欲深い僕たち。

佳乃

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義兄 1

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 その子を初めて見たのは父の会社のイベントだった。
 同じ顔をした母親らしき女性に手を引かれ、恥ずかしそうにしている姿は僕の心を鷲掴みにする。

 母はイベント事を嫌いこういう時はいつも留守番で、父はといえば声をかけられる度に足を止めるため退屈で仕方がなかった俺は父の服の裾を引っ張り言ってみたのだ。
「あの子と遊びたい」
 父は俺の指差した2人に目をやると僕の手を引き母親らしき人物に声をかける。どうやら知り合いらしい。
「うちの子が遊びたいと言ってるのだけどどうだろう?」
 大人が話している間中、俺を気にするその子にニコリと笑いかけてみると恥ずかしそうに母の背に隠れてしまう。
 その仕草がまた可愛くて俺の心を揺さぶる。

「まさあき君、お父さんお忙しいみたいだから一緒に遊ぼうか。
 この子は渉、1年生なんだけどまさあき君は?」
「ありがとうございます。
 僕は3年生です」
 可愛い顔をしているけれど、名前からして男の子らしい。少し拍子抜けしたけれど、母親の背中から出てきて僕の顔を見上げる渉を見たら性別なんてどうでも良くなってしまった。

 渉の母に連れられてイベントを楽しんだその日は本当に楽しくて、渉もしばらくすると打ち解けてくれて途中からは僕の手を引っ張ってイベントを回るほどになっていた。

 楽しい時間は終わってしまうと反動が大きくて、帰宅してからも渉のことばかり考えてしまう日々。渉も気に入ったけれど、渉の母も全力でイベントを楽しんでいて一緒に過ごす時間は今まで味わったことのない楽しさだった。

 イベントから帰った俺が機嫌の良いことを不思議に思った母に何があったか聞かれたのは仕方のないことだろう。いつもならイベントに行っても疲れて帰ってくる俺がご機嫌なのだ、訝しむのは当たり前だ。

 うちの母は渉の母と違い社交性が無く、イベントに参加することは皆無だ。父のことは好きだけれど父に歩み寄る気はなく、ただただ自分への愛を求め愛を注ぎ続ける。だけれど父の望むそれは母のそれとは違い2人はすれ違ったままで、注いでも受け取られることのない愛は俺に向けられるのだけど正直俺には重すぎる。

「今日ね、可愛い子と遊んだんだ」
 俺の言葉に母の顔色が変わったのは分かったけれどそれを無視して言葉を続ける。
「その子とお母さんと3人で色んなことやって、いろんなもの食べて、すっごい楽しかった」
「………そう」

 その日から母の執着は一段と酷くなった。父は相変わらず社交性のない母を外に連れ出そうとすることなく向けられる愛も受け流し、流された愛は俺に注がれる。父によく似た俺がその愛を受け止めていた頃はギリギリのところで保っていた均衡は、少しずつ少しずつ保つ事が難しくなっていく。
 母から流れ出した愛は誰にも受け取られる事なく勢いを増し、鋭い刃となって母を傷つけるのだけれど父はそれに気づくことはない。

 会社のイベントがあると誘われて渋々ついて行くはずの俺が会社のイベントを楽しみにするようになり、帰ってくれば楽しそうにその様子を母に告げる。
 普通に見れば微笑ましい光景なのに、俺の無邪気な報告は母には苦行でしかない。
 少しずつ少しずつ壊れていく母を見ても何も感じなかった。
 母から流れ出していた愛は少しずつ枯渇し、激流だったそれは今では小川ほどもない。

 俺はきっと早熟だったのだろう。
 外出を嫌う母のせいで家族でどこかに行った記憶はなく、長期休みでも家で過ごすため時間を消費するために読書ばかりしていたせいか変に大人びてしまったのだ。だから言ってはいけない言葉だって分かっていたし、その言葉の使い方次第で未来が変わることも理解していた。
 あれは、起こるべくして起こった事だったのだ。

「真秋は何か欲しいものはないの?」
 その日も父の会社のイベントに参加し、俺は渉の姿を探す。残念なことに渉にはあれ以来会えていないのだけど、もしかしたら会えるかもと思うだけで浮かれてしまいそんな俺を見て父も機嫌を良くして一緒にイベントを回るようになった。以前なら呼び止められる度に話し込んでしまったシュチュエーションでも「息子が待っているから」と話を早く切り上げてくれるようになったのが嬉しかった。

「たまには母さんにお土産買っていくか?」
 珍しくそんな風に言った父は何も悪くない。ただただすれ違っただけだろう。でもそのすれ違いはすでに埋めることにできないほどになっていたのだけれど。
 父の用意したお菓子は母に食べられることはないままで、不思議に思った俺は母に聞いたのだ。
「これ、欲しくないの?」
「欲しかったら真秋が食べても良いのよ」
「いらない。お菓子じゃ無くてもっと欲しいもの有るし」
「真秋は何が欲しいの」
「元気なお母さんと可愛い弟」
 そう、母を壊したのは俺だ。

 俺のこの一言で母が保っていた心の均衡は崩れ、してもいない父の浮気を疑い疑心暗鬼に堕ちていく。
 そんなに気になるのならば父と話し合えば良いのにプライドの高い母はそれができず自分で自分を追い詰めていく。
 そしてあの日、いつものようにイベントから帰った僕たちは冷たくなった母を見つけたのだ。
 
