風と共に現れし虎、風と共に消える。

チャンスに賭けろ

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第一章 ―風―

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 風の強い午後だった。
 空のどこかで、かすかに雷鳴がとどろいた。
 その音を聴いた農夫は、からになった荷車を停め、苦々しげに空を睨みつける。
 空の雲が、昏く重く、数を増している。空気が肌で感じられるほど湿気を帯びていた。
 ひと口、革水筒の水を飲むと、農夫はフェルト帽を目深にかぶりなおした。

 「雨の前に距離を稼ぐか」

 農夫はひとりごちると、彼は荷車を引く手に力をこめた。
 町での取引が無事にすんで荷がさばけたのはいいが、手元にはその代金がある。

 「雨も厄介だが、このへんに出没する野盗どもに出会ったら・・・」
 
 彼は身震いした。
 このあたりには樹木がおおく、見通しがわるいのも気になる。
 戦争が終わって六年。少しは暮らしが楽になると思ったが、実際は大違いだった。
 闘うしか能のない傭兵どもが、食い詰めたあげくに野盗やおいはぎになり、どこの領地も対策に大わらわと聞いた。
 治安の悪化で、こうして郊外を歩くことすら危険なのだ。
 本来ならば、下働きの下男が一緒についてくる予定だった。だが、折悪しく風邪をひいてしまったとのことで、無理をさせるわけにもいかない。

「なあに、行きは大丈夫だったのだ。帰りも気楽なものさ」

自分を励ますように、農夫はつぶやく。
しかし、いいしれぬ不安がひしひしと胸中を占め、どう仕様もない。
護衛を雇うべきだったか、とも思うが、護衛が道中、豹変して金を奪うという事態も日常茶飯事なのである。難しい判断だった。
 腰には護身用に棍棒をぶらさげている。日ごろの重労働で腕力には自信があった。

 「できれば、そういう事態は避けたいものだが・・・・」
 
 溜息をひとつついたと同時だった。ずん、と車輪が重くなった。

 「むむ、車輪が石にでも引っかかったか」

 やれやれ、と背後をふりかえると、いつのまにか荷車の上にひとりの男が座っている。

 「つれねえな、俺を運んでくれねえのかい?」

 いや、ひとりではない、ひっと距離をとった農夫の背後に、木陰から現れたふたりの男が道をふさいでいた。三人ともぼさぼさの長髪に無精髭。ろくに手入れされていない、ぼろのレザージャーキンを着ている。
 自己紹介されなくても何者か察しはついた。

 「な、なんだ、わしになんの用だ!!」

 農夫は腰に差した棍棒を片手に持つと、精一杯のどなり声をあげて虚勢を張った。
しかし膝が小刻みに震えているため、本人が期待したほどの効果はなかった。

 「あー」

 相手はそれに対し、いかにも気だるげな調子で言った。

 「金を置いてくか、命を置いてくか、好きな方を選びな」

 どんっと男は荷台の上に蛮刀を突き刺した。

 「ま、待ってくれ、この金は当座の生活費なんだ。これを全部持っていかれては生きていけない!」

 農夫の懇願を聞いても男は、何の感銘も受けた様子がなかった。
 ただ「金か、命か」と繰り返しただけだった。
 農夫は観念したようすで、懐から口を紐で縛った革袋を差し出した。

 「ごくろうさん。銀貨五枚、銅貨が六枚か。まあ、こんなもんか」

 「どっかにまだ隠し持ってんじゃねえのか、素直に出したほうが身のためだぜ」

 背後の野盗がどすのきいた声で脅しをかける。

 「と、とんでもない。それで全部だ。それでも稼いだ方なんだ」

 それでも信じない野盗たちは農夫の体を探ったが、何も出てこない事を知ると、舌打ちして石ころを蹴とばした。

 「仕方ねえ、これだけもらっておくか」

 「おい、ご苦労だったな、礼を受け取ってくれ」

 荷台に座っていた野盗が立ち上がり、刺さったままの蛮刀を引きぬいた。

 「ま、待ってくれ、約束が違う!!」

 野盗たちは顔を見合わせると、げらげらと笑いはじめた。

 「残念だが俺たちは物覚えが悪くてよ、約束はすぐ忘れちまうのよ」

 男は荷台から飛びおりた。農夫は後ずさるが、背後の野盗に背中を押され、前へつんのめった。
 笑みを浮かべた野盗は、蛮刀を上段に大きく振りかぶった。

 「ひいっ」
 
 農夫は両目を閉じて、死の衝撃を待った。
 頭上で、硬質の音が響いた。
 
「・・・・・・・・・・・・?」

 何事も起こらない。
 
 農夫がこわごわ目を開けると、彼の頭上で蛮刀が止まっている。
 もう一本の剣によって。
 鋭く、長大な剣だった。
 いつのまにか、少し離れた位置に、見知らぬ男が立っている。

