大地統べる者

かおりんご

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再会

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  イザークの執務室。
 1日の任務が終わったあと、人払いをしてフェリックスを招き入れた。
  フェリックスの仕事は早い。数日後にはもう少年の居場所を絞り込んでいた。
  「あの日護衛していたという用心棒を見つけた」
  イザークは、少年をひったくっていった無礼な男たちを思い出した。
  「ちょっと締め上げたら喋ったぞ。あいつらは東の塔まで少年を迎えにいったらしい」
  締め上げるというのはどういうことか。官憲でもないのにさらっと物騒なこと言うフェリックスが恐ろしいが、今は考えぬことにする。
  「東の塔か。ヒュー少尉の報告もそこまでは詳しくなかったな」
  少尉は正規の将校なのだ。逆に王宮の敷地をこそこそ嗅ぎ回るのを良しとしなかったのだろう。
  「ああ、だが迎えに出てきたベドジフは少年の様子をみて大層怒っていたそうだ。あの様子だと折檻するだろうなと言っていた。あと、給金をケチられたとぼやいていたぞ」
  馬鹿な男たちの給金はどうでもいいが折檻と言うのが気がかりだ。
  「心配だな……」
  「ああ。ベドジフは残虐な男だ。召使いや奴隷を既に何人も殺している。万が一も考えて、地下牢の場所をいくつか特定した」
  フェリックスはそう言って机の上に紙片を投げ出す。
  畳まれているそれを広げると、王宮の地下の見取り図になっていた。
  「詳細がわからんところもあるが……」
  イザークはごくりと唾を飲んだ。
  「私が行ってみる」
  「危険だ!ユストゥス家の者にまかせろ!」
  「いや、私が行く。お前の家来が捕まれば、嫌疑は侯爵家にかかるぞ」
  父に後ろ暗いところのあるらしいフェリックスは悔しそうに黙る。
  「好きにしろ。お前に見せるのではなかった。そして見つけたあとはどうする」
  イザークはしばし思案する。自分は、あの少年をどうしたいのか。やはり判然としなかった。
  「それは会ってみてから決めるさ」

  決行予定日。
  その日イザークは非番で、マリア王女とクラウス皇太子に、昼食に招かれていた。
  「ようこそ、来てくれました、イザーク」
  「こちらこそ、お招きいただきありがとう存じます」
  イザークはにこやかにマリアと挨拶を交わし席に着いた。
  「お父様もお母様もいらっしゃらないのに、私たちにお付き合いさせてしまってごめんなさいね」
  申し訳なさそうにする王女に、イザークはなんの、と笑った。
  「実は、私は堅苦しいのは苦手なのです。皇帝陛下皇后陛下はご立派な方ですが、どうもその…」
  言葉を濁して悪戯っぽく笑うと、マリアがそれにつられた。
  「両陛下には内緒ですよ」
  「わかりましたわ。多分、クラウスも親のいないところでお会いしたかったんだと思いますわ。ご招待するようにせっつかれてしまって」
  話題にだされたクラウス皇太子が、興奮気味に口火を切る。
  「勇敢なイザークは、ランディリアの英雄です。病に臥せっていた頃から、ずっとお会いしたいと思っておりました」
  「それは勿体なきお言葉。光栄なことでございます、殿下」
  「イザークは魔法を使わない銃が得意だと聞きました。本当ですか?」
  「ええ。主に平民が狩猟に使う道具ですが、なかなか面白いですよ。コツさえつかめれば100発100中の魔法と違って、己のセンスと技量のみが頼りです。動物はすばしっこいですし、弾が残っていても、1発で仕留められなければ苦戦します」
  爛々と目を輝かせて話に聞き入る王子は、男子らしい好奇心に満ちている。虚弱なことが惜しく思われた。
  「僕にも銃を教えていただけますか?」
  「それは……お身体の具合次第でしょうな」
  イザークの返答に、クラウスは傍目にわかるほど気落ちする。
 イザークは慌てて言葉を足した。
  「皇帝陛下にお伺いしてみましょう。それにほら、殿下は日に日に良くなっておいでです。きっと狩にもでられるようになりますよ」
  イザークのフォローに、クラウス少しだけ期限を持ち直す。
  そこでイザークは勝負にでた。この話は両陛下の前でするわけにはいかない。
  今がチャンスだった。
  「クラウス殿下、狩は必ずお教え致します。そのかわり、お尋ねしたいことがあるのですが、聞いて頂けますでしょうか」
  「わかりました……なんでしょうか」
  「殿下を治療した、少年のことです」
  その言葉に、クラウスだけでなくマリアまで目を丸くする。
  「イザーク、それをどこで?」
  「親友に噂で聞いたのです。噂話を盲信するなど愚かしいこととはわかっておりますが、どうか両陛下にはご内密に」
  ややあって、クラウスが話始めたが、皇太子自身にもあの少年が何者であるかわからないようだった。
  「それで、彼は僕の治療をしてくれるわけですが、終わったあとは必ずぐったりとしていました。まるで僕の病をひきうけてしまったのではないかと心配になりました。それでも彼は毎日通ってくれて、僕は今の健康を取り戻したのです」
  クラウスはそこで、けれどと言葉を切った。
  マリアがクラウスを慰めるように、言葉を継いだ。
  「……最近、その子は治療にこなくなってしまったの。ベドジフ神父もお父様も何も言わないし、クラウスも元気になったけれど。クラウスは彼と、元気になったら薔薇園を散歩しましょうとお約束していたみたいで、気落ちしているのです」
  時期を聞くと、イザークが少年と会った日と一致する。
  「殿下との約束を反故にするとは不敬な少年だ。皇帝陛下に談判されては?」
  クラウスは力なく首を振る。
  「父上にお話しして、もし彼が咎められたらと思うと決心できないのです」
  「なるほど。でも皇帝陛下の命とあらばその少年も出て来ざるを得ないでしょう。私からうまく話しておきますよ」
  クラウスはほっとしたようにため息をついた。
  「実は、どうにかならないかと考えていました。彼は治療後に体調を崩していましたし、心配なのもあります。どうかイザーク、頼みました」
  クラウスの願いに、イザークは必ず、と約束する。
  幼い王子の願いを叶えてやりたかった。
  
