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大輝 1
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それは、1日の仕事を終えて食事の準備を始めようとした時だった。
食材を冷蔵庫から取り出そうとしていた紗凪の動きが止まり、スマホの表示を見て怪訝な顔をする。
「誰?」
一緒に生活するようになってからオレ以外からの連絡が入ったのをほとんど見たことがなかったせいで、ついつい詮索してしまう。
もしも貴哉からだったら、そんなことを考えてしまうのは紗凪を信じ切れてないせいなのかもしれない。
「実家からなんだけど、何だろう?」
怪訝な表情のままそう言った紗凪は通話ボタンを押し、「母さん?」と呼びかけた。
オレの様子から不安な気持ちを感じ取ったのか、スピーカーにしながら苦笑いを見せただけれど、その表情から緊張が伝わってくる。
『もしもし?』
「何、どうしたの?」
『紗凪、今どこにいるの?』
少し緊張した声は紗凪の母の声なのだろう。紗凪の疑問に答えるよりも先に母の声が被る。
「どこって、」
『紗羅が事故に遭って病院に運ばれたんだけど、行ける?』
「何でボクが行くの?」
『だから、紗羅が事故に遭ったって言ってるじゃないっ!』
そのキツイ口調に思わず顔を見合わせる。
母親の話を聞いて理解ができないのはオレも紗凪も同じだった。紗羅が事故にあったことはわかるけれど、紗凪が病院に行く理由が分からない。わざわざ行く必要があるほど状態が良くないのかと考えた時に紗凪が口を開く。
「何、ボクの手がないと困るくらいの事故なの?」
同居の祖父母は健在だし、紗羅の夫だっているのに遠方に住む紗凪を呼び戻す必要性があるのかと思ってしまうのは普通のことだろう。
ただ、【来れる?】ではなく【行ける?】という聞き方をするところをみると病院にいるわけではなさそうだ。
『そうじゃなくて、今からそっちに向かうけど、私たちが行くまでの間、紗凪に様子を見てきて欲しいの』
そう言った母親は車で出かけたはずの姉が貴哉の住む街で事故に遭い、救急搬送されたと口にした。ただ、車は動かせる状態ではないけれど命に別状はないらしい。
「え、何でそんな所にいるの?
義兄さんや紗柚も一緒なの?」
『それが、』
紗凪の質問に口籠ると義兄と甥はいないとか、義兄には言えないとか、要領の得ないことを口にし、『行けるの?行けないの?』と強い口調で詰め寄る。
こんな時に配偶者である義兄に伝えずに紗凪を頼るなんて変な話だと思い、関わらない方がいいと判断して助けを求めるようにオレを見た紗凪に対して首を横に振る。
命に別状があるほどの事故ならば行くという判断もあったかもしれないけれど、命に別状がないのならわざわざ行くこともないだろう。普段から交流があればそんなことも言っていられないけれど、オレが知っている限り、ここ数年で姉との直接的な関わりはなかったはずだ。
いくら姉弟だとしても、ふたりの関係性を考えれば他人のようなものだからこの判断で間違いはないだろう。
「ごめん、無理」
そう答えると電話の向こうで紗凪を非難するような声が聞こえたけれど、「ボクが行ってもできることなんて無いよ」とポツリと本音を溢す。
『だって、こっちから行くより早いでしょ?』
「電車乗り継いだりすれば少し早いだけなんじゃない?」
この場所から公共交通機関を使ったところで紗凪の実家から来るのに比べればはるかに早く着くことはできるだろう。オレが車を出せば数十分で着くことも可能だ。
紗凪が望めば車を出すことなど造作もないけれど、望まないのならその必要はない。
『紗凪にだって都合があるんだから、無理なら仕方ないじゃないか』
父親の声だろうか。母親の非難がましい声が途切れ、男性の声が聞こえる。ドアを閉める音が聞こえてきたから車に乗ったのかもしれない。
