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『運営』と『冒険』
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そこは壁一面にモニターが設置されていた。
モニターの中では武器を手にした人間が、異形の化け物と戦っていたり、街を散歩する映像が流れていた。
部屋全体は薄暗く、申し訳ばかりのライトとモニターの明かりによって光源が確保されている部屋であった。
大量のPCの駆動音とキーボードをたたく音が部屋を支配する。そんな部屋の中を四十人程度の人間が動き回っていた。
それぞれの人が、それぞれ与えられた仕事をこなし、現在の状況の改善に当たっている。
ここは東京都の一角に存在するビルの中、そのワンフロアであった。
『Elysium』
それがこの部屋———いや、このビル内に存在する大半の人間が所属する会社名であった。
その名を知る者がいれば、その者たちはある一つのゲームを思い浮かべるだろう。
そう、何を隠そうこの『エリュシオン』と呼ばれる会社は、あの全世界初のVRMMORPG『parallel』を生み出したゲーム会社なのだ。
そして、その超有名ゲーム会社のモニタールームは現在、修羅場であった。
「おい! 《誘いの森》のMOB共が尽きかけてるぞ! 調整いれろ」
「え⁉ さっきいれたばかりなんですけど~」
「口答えするな! さっきからオペレータールームに苦情の電話が止まらねーんだ。急げ!」
「わ、分かりました~」
日本国内だけのサービス開始にも関わらず、初動のログイン数は運営の予想をはるかに上回り、現在はその所為で運営総出で様々な対処に追われていた。
そして、そんなモニタールームでただ一人、悠々自適に椅子に座り込んでいる女性がいた。
女性の名は《向居 静香》。『parallel』というゲームの考案者であり、『parallel』を作り上げたプロジェクトチームの総責任者の地位にあるものであった。
彼女は二十八という若さで本物の仮想現実を作り上げ、それをゲームとしての形までに漕ぎ着けた。所謂、天才の部類であった。
この部屋で唯一、落ち着いた様子で壁のモニター群に目を向けていた彼女はあるものを見つけた。
「若葉! C-13のモニター大きくして」
「えっ! あ、はい」
若葉と呼ばれた童顔の女性は、手に持ったタブレットを操作して指示されたモニターを壁に設置された全てのモニター群の前に、大きく立体映像として展開させる。
そしてそれと同時にモニターに表示された映像を見て、現実とは思えないその状況に眼を剥いた。
「な、なに…。これ…?」
つい今まで騒がしかったモニタールームは、水を打ったかのように静まり返っていた。
作業に追われていた社員たちは手を止め、モニターに映し出された光景に目を奪われる。
モニターに映し出されているのは、灰髪の少年と強化外装を纏った鬼のようなものの戦闘だった。
明らかに人間の範疇を逸脱した速さの移動をする鬼を相手に、紙一重で回避する少年。
まるで最初から刀の軌道が分っているかのように回避する少年は、お返しとばかりに攻撃後の鬼に、カウンターの刃を針の穴を通すかのような精度で鎧の隙間に叩き込んでいく。
このゲーム内に存在するMOBを設計した本人たちであるからこそ、その光景がいかに異常な事であるかが身に染みて分かっていた。
「若葉、あいつのレベルとスキルと装備は?」
若葉の意識がモニターから引き戻された。
上司からの突然の質問に慌てながらもタブレットを操作し、目当ての情報を探す。
「あ、あった! …ん? ———えっ? …嘘、でしょ」
そして、見つけた情報に若葉は今度こそ戦慄した。
「あ、あの静香さん、これ」
そうして受け取ったタブレットの情報を確認すると。
静香は小さく口笛を吹いた。
タブレットを見る静香の顔が、ここ最近見たことが無いくらいに笑顔に変わっていた。
その顔は、あまりに無邪気に楽しそうにまるで最高のおもちゃを見つけた子供のように屈託がなかった。
