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貴哉
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そんなふうに始まった俺たちの関係は、紗凪が予想以上に従順になったせいで思いのほか順調に深まっていった。
まずはじめに紗凪の部屋にある寝具は処分した。同じベッドで過ごせば距離が縮まるし、当然だけど触れ合いも生まれるだろう。
紗羅も使ったベッドを使うことに抵抗は無かった。広さは十分あるし、カバーはあれから何度も交換している。紗羅の肌に直接触れたカバー類は何も残っていない。
紗凪が気が付き、嫌がるそぶりを見せた時には従わせる術はある。そのために紗凪の痴態を収めておいたのだから。
あの日の動画はデータをいくつかコピーしておいた。派遣社員ではあるけれどPCに対して専門的な知識がある様子の紗凪だから保険は必要だろう。万が一データを消されたとしてもコピーがあれば問題ない。
「紗凪、好きだよ」
ベッドの中で身体を触れ合わせながらそう告げるとはじめは戸惑いを見せたけれど、躊躇うように「ボクも、です」と返される言葉に気を良くする。
あの日の翌日、同じ食卓に着くことに躊躇いを見せた紗凪だったけど「せっかく作ったのに」と眉を下げて見せれば戸惑いながらも席に着いてくれた。
「片付けしたら一緒に風呂、入ろうね」
その言葉に少しだけ顔色を悪くしたけれど、拒否したことで起こるであろうことと、受け入れたことで起こることを天秤にかけたのか「はい、」と素直に頷いた。
会話の弾まない夕食は紗凪にしてみれば苦痛な時間だったのかもしれないけれど、俺にとっては楽しいだけの時間。
いつもより食欲の無い紗凪が今朝もトイレで吐いたことだって知っているけれど、それでも解放する気はない。
従順な紗凪は心では拒否しながらも逆らうことなく、言われるままにその身を委ねてくれる。
浴室で俺に洗われ、全てを曝け出し、少しずつ俺を受け入れていく。唇を重ね、舌を受け入れ、口内を侵されて吐息を漏らす。
固く閉じた後孔も受け入れる指を増やし、繋がるためだと押し当てた拡張のための道具を嫌がりながらも飲み込む姿はバレないように動画に収めておいた。
これは自分を満たすための行為で、紗凪には告げるつもりも、見せるつもりもない。ただただ紗凪の可愛い姿を残したかっただけ。
従順になるしかなかった紗凪だけど、全てを受け入れられるようになる頃には声を抑えるために腕を噛むという自傷行為をすることもなくなり、俺の与える快楽に甘い吐息を漏らし、可愛らしい声を聞かせてくれるようになっていた。
痛みと恐怖で従順にさせた紗凪だったけれど、身体だけでなくその気持ちも手に入れたくて、初めこそ無理矢理だった関係を再構築するために、とにかく尽くした。
当然だけど無理やり挿入するなんてことはしないし、様子を見ながら紗凪の喜ぶ場所を探し、指で触れ、舌を這わせ、自分のモノだと実感したくて所有の証を残すように強く吸い、その身体に赤い痕を散らす。
夢中だった。
誰にも暴かれたことのない身体は初めて与えられる快楽に怯え、知らなかった身体の反応に怯え、縋り付くように手を伸ばす姿が愛おしかった。
紗羅も、紗羅と別れた後に身体を重ねた相手も初めてとは程遠く、それはそれで悪くはないのだけれど、自分だけにしか見せたことのない姿だと思うだけで何度でも果てることができるほど紗凪に溺れていた。
そう思っていたけれど、本当は自分が初めてではなかった紗羅の初めてを奪った気になって、紗羅との行為も初めてだったらこんな風になっていたはずだと疑似体験していたのかもしれない。
だって、行為の最中に呼ぶ名前は【紗凪】では無くて【紗羅】だったのだから。
それはきっと無意識に出てしまった言葉で、正直はじめは自分でも気付いていなかった。
「紗凪」
「紗凪」
そんな風に紗凪の名前を呼んでいるつもりだった。気付いたのは紗凪のした行動がきっかけ。