 異様ないでたちだった。
 一見して剣士のようにも見えるが、鎧など着用していないようだった。
 どこか遠い国の民が着用するという蒼いキモノと、雨避けのマントを身にまとい、足にはブーツを履いている。
 足元に転がっているずた袋は、男の手荷物だろうか。
 男は、口許に不敵な笑みをたたえたまま、無言で剣を突き出している。
 それにしても奇妙な形をした、長い剣だ。背にでも背負わないと持ち運びができまい。
 その長さが野盗の蛮刀から、紙一重で農夫の命を救ったのだ。

 「なんだてめえ、どっから現れやがった。邪魔する気か?」

 男は応えない。口許にほのかな笑みを浮かべている。
 次の瞬間、不思議なことが起こった。
 野盗が男の剣に吸い込まれるように倒れる。
 血しぶきが舞った。野盗の首筋から。

 「な、なにが・・・」

 野盗は自分の身に何が起こったのか、理解できない表情を浮かべたまま、血の泥濘でいねいのなかに眠った。

 「て、てめえ!よくも仲間を殺りやがったな!」

 「許せねえ、ぶっ殺してやる」

 謎の男はひょいと両肩をすくめた。

「おいおい、ちょっと待った。こいつは不幸な事故だろう?」

「じ、事故だと?」

「見ただろう? この男が勝手に俺に斬られたがって倒れてきたんだ。俺は殺すつもりなんて微塵もなかったのに。自殺願望が強かったんだろう。可哀想なやつさ」

「なにをぬかす。ふざけるのも大概にしやがれ!」

「なめくさりやがって、死にくされ!」

 激高した野盗ふたりは、いっせいに左右から襲いかかった。

 「おいおい、事故だと言ってるのに―――」

 男のマントが弧を描いた。
 一瞬、野盗たちの視界が遮られる。
 勢いそのままにふりおろされたふたつの蛮刀は、虚しく空を切った。

 「な、何が起こった?」

 「やつはどこに消えた」

 男たちの背後から、ひと筋の銀光が宙にきらめいた。
 どん、とふたつの生首が音を立てて落ちた。
 その顔に驚愕の表情を刻んだまま。
 と同時に、ゆっくりと二つの野盗の身体が、大地に吸い寄せられるようにどうと倒れた。

の男は、ひゅひゅんと空中で剣の血しぶきを払った。
 そのまま流れるような動作で、背中の鞘にその長大な刀身を収めた。
 身をかがめ、転がっている自らの手荷物を拾う。さらに転がっている農夫の革袋も拾い、当然のような顔つきで、それをふところにねじこもうとした。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、助けてくれたのはありがたいが、それは俺の金だ」

 農夫があわてて言うと、男は悪びれたようすもなく、

「おや、そうだったか。しかし妙だな」

「なにが妙なんだ?」

「恩を着せるつもりはないが、あの場で斬られていたら、お前さんの命はなく、この金もなかった」

「まあ、それはそうだな」

「なら命があってよかったで済むじゃないか。お金なんてくれてしまえ。俺に」

「いやいや、全部持っていかれたら野盗と大差ないじゃないか」

「・・・ふむ、おまえはこのあたりの者か?」

「そうだ、フフォーレというこの先にある村の住人だ」

「―――では、こうしよう」

 いかにも名案が浮かんだ、という態で、手の平に掌外沿をうちつける。
 どこかわざとらしく見えるのは気のせいだろうか。

「俺は宿無しでな、お前さんの村に、すこし逗留させてもらえればありがたい。どうだ?」

「いや、しかし・・・・・」

「―――それとも、追っ手が来た場合、自力で解決するか」

 農夫は一瞬、考えるそぶりをみせた。
 どこの誰とも知れぬ者をやすやすと村に招じ入れてよいものか。
 しかしこの男が、自分の命の恩人であることには変わりない。

「わかった、村長とかけあってみよう」

「で、ここからおまえさんの村までどれくらいだ」

「今日じゅうにはなんとか・・・」

「一泊して、翌日の昼というところか」

 ちん、と男の背から音がしたような気がした。
 と同時に、どさりと音がして、葉をぎっしり茂らせた木の枝が落ちてきた。
 斬ったのだ。農夫が知覚できぬうちに。
 男はその葉の生い茂った枝を農夫に投げわたした。

「急いだ方がいいと思うぞ」

 農夫は、ぽかんとした顔で枝を手に取った。
 男はマントについたフードを頭に被っている。
 それが男の気遣いだったと気付いたのは、手遅れになってからだった。

――――たちまち、頭上に大粒の雨が降ってきたのだ。
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