若葉はその顔を見た瞬間、背筋に悪寒が走るの感じた。
そして、彼女は思い出す。彼女が天才と呼ばれる存在であることを。自分とはかけ離れたモノであることに。彼女の無邪気な笑顔はそれほどに狂気的なものであった。
部屋の各所に灰髪の少年の情報が配られる。あの《グラジオ》と単独で撃ち合っているのだ。どんなステータスをしているのかその場にいた全員が興味を持っていた。
そして、少年のステータスを確認した者達は信じられないといった表情で、情報とモニターの少年を凝視していた。
ある者は不正ツールによるチートやグリッジを疑った。
ある者は死に戻りによる回数試行による攻撃方法の暗記を疑った。
そしてまたある者は少年が人間以外の何かであることを疑った。
しかし、そのどれもが間違いであることが分かると、社員は何も見なかったかのようにそれぞれの仕事をこなすために部屋の各所に散っていった。
しかし、この光景に納得できないものがいた。
この部屋で一番の年少者である若葉であった。
「あの、静香さん。あのプレイヤーは本当に何もしてないんでしょうか? もしかしたら、私たちでは分からないような不正ツールを使っているのでは?」
「それは無いね」
即答だった。一切の迷いなく静香は言い切った。
しかし、それは異を唱えた若葉も心内では理解していた。この『parallel』内での不正ツール使用に対する探知システムは異常なほどに発達していた。
なにせ静香本人が一から設計し、構築したのだ。不正を疑うということは、静香本人の腕を疑うことに直結する。
「それにあのプレイヤーの動き———」
静香はいまだにモニターに映る少年の動きを観察していた。
「———《グラジオ》の動きを見てから回避してるし」
そして、彼女はさも同然のように言い放った。
「え? いや、待ってください! …見てから回避⁉ 【縮地】を?」
「そう、【縮地】を。別に不可能じゃないよ、【縮地】から攻撃モーションへの移動には誤差があるから」
「い、いや。ち、ちょっと待ってください! その移動後から攻撃モーションへの誤差って、…ど、どれくらいなんですか?」
「うーんと、確か。―――――三十フレーム」
若葉は言葉を失った。
与えられた猶予は時間にして僅か〇・五秒。
その間に、あのプレイヤーは、相手の位置を把握し、攻撃の軌道すら予測したという事になる。
人間の反射の限界が〇・一秒であるのを若葉は知っている。なら実際にあのプレイヤーが敵影の補足、攻撃の予測に使える時間は〇・四秒。いよいよ、あのプレイヤーの中身が人間か怪しくなってきた。
そんな、心中を気にせず静香は言葉を続ける。
「本来ならあの《グラジオ》ってMOBは少なくとも五人パーティで挑むように作ったんだけどね。まさか、一人でここまで追い詰めるとは」
しかし、言葉とは裏腹にそのプレイヤーの姿を静香は、ニコニコと笑みを浮かべながら見ていた。むしろこの状況を望んでいたかのようにすら感じる程に。
そして不思議とその姿を見ていると、若葉も細かいことを気にするのが馬鹿らしくなってくる。この人はこういう人だったと納得してしまうのだ。
だが、最後にどうしても気になったことを若葉は静香に問う。
「あの、静香さんは何でそんなに楽しそうにしてるんですか? あのMOBって静香さんが自分でデザインして一から作ったんですよね?」
「そうだね。でも、あのプレイヤーは私達が作り出したモノを前にしてあそこまで本気になってくれてるんだよ?偽物とはいえ彼は命を懸けて『冒険』してるんだよ。そんなの、作り出した私たちからすれば、嬉しいに決まってるじゃん」
当たり前の事のように彼女は言い放つ。
静香は椅子にもたれかかるように顔をこちらに向け、再びあの子供のような笑みを向ける。そこに先程までの狂気は無く心の底から彼女が喜んでいることが分かった。
それくらいの違いを見極める位には若葉と静香は付き合いがあり、そして若葉はその無垢な笑顔に弱い。
慌てて顔を背け、タブレットで顔を隠す。照れて緩んでしまった顔を隠すために。