  (姿を消した時期といい、力の行使の後に疲労する様子といい、ますます一致するな)
  昼食からの帰り、イザークは自室へとは戻らなかった。
  適当な召使い用の扉から裏にまわる。さすが王宮と言うべきか、きちんとフックにかけられた侍従の上着と自分のものを交換する。そして素知らぬふりで地下への入り口を探した。
  (ここだな)
  フェリックスとイザークが予想したのは、東塔に近い地下牢だった。ベドジフの私室にも近くあまり情報を出したがらない男が選びそうな場所だった。
  備え付けの松明に灯をともして石段を降りる。
  入り口からほどなく進むと、灯は松明だけが頼りとなる。
  こんな暗い場所にあの少年が囚われていると思うと、可哀想で仕方がなかった。
  イザークは胸に抱いた少年を思い出す。
  肩は華奢で、透き通るほど白い肌だった。荒い息を吐く唇が、やけに赤く思い出された。
  (なんだか変な気分だ)
  イザークに子どもを性的に愛でる趣味はない。きっとこの異常な状況で、少年への同情を何かと錯覚しているのだろうと思った。
  カツ、と音がして最後の段をおりる。
手前に頑丈な格子があるようだが、灯の向こうの奥は暗くて見えない。
  近づいて手を伸ばそうとした時、暗闇から微かな声が聞こえた。
  「だれ……?」
  あの少年の声だとは確信しにくい、掠れた、弱々しい声だった。
  格子の前に立ち中を覗き込む。牢の奥に、小さな体が蹲っていた。
  呼びかけようとして、イザークは彼の名前すら知らないことにやっと気づいた。
  「イザークだ。イザーク・グスタフ・フォン・ヒルデブラント。先日市場で会ったのを覚えているか」
  小さな体がピクリと動く。ようやくあげた顔は地面についていたため、黒く汚れ、殴られたのか所々血が滲んでいた。
  その痛々しさに、イザークは胸が締め付けられるようになった。
  「イザーク、さま?」
  少年はしばらく呆然とイザークの方を見ていたが、だんだんと信じられない物をみたような表情になる。
  「あの時助けて下さった……。まさか、ほんとうに?」
  「ああ、お前を探していた」
  少年はずりずりと這うようにイザークに近寄ってきた。
  イザークは屈みこんで、少年に目線をあわせてやる。
  「大丈夫か……いや、無事とは言えないな」
  イザークは松明を燭台に差し、少年に手を伸ばした。
  あの時悪党に傷つけられていた胸の傷に触れる。
  なんとか塞がっているものの、放置されたせいで醜い筋になっていた。
  近くで見ると他にもあちこちが痣になっており、イザークは怒りがこみ上げるのを感じた。
  イザークは格子の合間から手を伸ばして少年を支え起こす。
   「ベドジフにやられたのか」
  少年は怯えたように肩を揺らす。
  イザークは、我ながら怒りに満ちた声だと思った。
  「お前を助け出してやりたい。皇帝にもかけあう。だが今は鍵がない」
  「ベドジフは、恐ろしい男です。イザーク様も関わってはいけない」
  「皇帝陛下は慈悲深いお方だ。それに、皇太子殿下もお前にもう一度会いたいと仰せられている」
  イザークは少年の瞳が揺れるのを見た。やはり、クラウスを治療したのは彼なのだ。
  だが少年は力なく首を振る。
