手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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時也編 3

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「僕の家は弟が中心だから僕は居ても居なくてもどうでもいいって言うか、僕が居ない方がきっと上手くいくんだ」
 こんな事、言う必要ないと頭ではわかっているのに一度話し始めてしまうと止めることができなかった。
「別に弟の事だって、親の事だって嫌いじゃないんだけど居場所が無いって言うのか…」
 仲のいい家族の中で過ごしてきた敦志にはきっと理解できないだろう、そう思いながらも言葉を続ける。
「夏に帰った時もよそよそしくて、何か言いたそうだと思ったら弟が結婚したら同居したがってる、だって」
 あの時も今も、僕の居場所は自分の部屋しか無いから淋しいなんて、ホームシックだなんて言ってる余裕も無かったんだ。
「時也は強いな」
 話を聞いていた敦志がそう言って僕と目を合わせる。食事をする時に敦志もソファーから降りていたため正面から見つめ合う形になってしまい気恥ずかしい。

「そんな中で生活して、勉強して、バイトして。俺なんてやっと慣れたくらいなのに」
 一人暮らしして何年だ?と指折り数えて僕の半分くらいかなと笑う。
「あの時は…支えてくれる人もいたし」
 誰にも話したことのない事をついつい話してしまう。僕は敦志に何を求めているのだろう、そう思いながらも言葉は止めることができない。
「憧れてた人がいて、部活のOBなんだけど。僕が実家を出るって言った時に何かと手伝ってくれて。
 その人も一人暮らししてたから何が必要かとか、買い出しも全部付き合ってもらったんだ。だから淋しくなかってし、何かあればその人に相談したし。
 そんな風にされて気付いたら好きになってた」

 敦志のそばに居たいと思うから隠してはいけないと思った。僕の気持ちも、僕の嗜好も伝えて、その上でまだ友達だと言ってくれるのならこの関係は続けられるだろう。だけど、敦志にだって趣味嗜好はあるのだから。社長と橘さんに対しては偏見はなさそうだったけれど、実際に友人がそうだと知ったら冷静では居られないかもしれない。
 だからこの縁が切れるのならば早い方が僕の傷口も浅くて済むだろう。

「この人が本屋のバイトを紹介してくれたんだ。だから仕事が終わって会いに来てくれるのが嬉しくて毎日バイトを入れてたし、辞める気も無かった。
 ずっと続けるつもりだったのも、そのまま就職したかったのも彼の近くにいたかったから」
 パートナーが同性だと、僕の言葉で気付いたはずの敦志が何も言わないせいで沈黙が重くなる。
 引かれてしまったのだろうか、そう思った時に敦志が口を開いた。

「三浦から電話があったよ」
「三浦って…、一也から?
 敦志に?」
 予想をしていなかった言葉に戸惑ってしまい次の言葉が出てこない。
「9月くらいに電話があって時也の居場所、知らないかって聞かれた」
 ただでさえ重かった沈黙が、一段と重さを増す。
 もしかしたら一也から〈誰か〉に連絡があるかもしれないと思っていた予防線は役に立った様だけど、まさか敦志に連絡をするとは思わなかった。一也と敦志は側から見ても相性が悪かったから。
 一也は余計な事を言っていないだろうか?
「なんて答えたの?」
「今更何言ってるんだって答えてそのまま電話切った」
 全く悪びれる様子もなく答える敦志が悪戯をした後のようにニヤリと笑うせいで、今まで重かった雰囲気が何となく軽くなる。
「今更って?」
「だって、時也から引っ越すって連絡あったのって7月くらいだろ?」
「そうだね。
 …敦志は知ってた?」
「何を?
 三浦と付き合ってた事?」
 彼のことを匂わせたり、一也のことを遠回しに聞いた僕の努力は何だったのかと思うほどにあっさりと言われ、無言で頷く。そして、敦志の言葉に衝撃を受ける。

「三浦の事は付き合い始めた頃から知ってたし、学生の頃の彼の事も知ってたよ」
 何でもない様なことの様に言われ、同性のパートナーはそれほど珍しくなかったのだろうかと考え、きっと敦志のリアクションは普通ではないはずだという考えに行き着く。
「何で?」
 それしか言えなかった。
 聞きたいような、聞きたくないような気持ちで問いかけると少し考えてから敦志が話し出す。

 学生の頃にパートナーがいたのに気付いたのは彼女がいるか聞かれた時に曖昧な答えしか出さなかったからで、あまり言いたくないだけだと思っていたこと。パートナーが男性だと気付いた理由ははっきりとは言わなかったけれど、痕で気付いたと言われ、手枷を付けるように手首をわざと強く掴む彼を思い出して嫌な気分になる。見える場所に痕を付けるのはやめて欲しいと何度お願いしてもやめてくれないせいで、暑くても長袖を着る羽目になったんだった。
 そして、先輩から聞かされたと言う話。
「先輩も知ってたの?」
 自分では隠していたはずのことが自分が大切に思っている人に悉くバレていたことを知り赤くなればいいのか、青くなればいいのか、居た堪れない気持ちになる。いつから2人は情報を共有していたのだろう…。

〈敦志side〉
「僕の家は弟が中心だから僕は居ても居なくてもどうでもいいって言うか、僕が居ない方がきっと上手くいくんだ」
 そう言って淋しそうに笑う。
 実家の話をあまり聞いたことがないのは何か訳ありだならなのかもしれない。
「別に弟の事だって、親の事だって嫌いじゃないんだけど居場所が無いって言うのか…。
 夏に帰った時もよそよそしくて、何か言いたそうだと思ったら弟が結婚したら同居したがってる、だって」
 弟の結婚といえば喜ばしいなのに、それなのに同居という話で自分の居場所がますます無くなってしまったと思っているのだろうか?