『でも』と反論する母の声も聞こえてきたけれど、『普段から交流があるわけじゃないのに、紗凪が行ってもお互いに気不味いだけだ』と言葉を遮る。それでも引き下がることなく『買い物とか、手伝いくらいできるでしょ?』と反論する声が聞こえたけれど、『紗凪に紗羅の好みなんて分からないだろう』と一蹴する言葉がこちらにも聞こえた。
『紗凪、本当に行けないの?』
縋るような母親が聞こえる。
父親の言葉はオレが聞いていても正論ばかりだったし、紗羅の入院したのは大きな総合病院なのだから入院の際に必要なものも売っているはずだ。基本的なものを一式揃えことは可能だろう。
「ボクが行っても姉さんイライラするだけなんじゃない?」
断っても納得しない母に紗凪自身苛立ちを感じていたのかもしれない。その気持ちが言葉に現れたのだろう。
ただ、紗凪と紗羅の関係を知っているオレには納得できる言葉だったけれど、何も知らない両親にしてみればただただ冷たい言葉だったのかもしれない。
『イライラって、』
「普段会わないんだから、ボクが行っても落ち着かないだろうし」
『紗凪の言う通りだから。
紗凪には紗凪の生活があるんだ』
母親の言葉で自分の失態に気付いたのか、取り繕うような言葉を続けた紗凪だったけれど、聞こえてきたのは呆れたような投げやりな口調の父の声だった。
「ごめん」
悪くないのにそう謝った紗凪の言葉に『また連絡するから』と母親の言葉が続き、通話が途切れる。
「何で?」
無意識なのだろう。
視線を彷徨わせながらそんな言葉を漏らしたのは紗羅の事故がショックなわけではなくて、実家から離れた場所で事故に遭ったことが不可解だからなのだろう。
「お姉さん、なんでこんな方で?」
「分からないけど…」
思考を促すために欠けた言葉にそう答えた紗凪は何を考えているのか無言のまま眉間に皺を寄せる。
紗羅がわざわざこちらまで来た理由は考えるまでもなく貴哉が関係しているのだろう。そうでなければあの街を訪れる理由はない。
会いに行く前だったのか、それとも会った後だったのか。
約束をしていたのなら事故に遭った時に頼るべきは貴哉であるはずなのに、実家に連絡が入った時点で約束があったわけではないのだと推測する。
命に別状はないけれど意識が戻らない、なんてことがあれば話は違うけれど、母親の口調からそこまでの状況であるとは思いにくい。
「行かなくていいの?」
「行ってどうするの?
病院に行ったら貴哉がいるとか、洒落にならないよ」
確認のために聞いた言葉に返ってきたのはそんな答えで、事故に遭った場所を考えると結局貴哉絡みなのだろうと思うのは紗凪も同じだったようだ。
貴哉と紗凪の関係を知っているはずの紗羅がわざわざ会いにくる理由は分からない。
紗凪が貴哉の部屋を出てから連絡手段を絶ったせいでふたりの関係を知ることはできないけれど、会いに来るには何かしらの理由があったのだろう。
「姉さん、貴哉に会いにきたのかな」
ポツリと口にした言葉を「だろうな、」と肯定したけれど、オレの言葉は耳に入っていないのか一方的に言葉を続ける。
「ボクが近くにいるのに姉さんから連絡がないのはそのせいなんだろうね」
もしも事故に遭った時に近くに身内がいるのなら、迷わず頼るだろう。
だけど、こんな状況であっても紗凪を頼らないのは貴哉との関係が続いているせいだと考えても不思議ではない。
「やっぱりボクは、姉さんの代わりでしかなかったんだ」
紗凪が傷付いているのは姉が頼ってくれなかったことに対するものではなくて、紗羅と貴哉がまだ繋がっていたことなのだろう。
部屋に残ってもいいと言った言葉は紗凪のための優しさで、何事もなく世界が終われば戻ってきてくれるという希望。その希望を打ち砕かれることが怖くてオレのところに逃げてきたのに、こんな形で打ち砕かれるなんて思っても見なかったはずだ。
「紗凪?」
独り言のようにネガティブな言葉を吐き続ける紗凪は視点が合わず、呼びかける声に応えることはない。
「あの部屋にいていいって言ってくれたのに、嘘だったのかな。
優しいふりしてただけで、姉さんのとこに行くって言えばボクが諦めるって分かってたのかな」