若葉はこの上司のことが時々怖くなることがあった。本当に同じ構造をした人間なのか、同じ色の血が本当に流れているのか、本気で疑うことがあった。
しかし、ただの一度も嫌うことができなかった。彼女の笑顔を見ると、なぜか周りの人間も笑顔になる。彼女はそういう才能も持っているのかもしれない。
だから、彼女の周りにはよく笑顔であふれている。
先ほどまで荒れていたこの部屋の社員の方たちも、今は楽しそうに仕事をこなしていた。
故に私は———いや、私たちは、この《向居 静香》という女性を嫌うことができなかった。
何故なら、この女性の行動の根底には決まって、他者を笑顔にするという理念が存在するから。
■■■
何度目かも分からない攻撃を鎧の隙間に刺し込む。肉を断つような手ごたえと共に三パーセント程《グラジオ》のHPが削れる。
刹那、再び《グラジオ》が高速機動で後方へ移動する。何度目かも分からないこのやり取り。
(あと、二割)
《グラジオ》のHPバーが遂に赤色の危険域に達するのを確認する。ここまで達するのにニ十分かかった。五感を限界まで高め、常に相手の一挙手一投足に警戒をし、相手の動きから攻撃を予測する。既に俺の集中力は限界に近かった。
呼吸は荒く、刀を握る手から徐々に力が抜けていく、避けきれず被弾して減少してしまったHPを回復させるために《ククル草》を口に無理やり押し込む。しかし、あくまで素材でしかない《ククル草》では、HPは微々たるものしか回復はしない。
(ぐっ、苦っ)
しかも、この《ククル草》とかいうアイテムがとんでもなく苦いのである。
俺は六割ほどしかないHPを苦々しい顔のまま確認した。
正直辛い。
それが正直な感想だ。装備が変わったと言っても相手の攻撃がモロに当たったら、俺の今の装備とHPでは簡単に吹き飛ばされる。
今食べた《ククル草》が俺の最後の回復アイテムだったので、ここから先はカス当たり判定でHPが減らされるのも避けたいところだ。
そんなことを考えていると、再び《グラジオ》が動いた。例の高速機動ではない。
《グラジオ》は刀を鞘にしまったのだ。俺は訝し気な視線を《グラジオ》に向ける。明らかに今までと違う行動に、警戒を強める。
《グラジオ》は腰を落とし左手で鞘を握り、右手を柄にかぶせるように添える。
既視感。その姿に俺は見覚えがあった。戦闘開始の際に《グラジオ》が取ったポーズ。
なら、次に起こることは———。
ザクザクザク。
俺は無意識に三歩下がる。
(———あれ? なんで俺、下がったんだ?)
その行動をとった自分が一番に疑問に思った。
他のプレイヤーが見ていたなら、今の場面は攻撃をするチャンスだろ。と突っ込まれる場面かもしれない。
しかし、俺は下がった。
確証はない。理由もない。ただ自分の中にある生き物としての本能のようなものが何かを訴えていて、ただそれに従った。
———そして、気付いた時には《グラジオ》が、刀を横一文字に薙いだ体勢になっていた。
(…へ?)
見えなかった。まるで、刀を振りぬく部分だけがカットされて消去された様に。そこだけきれいに抜け落ちていた。
(描画ミス? 回線のラグ?)
俺の視線の先ではいまだに《グラジオ》は刀を振りぬいた体勢で動かない。
好機、俺は《グラジオ》に向かって駆けだそうとした。
刀を構え、右足を踏み出して。
倒れた。
「…かハッ?」
疑問の声をあげようとしたが声は出なかった。
声の代わりに口から出たのは赤い光粒子。吐血するように出たそれは地面に落ち、砕け散る。
遅れて自分の喉が少し熱いことに気付く。ゆっくりと右手を首に当てる。
幸い首はついていた。ただ首から離した手にはべっとりと鮮血のように赤い粒子がついていた。
そこで俺は理解した。自分が斬られたことに。
(ッツ! ヤバッ、HP!)
はじかれたように視線をHPバーに向ける。
HPバーは赤色の危険域、約二十パーセント。それが残りのHP量であった。
しっかりと命中していない攻撃で、四割のHPが持っていかれている。これがもしクリーンヒットしていたら?