  「僕をベドジフにとらえるよう言ったのは皇帝陛下だと言っていました。クラウス殿下には…何も言わず姿を消してしまって申し訳ないと、思っています」
  少年の目から、涙が溢れた。
  イザークは少年を抱きしめたくなった。自分の胸で、泣かせてやりたかった。
  だが鉄の棒に阻まれてかなわない。
  防御魔法が施されているのか、熱の魔法を与えてもびくともしなかった。
  「……必ず助ける。だが今は、せめて何か欲しいものはないか」
  イザークは、言ってしまってから生死の境をさまよっている少年に対して欲しいものなど笑止であることに気づく。
  だが少しでも、何か希望というものを与えたかった。
  生きようと思えるなにかを。
  そしてそれに答えた少年の言葉は、あまりにも本能的な欲求だった。
  「喉が……乾きました」
  少年の唇は乾き、色を失ってひび割れ、痛々しく血が滲んでいた。
  「わかった。何かすぐにとってきてやる」
  何度も往復したら見つかってしまうかも知れないという危惧は、少年の様子を見てかき消されてしまった。
  イザークは、召使い部屋にとって返し、休憩室に盛られていた林檎をひとつ失敬すると、足早に牢へ戻った。
  「食べられるか?」
  少年がゆっくりと口を開き、赤い林檎に唇を寄せていく。
  だが、歯茎が果実の表面をなぞるだけで咀嚼する力はない。
  つるりとした林檎の皮に微かに唾液の跡がつく。
  イザークは決心して、少年から林檎を取り上げた。
  少年が目で追ってこちらを見るのを見つめながら、イザークは林檎を自分の口に運んだ。
  しゃく、と囓ると瑞々しい甘酸っぱさが舌の間に溜まる。
  何度か咀嚼して果肉を柔らかくすると、イザークは少年に顔を寄せた。
  不思議そうにこちらをみる少年を安心させるように微笑んでやる。
  そして、その瞬間は避ける間を与えぬように努めて素早く唇に触れた。
  瞬くまつげがイザークの肌を撫でて、少年が驚いていることがわかる。
  イザークは薄く開いた唇の間から舌を忍び込ませると、歯列を優しくなぞる。
  少年は素直に口腔を明け渡し、口の中までイザークを受け入れる。
  やがて味蕾で林檎の甘さを感じると、もっとというように自ら舌を伸ばした。
  少年の舌がイザークの歯にたどり着いた時、表面に神経のないはずのそれが甘く疼いた気がした。
  イザークは少年に、まるで雛に餌を与える親鳥のように口の中で柔らかくなった林檎を分け与えた。
  ごくりと音がして、少年の喉仏が上下するのを感じる。
  そっと唇を話すと、ちゅ、と湿った音がした。
  唇の端から果汁が垂れているのを見つけて、思わず舐めとる。
  ぼうっと熱っぽい瞳の少年の様子を見ながら、まるで恋人同士のキスを楽しんだ後のようだとイザークは思った。
  「約束する、必ず助けてやる。信じて、もうしばらく頑張ってほしい」
  少年はしばしの沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
  「名前を、聞いてもいいか?」
  「僕の名前は鷹栖瑠夏。瑠夏、と呼んでください」
  少年の名前の聞いたことのないその響きはイザークの耳に、まるで異国への誘いのように聞こえた。

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