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16. 覚悟
しおりを挟む『薔薇と聖杯と心臓』という小説では、魔王の命令により聖女候補たちを殺し、その心臓の聖核を次々と喰ったリリスは、魔王の力で自らを聖女と偽って聖教会へと乗り込む。そして持ち前の人心掌握で着々とその地位を上げ、遂には自らが大聖女だとまで教会に信じこませた上で、王太子に近づいた。
王太子はリリスに洗脳され、己の子供をその身に宿した王太子妃を手にかける。その王太子妃こそ、リチャードが愛するオフィーリアなのである。
最愛の義姉である彼女を失ったリチャードは、王家に対して復讐を誓い、その過程で様々な人を殺めていく。そしてその過程で精神を病み、闇落ちをしてしまうのだが、そこへ魔王が介入し、最終的に彼は命を落とすのだ。
シャーロットである前世の小田美幸は、その場面を読んで泣きに泣いた。三日三晩泣き続け、仕事も休み、しばらくはご飯も喉を通らなかった。リチャロスでしばらく鬱状態となり、小説の新刊が出ても手に取れない日々が続いていた。
そんな中で彼女を救ったのが、『薔薇と聖杯と心臓』のアニメ化である。アニメ化決定の時点で既に小説版はかなり長かったため、アニメ第一期はリチャードが闇落ちをするかなり前の時点で終わりとなる。第一期の円盤が売れれば第二期、第三期とアニメ化し、おそらく推しのリチャードはその中でもかなり後半までヒーロー枠で出演するはずであった。
小田美幸として心残りなのは、小説版を最後まで読み切れなかったこと、そしてアニメでの彼の活躍を第一期しか拝めなかった事である。彼のイラストが掲載されている本やDVDを買いまくり、店頭に飾られているポスターをオークションで落札しまくっては、神棚のごとく部屋の中に飾っていた。彼の事なら頭の先から足のつま先まで、本人より理解していると言っていい。
超ブラックともいえる会社で朝から夜まで働く中、彼女の唯一の癒しが推しのリチャードだった。極端な話、彼女の人生のすべてといっても過言ではない。それだけ想いの強い相手だったのだ。
だから、小説の中の世界に転生したと理解した時、彼女は彼のために自分の人生を費やそうと考えた。彼が闇落ちしないように、彼が若くして死んでしまわないように……それだけが彼女の願いだった。
「あ~、リリスの方が私より上手だったってことよね? まぁ、魔王が背後にいるから、考えてみたら当然か。小説の中で、私はリリスを引き立てる悪役令嬢だったわけだしね。でも、でもっ! リチャード様だけは護りたい! 何としてでも助けたい!」
使い魔のマビルから、リリスの計画が着々と進行している事を聞かされ、シャーロットはかなり焦っていた。小説の中で、リリスが神殿にある聖杯の部屋まで入り込むまでにはあと二年あるはずだが、聖女候補が七人も殺されているのなら、既に彼女が聖魔法を使いこなせている可能性がかなり高い。
「う~ん、どうしたらいいんだろう」
ここ最近、学園でのシャーロットの立場もかなり危ういものになりつつある。というのも、婚約者をリリスに骨抜きにされていた令嬢以外は、どういうわけか軒並みシャーロットにあまり良い感情を抱いていないのだ。
それもそのはず、学園内でのリチャードの人気はかなり高く、その彼の婚約者というだけで女生徒からは以前より妬まれ気味であった。そこへリリスに人心掌握された生徒たちが、彼女の悪い噂をあることないこと湯水のように垂れ流してくれたため、今や学園内でシャーロットに好意的に接してくれる者などほんの僅かしかいない。
周囲の協力を得られない中で、リリスの行動を監視するにはそれこそ限度がある。そこに来て今のこの現状である。次に打つ手が中々見つからない。誰にも相談できない状況での閉塞感は、まるで先の見えない迷路のように感じた。
シャーロットが部屋に引きこもり悩んでいる所へ、控えめなノックの音が響く。
「はい、何か用?」
「お嬢様、少し宜しいでしょうか?」
部屋に入ってきたのは、シャーロット付きの侍女のニコルだった。
「ニコル、どうかしたの?」
幼い頃から姉妹のように過ごしてきたニコルに対し、シャーロットは優しく微笑みかける。