ベッドに入り唇を重ね、悪戯にその身体に触れる。身体を重ねるときの順序なんて毎日同じ。痛いことも苦しいことも嫌いな紗凪は、ひとりで入浴する時も準備を怠ることがないからその気になればいつでも身体を繋げることができる。
一緒に入浴する時は当然その後のことも含まれているからその時々の気分で準備に手を貸したり、準備をする様を観察したり、一切手を出すことを許さず全てを俺の手で行うこともあった。それは決め事があるわけではなく俺の気分次第。
その日は俺が遅くなったせいで先にベッドに入っていた紗凪だったけど、手にしたスマホを取り上げれば受け入れるために自らパジャマのボタンを外し始める。抵抗するよりも受け入れる方が楽だと悟ったのかもしれない。
いつもと同じ順序で愛撫を与え、準備された後孔に昂りを埋め込む。
「紗羅」
自分の中では『紗凪』と呼んでいたはずだった。
「紗羅」
紗羅も使ったベッドで紗凪を抱いたことで既視感を覚えたのかもしれない。それに気が付いたのは俺の首元に手を回した紗凪が、自分からキスをねだるように舌を伸ばしたから。
抱かれることを拒否することはないけれど、自分から何かを求めることのない紗凪がしたその仕草に気を良くして「紗羅」ともう一度名を呼べば腕に力を入れ、無理矢理に唇を重ねてくる。
俺の口を塞ぎ、その言葉を飲み込むように舌を絡めることに気を良くして口内を蹂躙しながら何度も穿てば心も身体も満たされるような気がした。
『紗羅』
そう呼ぶ度に舌を伸ばす紗凪はきっと傷付いていたのだろう。その日は少し意地悪をしたくなって伸ばした舌を無視して名前を呼び、伸ばそうとする腕から逃げるように身体を起こして細い腰を掴むと奥に進むためにいつもよりも強く打ちつける。
「紗羅、紗羅」
馬鹿の一つ覚えのように呼んだ名前に「なまえ、いや、」と譫言のような言葉を溢したことで違和感を覚え、「紗凪?」と呼び掛ければ安心したように笑いながらも「ねえさんじゃないからね?」ともう一度キスをねだるように舌を伸ばす。
その時になって自分の犯したミスに気付いたけれど、傷付いても俺に従順なままなのかと試したくて、その後も事あるごとに紗凪に対して『紗羅』と呼びかけ続けた。
このベッドで組み敷いた紗羅を思い出し、紗凪だと分かっていても『紗羅』と呼びかける。
傷付いた様子で俺の口を塞ごうと舌を伸ばすのが可愛くて、紗凪のことが愛おしいと思っているのにわざと呼ぶ姉の名前。
紗凪のことを想ってないわけじゃない。だけど、紗羅のことを忘れたわけじゃない。
だから、殊更に紗凪のことを慈しみ、宝物のように扱った。
朝は紗凪よりも先にベッドを抜け出し、朝食を用意した。自分1人の時は前日の残りで済ましていたけれど、夜毎無理をさせる紗凪のために食べやすいものを用意することは楽しくもあった。
職場がよく変わる度に昼食事情が変わるせいで弁当を持たせることはなかったけれど、夕食は変わらず用意し続けた。
付き合うと言質を取ったものの、距離を置こうとしたのか今までのように冷凍ミールを買い込んだ紗凪に「一緒に食事を摂りたいから」と言えば断った時に起こりうることを考えたのだろう。「貴哉さんがいない時に食べます」と目を伏せ冷凍庫に入れたそれは、いつの間にか無くなりそれ以降冷凍庫を占有することは無くなった。
胃袋を掴めむことは繋ぎ止めるための有効な手段だ。食事をする紗凪を観察し、紗凪の好みを把握して好みそうなメニューのレパートリーを増やしていく。
冷凍庫に入っていた冷凍ミールは洋食が多かったけれど、和食を作ったときの方が箸が進むことに気付き、評判の良い出汁パックを取り寄せたりもした。
家事をしてくれた時は多くの言葉で感謝を伝え、紗凪と居られることを嬉しいと伝えれば少しずつ心を開き、自然な表情が増えていく。
柔らかな表情が増えるにつれ、その表情を、その姿を自分以外に見せたくないと思うようになっていく。
「紗凪、仕事、辞めてもいいんだよ?」
何度その言葉を告げただろう。
紗凪を養う事は難しくないし、職場を変わる度にマニュアルを確認する姿を見る度に口にしてしまう言葉。
