アダルト漫画家とランジェリー娘

茜色

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珠里と花火

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 駅ビル内の店でミニ冷やし中華とあんみつのセットを食べた後、珠里は麻実子と連れ立って待ち合わせの集合場所に向かった。

 夕闇に染まり始めた駅前のロータリーは、花火を見に行く人々で既にごった返していた。
 制服警官があちらこちらに立っているので物々しい雰囲気も多少あるが、夏休みの解放感も相まって道行く人は皆どこか浮かれた顔をしている。会社の同期たちは既にほとんど集まっていて、珠里と麻実子が小走りに寄って行くと、「あー、来た来た!」と青い浴衣姿の門倉が満面の笑みで出迎えた。

 花火が打ち上げられるのは7時半からなので、まだ時間には余裕がある。珠里たち一行は河川敷方面へ向かいながら、賑やかに連なる露店を冷やかし歩いて行った。
「音原さん、何か食べる?」
 焼きそばの店を覗いていた門倉が、珠里を振り返って尋ねてきた。
「食べてきたから大丈夫」と答え、ふと振り返れば麻実子はさっそく工藤に寄り添って一生懸命話しかけている。邪魔をしては悪いと思い他のメンバーを見れば、皆それぞれに仲の良い同士でくっついてお喋りに興じていた。
 こうなると、どうしても珠里は門倉と並んで歩く羽目になる。あれこれ話しかけてくる門倉に適当に相槌を打っているうちに、珠里は妙な身体のだるさを感じ始めていた。

 実は今朝起きたときから少し喉が痛かったのだ。
 気温が急激に上がった一昨日、上司と一緒に客先訪問した際に、汗でブラウスが湿ったまま冷房に長時間当たったので嫌な予感はしていた。体調を崩さないよう気を付けていたつもりだったが、少し夏風邪気味なのかもしれない。
今夜はいつまでもみんなに付き合わず、早めに切り上げが方がいいだろう。こんな日にツイてないなと思いつつ、珠里は人の波に従って歩き続けた。

 交差点を渡り国道沿いをゾロゾロ歩いていくと、オープンして間もないホテルの白い建物が見えてきた。誠也が行くと言っていた「月光社」のパーティーはここが会場のはずだ。
 もう始まっているのだろうか。つい気になり、ホテル前を通る際にロビーの方をちらちら見ていると、逆の方向から「珠里」と名前を呼ばれたのでびっくりした。

 振り返ると、今からホテルに入ろうとしている数人のグループの中に誠也がいた。
 編集の野村が珠里に向かって笑顔で手を挙げている。その他に女性が二人。同じ出版社の人だろうか。長い黒髪を背中に垂らした女性が、誠也の肘の辺りに手を添えている。その様子を見て、珠里のみぞおちの辺りがヒュッと冷たくなった。

 遠い昔に誠也に女性の影を感じたことはあったものの、こうして現実に女の人がそばにいる光景を目にするのは初めてのことだった。
 誠也と同じ年頃の大人の女性。ふたりが並んだ立ち姿は珠里の眼には相当な破壊力で、すぐには言葉が出ないほどだった。

「……誠ちゃん。今から?」
「ああ。先にコーヒー飲んでたんだ。……会社の友達か?」
「あ、うん。同期のみんな」
 誠也が珠里の近くにいる麻実子たちに眼を向けると、主に女子たちが「こんばんはぁ」と妙にはにかんだような声を出した。一応愛想らしきものを浮かべながら誠也が挨拶を返すと、横にいる黒髪の女性が微妙に不機嫌そうな顔になった。

「珠里ちゃん、浴衣可愛いねぇ。すっかりべっぴんさんになっちゃって」
 野村がお世辞を言い、「そっちも楽しんでね」と手を振ってきた。隣の女性も形ばかりの笑みを珠里に向け、すぐに「そろそろ行かないと」と誠也の腕にまた触れた。

「じゃあな」
「うん」
 珠里が手を振ると、誠也は軽く頷いてホテルの中へ入って行った。珠里はその背中を見送りながら、ほんの少しぼんやりしてしまった。

 何故か誠也が遠い存在になったような気がして、わけもなく淋しい気持ちが込み上げてきた。
 よそゆきの格好で、珠里とは関係のない世界の人たちと一緒にいる誠也はどこか他人のようで、それでいてとても素敵に見えた。現に、寄り添っていたあの女性は見るからに誠也に気がありそうだった。
 ああいう人が、誠也の仕事環境に存在している。もちろん想像したことはあったけれど、実際に眼にするとどうしても落ち着かない気持ちになった。

