やせっぽち浪人の一芝居

日守悠

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第六話 清田屋

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 大伝馬町三丁目(通旅籠町)にある『清田屋』に着いた時は、昼九つ(十二時頃)になっていた。
 奉公人にはすでに、善太郎には記憶がなく雪太郎が拾ったという事を、前もって善右衛門が説明している。蒼介は緊張で顔が強張った。気合を入れるため腹に力を込める。隣では紐に繋がれた茶介が尻尾を振り、道具箱を持った雪太郎が立っている。

「さぁ、行きましょう」
 善右衛門の言葉が合図となり『清田屋』の暖簾をくぐる。まだ昼九つ(十二時頃)のせいか、広々とした土間と店の間には客の姿がない。
「皆、善太郎が帰ってたよ」
 声を聴いてすぐに、帳場格子に座っていた三十年配の番頭ふうの男が駆け寄ってきた。
「若旦那、お帰りなさいませ。ああ――よくぞ無事に帰って来てくださった。なんてこった、すっかり痩せちまって……」
 愕然とした表情で男が言った。鼻が高く、輪郭が男らしい。鋭い目つきには意思の強さを感じた。仕事が出来そうな男だ。

「善太郎、番頭の虎次だよ。二十年以上ここで働いているから、お前の事は赤子の時から知っている」
 紹介されて気まずくなり、蒼介は頭をかいた。
「すまねぇ、俺は頭を打ったようで、記憶が……」
「ええ、ええ。旦那様から聞いております、若旦那。ご無理なく身体を直して下さい」
 精一杯の芝居をする蒼介と、気遣う虎次。雪太郎は目の前の番頭の様子を伺った。善太郎の顔を見たときの反応を思慮深く読み取ろうといた。
 会話が聞こえたのか、店の奥から若い中居が姿を見せた。暖簾をくぐり小走りで駆け寄ってくる。
「……若旦那! お帰りになったんですね」
 女中は十七、十八くらいに見える。丸顔に、まだあどけない表情が残っていた。
 次々と現れる旅籠の者に、蒼介は強張る表情のまま固まり、雪太郎は軽く会釈をした。

「虎次、お春。こちらが、見つけて下さった雪太郎さんだよ」
「それはそれは、ありがとうございます」
「よくぞ、見つけてくださいやした」
 二人は深々と頭を下げた。善右衛門は続けて説明をする。
「雪太郎さんは、見ての通り大工だ。これも縁だと思って、おたなと居住棟の修繕をお願いしたんだ」
「そうですか。それは重ね重ねお世話になります」
 虎次が頷いている。すると茶介が急に興奮して紐を引いた。知らない場所で人が多いせいだろう。
 それを見たお春が「可愛い犬ですね。やっぱり若旦那が拾ったんですか?」と言った。
「……雨の中、その……彷徨っている時に。震えている……この子を見つけたんだ」
 蒼介は途切れ途切れになりながら、なんとか答えた。どのように善太郎を演じれば良いか分からず困却している。

「くっ、犬を」
 小さく声を漏らし、虎次が目尻を抑えている。小春も袖で涙をぬぐっていた。
 ここの者たちは犬を見つけると涙するのだろうか。
「若旦那? 顔色がすぐれないようですが」
 虎次が心配したような声で問いかけると同時に、「若旦那、お帰りなさいませ」や「まぁ、お帰りになられたのですね」と、背後から複数の声が聞こえた時には軽い眩暈がしてよろけた。ただでさえ悪い顔色に拍車がかかる。見ているものには、体調不良に見えるだろう。雪太郎が片手で支えると、善右衛門は皆に声をかけた。
「そろそろ、善太郎を休ませなきゃな。では失礼するよ。皆は先に昼餉をとっておくれ。雪太郎さんも、お話があるのでこちらに」
「へい、分かりやした」
「……すまない、雪太郎。もう大丈夫だ」
 蒼介がよろめきながら善右衛門の後についていく。その背中を見て雪太郎は不安になった。ずいぶんと具合が悪そうだが、あれも演技なのだろうか。

 通り庭を抜けて居住棟に向かうと、奥庭が見えた。青々とした木々が、陽光を浴びて凛と立つ。茶介を放つと嬉しそうに走り回っていた。
 縁側の方から部屋にまわり、善右衛門に言われるまま二人は畳に腰を下ろした。
 ひっそりと佇む仏壇が見えた。善右衛門の女房、お仙のものだ。善一郎と善太郎が幼い頃に流行り病で亡くなっていると聞いている。
 今では長男の善一郎は勘当となり、次男の善太郎は家に帰らず、事実上は欠落(家出)となっている。善右衛門が一人この部屋に帰り、生活している姿を想像すると、何とも言えない気持ちになった。部屋がやけに広く感じる。

「ご無理をさせてしまいまして、申し訳ありません。お春に昼餉の用意と寝床を頼みますので、一度休まれた方が……」
 雪太郎と善右衛門が心配そうな表情を浮かべた。
「いや、心配無用」
 あれしきの事でふら付くとは……。
 浪人になり病を患ってから、武士の矜持が崩れ落ちている。俺は仕事をしに来たのであって迷惑をかけに来たのではない。
「おいおい善右衛門さん。若旦那も、口調、口調」
 雪太郎が声を潜める。どこで誰が聞いているか分からない。『清田屋』では父と倅に見えなければらないから、『清田屋』善太郎としてお互いに振る舞おうと約束していた。

「すみません。そうでしたね」
 善右衛門は眉を下げた。約束は覚えていたが、あえて滝本蒼介に話しかけてしまった。別人だとわかっているのに、ふとした瞬間に倅だと思ってしまう。帰ってきたのではないかと錯覚してしまう。夢にまで見た光景が、今は胸をしめつけた。
 首を振り、穏やかな口調で善右衛門は『倅』に話しかけた。
「善太郎、大丈夫かい? お春に昼餉の用意と寝床を頼んだからね。休んだ方がいい」
「あ……ああ。はい」
 顔を赤くしながら、蒼介が答えた。すると雪太郎が「顔が赤いぜ。熱があんのかい」と覗き込んできたので、善右衛門は声を荒げた。
「それは大変だ。医者を呼ばないと!」
 蒼介は口をポカンと開けた。熱などないので、「医者はいい。少しゆっくりしたいんだ。お……おとっつぁん」と目を逸らしながら言うと、善右衛門は少し笑ってから「分かった。それじゃあ、昼餉の用意をしてくるよ」と言い残し、静かに部屋を出ていった。








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