手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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敦志編

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 先輩と約束を取り付けた後、改めて話された内容を思い出してみる。
 時也のパートナーが浮気をして子どもができたから結婚する。
 簡単な話だけど酷い話だ。
 結婚する相手は当然だけど時也ではないから時也は捨てられた形になるのだろう。
 今更GW前の時也の様子を思い出す事はできないけれど、GW中はバイトに行けないと言われた覚えはあるしその直前まで〈痕〉は見せ付けられていたから急な事だったのだろう。
 時也と付き合っているのに授かり婚とは…、と呆れるものの何かが気になり思考する。
 授かり婚という事は相手は当然女性だろう。時也と同時に女性と付き合う事が出来る事に感心するけれど、そんなものだろうかと考えた時に思い浮かんだのは三浦だった。
 男女問わず気に入った相手と関係を持つと友人が言っていたように、学内でも相手が変わった事を隠す事なく仲睦まじい様子を見せている三浦は本当に男女問わずの様子だけど、三浦の相手もそんな感じかというとそうでも無い。
 三浦と付き合っている間は真摯に付き合い、だけど三浦の節操のなさに呆れて別れるようで〈自分がパートナーになれば〉と思い付き合っても他の相手の気配に気付き結局は別れるようだ。中には身体だけの関係を続けている相手もいるようだけど複数いる相手の中でバイセクシャルなのは三浦だけらしい。

 あちらのグループと交流を持つようになると今までは聞いたことのなかった濃い恋愛の話を聞く機会も増え、恋愛経験のない俺としては何もわかっていないくせに知っているふうな顔でやり過ごすだけだったのに比べ、時也はその穏やかな雰囲気のせいか何かと相談をされているようだった。
 恋愛の相談なんて結論が欲しいわけじゃない。〈聞いて欲しい〉気持ちで話す言葉に真摯に耳を傾け、少ない言葉を返す時也は格好の話相手だったのだろう。男女問わず話を聞くため中には同性をパートナーに持つ友人も含まれていたけれど、どんな話を聞かされても穏やかに耳を傾け、時には一緒に悩み、時には笑顔で話し、カウンセラーじゃないんだから、と呆れる事もあったけれど色々な話を聞く事は時也にとっても悪い経験ではなかったようだ。
 ただ1人、同じように話をしつつ口説こうとする相手、三浦に対してだけはなかなか辛辣で、今度のパートナーは異性だと話す時にはその表情に少しの嫌悪が混ざってきた事を思い出し〈そういう事だったのか〉と納得する。
 時也自身、同性をパートナーとしてきたからか、パートナーが同性であろうと異性であろうと偏見はないように見える。中には特定のパートナーを作らず、こんな事で良いのかと相談している友人もいたけれど〈病気にだけは気をつけないと〉と真面目に答えて相手を驚かせたりもした。
 揶揄して病気にだけはと言ったのではなくて、真面目に体を気遣っている事はちゃんと伝わるのだろう。その人のことが好きで、だけど身体の相性が気になるならそうなっても良いけど、その相手がちゃんと自分を好きになってくれるのか、好きになってくれなくても大丈夫なのかはちゃんと考えたほうがいい。
 ただ、真面目にパートナーが欲しいならいくら好きでも相手はちゃんと考えたほうがいい、と今考えれば三浦に対して当てつけるように言っていた時也は、三浦に彼の姿を重ねていたのかもしれない。

 そんなことを知らない三浦は時也から反応が帰ってくるだけで満足なのか、あからさまに軽蔑の眼差しを向けられていてもヘラヘラと笑っているためそのメンタルの強さには頭が下がる思いだった。

 そして、文化祭で久しぶりに会った先輩は、時也の容姿を見て少しだけ笑った。
「久しぶり」
 言いたい事は沢山あっただろう。
 髪の毛を切ったことに触れても、痩せた事に触れても、何を話したところで彼に結びつくのだから当然言葉を選ぶのだろう。きっと時也は先輩が知っているなんて思わないだろうし、知ってほしくないのだろうから下手な事は言えない。
「相変わらず学祭は不参加?」
 それなりに学生生活を楽しんでいた先輩は呆れたようにいうけれど、そんなふうに言いながらもこちらに何か強要することのないのがこの人のいいところだと思っている。俺たちと交流があることを知る同級生から何かと繋ぎをとって欲しいと声をかけられるような事もあったようだけれど、それらを完全にシャットアウトしていたことを聞いたのは彼女が卒業してからだ。
「別に紹介してくれるだけでいいって言っても絶対に頷かなかった」と聞かされた時には時也のことを甘やかし過ぎでは?と思ったものの、紹介して欲しい理由が学祭で行われるコンテストに出て欲しいというもので、時也には当然無理だと、それは仕方がないと思ったら「紹介して欲しかったのはお前だよ」と呆れられた。どうやら俺も先輩の庇護下に入っていたらしい。そして続けられた言葉。「お前が出れば加賀美も引っ張り出せると思ってそう言ったらさ、どっちに対しても失礼すぎるって、あの人超怖いんだって」結局はそちらがメインだったのだろう。もしもその場面に遭遇した時に俺だけなら断るのは簡単だけど、先輩の紹介となれば時也は断ることを躊躇するだろう。そこまで見越してのことなんだろうと思ったら…ますます甘やかしすぎだと思うものの、先輩が知っていたことを考えるとそれも仕方がないかと納得するしかなかった。

