれば当たり前のことだったのに、それなのに俺はその忠告を受け入れる事なく時也の攻略を続けた。忠告を素直に聞いて気持ちを改めるほど素直じゃない。

 忠告された翌日の土曜日。
 それなりに手際の良い俺は平日でも出来ることはそのままで、取り急ぎ洗濯だけ終わらせると時也との待ち合わせに備える。今日は近くのスーパーで待ち合わせ、買い物をしてから時也の部屋に行くことになっているから時間に余裕はある。食欲はあまりなかったけれど、空腹でスーパーに行くと余計なものまで買いたくなるから冷凍してあったご飯を温めてお茶漬けにして食べておく。
 冷凍室を開けたついでに残りの食材をチェックしたけれど、平日の夜に遊んでいるせいで思ってよりも食材が残っていることに気付いた。そろそろ一度、使い切ってしまおう。

 そんな風に午前中を過ごし、時間を見計らって外出の支度をする。今日はキッチンで過ごす時間が長そうなので装飾を省いたシンプルな服を選ぶ。部屋で会う時にはあまり装飾性の高い服を着ても意味がないからどうしてもシンプルな服装になってしまう。仕事でもスーツで、時也と会う時はシンプルな服。そろそろしっかり着飾って出掛けたい欲求はあるけれど、時也は〈お洒落をして出掛ける〉事に興味は無さそうで…面白くない。あんな服やこんな服を着せたいという欲求はあるけれど、案外頑固な時也には言ったところで着てくれるとは思わない。と言うか、着せるよりも脱がせたい。

 そんな馬鹿なことを考えて身支度を整え、その妄想を振り切れぬまま待ち合わせたスーパーに向かう。妄想しつつ、何を買うか考えつつ、辿り着いたたスーパーの入り口では既に時也が待っていた。
「ごめん、待たせた?」
 姿が見えたため小走りで近づき声を掛ける。時間は過ぎてないはずだ。
「そんなに待ってないよ?
 天気が良かったから散歩してたら少し早かっただけ」
 意識して身体を動かさないと身体が鈍ると笑うけれど、鈍ると言うほど体を動かしているイメージは無い。高校までは運動部だったと言うけれど、どちらかと言えば文系のイメージだ。
「そっか。
 とりあえず買い物しようか?」
 一度謝ったのだし、時間を過ぎたわけでもないのだから必要以上に気を使う必要もないだろうと店内に走るよう促す。
 選びながら買うため今日のところは取り敢えず全て任せてもらう。
 アレルギーは無いか、食べれない食材は無いかと聞くとセロリとレバーは嫌いだと言う。言うけれどそれは食べれないじゃなくて嫌いじゃないのかと。
「食べれない食材と嫌いな食材は違うから。まぁ、初心者にセロリやレバー使えとは言わないけどね」
 そう諭しながら次々と食材を入れて行く。味噌と醤油は当然、塩と砂糖に至っては言うまでもない。酒と味醂は小さいサイズを選び、顆粒の出汁も入れておく。生姜とニンニクも欲しいけれど使いこなすとは思えないのでどちらもチューブの物を選ぶ。
 色々なタレも売っているけれど取り敢えず焼肉のタレと麺つゆだけは買っておこう。あとは鶏がらスープくらいだろうか?コンソメよりも鶏がらスープの方が使いやすいと思うのはただの俺の好みだ。
 後ろから着いてきてカゴを覗き込む時也はそれをどう使うのか全く理解が及ばないようで何か聞きたそうだけど、ここで説明するよりも帰ってからメモを取らせた方が確実だろうと放っておく。
 調味料関係を選んだら今度は食材だけど…鶏肉を切るのは案外面倒なので今日は包丁が必要ない細切れを選ぶ。細切れと切り落としの違いを聴かれたから細切れは〈部位の指定〉がされていると答えておいたけど、正直どっちでも良い。
 野菜も使いやすい野菜を適当に入れて行く。玉ねぎ、にんじん、キャベツ、きのこ類もバラして凍らせれば案外使えるため入れておく。ジャガイモは冷凍できないけれどカレーは作ると言うから買っておいた。玉ねぎ、にんじん、ジャガイモは定番だ。
 他にも買いたいものはあったけれど、はじめから買い過ぎても使いきれないだろう。