「辞めないよ。
何もかも貴哉に頼るのは申し訳ないから、せめて生活費くらいは入れさせて」
いつの間にか呼び方が変わった事で俺のことを受け入れた事は伝わってくるけれど、それでも頑なに仕事を辞めることを拒まれてしまう。
家賃を払うと言った時に固辞したのに光熱費や食費を払うと言われ、仕方なくわずかばかりの金額を提示すれば、そんな金額では食費にもならないと呆れられて紗凪が納得した金額を受け取ることを合意させられてしまった。
そのお金は使うことなく貯めているのは紗凪には言っていない。紗凪から受け取ったものを使う気になれず、貴重品と共に保管してあるそれは、いつか2人のために使おうと思っている。
家具を買い替えてもいいし、旅行に行くのもいいかもしれない。
「本当は生活費もいらないからずっと家にいて欲しいんだけど…閉じ込めるわけにはいかないか」
紗羅を閉じ込めることができれば今でも隣で笑っていてくれただろうかと考え、紗凪と違い自分の考えを曲げることのない紗羅が受け入れる事はないだろうと自嘲する。
よく似た容姿の姉弟だけど、性格は全く似ていないのだから。
「ちゃんと帰ってくるから」
俺の言葉に何か感じることがあったのだろう。俺の言葉を遮るようにそう言った紗凪は口を塞ぐようにそっと唇を押し当ててくる。
ストックホルム症候群。
そんな言葉が頭に浮かび、仄暗い笑いが溢れる。
紗凪は俺に対して絆され、好意を抱いたと思っているかもしれない。だけどそれはきっと錯覚。
痛みと恐怖を与えられて囲い込まれた紗凪はいわば被害者で、痛みと恐怖を与えて囲い込んだ俺は加害者。
長い時間ではないけれど、濃密な時間を共にしたことで俺に対して好意と共感、そして信頼の感情を抱いたのだろう。
可哀想だと思わないでもない。
俺の会社に派遣されなければ俺に囲われることなく、思い描いていた生活を送れていたはずだ。
それでも俺の手を掴んだのは紗凪だから。
重ねなれた唇が離れる前に頭に手を添え、口を開かせるために舌を差し込む。おずおずと口を開いた紗凪は従順で、可哀想で可愛かった。
まずはじめに紗凪の部屋にある寝具は処分した。同じベッドで過ごせば距離が縮まるし、当然だけど触れ合いも生まれるだろう。
紗羅も使ったベッドを使うことに抵抗は無かった。広さは十分あるし、カバーはあれから何度も交換している。紗羅の肌に直接触れたカバー類は何も残っていない。
紗凪が気が付き、嫌がるそぶりを見せた時には従わせる術はある。そのために紗凪の痴態を収めておいたのだから。
あの日の動画はデータをいくつかコピーしておいた。派遣社員ではあるけれどPCに対して専門的な知識がある様子の紗凪だから保険は必要だろう。万が一データを消されたとしてもコピーがあれば問題ない。
「紗凪、好きだよ」
ベッドの中で身体を触れ合わせながらそう告げるとはじめは戸惑いを見せたけれど、躊躇うように「ボクも、です」と返される言葉に気を良くする。
あの日の翌日、同じ食卓に着くことに躊躇いを見せた紗凪だったけど「せっかく作ったのに」と眉を下げて見せれば戸惑いながらも席に着いてくれた。
「片付けしたら一緒に風呂、入ろうね」
その言葉に少しだけ顔色を悪くしたけれど、拒否したことで起こるであろうことと、受け入れたことで起こることを天秤にかけたのか「はい、」と素直に頷いた。
会話の弾まない夕食は紗凪にしてみれば苦痛な時間だったのかもしれないけれど、俺にとっては楽しいだけの時間。
いつもより食欲の無い紗凪が今朝もトイレで吐いたことだって知っているけれど、それでも解放する気はない。
従順な紗凪は心では拒否しながらも逆らうことなく、言われるままにその身を委ねてくれる。
浴室で俺に洗われ、全てを曝け出し、少しずつ俺を受け入れていく。唇を重ね、舌を受け入れ、口内を侵されて吐息を漏らす。
固く閉じた後孔も受け入れる指を増やし、繋がるためだと押し当てた拡張のための道具を嫌がりながらも飲み込む姿はバレないように動画に収めておいた。