その状況を考えるだけで、顔から血の気が失せていくのを感じた。
だが、現状の脅威はそれだけではなかった。
HPバーの下に表示された、血の雫の形をしたアイコン。
(【出血】⁉)
ゲームには使用者側に、好ましいステータス上昇効果を引き出す術、技、呪文、魔法、アイテム。およびそれらによる、各種ステータス変動作用を総称する、【バフ】が存在する。
そしてもちろんプレイヤーを有利にするものがあるのなら、プレイヤーに悪影響を与えるものも存在する。
それが【デバフ】である。
タクが受けたデバフは一定時間HPが減少し続ける【出血】のデバフであった。
(ただでさえ回復アイテム切らしてんのに! スリップダメージだけでデスペナになるぞ…)
自分の迂闊さに歯噛みする。
HP減少に伴う攻撃パターンの変化はRPGの常套手段だ。記憶の片隅にはあったが回復アイテムの消失に極限状態の精神。様々な要因が重なり完全に頭から抜け落ちていた。
俺は刀を杖のように使い立ち上がり《グラジオ》から距離を取る。同時にHPの減少具合から秒間のスリップダメージを予測。はじき出された答えに、再び俺は顔を歪めた。
余命六十秒。
このまま何もしなかった場合、あと一分で俺のHPは底をつく、延命のための回復アイテムは既になく、もちろん俺の手持ちに【出血】を治療するアイテムもない。
死に戻りは論外。
となると、俺に残された道は、一つ。
『殺られる前に殺る』。
首から赤いダメージエフェクトを散らしながらも、俺は足を前に出す。
ゆっくりと、しかし一歩一歩踏みしめ、確実に。
俺が動き出すと同時に《グラジオ》が再び構えを作る。最初の一撃を放った時と今俺の首を掻っ捌いた際と同じ構えをとる。
俺は今まで見た納刀状態からの二撃を思い起こす。
一撃目の刃は一メートル半の距離で放たれ、二撃目は六メートルものロングレンジから放たれた。
このことから少なくとも六メートル内は奴のキルゾーン。つまり六メートル内であればいつ俺の首が飛んでもおかしくない。
そして、二撃とも目で追うことは困難であった。
見えない『死』の影が脳内にチラつく。
「ぎ、ぎぎぃ」
(…ひひっ)
掠れた音がした。油をさし忘れたブリキの人形を動かしたかのような不気味な音が。
それが自分の笑い声だと気づくのに、タクは数瞬の時間を要した。
死を目前にして何故か、少年の顔に悲壮感はなかった。
それどころか少年の頬が吊り上がり、口元は三日月に歪む。
「ぎぎ、ぐぐぅがぁ」
(ひひっ、ふふふ、はははぁっ)
少年は『危機』に笑う。
少年は『恐怖』を嗤う。
少年は『死』で哂う。
少年の体は、この場からの『逃亡』を望んだ。『死』を前にした生物の本能。至極当然の摂理。
しかし、それとは裏腹に、心は『戦い』を望んでいた。
この『現実』とは違う世界で異形の化け物との戦闘で『死』を目前にしても、心は『闘争』を望んでいた。
脳内に走馬灯のように現実世界が思い起こされる。
あの世界は生きやすいと言えるだろう。
大きな争いは無く、簡単な病は治り、食糧もたらふく存在し、生きる術を安全に学べる。
生命が保証された世界。
もし、これが幸福でないという奴がいるなら、そいつはとんでもない贅沢者だろう。
だが『生きやすい世界』と『生きていて楽しい世界』は別物だ。
俺は今あの絶対的な『強者』を前にして、実際に肌で死を感じた。
背筋が凍るような思いをして、それでもなお俺は前に進んでいる。
それは何故か?
