心を洗う洗濯機はありません。涙を乾かす乾燥機もありません。でも……

高橋晴之介(たかはしせいのすけ)

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洗濯支援スタート

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須田は翌日の準備を終え、ほとんど積み荷がない1tトラックに乗って多賀城文化センターを出た。まだ夕暮れ前である。海岸線の被害を確かめようとビジネスホテル新浜がある塩釜魚市場の入口を通り過ぎて国道45号線を松島方面に向かう。

瑞巌寺がある松島駅を越えて向かったのは野蒜海岸であった。
そこは須田が中学3年の冬休みに北海道旅行をした帰りに初日の出を拝んだ思い出の地である。
瑞巌寺がある松島湾の内側は大小264ともいわれる島々に守られて大きな被害はなかったようだが野蒜から東松島、石巻に掛けては津波をまともに受けて大きな被害が出たようだ。
初日の出を見た穏やかな海岸は、無残な姿に変わり自然の持つ恐ろしさを痛感した。
須田が生まれたのは静岡県沼津市の海が見える港のすぐそばだった。西伊豆に向かう観光船や漁船のエンジンの音を聞いて育った人間だからこそ海の恐ろしさを知っているはずだったが目に映ったの想像を絶する景色だった。

日が暮れると辺りは真っ暗になってしまう。海岸線の家屋は流され街灯もついていない。
道路もまだ陥没の跡があり、水が溜まっている場所もある。防波堤は街を守ってくれるが、ひとたび波が越えてしまうと水の出口を邪魔してしまうことになる。

石巻の手前でUターンして塩竃方面に戻る。トラックの窓を開けて走ると砂埃が舞っている。本来なら潮の香りが気持ちいいはずの春の海岸の道のはずだが、海に出る漁船の灯りもなかった。
塩釜ではもうスーパーもコンビニも、飲食店も営業している店が増えていた。下見に来た時のように店の前に大行列ができている様子もなく、ガソリンスタンドの給油制限も解消されていた。
日本中、いや世界中から支援物資とともに復旧を支援するたくさんの人が東北に集まっている。
明日から1人で本格的な洗濯支援を始める須田も緊張と興奮を覚えつつホテルの部屋でその日の活動報告を書き終えると、22時過ぎには横になった。
眠れず、テレビをつけたり消したりしながらウトウトしていると机の上のコーヒーの空き缶がカタカタと音を立てた次の瞬間、テレビが宙に浮き、冷蔵庫が倒れた。

4月7日木曜日23時32分
マグニチュード7.1の余震が発生した。
最大震度6強。須田がいた塩釜でも震度6弱を記録した。
塩釜漁港のそばの古い木造のホテル新浜の2階はミシミシと音を立てて激しく揺れた。須田は頭から布団を被っていたが揺れが収まると同時に津波警報のサイレンが大音量で響き渡る。寝るときにも余震に備えて室内用の靴を履いていたのは正解だった。ホテルの女将さんの『避難して~』
と叫ぶ声よりも大きな音でサイレンが響く。
外に出ると停電で当たりは真っ暗になっている。港からタイヤが焦げる臭いを残した車が高台に向かって走り去っていく。
須田も他の宿泊者とともに走って高台を目指す。東日本大震災の大津波でも被害がなかった場所までは300mほどの距離で何分もかからないが、その距離がとても長く感じた。何しろ魚市場の岸壁の上には漁船が打ち上げられるほどの力で津波は襲ってくる。

地元の人たちと一緒に高台まで全力で走りきると息が上がっていた。
しばらくして落ち着くと、足が激しく震え出した。
財布も携帯電話も持っていなかった。
握りしめた手のひらを開くことさえできず無理にその指をこじ開けると、そこにはグシャグシャにつぶれた煙草の箱があっただけであった。
ライターはその手の中になかった。
仕方なく誰かが煙草に火をつけるのを待ってライターを借りた。
何の味も感じない。ただ真っ暗な世界に煙が立ち上って行く様子をじっと眺め、吸っている煙草で2本目に火をつけた。

須田にとって一番大切な物が煙草だというのがアイツらしさではあるが、ライターがなければどうにもならない。

後に須田の報告書には次のように書かれていた。
・寝る時には靴を履いたまま。
・テレビの近く、冷蔵庫の近くは危ない。
・大切な物は巾着に入れて手首に通したまま寝る。
 (携帯、財布、小型のライト、薄い上着など)
・パジャマではなくジャージやスウェットを着たまま。
・着替えの半分はトラックの中に。
・煙草とライター忘れずに

日付が変わって4月8日の1時頃には津波警報が解除され、それぞれが家に戻って行ったが、停電は続いていた。

自分が怪我をしたり、もしものことがあれば洗濯支援どころか地元で被災している方の邪魔になる。最悪の場合には撤退することも考えながら、念のため上司に報告を試みたが、携帯は繋がらなかった。
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