オレのことが好きだったと言いながら、それでもまだ貴哉への想いを捨て切れずにいたのだろうか。
心のどこかで自分は愛されていたと思っていたかったのだろうか。
虚な瞳で呟き続ける紗凪は、少しずつ壊れていくようで、その様を黙って見続ける。
ここで優しい言葉をかければ紗凪はきっと、正気を取り戻すだろう。
紗凪の都合のいいように貴哉の気持ちを代弁し、オレは紗凪のことが必要だからと甘い言葉を囁く。
そうすれば気持ちは整理され、オレと向き合うことになるだろう。
だけど、それはオレの望む形ではない。
貴哉から必要とされていなかってのだと思い知らされ、自分は紗羅の身代わりだったのだと痛感して、自分の居場所なんて始めからなかったのだと気付けば【自分の居場所】が無くなることを恐れ、今ある場所にしがみつくしかなくなるだろう。
ぶつぶつと呟く声はオレの耳にまでは届かないけれど、その表情は苦悶に満ちている。
「ボクのことなんて、必要じゃなかったんだ、みんな」
そう。
それでいい。
そんな風に思い込み、誰からも必要とされていないと悲しみ、自分の居場所を見失えば【ここ】にいるしかないのだから。
「紗凪」
何かを呟きながら静かに涙を流す紗凪は可哀想で、危うくて。
そんな紗凪を慰めるためにそっと抱き寄せる。
打たれ弱い紗凪が自分を追い詰めれば追い詰めるほど正気を失うのは学習済みだ。
だから、優しく包み込み、自分の中に取り込んでしまうのはきっと容易い。
「オレは紗凪のことが必要だよ」
泣き続ける紗凪の耳ともでそっと囁く。
「オレがいるから、そんなこと言わないで」
抱き寄せてもオレの身体に腕を回すことなく静かに泣き続ける紗凪をソファーに座らせ、あやすように抱き寄せる。
無気力なままの紗凪はされるがままに身体を預け、オレの胸で静かに泣き続けた。
「好きなだけ泣けばいいよ、オレはずっとそばにいるから」
心配するふりをしながらも、少しずつ壊れていく紗凪の様子に口角が上がるのを抑えることができなかった。
食材を冷蔵庫から取り出そうとしていた紗凪の動きが止まり、スマホの表示を見て怪訝な顔をする。
「誰?」
一緒に生活するようになってからオレ以外からの連絡が入ったのをほとんど見たことがなかったせいで、ついつい詮索してしまう。
もしも貴哉からだったら、そんなことを考えてしまうのは紗凪を信じ切れてないせいなのかもしれない。
「実家からなんだけど、何だろう?」
怪訝な表情のままそう言った紗凪は通話ボタンを押し、「母さん?」と呼びかけた。
オレの様子から不安な気持ちを感じ取ったのか、スピーカーにしながら苦笑いを見せただけれど、その表情から緊張が伝わってくる。
『もしもし?』
「何、どうしたの?」
『紗凪、今どこにいるの?』
少し緊張した声は紗凪の母の声なのだろう。紗凪の疑問に答えるよりも先に母の声が被る。
「どこって、」
『紗羅が事故に遭って病院に運ばれたんだけど、行ける?』
「何でボクが行くの?」
『だから、紗羅が事故に遭ったって言ってるじゃないっ!』
そのキツイ口調に思わず顔を見合わせる。
母親の話を聞いて理解ができないのはオレも紗凪も同じだった。紗羅が事故にあったことはわかるけれど、紗凪が病院に行く理由が分からない。わざわざ行く必要があるほど状態が良くないのかと考えた時に紗凪が口を開く。
「何、ボクの手がないと困るくらいの事故なの?」
同居の祖父母は健在だし、紗羅の夫だっているのに遠方に住む紗凪を呼び戻す必要性があるのかと思ってしまうのは普通のことだろう。
ただ、【来れる?】ではなく【行ける?】という聞き方をするところをみると病院にいるわけではなさそうだ。
『そうじゃなくて、今からそっちに向かうけど、私たちが行くまでの間、紗凪に様子を見てきて欲しいの』
そう言った母親は車で出かけたはずの姉が貴哉の住む街で事故に遭い、救急搬送されたと口にした。ただ、車は動かせる状態ではないけれど命に別状はないらしい。
「え、何でそんな所にいるの?