 カゴの中身を見て目を白黒させていた時也だったけれど、会計をしてまた目を白黒させる。カゴの中の量と金額が合ってないと言っていたけれど…いったい何円使ったと思っていたのか。
 常識人のように見えて案外抜けている時也が面白くてつい世話を焼きたくなるけれど、今までどうやって生活してきたのか。料理だってもう少しできても良いのに、と思ったけれど聞いたところで答えはしないだろう。
「これで食事事情、だいぶ良くなるよ」
 聞かない代わりにそう言っておく。
 餌付けするのも悪くないかもしれない。

 2人で荷物を分けて持ち、話をしながら時也の部屋に向かう。何度か行ったことのある時也の部屋は新しくはないものの落ち着いた建物だ。
 時也曰く建物の外観も、内装も、立地条件も気に入っているから取り壊されない限りは住み続けたいとの事。確かに少し造りは古いものの、それはレトロと言い換えて良いような佇まいだ。通勤とは逆の向きに進めば図書館もあるし、図書館の近くには時也がお気に入りだと言う店もある。俺の趣味ではないけれど、時也の好きそうなシンプルなものが多く置いてあった。セレクトショップと呼んでも良いのだけれど、俺の思い描くセレクトショップとはだいぶ違う。
 少し高台にあるため景色がいいのも気に入っていると言うけれど、確かに景色は悪くないけれど俺にはそれがどうしたとしか思えない。
 よくよく考えれば〈合わない〉のだけれど、攻略するには相手の好みに合わせるのが常套手段だから時也の説明にも興味のある素振りを見せておく。
 俺にとっての〈良い点〉は部屋同士が近かったことだ。

 取り止めのない話をしながら歩き、時也の様子を伺う。嫌がっている様子はないし、2人の距離だってそれなりに近い。付き合っている2人ならば手を繋いでも良いような距離だ。
 そんな可愛い付き合い方はほとんどした事はないけれど。
 後わずかな距離はどのくらいで縮められるだろうか。このまま家事を教えることを口実に時也の部屋に通うつもりである。ある程度家事ができるようになる頃には2人の距離も縮むだろう。
 俺がそんなことを考えているとはつゆ知らず、時也は俺を部屋に迎え入れる。時也らしいシンプルな部屋。
 物が無いわけではないけれど、余計な物が無い部屋。勉強をするための机は食卓テーブルも兼ねているのだろう。教科書や本を置いてある本棚の一角にノートパソコンが置かれている。ベッドが置いてあるため衣類やその他出しておきたくないものは押し入れに収納していると聞かされた。作りが古いだけあってクローゼットではなくて押し入れなのがポイントだろう。
「キッチン用品とか、ちゃんと片付けたみたいだね」
 キッチンの様子を見て満足する。ちゃんとそれぞれの場所に片付けたようで、よく使うものは一緒に買ったレンジフードフックにかけてある。出し入れが面倒でやらなくなることを防ぐために敢えての選択だ。俺が言った通りおたまと軽力カップ。計量スプーンとピーラーが掛けてある。
「先ずは野菜からかな」
 そう言って時也の横に立ち、切り方を指導していく。
 それぞれの食材事に使いやすい切り方を教え、ジップ付きの袋に入れて行く。ピーラーを使ったことがなかったのか、ニンジンの皮がすぐ剥けると喜ぶ姿は可愛かった。時々危うい手の動きもあったものの、少しは料理をすると言うのは嘘では無いようで野菜の大きさはちゃんと揃っている。平にして冷凍庫に入れたら今度は肉だ。買ってきた大量の肉を1週間分に小分けにし、焼肉のたれや自家製のタレに漬けていく。自家製と言っても味噌に酒と味醂、ニンニクと生姜を少々入れただけだったり、鶏がらスープと酒、あとは少しのニンニクを入れたりと多少分量が違ってもそれなりに食べられるものばかりだ。ただ、はじめは肝心なので計量スプーンでいちいち測りながら、メモを取るように言いながら作業を進める。
 こちらは直接ジップの袋に入れるのではなくてポリの袋に入れてからジップの袋に入れるようにする。ジップの袋を毎回使い捨てるのも馬鹿らしい。野菜に使った袋は再利用しやすいけれど、肉や野菜は直接入れたら捨てるしか無い。
 これは生活の知恵だ。