「研究室発表は今年も見てきましたよ」
 時也なりに反論したものの、それは学祭の醍醐味じゃないと笑われて撃沈するのも見慣れた光景だ。
「時也は就活とかどうするの?」
 現状に触れることなく話を進めるのは何か意図があってのことなのか、もしかして彼の職場を知っているからこその探り合いなのか、そんな事はわからないけれれど少しでも時也の情報を引き出そうとしているのは分かってしまった。
「出来れば引っ越さないで通える場所がいいとは思ってます」
 少し考えてから時也が答える。
「何か理由があるの?」
 職場の近くで部屋を探すのならわかるけれど、部屋ありきで職場を探すのは実家からならわからないでもないけれど、住んでいるのがアパートならば疑問に思うのも仕方がないだろう。
「単純に気に入ってるだけです。
 新しくはないけど住みやすいし、好きなお店とか図書館とか近いし。景色も良いし家賃も安いし」
 時也が並べた良いところは成程と思う理由ばかりで、確かに何度か行った事はあるけれど言う通りの物件ではある。
「引っ越しとかは考えてないの?」
「ですね。
 もしもあのアパートが取り壊されるとかになれば引っ越すけど…今のところは予定してません」
 そう言って困ったように笑う。実家住み自分には理解できない何かがあるのか、俺としては三浦が近くに住んでいるのが気に入らないのだけど、ただの友達の俺が言うべきことではないため黙って話を聞く。
「それならうちの会社とか、候補に入れてみない?」
 軽い調子で言った言葉だったけれど、時也を心配しての事なのは分かってしまった。先輩の会社は規模はそれほど大きくない会社だけど評判はすこぶる良いところでそこそこ倍率も高いはずだ。一新入社員が人事に口を出せるものではないはずだけど、何かコネでもあるのだろうか。
「って言ってもコネも何もないけどね。
 仕事楽しいし、やり甲斐もある。
 人間関係も良いし、ちゃんと評価もしてくれる。
 それなりに倍率高いけど時也の頑張り次第でどうとでもなるだろうし。
 どこ狙ってるのか聞いたことなかったけど…うちの会社、時也向けだと思うよ?」
 どうしても自分の近くに置いておきたいのかもしれない、そんな風に呆れる気持ちもあるけれど、それならば俺だって時也の近くにいたいと思い取り残された気分になる。ならば俺も時也と同じ会社に、と考えて同じような講義を取ってはいるものの、どう考えても方向性が違うとため息を吐くしかなかった。
 将来を見据えた時に好きな相手に引きずられるような生き方は嫌いじゃないけれど、自分には合わない。

「敦志は前に言ってたとこ?」
 急にそう言われて素直に頷く。以前話したことを覚えていたようで、「敦志っぽいよね」と言われた職場は時也が勧められている会社と比べるとかなり規模は大きい。やりたい職種を決めた時に目標は高く、と決めた会社だから時也の存在によってその目標を変えようとは思わない。
「インターンは?」
「1dayをいくつか」
「時也は?」
「僕も敦志よりは少ないけど」
 その言葉に満足したのか「でも、うちの会社も候補に入れておいてね」と時也に念を押すのは忘れなかった。
 今日の目的は時也の様子を見ることと、そのことを告げるためだったのだろう。
 その後は就活経験者としての話を聞いたり、どうでもいい話をしている間にいつものグループの友人が先輩を見つけて挨拶に来たり、学祭を楽しむことは無かったけれど先輩を安心させる事はできたらしい。
 GW明けてすぐの時也を見たらもっと何かを追及されたかもしれないけれど、幸い時間薬のおかげか、必要以上にちょっかいをかけてくる三浦のおかげか、今の時也はそれなりに楽しそうだ。
 だけど帰り際にこっそりと「何かあったら連絡してね」と告げた先輩はやっぱり過保護だと思う。

 この時、時也が立ち直るのにもっと時間がかかっていたらもしかしたら俺たちの仲は深まっていたかもしれない。
 弱っているところにつけ込むのは卑怯だと自制したけれど、時也の方から頼ってくれたらそれに応えない理由はない。
 こちらから淋しさを埋めようなんて足元を見た事はできないけれど、淋しさを埋めるために利用されるのならば大歓迎だった。
 それでも時也は誰に頼ることもなく、外に目を向けることで自分を立て直したのだからそれでよかったのだろう。
 先輩にしても俺にしても頼られない事に寂しさを感じるけれど、時也の性格を考えれば仕方のない事なのかもしれない。

 そんな少しの後悔を感じながら学生生活は終盤に入り、4年ともなれば就活が本格化していく。
 もともと必修科目以外にも単位を取っていた俺たちは必修科目以外で登校することも少なくなり、久しぶりに連絡が来たかと思えば「内定もらった」という嬉しい報告だったりして会っていなくても切磋琢磨するような関係はこの時期には励みになった。
 内定をもらい、卒論の準備を始めながらも友人関係が続いている相手もいれば、なんとなく疎遠になってしまう相手もいて、以前のように学食に集まって何かをするということも無くなった。

 時也とは相変わらずバイトに誘っている事もあり、他の友人に比べれば会う回数は当然多く、先輩と同じ会社に内定をもらったと聞かされた時には先輩のことを羨ましく思ったのは仕方のない事だろう。
 俺も行きたいと思っていた会社から無事に内定をもらい、4月からは時也に会える回数がグッと減る事に淋しさを感じていた。

 俺の気持ちになんて全く気づいていない時也はバイトの時にはその細い首筋や背中を見せつけ俺の心をざわつかせるけれど、そんなことを気取らせるわけにはいかない。
 あれ以来、赤い痕を付けることのなくなった背中は淋しそうに見えるけれど、痕がないことに毎回ほっとしている自分はずいぶん臆病だと思うけれど〈今〉動いたことで卒業する前に疎遠になってしまったらと思うと自分の思いを告げる事はできなかった。

 卒業するまでは我慢しよう。
 入社して少し落ち着いたら想いを告げよう。
 そんな臆病な自分を後悔するのは卒業してしばらく経ってからだった。
 




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