そんなの単純なことだ。
『冒険』に憧れたから。
現実ではないこの世界に、漫画やアニメ、ゲームのような画面の中でしか見たことのないような戦いに俺達は憧れた。
血沸き肉躍る。そんな光景を自分で作り出したい。
そう考えた。
だから、俺は、ここにいる。
仮想の肉体が躍り、電子の血液が熱くなる。
少年は今を最高に『生きていた』。
モニターの中では武器を手にした人間が、異形の化け物と戦っていたり、街を散歩する映像が流れていた。
部屋全体は薄暗く、申し訳ばかりのライトとモニターの明かりによって光源が確保されている部屋であった。
大量のPCの駆動音とキーボードをたたく音が部屋を支配する。そんな部屋の中を四十人程度の人間が動き回っていた。
それぞれの人が、それぞれ与えられた仕事をこなし、現在の状況の改善に当たっている。
ここは東京都の一角に存在するビルの中、そのワンフロアであった。
『Elysium』
それがこの部屋———いや、このビル内に存在する大半の人間が所属する会社名であった。
その名を知る者がいれば、その者たちはある一つのゲームを思い浮かべるだろう。
そう、何を隠そうこの『エリュシオン』と呼ばれる会社は、あの全世界初のVRMMORPG『parallel』を生み出したゲーム会社なのだ。
そして、その超有名ゲーム会社のモニタールームは現在、修羅場であった。
「おい! 《誘いの森》のMOB共が尽きかけてるぞ! 調整いれろ」
「え⁉ さっきいれたばかりなんですけど~」
「口答えするな! さっきからオペレータールームに苦情の電話が止まらねーんだ。急げ!」
「わ、分かりました~」
日本国内だけのサービス開始にも関わらず、初動のログイン数は運営の予想をはるかに上回り、現在はその所為で運営総出で様々な対処に追われていた。
そして、そんなモニタールームでただ一人、悠々自適に椅子に座り込んでいる女性がいた。
女性の名は《向居 静香》。『parallel』というゲームの考案者であり、『parallel』を作り上げたプロジェクトチームの総責任者の地位にあるものであった。
彼女は二十八という若さで本物の仮想現実を作り上げ、それをゲームとしての形までに漕ぎ着けた。所謂、天才の部類であった。
この部屋で唯一、落ち着いた様子で壁のモニター群に目を向けていた彼女はあるものを見つけた。
「若葉! C-13のモニター大きくして」
「えっ! あ、はい」
若葉と呼ばれた童顔の女性は、手に持ったタブレットを操作して指示されたモニターを壁に設置された全てのモニター群の前に、大きく立体映像として展開させる。
そしてそれと同時にモニターに表示された映像を見て、現実とは思えないその状況に眼を剥いた。
「な、なに…。これ…?」
つい今まで騒がしかったモニタールームは、水を打ったかのように静まり返っていた。
作業に追われていた社員たちは手を止め、モニターに映し出された光景に目を奪われる。
モニターに映し出されているのは、灰髪の少年と強化外装を纏った鬼のようなものの戦闘だった。
明らかに人間の範疇を逸脱した速さの移動をする鬼を相手に、紙一重で回避する少年。
まるで最初から刀の軌道が分っているかのように回避する少年は、お返しとばかりに攻撃後の鬼に、カウンターの刃を針の穴を通すかのような精度で鎧の隙間に叩き込んでいく。
このゲーム内に存在するMOBを設計した本人たちであるからこそ、その光景がいかに異常な事であるかが身に染みて分かっていた。
「若葉、あいつのレベルとスキルと装備は?」
若葉の意識がモニターから引き戻された。
上司からの突然の質問に慌てながらもタブレットを操作し、目当ての情報を探す。
「あ、あった! …ん? ———えっ? …嘘、でしょ」
そして、見つけた情報に若葉は今度こそ戦慄した。
「あ、あの静香さん、これ」
そうして受け取ったタブレットの情報を確認すると。
静香は小さく口笛を吹いた。
タブレットを見る静香の顔が、ここ最近見たことが無いくらいに笑顔に変わっていた。