「お嬢様、ここしばらくかなりお悩みのご様子。もし宜しければ、私にも何か手助けをさせて頂けませんか?」
「ニコル?あなたまさか、私の独り言を全部聞いてた?」
「申し訳ございません。お嬢様の事を理解し、尽くすのが私の使命でございますから」
ニコルは元々王都のスラム街で死にかけていたのを、シャーロットが気まぐれで助けた時から、自分より主のことを第一に考えてしまう癖がある。だからなのか、ニコルはシャーロットが何を考え、何をしようとしているのかを瞬時に理解し、いつも先回りして準備を済ませているのだ。
「じゃあ、もしかして……私が前世の記憶を思い出したことも、リリスの計画なんかも全部つつぬけなのかしら?」
「ほぼ、全てのことは理解しているものと自負しております」
「はぁ…」
「もし、お嬢様が禁忌の秘術を使おうとお考えなら、その時は私の魔力をお使いください」
実は、シャーロットはリチャードのために、黒魔法の中でも禁忌に近い秘術である依り代の魔法を使おうと考えていた。それは、万が一彼が慕う義姉が殺されてしまった場合、ほぼ間違いなく物語は正規ルートをたどり、リチャードが死に至るパターンとなるからだ。
シャーロットがリチャードを助け、一発大逆転を狙えるとしたら、それは義姉のオフィーリアの魂を己の身に宿らせることだけだ。彼女は物語のキーパーソンになっている可能性が高い。小説のストーリー展開を捻じ曲げられるとしたら彼女しかいないだろう。彼女なら、何らかの方法でリチャードを助けられると、シャーロットは何故かそう確信していた。
「お嬢様、いかにお嬢様といえども、秘術を使うにはより大きなお力が必要なはずです。私はこの日のために、黒魔法の鍛錬に励んでまいりました。どうか、私の力をお嬢様のために使って欲しいのです」
「ニコル、そんなことをしたら、あなたは死んでしまうわ?」
「もとよりこの命、あの時お嬢様に拾われなければ死んでいたものです。お嬢様のお力になれるなら、ニコルは本望でございます」
「ニコル…」
それからしばしの間、シャーロットとニコルはこれまでの事、そしてこれからの事を細かく話し合った。
実のところ、依り代の魔法は自分が死んでしまうわけではない。取り込んだ魂が体の主人格になる以外は、自分の記憶も意識も体の中には残っている。シャーロットとニコルの関係性をもってすれば、互いの力を干渉させ合う事も、意思の疎通をすることも可能となるはずだ。
「いよいよ私には手の施しようがなくなってしまったら、その時は覚悟を決めるわ。その時はニコル、あなたもお願いね?」
「はい、お嬢様。もちろんでございます。私はどこまでもお嬢様と運命を共に致します」
「ありがとう……ニコル」
ここまで来たらもう後戻りはできない。ニコルの忠誠心にシャーロットは一筋の涙を零すと、その手を強く握った。
もともと国随一の頭脳と美貌を持つとされるオフィーリアの魂がこの身に宿ってくれるなら、シャーロットは本望だと思っていた。生前から彼女の事が大好きだったので、彼女に万が一のことがあればリチャードを失うのと同じぐらい落ち込む自信がある。
オフィーリアは本来、大聖女に匹敵するほどの聖力を有していたが、それを聖教会に知られてしまうと彼女の身柄は聖教会に奪われてしまう。それを危惧したディモンド公爵が、彼女の力に制約をかけて、聖力を表に出辛くしていたのだ。
自身の魔力とオフィーリアの聖力があれば、リリスだろうと魔王だろうと敵ではない。きっとリチャードを救ってくれる。シャーロットはそう信じて、自らの身体を万が一の時のため、オフィーリアの魂の依り代にすることを決心した。これが最大の保険であり、切り札にもなり得ると。
この計画は残念なことに後日現実となってしまうのだが、反面、嬉しい誤算もあった。それは侍女のニコルが魔力を提供したことで、その体にオフィーリアの侍女であるハンナの魂が宿り、彼女の復讐劇の大きな手助けとなる事である。
この判断が、やがて起死回生のカウンター攻撃となることを、この時の二人はまだ知る由もなかった。
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