 ひと通り食材の処理が終わると次は洗濯で、前に買った洗濯グッズの使い方を教える。このために洗濯は残すように言ってあったのだ。色の濃いものはネットに入れるように言い、襟や袖の予洗いに適した洗剤を教える。洗濯洗剤で予洗いをしていたと言うけれど、固形のものを教えておく。あとは自分の好みで選べばいい。
 部屋着はフーディーが好きなようでフード部分を乾きやすくする洗濯グッズは重宝した。俺がフーディーと言ったらパーカーじゃないのかと不思議そうにしていたけれど、正直どっちでも良い。
 なんでも素直に聞く時也は優秀な生徒で、一度教えればほぼ理解しているため
その日の夕食は〈おさらい〉と称して野菜炒めと味噌汁を作る事にした。
「顆粒の出汁入れて、冷凍した野菜適当に入れれば野菜食べれるし」
 と言えばその手があったのかと真剣に頷く。お手本のような生徒だ。
 野菜炒めも同様、少しだけ鶏がらスープを加えたら味が違うと教えれば尊敬の眼差しを向けられた。
 こんな簡単な事なのに、今まで時也は何をやっていたのだと思わないでもなかったけれど少しずつ教えていけばいい。
 胃袋を掴むのは重要だ。
「来週はおさらいするからちゃんとこの食材使っておけよ」
 帰り際にそう言った時に少し淋しそうに見えたのは気のせいだったのか。

 そして再び迎えた週末。
 食材を無駄にするのも、と思い何が残っているのかを見てから買い出しに行こうとその日は直接時也の部屋に出向く。
「頑張ってるみたいじゃん」
 それなりに減った食材に笑顔が溢れる。
「野菜の減り方で好き嫌いがわかるな」
 残ったニンジンを見て呆れた。
「面倒な時は卵かけご飯でもいいし、ウインナーと目玉焼きだけでもおかずになるよ」
 食材の減り方を見ると頑張ってはいるものの、コンビニのお世話にもなっていたのだろう。そう辺りをつけて今日買うべき食材を考える。
「メモして」と言って今日買うべき食材を告げていく。野菜の他に油揚げ、ハム、ベーコン、コンソメ顆粒、その他諸々。買って使えるか不安になるけれど時也の応用力を信じるしかないだろう。

 そうやって週末は一緒に過ごし、食材の使い方を教えていく。
 土曜日の夜は〈復習〉と称して夕食を作って2人で過ごす。どさくさに紛れて夕食の時にアルコールを準備した。
 持っていくアルコールの量を徐々に増やし、飲み過ぎたと言って泊めてもらったりもした。
 はじめはソファーで寝ていたけれど、2人掛けのソファーは俺には小さすぎる。寝心地が悪いと言い続けるうちにベッドに入れてくれるようになった。
 ただ〈何もしない〉と約束はさせられるのだけど…。
 生殺しのような時間はそれでも悪くなくて、我慢すればしただけ時也の信頼を得られるのはその言動からも感じ取れた。

 少しずつ心を開いていく。
 少しずつ距離が縮まる。

 ほんの少しの変化を感じながら今か今かと待ち構えている事に時也は気づいているのだろうか?

 約束をしなくても週末は空けておくのが普通になった。
 復習する必要が無くなるとバリエーションを増やすためと俺が食事を作るようになり、俺が作っていると時也がその様子を見にくるため距離は自然と近づく。
 平日は簡単なものを作ることが多いようで、少し凝ったものを作ると尊敬の目を向けてくる。材料は特別変わったものは使っていないのだけどその辺は腕の違いだろう。
 アルコールと一緒に食べるようなものを作り、2人で晩酌をする。少しずつ心を開いている時也は酔うと言葉も多くなり、そんな時は割と素直だ。
 それなのに核心に触れようとすれば、その身体に触れようとすれば逃げてしまう時也をどうやって籠絡しようかと少しだけイレギュラーな事をしてみた。時也がどう動くかを確かめたかったのだ。

「時也、俺の事好きになってるでしょ?」

 オレが確信したのは知り合って2年程過ぎたその年の秋。
 少しずつ寒くなってくる季節に人恋しさを感じた頃だった。
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