義兄さんや紗柚も一緒なの?」
『それが、』
紗凪の質問に口籠ると義兄と甥はいないとか、義兄には言えないとか、要領の得ないことを口にし、『行けるの?行けないの?』と強い口調で詰め寄る。
こんな時に配偶者である義兄に伝えずに紗凪を頼るなんて変な話だと思い、関わらない方がいいと判断して助けを求めるようにオレを見た紗凪に対して首を横に振る。
命に別状があるほどの事故ならば行くという判断もあったかもしれないけれど、命に別状がないのならわざわざ行くこともないだろう。普段から交流があればそんなことも言っていられないけれど、オレが知っている限り、ここ数年で姉との直接的な関わりはなかったはずだ。
いくら姉弟だとしても、ふたりの関係性を考えれば他人のようなものだからこの判断で間違いはないだろう。
「ごめん、無理」
そう答えると電話の向こうで紗凪を非難するような声が聞こえたけれど、「ボクが行ってもできることなんて無いよ」とポツリと本音を溢す。
『だって、こっちから行くより早いでしょ?』
「電車乗り継いだりすれば少し早いだけなんじゃない?」
この場所から公共交通機関を使ったところで紗凪の実家から来るのに比べればはるかに早く着くことはできるだろう。オレが車を出せば数十分で着くことも可能だ。
紗凪が望めば車を出すことなど造作もないけれど、望まないのならその必要はない。
『紗凪にだって都合があるんだから、無理なら仕方ないじゃないか』
父親の声だろうか。母親の非難がましい声が途切れ、男性の声が聞こえる。ドアを閉める音が聞こえてきたから車に乗ったのかもしれない。
『でも』と反論する母の声も聞こえてきたけれど、『普段から交流があるわけじゃないのに、紗凪が行ってもお互いに気不味いだけだ』と言葉を遮る。それでも引き下がることなく『買い物とか、手伝いくらいできるでしょ?』と反論する声が聞こえたけれど、『紗凪に紗羅の好みなんて分からないだろう』と一蹴する言葉がこちらにも聞こえた。
『紗凪、本当に行けないの?』
縋るような母親が聞こえる。
父親の言葉はオレが聞いていても正論ばかりだったし、紗羅の入院したのは大きな総合病院なのだから入院の際に必要なものも売っているはずだ。基本的なものを一式揃えことは可能だろう。
「ボクが行っても姉さんイライラするだけなんじゃない?」
断っても納得しない母に紗凪自身苛立ちを感じていたのかもしれない。その気持ちが言葉に現れたのだろう。
ただ、紗凪と紗羅の関係を知っているオレには納得できる言葉だったけれど、何も知らない両親にしてみればただただ冷たい言葉だったのかもしれない。
『イライラって、』
「普段会わないんだから、ボクが行っても落ち着かないだろうし」
『紗凪の言う通りだから。
紗凪には紗凪の生活があるんだ』
母親の言葉で自分の失態に気付いたのか、取り繕うような言葉を続けた紗凪だったけれど、聞こえてきたのは呆れたような投げやりな口調の父の声だった。
「ごめん」
悪くないのにそう謝った紗凪の言葉に『また連絡するから』と母親の言葉が続き、通話が途切れる。
「何で?」
無意識なのだろう。
視線を彷徨わせながらそんな言葉を漏らしたのは紗羅の事故がショックなわけではなくて、実家から離れた場所で事故に遭ったことが不可解だからなのだろう。
「お姉さん、なんでこんな方で?」
「分からないけど…」
思考を促すために欠けた言葉にそう答えた紗凪は何を考えているのか無言のまま眉間に皺を寄せる。
紗羅がわざわざこちらまで来た理由は考えるまでもなく貴哉が関係しているのだろう。そうでなければあの街を訪れる理由はない。
会いに行く前だったのか、それとも会った後だったのか。
約束をしていたのなら事故に遭った時に頼るべきは貴哉であるはずなのに、実家に連絡が入った時点で約束があったわけではないのだと推測する。
命に別状はないけれど意識が戻らない、なんてことがあれば話は違うけれど、母親の口調からそこまでの状況であるとは思いにくい。
「行かなくていいの?」
「行ってどうするの?