その顔は、あまりに無邪気に楽しそうにまるで最高のおもちゃを見つけた子供のように屈託がなかった。
若葉はその顔を見た瞬間、背筋に悪寒が走るの感じた。
そして、彼女は思い出す。彼女が天才と呼ばれる存在であることを。自分とはかけ離れたモノであることに。彼女の無邪気な笑顔はそれほどに狂気的なものであった。
部屋の各所に灰髪の少年の情報が配られる。あの《グラジオ》と単独で撃ち合っているのだ。どんなステータスをしているのかその場にいた全員が興味を持っていた。
そして、少年のステータスを確認した者達は信じられないといった表情で、情報とモニターの少年を凝視していた。
ある者は不正ツールによるチートやグリッジを疑った。
ある者は死に戻りによる回数試行による攻撃方法の暗記を疑った。
そしてまたある者は少年が人間以外の何かであることを疑った。
しかし、そのどれもが間違いであることが分かると、社員は何も見なかったかのようにそれぞれの仕事をこなすために部屋の各所に散っていった。
しかし、この光景に納得できないものがいた。
この部屋で一番の年少者である若葉であった。
「あの、静香さん。あのプレイヤーは本当に何もしてないんでしょうか? もしかしたら、私たちでは分からないような不正ツールを使っているのでは?」
「それは無いね」
即答だった。一切の迷いなく静香は言い切った。
しかし、それは異を唱えた若葉も心内では理解していた。この『parallel』内での不正ツール使用に対する探知システムは異常なほどに発達していた。
なにせ静香本人が一から設計し、構築したのだ。不正を疑うということは、静香本人の腕を疑うことに直結する。
「それにあのプレイヤーの動き———」
静香はいまだにモニターに映る少年の動きを観察していた。
「———《グラジオ》の動きを見てから回避してるし」
そして、彼女はさも同然のように言い放った。
「え? いや、待ってください! …見てから回避⁉ 【縮地】を?」
「そう、【縮地】を。別に不可能じゃないよ、【縮地】から攻撃モーションへの移動には誤差があるから」
「い、いや。ち、ちょっと待ってください! その移動後から攻撃モーションへの誤差って、…ど、どれくらいなんですか?」
「うーんと、確か。―――――三十フレーム」
若葉は言葉を失った。
与えられた猶予は時間にして僅か〇・五秒。
その間に、あのプレイヤーは、相手の位置を把握し、攻撃の軌道すら予測したという事になる。
人間の反射の限界が〇・一秒であるのを若葉は知っている。なら実際にあのプレイヤーが敵影の補足、攻撃の予測に使える時間は〇・四秒。いよいよ、あのプレイヤーの中身が人間か怪しくなってきた。
そんな、心中を気にせず静香は言葉を続ける。
「本来ならあの《グラジオ》ってMOBは少なくとも五人パーティで挑むように作ったんだけどね。まさか、一人でここまで追い詰めるとは」
しかし、言葉とは裏腹にそのプレイヤーの姿を静香は、ニコニコと笑みを浮かべながら見ていた。むしろこの状況を望んでいたかのようにすら感じる程に。
そして不思議とその姿を見ていると、若葉も細かいことを気にするのが馬鹿らしくなってくる。この人はこういう人だったと納得してしまうのだ。
だが、最後にどうしても気になったことを若葉は静香に問う。
「あの、静香さんは何でそんなに楽しそうにしてるんですか? あのMOBって静香さんが自分でデザインして一から作ったんですよね?」
「そうだね。でも、あのプレイヤーは私達が作り出したモノを前にしてあそこまで本気になってくれてるんだよ?偽物とはいえ彼は命を懸けて『冒険』してるんだよ。そんなの、作り出した私たちからすれば、嬉しいに決まってるじゃん」
当たり前の事のように彼女は言い放つ。
静香は椅子にもたれかかるように顔をこちらに向け、再びあの子供のような笑みを向ける。そこに先程までの狂気は無く心の底から彼女が喜んでいることが分かった。
それくらいの違いを見極める位には若葉と静香は付き合いがあり、そして若葉はその無垢な笑顔に弱い。
慌てて顔を背け、タブレットで顔を隠す。照れて緩んでしまった顔を隠すために。
