やせっぽち浪人の一芝居

日守悠

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第七話 漢方医

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「若旦那、本当に大丈夫なのかい?」
 雪太郎の問いには答えず、蒼介は小声で「……どう思う? おかしな反応をした者はいたか」と尋ねた。彼は障子を開け、誰もいないのを確認する。自分たちが住んでいる長屋とは違い静かなものだ。

「そうだな。虎次さんと若い女中の……ええと、お春さんか。二人の顔色を見てたが、反応としちゃ特に変じゃなかったと思うぜ。あれだけじゃ全てはわからねぇが」と答えた。
「そうか。やはり一度、兄の善一郎と会っておきたいな」
「兄な! そいつが一番怪しいぜ。勘当されて無宿人になってからは、ならず者とつるんでるんじゃねぇのか? おとっつぁんの話だと博打に手ェ出してたみてぇだし、元々かもしれねぇけどよ」
 善一郎は勘当により人別帳から削られた。その後、何者かが身元請負人になり、身を寄せているらしい。

「ああ。『俺』が帰ってきたと知れば、向こうから直接来るなり手の者を送ってくるはずだ。そのうち耳に届くだろう」
「そうだな。みんな、あんたを若旦那だと思ってたしな」
 雪太郎は声を潜め、蒼介は小さく頷いた。
「その点については安心している」
 いくら顔が似ていても、背格好や声までは似ていないだろう。不幸か幸運か、やつれていたお陰でごまかせたようなものだ。

 ため息をひとつ吐き、お仙の仏壇に手を合わせた。出来る事なら、倅である善太郎の事を見つけてあげたい。長屋の部屋を出る時に、自分の母に手を合わせたばかりだったせいか、やり切れない思いが心を染めた。
 雪太郎も一緒に手を合わせる。そうこうしているうちに、善右衛門が膳を持って部屋に戻った。お春も一緒に来たが、膳を置くとすぐに立ち去ってしまった。
 去り際に「お大事にして下さいね」とだけ言っていた。相当に具合が悪く見えるのだろう。善右衛門は励ますように笑顔を浮かべる。

「たくさん用意してきたぞ。少しは太らないといけないからな」
 白米と焼き魚、漬物が多めに用意してある。それを見て雪太郎は顎に手をやりながらこう伝えた。
「思い出すなぁ。アンタ、たくさん食って全部吐いたことがあったっけ」
「雪太郎、それは昔の話だ」
「俺もけっこう食わせちまったけどよ。アンタも体力をつけたいって無理して食うもんだから」
「……いや、無理して食べなくてもいいんだよ。残しても大丈夫だからな」
 二人の会話を聞いて、善右衛門は憂いを帯びた表情になる。
「上手そうな飯じゃねぇか、良かったなぁ若旦那!」
「本当だ、嬉しいなぁ!」

 慌てて気を遣うが、後の祭りだった。善右衛門は食事中も悲し気なままで、そのうち雪太郎も箸を置く。だが蒼介だけはいつまでも食べ終わらない。どうも本格的に胃袋の具合が良くないようで、半分は残してしまった。緊張によるものだろうが、善右衛門は目を瞑りながら叫ぶように言った。
「やはり、医者を呼びましょう!」
 眉を下げながら雪太郎が無言で肩を叩く。蒼介はかぶりを振った。
「金がかかるじゃないか。少しふらついた程度だし、食欲だってすぐに戻る」
「いいや、もう我慢ならない。待っていなさい」
 結局医者を呼ぶために、善右衛門は出て行ってしまった。しばらくすると、お春が膳を下げに戻ってきて、「奥の部屋で休む用意が出来ております。あの、お大事に……」と悲し気な顔で去っていく。

 まるで重病人扱いだ。蒼介は肩を落とした。
「雪太郎。すまんが、俺の代わりに先に調べに行ってくれ」
「ちゃんと一人で寝ていられるのかい」
 雪太郎が疑惑の目を向ける。蒼介は困り笑いをした。
 ――そうだった。こいつは面倒見が良い奴だ。俺が床に伏している時も、仕事をしながら看病してくれたな。
「……もちろん、大人しく奥の部屋で休む。心配しなくていい」
「そうかい。じゃあ仕事だし、修繕をしてくるよ。その間にしっかり調べて来るからよ、待ってな!」
「ああ、頼む。雪太郎、お前は優しい男だな」
「はっ?」
 雪太郎はその後から無言になり、蒼介を奥に寝かせると足早に出て行った。

 庭で遊び疲れた茶介は、満足そうに眠っている。ここは善太郎の部屋だと聞いた。もともと犬を入れていたので、足さえ拭けば構わないと言うことだ。
 しばらくは誰も来なそうだ。蒼介は布団から出て部屋を見回した。
 箪笥、行灯と角火鉢、文机の上に硯や筆などが置かれている。もうすでにここは調べているだろうが、欠落(行方不明)に関しての手掛かりなどはないだろうか。
 考えていると「善太郎、玄庵先生がおいでになったよ」と声がしたので、蒼介はすばやく布団にもぐりこんだ。

 善右衛門が部屋に入ってくると、続いて漢方医が薬箱を持ったお共とともに顔を見せる。名前は井村玄庵といい、剃髪の難しい顔をした男だった。『善太郎』の顔を見るなり「若旦那、戻られたか」と朗らかな笑みを浮かべる。
「若旦那が居なくなったと聞いて、気が気でなかったんですよ。だいぶお痩せになってしまって……色男がもったいない」
「はは、そうかな」
 蒼介が苦笑いをする。善太郎としてどういう反応をすれば良いのかまるで分からない。善右衛門は心配そうな顔で見ているだけだ。
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