病院に行ったら貴哉がいるとか、洒落にならないよ」
確認のために聞いた言葉に返ってきたのはそんな答えで、事故に遭った場所を考えると結局貴哉絡みなのだろうと思うのは紗凪も同じだったようだ。
貴哉と紗凪の関係を知っているはずの紗羅がわざわざ会いにくる理由は分からない。
紗凪が貴哉の部屋を出てから連絡手段を絶ったせいでふたりの関係を知ることはできないけれど、会いに来るには何かしらの理由があったのだろう。
「姉さん、貴哉に会いにきたのかな」
ポツリと口にした言葉を「だろうな、」と肯定したけれど、オレの言葉は耳に入っていないのか一方的に言葉を続ける。
「ボクが近くにいるのに姉さんから連絡がないのはそのせいなんだろうね」
もしも事故に遭った時に近くに身内がいるのなら、迷わず頼るだろう。
だけど、こんな状況であっても紗凪を頼らないのは貴哉との関係が続いているせいだと考えても不思議ではない。
「やっぱりボクは、姉さんの代わりでしかなかったんだ」
紗凪が傷付いているのは姉が頼ってくれなかったことに対するものではなくて、紗羅と貴哉がまだ繋がっていたことなのだろう。
部屋に残ってもいいと言った言葉は紗凪のための優しさで、何事もなく世界が終われば戻ってきてくれるという希望。その希望を打ち砕かれることが怖くてオレのところに逃げてきたのに、こんな形で打ち砕かれるなんて思っても見なかったはずだ。
「紗凪?」
独り言のようにネガティブな言葉を吐き続ける紗凪は視点が合わず、呼びかける声に応えることはない。
「あの部屋にいていいって言ってくれたのに、嘘だったのかな。
優しいふりしてただけで、姉さんのとこに行くって言えばボクが諦めるって分かってたのかな」
オレのことが好きだったと言いながら、それでもまだ貴哉への想いを捨て切れずにいたのだろうか。
心のどこかで自分は愛されていたと思っていたかったのだろうか。
虚な瞳で呟き続ける紗凪は、少しずつ壊れていくようで、その様を黙って見続ける。
ここで優しい言葉をかければ紗凪はきっと、正気を取り戻すだろう。
紗凪の都合のいいように貴哉の気持ちを代弁し、オレは紗凪のことが必要だからと甘い言葉を囁く。
そうすれば気持ちは整理され、オレと向き合うことになるだろう。
だけど、それはオレの望む形ではない。
貴哉から必要とされていなかってのだと思い知らされ、自分は紗羅の身代わりだったのだと痛感して、自分の居場所なんて始めからなかったのだと気付けば【自分の居場所】が無くなることを恐れ、今ある場所にしがみつくしかなくなるだろう。
ぶつぶつと呟く声はオレの耳にまでは届かないけれど、その表情は苦悶に満ちている。
「ボクのことなんて、必要じゃなかったんだ、みんな」
そう。
それでいい。
そんな風に思い込み、誰からも必要とされていないと悲しみ、自分の居場所を見失えば【ここ】にいるしかないのだから。
「紗凪」
何かを呟きながら静かに涙を流す紗凪は可哀想で、危うくて。
そんな紗凪を慰めるためにそっと抱き寄せる。
打たれ弱い紗凪が自分を追い詰めれば追い詰めるほど正気を失うのは学習済みだ。
だから、優しく包み込み、自分の中に取り込んでしまうのはきっと容易い。
「オレは紗凪のことが必要だよ」
泣き続ける紗凪の耳ともでそっと囁く。
「オレがいるから、そんなこと言わないで」
抱き寄せてもオレの身体に腕を回すことなく静かに泣き続ける紗凪をソファーに座らせ、あやすように抱き寄せる。
無気力なままの紗凪はされるがままに身体を預け、オレの胸で静かに泣き続けた。
「好きなだけ泣けばいいよ、オレはずっとそばにいるから」
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