若葉はこの上司のことが時々怖くなることがあった。本当に同じ構造をした人間なのか、同じ色の血が本当に流れているのか、本気で疑うことがあった。
しかし、ただの一度も嫌うことができなかった。彼女の笑顔を見ると、なぜか周りの人間も笑顔になる。彼女はそういう才能も持っているのかもしれない。
だから、彼女の周りにはよく笑顔であふれている。
先ほどまで荒れていたこの部屋の社員の方たちも、今は楽しそうに仕事をこなしていた。
故に私は———いや、私たちは、この《向居 静香》という女性を嫌うことができなかった。
何故なら、この女性の行動の根底には決まって、他者を笑顔にするという理念が存在するから。
■■■
何度目かも分からない攻撃を鎧の隙間に刺し込む。肉を断つような手ごたえと共に三パーセント程《グラジオ》のHPが削れる。
刹那、再び《グラジオ》が高速機動で後方へ移動する。何度目かも分からないこのやり取り。
(あと、二割)
《グラジオ》のHPバーが遂に赤色の危険域に達するのを確認する。ここまで達するのにニ十分かかった。五感を限界まで高め、常に相手の一挙手一投足に警戒をし、相手の動きから攻撃を予測する。既に俺の集中力は限界に近かった。
呼吸は荒く、刀を握る手から徐々に力が抜けていく、避けきれず被弾して減少してしまったHPを回復させるために《ククル草》を口に無理やり押し込む。しかし、あくまで素材でしかない《ククル草》では、HPは微々たるものしか回復はしない。
(ぐっ、苦っ)
しかも、この《ククル草》とかいうアイテムがとんでもなく苦いのである。
俺は六割ほどしかないHPを苦々しい顔のまま確認した。
正直辛い。
それが正直な感想だ。装備が変わったと言っても相手の攻撃がモロに当たったら、俺の今の装備とHPでは簡単に吹き飛ばされる。
今食べた《ククル草》が俺の最後の回復アイテムだったので、ここから先はカス当たり判定でHPが減らされるのも避けたいところだ。
そんなことを考えていると、再び《グラジオ》が動いた。例の高速機動ではない。
《グラジオ》は刀を鞘にしまったのだ。俺は訝し気な視線を《グラジオ》に向ける。明らかに今までと違う行動に、警戒を強める。
《グラジオ》は腰を落とし左手で鞘を握り、右手を柄にかぶせるように添える。
既視感。その姿に俺は見覚えがあった。戦闘開始の際に《グラジオ》が取ったポーズ。
なら、次に起こることは———。
ザクザクザク。
俺は無意識に三歩下がる。
(———あれ? なんで俺、下がったんだ?)
その行動をとった自分が一番に疑問に思った。
他のプレイヤーが見ていたなら、今の場面は攻撃をするチャンスだろ。と突っ込まれる場面かもしれない。
しかし、俺は下がった。
確証はない。理由もない。ただ自分の中にある生き物としての本能のようなものが何かを訴えていて、ただそれに従った。
———そして、気付いた時には《グラジオ》が、刀を横一文字に薙いだ体勢になっていた。
(…へ?)
見えなかった。まるで、刀を振りぬく部分だけがカットされて消去された様に。そこだけきれいに抜け落ちていた。
(描画ミス? 回線のラグ?)
俺の視線の先ではいまだに《グラジオ》は刀を振りぬいた体勢で動かない。
好機、俺は《グラジオ》に向かって駆けだそうとした。
刀を構え、右足を踏み出して。
倒れた。
「…かハッ?」
疑問の声をあげようとしたが声は出なかった。
声の代わりに口から出たのは赤い光粒子。吐血するように出たそれは地面に落ち、砕け散る。
遅れて自分の喉が少し熱いことに気付く。ゆっくりと右手を首に当てる。
幸い首はついていた。ただ首から離した手にはべっとりと鮮血のように赤い粒子がついていた。
そこで俺は理解した。自分が斬られたことに。
(ッツ! ヤバッ、HP!)
はじかれたように視線をHPバーに向ける。
HPバーは赤色の危険域、約二十パーセント。それが残りのHP量であった。
しっかりと命中していない攻撃で、四割のHPが持っていかれている。これがもしクリーンヒットしていたら?