これは自分を満たすための行為で、紗凪には告げるつもりも、見せるつもりもない。ただただ紗凪の可愛い姿を残したかっただけ。
従順になるしかなかった紗凪だけど、全てを受け入れられるようになる頃には声を抑えるために腕を噛むという自傷行為をすることもなくなり、俺の与える快楽に甘い吐息を漏らし、可愛らしい声を聞かせてくれるようになっていた。
痛みと恐怖で従順にさせた紗凪だったけれど、身体だけでなくその気持ちも手に入れたくて、初めこそ無理矢理だった関係を再構築するために、とにかく尽くした。
当然だけど無理やり挿入するなんてことはしないし、様子を見ながら紗凪の喜ぶ場所を探し、指で触れ、舌を這わせ、自分のモノだと実感したくて所有の証を残すように強く吸い、その身体に赤い痕を散らす。
夢中だった。
誰にも暴かれたことのない身体は初めて与えられる快楽に怯え、知らなかった身体の反応に怯え、縋り付くように手を伸ばす姿が愛おしかった。
紗羅も、紗羅と別れた後に身体を重ねた相手も初めてとは程遠く、それはそれで悪くはないのだけれど、自分だけにしか見せたことのない姿だと思うだけで何度でも果てることができるほど紗凪に溺れていた。
そう思っていたけれど、本当は自分が初めてではなかった紗羅の初めてを奪った気になって、紗羅との行為も初めてだったらこんな風になっていたはずだと疑似体験していたのかもしれない。
だって、行為の最中に呼ぶ名前は【紗凪】では無くて【紗羅】だったのだから。
それはきっと無意識に出てしまった言葉で、正直はじめは自分でも気付いていなかった。
「紗凪」
「紗凪」
そんな風に紗凪の名前を呼んでいるつもりだった。気付いたのは紗凪のした行動がきっかけ。
ベッドに入り唇を重ね、悪戯にその身体に触れる。身体を重ねるときの順序なんて毎日同じ。痛いことも苦しいことも嫌いな紗凪は、ひとりで入浴する時も準備を怠ることがないからその気になればいつでも身体を繋げることができる。
一緒に入浴する時は当然その後のことも含まれているからその時々の気分で準備に手を貸したり、準備をする様を観察したり、一切手を出すことを許さず全てを俺の手で行うこともあった。それは決め事があるわけではなく俺の気分次第。
その日は俺が遅くなったせいで先にベッドに入っていた紗凪だったけど、手にしたスマホを取り上げれば受け入れるために自らパジャマのボタンを外し始める。抵抗するよりも受け入れる方が楽だと悟ったのかもしれない。
いつもと同じ順序で愛撫を与え、準備された後孔に昂りを埋め込む。
「紗羅」
自分の中では『紗凪』と呼んでいたはずだった。
「紗羅」
紗羅も使ったベッドで紗凪を抱いたことで既視感を覚えたのかもしれない。それに気が付いたのは俺の首元に手を回した紗凪が、自分からキスをねだるように舌を伸ばしたから。
抱かれることを拒否することはないけれど、自分から何かを求めることのない紗凪がしたその仕草に気を良くして「紗羅」ともう一度名を呼べば腕に力を入れ、無理矢理に唇を重ねてくる。
俺の口を塞ぎ、その言葉を飲み込むように舌を絡めることに気を良くして口内を蹂躙しながら何度も穿てば心も身体も満たされるような気がした。
『紗羅』
そう呼ぶ度に舌を伸ばす紗凪はきっと傷付いていたのだろう。その日は少し意地悪をしたくなって伸ばした舌を無視して名前を呼び、伸ばそうとする腕から逃げるように身体を起こして細い腰を掴むと奥に進むためにいつもよりも強く打ちつける。
「紗羅、紗羅」
馬鹿の一つ覚えのように呼んだ名前に「なまえ、いや、」と譫言のような言葉を溢したことで違和感を覚え、「紗凪?」と呼び掛ければ安心したように笑いながらも「ねえさんじゃないからね?」ともう一度キスをねだるように舌を伸ばす。
その時になって自分の犯したミスに気付いたけれど、傷付いても俺に従順なままなのかと試したくて、その後も事あるごとに紗凪に対して『紗羅』と呼びかけ続けた。
このベッドで組み敷いた紗羅を思い出し、紗凪だと分かっていても『紗羅』と呼びかける。
