世界が終わる、次の日に。

佳乃

文字の大きさ
10 / 128
貴哉

4

しおりを挟む
「ねえ、最近どうしたの?話す時はちゃんとボクのこと、見てよ。
 ねぇ、」

 苛立ちを含むその声が煩わしくて、俺の顔を覗き込んだ紗凪から目を逸らす。

「ごめん」

 そう言ったのは後ろめたさとこれから話すことへの謝罪。紗羅との約束を、いつかは言わないといけないと思いながらもなかなか言い出せなかったのは紗凪に対する情。それと欲望を満たす相手を手放したくなかったから。
 紗羅に会えないストレスと噂のせいで感じる閉塞感を解消するには、紗凪の存在がちょうど良かったから。

 紗羅に会うことができないまま過ごすのなら手放すことが惜しい存在だったけれど、紗羅に会うのなら必要のない存在。噂を100%信じているわけではないしけれど、紗羅と同じ時間を過ごすことができるのなら先のことなんてどうでも良かった。
 なんて、そんな風に言い切ることはできなかった。紗凪に黙ったまま紗羅の元に行くわけにはいかないことは理解していたし、噂が流れ始めた時に最後の時は一緒に過ごすと安易に約束をしたことを今では後悔している。

 紗凪に何も告げず紗羅の元に行くことは可能だった。
 俺の不在に気付き、焦り、焦燥しする紗凪を想像し、俺に縛りつけたままに放置することに魅力を感じないでもない。
 もしも世界が終わらなかった時に、紗羅との時間を過ごした後で紗凪の元に戻った時に俺の無事に安堵し、俺に縋り付く紗凪を想像して気を良くしたりもした。
 ただ、それ以上に紗羅との時間を邪魔されることを許せないと思ったのは紗羅に対する想いを消化できていなかったから。

 だから口にした謝罪の言葉。
 俺が離れた時に俺を探さないように。
 俺と紗羅の逢瀬を邪魔しないように。

「何が?」

 俺の様子を不審に思ったのであろう紗凪は戸惑いを見せ俺と目を合わせようとするけれど、その視線から逃れ口を開く。

「ごめん。
 一緒にはいられなくなった。

 怖いって、俺がいないと不安だって」

「………」

「助けて欲しいって。
 一緒にいて欲しいって」

「何言ってるの?」

 俺の言葉に戸惑ってはいるけれど薄々俺の変化には気付いていたのだろう。取り乱すことはなく、問い詰めるような口調の紗凪に決定的な言葉を告げる。

「紗羅が泣くんだ。
 だから、ごめん」

 その時の紗凪の顔はよく覚えている。
 目を見開き、何か言いたそうにしたものの一度口をキュッと結び、考えるそぶりを見せてから口を開く。

「なんで今更、姉さんの名前が出るの?」

 絞り出すような言葉にはどれだけの想いが込められていたのだろう。

 俺と紗羅の事情は当然だけど紗凪も理解していたし、そのことについて話したこともある。
 だからきっと、俺たちの間に繋がりが残っていただなんて想像もしていなかったのかもしれない。

 ⌘⌘⌘

「貴哉さんはボクといて嫌な気持ちになったりしないの?」

 そう言ったのは一緒に暮らし始めてしばらくしてから。常に俺に気を使い、常に遠慮した様子の紗凪はおずおずといった感じに口を開く。

「何で?」

 それは純粋な疑問。
 もしも嫌な気持ちになるのなら早急に部屋を探していると聞いた時に自分の部屋に来るようになんて言うわけがないのに、と呆れた。

「だって、姉さんのこと思い出したりしないの?」

 この時、紗羅とは季節の挨拶や共通の知り合いについての情報を共有するために連絡を取っていたけれど、繋がっているといっても薄い関係だった。だからそのことを紗凪に伝えることはしなかったし、伝える必要もないと思っていた。同居しているからといって自分の些細な交友関係まで伝えていたらキリがない。
 共通の知り合いなのだから伝えるべきだと言われればそうなのかと思い伝えることを考えたのかもしれないけれど、それを伝えたことで紗羅との関係が切れるかもしれないと危惧したせいもある。

