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第一話 チャールズの記録
五月十三日 その1
しおりを挟む午前七時頃
伯爵夫人をお出迎えする為、キャシーと二人で身支度をしていた。ジメジメとしていて、肌はベトつくし髪は膨らむしで、思うようにいかず苛々した。それはキャシーも同じだったらしくて、途中でヘソを曲げてしまった。仕方ないので出迎えには自分一人で行った。彼女の身勝手さに少し腹が立った。
ベタベタする。ちょっと前まではひんやりしていたのに、このごろの雨は一層嫌いだ。
「うへぇ」キャシーが呻いた。べたりとだらしない格好で出窓にもたれかかっている。まるで出窓の底から金色の蜜が滴り落ちているようだ。だいぶごわごわしているけれど。
僕はみかねて、引出しからコームを取り出した。口で注意するより、実際に手を出した方が彼女には効く。
「みっともない声出さないの」まずは一言釘を刺し、それから彼女の髪を梳いてやった。また雨足の音だけになった。
やがて、
「雨」彼女がぽつりとつぶやいた。
「うん」適当に相槌を打つ。手は止めない。
「止まないね」
「だねぇ」随分と艶が出てきたけれど、もこもこ感が拭い去れない。仕方ないから緩く束ねることにする。下手に結って、余計なクセをつけたくはない。「尻尾にするね」
「またぁ?」キャシーは出窓の縁を両手でペシペシと叩きながらごねた。あまりにも幼稚な反応をされてしまって、僕はつい吹き出してしまった。
「雨だからね」
「やまないかなぁ」彼女は再び出窓の縁に両手をかけて、僕の方へ向かって傾いた。つまりこの角度で纏めろという事だ。
「仰せのままに」一旦彼女に背を向けて、二番目の引出しを引く。
「よきにはからえ~」背中越しに彼女の声が聞こえた。僕は引出しの中からバナナのようにカーブしたヘアクリップを探り出した。ちゃんと機能するか確かめてから、再びキャシーへ向き直る。あれだけ気合を入れて梳いたのに、稲穂色の束はもうふわふわと膨らみ始めている。
「どうしたもんかなぁ」おもわずぼやくと、
「ほんとほんと」キャシーが上半身を前後に揺らしながら同意してきた。「びっしょびしょになっちゃう」言葉は文句らしいのに、声は楽しそうだ。
「楽しそうじゃないか」キャシーの傍に陣取ると、彼女は体を揺するのを止め、それから先程とは違って首だけを傾けてきた。
「そんなことないよ」やはり声が弾んでいる。
ご機嫌なのは結構だけれど、この姿勢ではうなじの髪がまとめにくい。逡巡の結果、僕は彼女の後頭部に手を添えながら「もうちょっと起きて」とお願いした。彼女は黙って従った。
それから大急ぎでうなじの髪だけを先に梳いた。終えるや否や束を支える左手に意識を集めながら「もういいよ」と合図をしてやった。すると今度は初めの時と同じ様に上半身ごとこちらに傾いてきた。お願いの仕方を間違っていたようだ。
「はは・・・・・・」
「どうしたの?」コトンと頭を預けてくるキャシー。咄嗟に反応できなくて、いくらか髪を取りこぼしてしまった。もう一度起きてもらうか悩む。
「えっと、」けれど直ぐに結論が出た。ご機嫌な内に済ませてしまいたい。「仕上げに入るよ」
「うん? うん」彼女のあいまいな様子には気付かなかった事にして、僕は髪集めを再開した。取りこぼした分も出来る限り拾い直す。出来れば後れ毛の一本も残したくはない。彼女はそうあるべきだ。
「雨は嫌」持て余したのか、キャシーが唐突に嘆いた。
「うん」適当に相槌を打っておく。
「濡れたくないな」
「ぼくも」わかっていたことだけれど、僕の手は小さすぎる。どんなに注意を払っても取りこぼす。やはり偶々積み上がってくれる奇跡の一瞬を求めるしかない。同じ作業を繰り返しては、また取りこぼす。
「どうして傘ってあんななの?」
「うーん」今ばかりは湿気に感謝したくなった。重くなった分、普段よりは流れにくい。あと少し。
「足元も守って欲しい」
「うん」積み上げては、崩れる。でも、もうちょっと。
「ばしゃばしゃしてるとさ」
「うん」できた。後はクリップで留めるだけだ。
「タイツの中までびしゃびしゃになっちゃんだから」
クリップを口と右手で開く。それがいけなかったのかもしれない。些細ながら達成感も得ていた。それもいけなかった。
「それは、自分のせいじゃない?」ついつい、口が滑ってしまった。言ってしまってから気付いて、でも手遅れで。
「っ!」キャシーが首を左右に激しく振った。当然、髪はぼっさぼさ。
「キャシー?」僕の呼びかけには返事もくれない。案の定ご機嫌を損ねてしまったらしい。
彼女は立ち上がって、それからベッドまで移動して、こちらに背を向ける格好でドカっと横になって、「やっぱりやめる」と低く呪言のように宣言した。
「キャシー・・・・・・」と呼びかけてみても、
「髪がまとまりません」と独り言のようにつぶやくばかり。
「それは、君が」思わず失言を重ねそうになっても、
「ですので、『後日改めてご挨拶に伺います』とお伝えください」彼女は構わず言い切った。
そこからはもううんともすんとも、身じろぎ一つしてくれなくなった。こうなってしまうと、それこそ時を改めるしかない。
それで僕はクリップをしまって、変わりに取り出したゴムで自分の髪を束ねた。クリップのような可愛らしい装飾は女の子がするものだからだ。
それから黙って部屋を出た。つい扉を叩きつけてしまいそうになったけれど、もしかしたら夫人に聞こえてしまうかもと、何とか思いとどまることが出来た。
雨の音がどたどたと五月蠅かった。
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