その状況を考えるだけで、顔から血の気が失せていくのを感じた。
だが、現状の脅威はそれだけではなかった。
HPバーの下に表示された、血の雫の形をしたアイコン。
(【出血】⁉)
ゲームには使用者側に、好ましいステータス上昇効果を引き出す術、技、呪文、魔法、アイテム。およびそれらによる、各種ステータス変動作用を総称する、【バフ】が存在する。
そしてもちろんプレイヤーを有利にするものがあるのなら、プレイヤーに悪影響を与えるものも存在する。
それが【デバフ】である。
タクが受けたデバフは一定時間HPが減少し続ける【出血】のデバフであった。
(ただでさえ回復アイテム切らしてんのに! スリップダメージだけでデスペナになるぞ…)
自分の迂闊さに歯噛みする。
HP減少に伴う攻撃パターンの変化はRPGの常套手段だ。記憶の片隅にはあったが回復アイテムの消失に極限状態の精神。様々な要因が重なり完全に頭から抜け落ちていた。
俺は刀を杖のように使い立ち上がり《グラジオ》から距離を取る。同時にHPの減少具合から秒間のスリップダメージを予測。はじき出された答えに、再び俺は顔を歪めた。
余命六十秒。
このまま何もしなかった場合、あと一分で俺のHPは底をつく、延命のための回復アイテムは既になく、もちろん俺の手持ちに【出血】を治療するアイテムもない。
死に戻りは論外。
となると、俺に残された道は、一つ。
『殺られる前に殺る』。
首から赤いダメージエフェクトを散らしながらも、俺は足を前に出す。
ゆっくりと、しかし一歩一歩踏みしめ、確実に。
俺が動き出すと同時に《グラジオ》が再び構えを作る。最初の一撃を放った時と今俺の首を掻っ捌いた際と同じ構えをとる。
俺は今まで見た納刀状態からの二撃を思い起こす。
一撃目の刃は一メートル半の距離で放たれ、二撃目は六メートルものロングレンジから放たれた。
このことから少なくとも六メートル内は奴のキルゾーン。つまり六メートル内であればいつ俺の首が飛んでもおかしくない。
そして、二撃とも目で追うことは困難であった。
見えない『死』の影が脳内にチラつく。
「ぎ、ぎぎぃ」
(…ひひっ)
掠れた音がした。油をさし忘れたブリキの人形を動かしたかのような不気味な音が。
それが自分の笑い声だと気づくのに、タクは数瞬の時間を要した。
死を目前にして何故か、少年の顔に悲壮感はなかった。
それどころか少年の頬が吊り上がり、口元は三日月に歪む。
「ぎぎ、ぐぐぅがぁ」
(ひひっ、ふふふ、はははぁっ)
少年は『危機』に笑う。
少年は『恐怖』を嗤う。
少年は『死』で哂う。
少年の体は、この場からの『逃亡』を望んだ。『死』を前にした生物の本能。至極当然の摂理。
しかし、それとは裏腹に、心は『戦い』を望んでいた。
この『現実』とは違う世界で異形の化け物との戦闘で『死』を目前にしても、心は『闘争』を望んでいた。
脳内に走馬灯のように現実世界が思い起こされる。
あの世界は生きやすいと言えるだろう。
大きな争いは無く、簡単な病は治り、食糧もたらふく存在し、生きる術を安全に学べる。
生命が保証された世界。
もし、これが幸福でないという奴がいるなら、そいつはとんでもない贅沢者だろう。
だが『生きやすい世界』と『生きていて楽しい世界』は別物だ。
俺は今あの絶対的な『強者』を前にして、実際に肌で死を感じた。
背筋が凍るような思いをして、それでもなお俺は前に進んでいる。
それは何故か?
そんなの単純なことだ。
『冒険』に憧れたから。
現実ではないこの世界に、漫画やアニメ、ゲームのような画面の中でしか見たことのないような戦いに俺達は憧れた。
血沸き肉躍る。そんな光景を自分で作り出したい。
そう考えた。
だから、俺は、ここにいる。
仮想の肉体が躍り、電子の血液が熱くなる。
少年は今を最高に『生きていた』。
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