「時也は強いな」
 気持ちを伝えたくて時也と目を合わせる。ここのところ向かい合って話す事は何度もあったけれど、正面から目を合わせて話すのは初めてかもしれない。
「そんな中で生活して、勉強して、バイトして。俺なんてやっと慣れたくらいなのに」
 一人暮らしして何年だ?と指折り数えて時也の半分も一人暮らしをしていないことを自嘲気味に告げる。
 学生時代から身の回りの事を自分でしてきた時也と違い社会人になってから始めた俺だったけれど、困った事があればすぐに実家に電話して母に相談していただけでなく、母と妹が遊びに来たふりをして家事を教えてくれる事を半年近く続げてくれたおかげで仕事に慣れるまで何とかやり過ごせたのだ。
 そんな事もあって出た言葉だったけど、時也からは思いもよらない言葉が返ってきて俺を戸惑わせる。

「あの時は…支えてくれる人もいたし」
 支えてくれる人とは時也に痕を付けていた彼の事なのだろう。
 知っていたけれど、知らない相手の話。時也を支配している事を見せつけるかのように痕を付け、それなのに子どもができたからと時也を捨てた男の事だろう。
「憧れてた人がいて、部活のOBなんだけど。僕が実家を出るって言った時に何かと手伝ってくれて。
 その人も一人暮らししてたから何が必要かとか、買い出しも全部付き合ってもらったんだ。だから淋しくなかってし、何かあればその人に相談したし。
 そんな風にされて気付いたら好きになってた」
 彼の話なんて聞きたくないけれど、時也の発する言葉は何一つ取りこぼしたくないという矛盾した気持ち。
 時也が何を伝えようとしているのか、伝えたい何かを聞き逃さないように耳を傾ける。

「この人が本屋のバイトを紹介してくれたんだ。だから仕事が終わって会いに来てくれるのが嬉しくて毎日バイトを入れてたし、辞める気も無かった。
 ずっと続けるつもりだったのも、そのまま就職したかったのも彼の近くにいたかったから」
 時也の口から出た〈彼〉という言葉は、自分のパートナーが同性だったと初めて明確にした言葉だった。
 意図して〈彼〉と言ったであろう時也にどう返せばいいのか考え、告げようか迷っていた事を口にする。
「三浦から電話があったよ」
「三浦って…、一也から?
 敦志に?」
 想定外の言葉だったのか、時也が少し動揺しているように見えたため言葉を続ける。
「9月くらいに電話があって時也の居場所、知らないかって聞かれた」
 ただでさえ重かった沈黙が、一段と重さを増す。
 言わない方が良かったのかと考えるものの、きっとこのタイミングでなければ言えないと思い、開き直る。せっかく時也から歩み寄ろうとしてくれているこのタイミングを逃すわけにはいかない。
「なんて答えたの?」
 恐る恐ると言った感じの問いかけに間違いでは無かったのだとニヤリとしてしまう。時也の気持ちは、きっと俺に向いている。

「今更何言ってるんだって答えてそのまま電話切った」
 笑顔を向けたせいか、少しだけ空気が軽くなった気がするため一気に会話を進める。
「今更って?」
「だって、時也から引っ越すって連絡あったのって7月くらいだろ?」
「そうだね。
 …敦志は知ってた?」
「何を?」
 時也の問いかけに少しだけ考え、きっとこの事だろうと狙いを付けてサラリと言ってみる。きっと、ここが正念場だろう。
「三浦と付き合ってた事?
 三浦の事は付き合い始めた頃から知ってたし、学生の頃の彼の事も知ってたよ」
 何でもない事の様に聞こえるよう、慎重に、だけど軽く聞こえるように告げた俺が知っていて時也が隠したかった事。
「何で?」
 驚いているのはもちろん、ショックを受けた様子の時也に本当に何も知られていないと思っていたのかと、俺の気持ちは全く伝わっていなかったのかとガッカリする気持ちはあったけれど、だからこそ俺との関わりを断つ事が無かったのだろうと思い直す。
 だから、自分の知っている事を言える範囲で伝える。

 学生の頃にパートナーがいたのに気付いたのは彼女がいるか聞かれた時に曖昧な答えしか出さなかったからで、あまり言いたくないだけだと思っていたこと。
 時折付けられていた痕でパートナーが同性なのだと確信した事。
 そして、先輩から聞かされた話。
「先輩も知ってたの?」
 先輩にも知られているとは想像もしていなかったのだろう。
 だけど、これもきっと良い機会だし、そもそも先輩の存在が有ったからこその現状なのだ。
 だから、先輩と話した内容も隠さず伝える。

 学生時代に友人から話を聞き、心配して俺に連絡をしてきた先輩のこと。不自然にならない様に学祭に顔を出すふりをして時也の様子を見にきた事。
 会社に入ってからは俺よりも先輩の方が詳しいはずだけど、三浦から連絡があった時から日をおかずに先輩から連絡が来た事。

 タイミングを逃せば伝えられない事。
 伝えるべきか、このまま黙っておくべきか迷っていた事をなるべく感情を込めず、事実を事実として伝えていく。
 でも、先輩も俺も伝えたい事は時也のパートナーの性別でもないし、付き合っていた相手の話じゃない。
 俺たちが伝えたい事は、時也は独りじゃないということだけ。
 手を伸ばしさえすれば、その手を握り返す存在がいるのだと。
 






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