「珠里ちゃん、あの人が従兄いとこの誠也さん?ホントにかっこいいねー!」
 麻実子は軽く興奮していて、他の女の子たちもちょっと色めき立っていた。
 ……そっか。やっぱり誠ちゃんって普通にかっこいいんだ。
 一緒にいることが当たり前すぎてすっかり独占している気になっていたから、今更その事実を知って妙に焦る気持ちになる。中学の頃は、間違いなく自慢だった。友達に誠也を紹介する度に、誇らしくて得意な気分だった。なのに、今は何故だか少し複雑だ。

「もう、行こうよ。のんびりしてると場所取られちゃうよ」
 門倉がその場の空気を切り替えるように言い、さりげなさを装って珠里の背中に手を添えてきた。思わずけようとするが、狭い道に人が密集しているので上手くいかない。門倉の手のひらからは、生ぬるい体温が伝わってくる。珠里はそこから逃れるように、やや急ぎ足で歩き始めた。

「さっきの従兄さんってさ……。もしかして、音原さんが一緒に住んでる人?」
 隣で門倉が問いかけてきたので、珠里は驚いて見返した。
 別に隠しているわけではないが、「従兄と暮らしている」とおおっぴらにした覚えはない。どうして知っているのかと訝しんでいると、門倉は「オレ、人事部の人と仲いいから」と悪びれずに答えた。
 人事部の人間が、社員の家庭環境を軽々しく別の社員に漏らすことに問題はないのだろうか。珠里はなんとも言えず不快な気持ちになり、「うん、そう」とだけ答えて後はずっと口を噤んでいた。


 河川敷に着く頃には、すっかり空も夜の色に染まっていた。
 座れそうな場所はほぼブルーシートやレジャーシートで埋め尽くされている。こういう日は皆、昼間のうちに場所取りを済ませているのだろう。
 既に酔っぱらって大声で騒いでいる若者たちがいる。光るオモチャを買ってもらい、走り回っている小学生も。屋台には行列ができ、あちこちから香ばしい食べ物の匂いがする。集まって記念写真を撮っているグループも多く、風流に花火を眺めるというよりは、お祭り騒ぎに浮かれる人間の集合体という印象だった。

 歩いているうちに、身体のだるさが増してきていた。
 朝は軽かった喉の痛みが、今は唾を飲み込む度に痛むようになっている。いつの間にか頭痛までしてきた。そう言えば珠里はここ数年熱を出していないが、ひょっとしたらこれは発熱の前触れではないだろうか。
 こんな日に風邪をひくなんて。自分の迂闊さと運の悪さを呪いたくなり、楽しそうに笑っている同期たちに隠れて珠里はこっそりため息をついた。

「音原さん、こっちこっち!」
 うっかりするとはぐれそうな人混みの中、門倉が珠里の手首を引っ張った。
 さっきから混雑にかこつけて、肩や背中に触れたり手を取ろうとする。こういう場で邪険にするのも気が引けるが、正直どさくさに紛れてカップルのように振る舞おうとする門倉にどうしても不快感を抱いてしまう。
 ホテルの前であの女性が誠也に馴れ馴れしく触れるのを見た後なので、余計に気持ちがささくれだっているのかもしれない。しかも体調はどんどん悪化している気がする。なんだか歩いているだけで疲れてきて、門倉の相手をするのもしんどい気分だった。

 不意に空がパッと光った。どーん!と大きな音が響き渡り、見上げると金色の花火が頭上に大きく広がっていた。
ちょうど7時半。あちこちから歓声が上がり、移動していた人々がその場に立ち止まって空を仰ぎ見ている。 
 珠里の同期たちもそれぞれに声を上げ、さっそくスマートフォンを掲げて写真を撮り始めた。この場にいる誰もが目を輝かせ、華やかな夏の夜空に魅了されていた。