傷付いた様子で俺の口を塞ごうと舌を伸ばすのが可愛くて、紗凪のことが愛おしいと思っているのにわざと呼ぶ姉の名前。
紗凪のことを想ってないわけじゃない。だけど、紗羅のことを忘れたわけじゃない。
だから、殊更に紗凪のことを慈しみ、宝物のように扱った。
朝は紗凪よりも先にベッドを抜け出し、朝食を用意した。自分1人の時は前日の残りで済ましていたけれど、夜毎無理をさせる紗凪のために食べやすいものを用意することは楽しくもあった。
職場がよく変わる度に昼食事情が変わるせいで弁当を持たせることはなかったけれど、夕食は変わらず用意し続けた。
付き合うと言質を取ったものの、距離を置こうとしたのか今までのように冷凍ミールを買い込んだ紗凪に「一緒に食事を摂りたいから」と言えば断った時に起こりうることを考えたのだろう。「貴哉さんがいない時に食べます」と目を伏せ冷凍庫に入れたそれは、いつの間にか無くなりそれ以降冷凍庫を占有することは無くなった。
胃袋を掴めむことは繋ぎ止めるための有効な手段だ。食事をする紗凪を観察し、紗凪の好みを把握して好みそうなメニューのレパートリーを増やしていく。
冷凍庫に入っていた冷凍ミールは洋食が多かったけれど、和食を作ったときの方が箸が進むことに気付き、評判の良い出汁パックを取り寄せたりもした。
家事をしてくれた時は多くの言葉で感謝を伝え、紗凪と居られることを嬉しいと伝えれば少しずつ心を開き、自然な表情が増えていく。
柔らかな表情が増えるにつれ、その表情を、その姿を自分以外に見せたくないと思うようになっていく。
「紗凪、仕事、辞めてもいいんだよ?」
何度その言葉を告げただろう。
紗凪を養う事は難しくないし、職場を変わる度にマニュアルを確認する姿を見る度に口にしてしまう言葉。
「辞めないよ。
何もかも貴哉に頼るのは申し訳ないから、せめて生活費くらいは入れさせて」
いつの間にか呼び方が変わった事で俺のことを受け入れた事は伝わってくるけれど、それでも頑なに仕事を辞めることを拒まれてしまう。
家賃を払うと言った時に固辞したのに光熱費や食費を払うと言われ、仕方なくわずかばかりの金額を提示すれば、そんな金額では食費にもならないと呆れられて紗凪が納得した金額を受け取ることを合意させられてしまった。
そのお金は使うことなく貯めているのは紗凪には言っていない。紗凪から受け取ったものを使う気になれず、貴重品と共に保管してあるそれは、いつか2人のために使おうと思っている。
家具を買い替えてもいいし、旅行に行くのもいいかもしれない。
「本当は生活費もいらないからずっと家にいて欲しいんだけど…閉じ込めるわけにはいかないか」
紗羅を閉じ込めることができれば今でも隣で笑っていてくれただろうかと考え、紗凪と違い自分の考えを曲げることのない紗羅が受け入れる事はないだろうと自嘲する。
よく似た容姿の姉弟だけど、性格は全く似ていないのだから。
「ちゃんと帰ってくるから」
俺の言葉に何か感じることがあったのだろう。俺の言葉を遮るようにそう言った紗凪は口を塞ぐようにそっと唇を押し当ててくる。
ストックホルム症候群。
そんな言葉が頭に浮かび、仄暗い笑いが溢れる。
紗凪は俺に対して絆され、好意を抱いたと思っているかもしれない。だけどそれはきっと錯覚。
痛みと恐怖を与えられて囲い込まれた紗凪はいわば被害者で、痛みと恐怖を与えて囲い込んだ俺は加害者。
長い時間ではないけれど、濃密な時間を共にしたことで俺に対して好意と共感、そして信頼の感情を抱いたのだろう。
可哀想だと思わないでもない。
俺の会社に派遣されなければ俺に囲われることなく、思い描いていた生活を送れていたはずだ。
それでも俺の手を掴んだのは紗凪だから。
重ねなれた唇が離れる前に頭に手を添え、口を開かせるために舌を差し込む。おずおずと口を開いた紗凪は従順で、可哀想で可愛かった。
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