「思い出すとかじゃなくて、ちゃんと紗羅の弟だって認識してるよ。
 紗羅の弟の紗凪君だって認識して誘っておいて嫌な気分になるとか、ごめん、ちょっと言われてることの意味がわからない。

 思い出すか思い出さないかって言われれば紗羅と重なる部分もあるから思い出すこともあるけど、嫌な気持ちになることは無いかな」

 そう言った俺に見せた顔は心の底からホッとした顔で、その時はまだ義弟になるはずだった頼りない年少者としての認識だった。
 そもそも紗凪に声をかけたのは少しでもいいから紗羅との繋がりを増やしたかったからだったのだから。

 初めて紗凪を見た時に覚えたのは既視感だった。
 誰かに似ている、そう思い見慣れない社員の様子を伺う。これまでにも見かけたことはあったのかもしれないけれど意識をしたことのなかった小柄な男性社員は、デスクに向かい真剣な表情をしていた。
 どこかで見た覚えがはるけれど、どこでだったのかを思い出すことができず、妙な焦燥感に駆られる。そして、その焦燥感の理由がわからず苛立ちを感じる。

 移動の挨拶をした時に彼はいただろうか、そう思い紹介された同じ部署のメンバーを思い出してみても彼を紹介された覚えがないことに気付く。自分が異動となった日に欠勤していたとしてもそれならば後日紹介されるはずなのに、と思いながらも彼を気にかけてしまう理由が分からず苛立ちを抑えることができない日々。
 そしてそれはある社員が彼のことを「汐勿君」と呼んだことで記憶の中の彼と目の前の彼が合致したことで、彼を気にしてしまう理由に気付く。

 汐勿 紗羅

 忘れることのできない相手を思い出し、彼女に弟がいたことを思い出す。俺たちよりも8つ下の弟は、紗凪という名前だった。

 その名前を聞かなければ紗凪のことを思い出すことはなかったかもしれない。だけど、あまり耳にすることのないその苗字を聞いてしまったら思い出すのはすぐだった。

 汐勿 紗凪

 共に過ごすことを諦めた紗羅の弟。
 そして、諦める原因になった元凶とも言える人物。

「もしかして、紗凪君?」

 そう声をかけると不審気な様子を見せられたため小さな声で「紗羅の、」と告げれば驚いたような顔をする。

「あ…。
 ご無沙汰します?」

 急なことに驚いたのだろう、挨拶の言葉を口にしたものの話が続かない。

「いつから?全然知らなかった」

 そう聞けば「あ、ボク社員じゃないので」と答えたせいで彼を紹介されなかった理由に気付く。

「いつから?全然気付かなかった」

 親し気に声をかける俺に戸惑いを見せながらも「少し前から」と答え周囲を気にして視線を彷徨わせるけれど、それを無視して言葉を続ける。

「紗羅は元気?」

 自分は何も気にしていない風を装いその名を口にすれば少し戸惑った表情を見せ、「元気だと思います」と言ったあとで「実家に帰ることがないから、」と言い訳をする。
 紗羅は弟のことを嫌っていたわけではないけれど、家を継ぐ能力のない弟のせいで俺との結婚を諦めたのだから紗凪が姉に対して後ろめたい気持ちを持っていても不思議ではない。そのせいで実家に帰りづらいのかもしれないと勝手に解釈する。