 毎年のこととは言え、次々に打ちあがる花火は眼を奪われるほど美しく壮麗だった。やはり家のベランダで見るのとは大違いの迫力だ。周囲の空気からも高揚感が伝わってくる。
 今年は種類もバリエーションに富んでいて、時々アニメのキャラクターに似せたユーモラスな花火が打ち上がり、その度に子供たちの興奮した声が聞こえてきた。
 川面にきらきら反射する光が幻想的で、うっとりするほど美しい。誠也にも見せてあげたいと、つい想いを馳せてしまう。
 ホテルの最上階から見る花火はどんな様子だろう。
 誠也は楽しんでいるだろうか。誰と寄り添って、今この花火を眺めているのだろう。

「こっちが見やすいよ。ほら」
 門倉がまた腕を引っ張ってきた。珠里はさりげなくその腕をほどきながら、いつの間にか見失った同期たちを探して人波を縫うように歩いた。
 かなり先の方に麻実子の後頭部が見えた。工藤と楽しそうに花火を見上げているので、どうやらいい雰囲気になれたようだ。
 他の同期の姿も見つけたが、何人かずつ固まってワイワイ騒いでいる。花火などそっちのけで屋台でたこ焼きを買っているメンバーもいて、いつしかそれぞれが勝手に分散していた。そして珠里と門倉だけが、みんなからかなり遅れていた。

 花火客は想像以上に多く、珠里がいる場所は遊歩道なので移動する人が多い。ちょっと立ち止まっているだけで、後ろから押されたり足を踏まれそうになる。身体のだるさのせいでどうしても動きが鈍くなり、珠里は何度か人にぶつかってよろけそうになった。

「大丈夫?さっきからなんか元気ないね」
 門倉が珠里の肩を支えるように抱きかかえてきたので、「大丈夫」とその手から逃げた。
「もしかして体調でも悪い?どっか座ろうか。空いてるとこないかな」
 親切心で言ってくれているのは分かるが、さっきからやたらと身体に触れるのは勘弁してほしかった。浴衣の生地を通して門倉の手のひらの熱が伝わってくるのも嫌だった。

「門倉くん、私なら大丈夫だから。ね、みんなのとこに行こうよ」
 なるべくふたりきりになりたくないので、屋台の前にいる同期たちの方へ行こうとした。だが門倉はまたしても珠里に触れてきた。しかも今度は腰の辺りに手を回してきたので、思わずゾッとした。人混みの中なら目立たないと思って、図々しくなっているのだろうか。
 こういうのは嫌だ。こっちの気持ちを無視してこんなふうに触ってくるのは、どうしたって受け入れられない。

「あいつらはほっといていいよ。音原さん、具合悪そうだからちょっと休もうよ。あ、あそこの隅っこ座れそうだよ。ね、行こう」
 やや強引に腰を抱き寄せられ、カッとなった。頭痛もひどくなっていて、これ以上この状況に耐えられなくなってきた。

「門倉くん、そういうの、やめて」
 思った以上にキツイ言い方になってしまい内心「しまった」と思ったが、珠里はそのまま門倉の手を振りほどいた。
 川からの夜風に鳥肌が立つ。他の人たちには涼やかで心地良いのだろうが、熱っぽい今の珠里はゾクゾクと寒気を感じるだけだ。

「……なんか、感じ悪いな。そんな言い方しなくてもいいじゃん」
 門倉は明らかに機嫌を損ねたようだった。申し訳ないとは思うが、それでもべたべたと触られるのは不快でしかない。気まずくならないよう何か言うべきだったが、だるさで頭が回らず何も思い浮かばなかった。

「こういう場ではさ、積極的に楽しむべきだと思うよ。音原さん、ノリが悪いっつーか、ちょっとお堅いんじゃない?いつも付き合い悪いしさ。もう大人なのに、そういうのあんまりいいと思わないよオレ」
 不服そうにそう言うと、門倉はプイッと背中を向けた。そのままスタスタと、同期たちがいる屋台の方へ歩いていく。その態度の豹変ぶりに珠里は唖然とした。

 ……ここは自分が謝るべきなのだろうか。
 珠里は仕方なく、のろのろと門倉の後を追った。足が重い。頭が重くクラクラしてきた。
 数メートル先では、みんなが花火を見上げながらたこ焼きをつまみ、缶ビールを飲んでいる。門倉は彼らに合流し、あっという間に溶け込んで騒ぎ始めていた。女子のひとりの肩に手を回し、珠里を無視するような子供っぽい態度を見せつけている。

 自分もあそこに行って仲間に加わった方がいいのだろう。そう思ったが、珠里の足は途中で止まった。


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