 俺はまだ小学生だったけれど自分のせいであることは自覚していた。
 警察に連絡をして医師を呼んで、と父は忙しくしていたけれど俺には何もやる事がなく自室で過ごすことにする。
 大人たちはそんな様子を心配したけれど俺は歓喜する姿を見られたく無かったから都合が良かったのだ。

 これであの子を手に入れる可能性が出てきた。

 嬉しくて仕方がなかった。
 母の重い愛を受け止める必要がなくなるし、部屋で過ごしても何も言われない。母からは部屋で過ごすのは寝る時だけにして欲しいと言われていたため睡眠以外で自分の部屋で過ごすことは快適で、僕の気持ちを昂らせる。

 会えない日々は俺の気持ちを萎えさせることなく、むしろあの子への思いを増長させる。

 あの小さな手はどんな感触だろう。
 あの小さな唇は。
 あの小さな●●は…。

 母がいなくなっても時間は流れていく。あれ以降、父が〈イベントに行かなけば母は死ななかったかも〉などと意味不明な罪悪感を感じたせいでイベントには参加できなくなった。
 喪中であるためそれは当然の行動なのだけど、俺には面白くない。
 母がいなくなったからと言って父と2人で外出するわけでも無く家で過ごす毎日。家の事はと言えば結婚するまでは一人暮らしをしていたという父は何でもできてしまうので困る事はなく、暇を持て余した俺が手伝うようになるのは直ぐだった。

 掃除、洗濯、食事。
 いわゆる家事は面倒だけどやり甲斐はあり、小学生なりにできる事は頼み込んでやらせてもらう。
 掃除は1番嫌いな家事だけど、あの子のためだと思うと苦痛ではなかった。
 洗濯は干して取り入れて畳む行為は好きだけど、片付けるのが苦手で父の手を借りる。結果的に父との会話は増えて行く。話すキッカケは必要だ。 

「あの子、元気かな」
 ある日何気なく呟いた言葉。
 それが父の耳の届き自体が動き出す。
「あの子って誰?」
 朝食を準備する手を止める事なく話す父は母に対する罪悪感はあるものの、少しばかりの解放感を味わっているのもあり顔色は良い。
「前にイベントで会った子」
 その一言で理解をする父も少なからず彼らのことを意識していたのだろうか。

 母とは正反対な彼女の事を楽しそうに話し、会いたい気持ちをアピールする。「あんな弟が欲しいな。
 そしたら留守番も淋しくないのに」
 これは僕の本心。
 父は僕の言葉をどう受け止めているのだろう。
「お母さんがあの人なら楽しそうだよね」
 無意識を装いそう言った時には流石に嗜められたけれど、ぼくの言葉はちゃんとき〈きっかけ〉となったようで、喪が明ける頃にはその種は芽吹いたようだった。

 案外早く渉に会えるかも、そんな俺の期待は裏切られ続けるのだけれど父から感じる女性の気配は多分彼女だろう。2人がどんな仲かは分からないけれど、いつか〈あの子〉に会えるだろうと、会いたいと願い続けた。

 想いは願い続ければ叶うもの。

 そしてやってくるその時。
「真秋、ちょっといいか?」
 父にそう声をかけられたのは高校1年の時で、母がいなくなってから7年ほど過ぎた頃。
 母の三回忌をけじめとしてお付き合いをしていた女性がいること。それ以前から知り合いである彼女とは将来を見据えた付き合いである事。
 彼女の息子が高校生になる前に再婚をしたいと思っている事を告げられる。
「父さんにもそんな人(女性)がいたんだね」
 茶化すように答えると、父は苦笑して答える。
「きっかけはお前だよ。
 渉君、覚えてるか?」
 その言葉だけで十分だった。

 やっと〈あの子〉が手に入る。

 2人の交際は順調で、父から話を聞いた数日後には渉の母である義母に会うことになった。
 ただなぜ中学に入るタイミングではなかったのかと疑問に思い聞いてみると進学校を目指していた俺のためだったと告げられる。そして今の時期を選んだ理由は俺が高校生活にも慣れたことと〈あの子〉の志望校が進学校ではなく合否も心配する必要がないからだと教えられる。親は親なりに子どものことを考えてくれていたらしい。

 幼い頃に会った印象というのは美化されがちだけど、義母は記憶の中にあるよりも少しばかり老けただけで印象を違える事はなかった。義母の容姿から今の渉に思いを馳せる。
 あと少し。
 来年には渉が俺の元にやってくる。

 いつかを夢見て〈あの子に相応しいように〉を目標にしてきた結果、俺はなかなかのハイスペックだ。
 自惚れるわけではないけれど、努力すれば結果は出る。
 ありがたいことに容姿にも恵まれ〈あの子の義兄〉として恥ずかしくない自分であると自認している。

〈あの子〉は俺のことを気に入ってくれるだろうか。

 そんな思いで過ごした〈あの子〉に会えるまでの日々は俺の妄想を掻き立てる。

 あの小さな手は俺の手を掴んでくれるだろうか。
 あの小さな唇は俺を受け入れてくれるだろうか。
 あの小さな●●は…。



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