「家族とは連絡取ってないの?」

「母からはたまにメッセージは入ってます。
 何かあればきっと連絡があるけど、忘れた頃に元気かどうか確認のメッセージが来るくらいなので」

 だからきっと紗羅も変わりないと言いたいのだろう。

「懐かしいな。
 まさか紗凪君に再会するなんて思ってなかった。
 え、卒業して何年?俺と幾つ違ったっけ?」

 そう言って話を続けようとしたけれど、「貴哉さん、仕事中です」と困ったように言われて状況に気付く。

「あ、ごめん。
 じゃあ、また就業後にでも」

 話を続けることを拒むそぶりを見せる紗凪にそう言いながら「古い知り合いなんだ」と周りに告げる。

「懐かしくてつい、」

 そう言い放てば周囲の視線は好意的なものへと変わっていく。
 ここで元婚約者の弟だと告げれば周囲はどんな反応を示すだろうと、少しだけ意地悪なことを考える。結婚したら退職する予定だったけれど、婚約を解消したせいでここに残っていることを知っている人間は一定数いる。解消した理由が理由だっただけに紗羅のことを責める声が辛くて不出来な弟の話をした覚えもある。同情を引くために解消の理由を話した自分もどうかと思うけれど、紗羅の後釜に座ろうとする相手に【男性不妊】はなかなかのパワーワードだった。そして、そのパワーワードは俺に対して癒しを与えることもしてくれた。

 欲望に忠実な、それでいて後腐れのない相手を探しているのは何も男性だけじゃない。そんな相手との寝物語に解消の経緯を語れば俺を慰めることを口実に後腐れのない関係を求め、その関係に飽きれば何事もなかったかのようにただの同僚に戻っていく。

 結局は退屈していたんだ。
 かろうじて繋がっていても温度を感じることのない紗羅との関係に。
 変化のない毎日に。

 だから、【義弟】になる予定だった紗凪に対して他人ではないと人の良いフリをして近付いた。
 あわよくば紗羅との関わりを持ちたかったから。

 紗凪と再会しなければ。

 紗凪に気付かなければ。

 紗凪が俺を拒否していれば。

 紗凪が俺に気を許さなければ。

 紗羅を諦めることができていれば、きっと俺はそれなりに幸せな毎日を送れていたのかもしれない。

 

 
 



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

元カレの今カノは聖女様

abang
恋愛
「イブリア……私と別れて欲しい」 公爵令嬢 イブリア・バロウズは聖女と王太子の愛を妨げる悪女で社交界の嫌われ者。 婚約者である王太子 ルシアン・ランベールの関心は、品行方正、心優しく美人で慈悲深い聖女、セリエ・ジェスランに奪われ王太子ルシアンはついにイブリアに別れを切り出す。 極め付けには、王妃から嫉妬に狂うただの公爵令嬢よりも、聖女が婚約者に適任だと「ルシアンと別れて頂戴」と多額の手切れ金。 社交会では嫉妬に狂った憐れな令嬢に"仕立てあげられ"周りの人間はどんどんと距離を取っていくばかり。 けれども当の本人は… 「悲しいけれど、過ぎればもう過去のことよ」 と、噂とは違いあっさりとした様子のイブリア。 それどころか自由を謳歌する彼女はとても楽しげな様子。 そんなイブリアの態度がルシアンは何故か気に入らない様子で… 更には婚約破棄されたイブリアの婚約者の座を狙う王太子の側近達。 「私をあんなにも嫌っていた、聖女様の取り巻き達が一体私に何の用事があって絡むの!?嫌がらせかしら……!」

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

君に不幸あれ。

ぽぽ
BL
「全部、君のせいだから」 学校でも居場所がなく、家族に見捨てられた男子高校生の静。 生きる意味を失いかけた時に屋上で出会ったのは、太陽に眩しい青年、天輝玲だった。 静より一つ年上の玲の存在は、静の壊れかけていた心の唯一の救いだった。 静は玲のことを好きになり、静の告白をきっかけに二人は結ばれる。 しかしある日、玲の口から聞いた言葉が静の世界を一瞬で反転させる。 「好きになられるからあいつには近づかない方がいいよ。」 玲に対する感情は信頼から憎悪へと変わった。 それから十年後。 静は玲に復讐するために近づくが…

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

愛などもう求めない

一寸光陰
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...